命を献上するということ
人の行いの中で、最も高貴で感動を与えることとは、自分の命を献上し、他の命を生かすことと思う。この場合の献上とは、天に対してといった感じと思う。
命を献上するということと、命を捨てるというのはやはり異なるし、命を捨てるという言い方は本来は良くない。ただし、他の命を守るために命を捨てるのであれば、それは献上である。
3人のスカイダイバーがパラシュートで降下中、3人のパラシュートが絡まってしまったという事件があった。そのせいで、ごく小さなパラシュートしか開かず、3人は高速で地面に向かって落下していった。すると、1人が、自分のパラシュートロープをナイフで切断し、他の2人を救おうとした。これが、命を献上するということである。
この英雄的な行為の甲斐もなく、3人とも死んでしまったが、彼は家族や子供に名誉と幸運を与えたかもしれない。
極真空手の創始者、大山倍達は、「ケンカ必勝の秘訣は?」と聞かれ、呆れながらも、「先に命を捨てた方が必ず勝ちます」と答えた。だが、命を捨てる覚悟など、下らぬケンカでできるものではない。やはり、命を差し出すに足る何かがある場合に限られ、それは命の献上と言えるかもしれない。
命の献上はまた、最も優れた陰徳でもある。
陰徳が人の運勢を向上させるとすれば、命の献上は最も幸運に繋がる。
とはいえ、本当に命を差し出してしまえば、こと自分に関しては幸運も何もない。ただ、子供や子孫に幸運をもたらすかもしれない。
いますぐできる命の献上とは、少食にすることである。人の命は食事で養われるのであるから、それを少なくすることは命を献上することであるし、それをした分、食べるはずだった動物や植物の命を救うことにも繋がるので、非常に良い陰徳となる。
反対に過食をすれば、他の命を奪うことになるので、余程の陰徳でもって埋め合わせをしない限り運勢を低下させるであろう。
もし、これが理解できるなら、少食は楽しみでなくて何であろう?
「じゃあ、なんで残された存在と時間を、みすみす捨てたりするのよ」
知らずの内に責めるような口調になっている問いに、静かで強い答えが返ってくる。
「こうなったのは僕の責任なんだ。それに」
シャナは、悠二が微笑していることに驚き、その声を聞く。
「捨てるんじゃない。生かすんだ」
~「灼眼のシャナ」(電撃文庫 高橋弥七郎著)(106P)より~
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