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2008.08.17

スポーツと栄光の罠

スポーツの覇者には、栄光と、そして現在ではアマチュア選手にも報酬がもたらされる。
イエス・キリストは言った。「すでに人々の賞賛を得たなら、神からの報酬は得られないだろう」と。
名誉と金を得ることで失うものもある。

「新世紀エヴァンゲリオン」という有名なアニメにこんな場面がある。
幼かったアスカという女の子は、その素質(おそらくは並外れた知能と運動能力)で、エヴァンゲリオン(戦闘用巨大ロボット)のパイロットに選ばれる。
歓喜し、走るアスカの姿。
「地球を守るパイロットに選ばれたの!世界一なの!」
彼女が目指すのは母親のところだ。一刻も早く、このことを伝えたい。
「だから見て!私を見て!」
彼女は、母親のいる部屋のドアを開ける。そこには、首をつった母親の姿があった。
それでも訓練を受けたアスカは(彼女にはそれしかなかった)、優秀なパイロットになるが、精神の糸が切れ、エヴァンゲリオンを動かせなくなった時、「もう誰も私を見てくれない」と言って精神に異常をきたす。
いかな優秀な人間でも、他人の承認への切望があるのだ。そして、過剰な承認により失うものは大きい。

このアニメで、気付かないかもしれないが、逆のケースがある。
碇シンジという、主人公である別のパイロットは、なぜエヴァンゲリオンに乗るのかと聞かれると、最初は「みんなが褒めてくれるから」と答えた。だが、ある時、エヴァンゲリオンと決別する(パイロットを辞める)。他人の承認より大切なものに気付き、彼は大人になった。再びエヴァンゲリオンに乗った彼は、以前の彼ではなかった。

オリンピックに人々を扇動する手段として、栄光に包まれた選手への羨望をうまく利用する方法がある。
精神が幼い人間は、過剰な他人の承認を求め、その決定版である栄誉に憧れる。栄誉あるものを賞賛することで、自分もその一部を得たような気になると共に、彼らを賞賛する人々の共同幻想の中に包み込まれ、偽りの安心感を得る。
また、栄光への淡い希望を持つ子供や若年者(精神が幼ければ20代いっぱいまで有効)に偽りの期待を持たせるのも有効である。

栄光と不要な富を捨てた時に人は自分自身になる(栄光による利益は不要なものだ)。
むしろ、下手に栄誉を得た者は不幸だ。
スポーツの勝者に拍手を送るのは良いが、栄光まで与えてはいけない。不必要に憧れ羨望する必要もない。勝利を目指した敗者はむしろ幸福だ。
スポーツでも、芸術でも、それらのマスターの成し遂げた技を賞賛するのは良い。だが、その栄光を賞賛するという的外れなことをしてはいけない。

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Comments

まあでも、北島はすごい、マイケル・フェルプスはもっと。(汗
取り巻く全体としてはともかく、選手個人はやっぱりすごいと思います。
恐らく国民栄誉賞はでると思いますね。
まあでも、北島の場合は、そこから先がありそうなので大丈夫でしょう。

Posted by: hideto | 2008.08.17 02:29 PM

フェルプス選手は長く世界中の人に憶えておいてもらえそうですね。
しかし、マーク・スピッツが、ラリサ・ラチニナやカール・ルイスらより印象強いのは、やはりその世界記録が奇跡的なほど長く破られなかったためでしょう。
丁度、陸上走り幅跳びのビーモン選手の世界記録が非常に長く残ったことで、彼の名がいつまでも覚えられたようにですね。

Posted by: Kay | 2008.08.17 08:11 PM

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