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2008.08.31

全ての成功哲学、運命学は枝葉である

人間は、生まれてきたからには幸福に生きたいと思うものであり、何を幸福とするかは人それぞれであるのだが、概ねは、健康で、物質的な豊かさ、栄達、そして愛情に恵まれることを願うものと思う。
それを実現するための教えが書かれた本が、現在では実に多くの種類が誰でも簡単に入手できる。それらは、古代から伝わる賢者の書や著名な思想家、学者が書いた非常に格式を感じさせるものもあれば、とても気楽な感じのものまでいろいろだ。
今は、「引き寄せ」とか「キー」とかが流行のようであるが、かなり以前からある、ジョセフ・マーフィーやナポレオン・ヒルなどもまだまだ人気があり、もっと以前からあったサミュエル・スマイルズの修養書は今も評価が高いし、ジェームス・アレンは次々翻訳され、最近になってようやく翻訳されたウォレス・D・ワトルズは同じ本がいろいろな人が翻訳する人気振りだ。他にも人気のあるものがいくらでもあると思う。
また、様々な占いや運命学も昔から現在に至るまで、多くの人々の心を捕えている。
これらのほとんど全ては良いものであると思う。
しかし、いかに優れた内容であっても、やはりこれら全ては枝葉であり、根本ではない。
枝葉をいくら熱心に学んでも、根本がしっかりしていなければ何らの発展もないものである。
そして、不思議なことに、根本を直接説くものは極めて少ないのである。

江戸時代に、水野南北という有名な観相学者がいた。観相学とは、顔や手、あるいは、身体の各部の形状や肌などの色その他の様子で運命を鑑定する技術である。水野南北は顔はもちろん身体中のあらゆる部分で鑑定を行った。水野南北は最初から学問的に観相を学んだのではなく、頭の形を見るために髪結い、身体を見るために風呂屋、さらに死体をも観察するために死体焼場の仕事すらしたようだ。学問はしなかったが、ある時には、有名な学者に口伝してもらったともいう。いつしか名声は高まり、皇室からも鑑定の依頼を受けるようになり、観相学的には彼は、貧窮、短命の相で、若い頃は投獄されるほどのやくざ者でありながら、当時としては非常に長命な78歳まで生き、蔵を7つ建てる程の長者となった(昔は金持ちになったことの証を「蔵が建つ」と言った)。
その水野南北は、ある時から相談に来ても観相の話をあまりしなくなった。観相は枝葉に過ぎず、相が悪くても自分で良くすることができ、逆に相が良くても何の意味もないこともあると言う。そして、唯一と言って良い根本とは、ただ食を慎むことであると言う。
水野南北は、いかに観相学を極めても百発百中といかないことに悩んでいたが、根本が食であることに気付いてからは百発百中、外れることはなかったという。
水野南北は、一般には断食を薦めたり、3度の食事のいずれかを抜けとは言わなかったが、少食、粗食をする大切さを、その原理と共に力説し、それが仏教の教えに沿うことも付け足した。

なるほど、いかに「引き寄せ」「キー」関係の書を熱心に読み、その通り実践しても、あるいは高額な成功教材を使っても、たらふく食べていては成功するはずがない。
そのようなものは一切学ばなくても、食を節制すれば何事もうまくいくというのが水野南北の教えである。
水野南北の「相法極意修身録」(現代語訳は玉井礼一郎訳「食は運営を左右する」)にそのあたりのことが丁寧に書かれているが、この本は今は古書でしか入手できない。こんな良い本が出版され続けないとは日本も終わりであるかと思うほどである。
日本は、農業、漁業を軽んじ、食料自給率が極端に低い異常な国である。そして、経済力は確実に衰えてきているが、そもそも国民が真面目に働かなくなってきた。そんな状況で、いつまでも食料の大量輸入ができるはずがなく、飽食を続ける者は悲惨となると思う。今こそ、少食、粗食、あるいは不食を実施し始める時であり、それにより、我が国は経済大国ではなくても強く平和な国となると思う。

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2008.08.30

芸術とは波を作り出すことだ

かつて、ノベルという会社は、コンピュータネットワーク分野で(正確にはネットワークOS分野)マイクロソフトを圧倒的にリードし、大きな市場占拠率を得ていた時代があった。その時のノベル社の社長の名前は忘れたが、コンピュータ雑誌に載っていたその社長の言葉はよく憶えている。
「流れに乗れなければ滅び、流れに乗れば生き残れる。そして流れを作り出せば勝てる」
そんな言葉だった。
その後、ノベルはマイクロソフトの追い上げを受けて破れた。マイクロソフトは強引に流れを作って勝ち、ノベルは流れに乗ることで現在も生き残っている。
マイクロソフトは一部で思われているような愚鈍な恐竜ではない。流れを作り出す革新性こそが同社の武器であったし、これからもそうだ。
しかし、グーグルは強力な波を作り出して圧倒的な勝利を得、IT世界の派遣を狙っている。帝王マイクロソフトもまだまだ負けないにしても、グーグルは脅威であり、新しい流れを作り出せなければ没落しかないのも確かである。グーグルだけに負けるのではなく、Java、リナックス、オラクルといったこれまで抑えてきた勢力や、SaaSという新しい波によってたかって攻め込まれることになりかねない。王者というものは実に大変である。

新しい流れを作り出すのは大変なことだ。
しかし、芸術というのは、新しい流れを作り出すことが宿命と思う。
ピカソは常にそれまでの自分を打ち破り、自分の芸術を革新し続けた。ピカソの代名詞であるキュービズムでピカソの芸術が完成したのではなく、ピカソはそれすら破壊して先に進んだ。80歳を過ぎたピカソが10ヵ月ほどで制作したエロチカ347シリーズは、老いぼれピカソの遊びと揶揄されることもあるが、さらに後の156シリーズと併せ熱心に収集した池田満寿夫さんがこれらを語る時の狂気とも言える異様な熱意(池田さん自身は、ある種の芸術家達と違い、自分に狂気は無いと言っている)は、これが究極の芸術であると感じさせられる。それは世間の評価とはまるで関係のない話と思う。いや、世間に評価されてはいけないとすら思う。世間の評価を信じるくらいなら、私は独断であっても、まだ池田さんを信じられる。
岡本太郎さんは、人生即芸術と言ったが、芸術でない人生は本物の人生ではないと言えると思う。人生は自分で波を起こさないといけない。また、岡本太郎さんは、本日ただいまより、あなたも芸術家になれると言った。世間の幻想を打ち破り、自分を破壊し、自分で波を作り出すことは誰にでもできるということと思う。

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2008.08.29

少食生活の注意とさらにその後

私が1日1食の生活に入ってから3週間が経過した。
朝食、昼食は抜きで、夜も米少量の他、納豆か豆腐、あるいは梅干か昆布類といったところである。栄養学的には栄養失調状態であるはずだが、体調も精神状態も非常に良い。毎日、駅まで片道2キロを歩いているが、以前より速く歩くようになり、特に帰りでも疲れがなくなってきたのが分る。
少食にし始めた最初の頃は、週に1~2回アイスクリームを食べたが、今は一切の間食をしていない。
1日1食、あるいは2食の人は割合にいるのだが、食事の時にたらふく食べる人が多いし、専門家を名乗る人でもそれを薦める者すらいるが、これは良くないと思う。また、間食をよくする者もいるが、それではせっかく食事を抜く意味がないのではと思う。1日1食で食事時に満腹したり間食するくらいなら2食にして量を減らす方が良いと思う。食事以外には食べないのが良い。
私は、今後、1食の量をさらに減らし、ある時期には何も食べずに生きるところまで行けると思うが、まずはなるべく早い時期に米を食べるのをやめようと思う。

人間として幸福になる、つまり、健康で長生きし、富裕で特に晩年に安楽に過ごしたければ食を慎みさえすれば良い。この範囲であれば禁欲も特には必要ない。水野南北も、食を慎む限り、色遊び大いによろしとしている。
しかし、それ以上の、人を超えた力を得るには、完全に食を断たなければならないし、色々な行を行う必要もある。そのための特別な知識も得なければならない。
だが、その境目(人間としての幸福を得る力と、人間を超える力)はさほどはっきりしているものではないと思う。
ただの人間にとっても、仙人にならないまでも、仙人の術の一端を得ることは良いことであり、人としてのより大きな力を得ることにもなろうと思う。
力を得る基本は、放埓に振舞いたい心を抑え、自己に制約を課すことである。神は自己に加えた制約の数倍の力を与えてくれるものであるようだ。その制約の最大のものが食に関わる制約である。それをある程度クリアすると、古代から伝わる仙道や道教の教えに従い行を行うことで仙人への道も開かれると思う。

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2008.08.28

命を献上するということ

人の行いの中で、最も高貴で感動を与えることとは、自分の命を献上し、他の命を生かすことと思う。この場合の献上とは、天に対してといった感じと思う。
命を献上するということと、命を捨てるというのはやはり異なるし、命を捨てるという言い方は本来は良くない。ただし、他の命を守るために命を捨てるのであれば、それは献上である。

3人のスカイダイバーがパラシュートで降下中、3人のパラシュートが絡まってしまったという事件があった。そのせいで、ごく小さなパラシュートしか開かず、3人は高速で地面に向かって落下していった。すると、1人が、自分のパラシュートロープをナイフで切断し、他の2人を救おうとした。これが、命を献上するということである。
この英雄的な行為の甲斐もなく、3人とも死んでしまったが、彼は家族や子供に名誉と幸運を与えたかもしれない。

極真空手の創始者、大山倍達は、「ケンカ必勝の秘訣は?」と聞かれ、呆れながらも、「先に命を捨てた方が必ず勝ちます」と答えた。だが、命を捨てる覚悟など、下らぬケンカでできるものではない。やはり、命を差し出すに足る何かがある場合に限られ、それは命の献上と言えるかもしれない。

命の献上はまた、最も優れた陰徳でもある。
陰徳が人の運勢を向上させるとすれば、命の献上は最も幸運に繋がる。
とはいえ、本当に命を差し出してしまえば、こと自分に関しては幸運も何もない。ただ、子供や子孫に幸運をもたらすかもしれない。
いますぐできる命の献上とは、少食にすることである。人の命は食事で養われるのであるから、それを少なくすることは命を献上することであるし、それをした分、食べるはずだった動物や植物の命を救うことにも繋がるので、非常に良い陰徳となる。
反対に過食をすれば、他の命を奪うことになるので、余程の陰徳でもって埋め合わせをしない限り運勢を低下させるであろう。
もし、これが理解できるなら、少食は楽しみでなくて何であろう?


「じゃあ、なんで残された存在と時間を、みすみす捨てたりするのよ」
知らずの内に責めるような口調になっている問いに、静かで強い答えが返ってくる。
「こうなったのは僕の責任なんだ。それに」
シャナは、悠二が微笑していることに驚き、その声を聞く。
「捨てるんじゃない。生かすんだ」
~「灼眼のシャナ」(電撃文庫 高橋弥七郎著)(106P)より~

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2008.08.27

古典の名著による仙人になる法

「列仙伝・神仙伝」(平凡社ライブラリー)という本が面白い。
「列仙伝」と「神仙伝」をまとめたものである。
その内容は、中国に伝わる仙人(導師も含む)を紹介するもので、仙人1人に関する記述がせいぜい1~2ページであるので、数多くの仙人が登場する。
著者はそれぞれ、名高い劉向および葛洪である。
特に葛洪は、仙人の存在を強く信じていたことが知られており、神仙思想と煉丹術の理論書である「抱朴子」を著している。

さて、この極めて簡潔に紹介される数々の仙人であるが、この短い紹介の中に、彼らの使う術、得た地位や職業と共に、ほとんどの仙人について、彼らの食生活を記してあるのが面白い。
仙人達は、特定の木や植物の根、実、花を食べたり、また、苔や岩石から薬を作って服用している場合が多いようで、ほとんどの場合、穀物は食べないと明記されている。また、全く(あるいはほとんど)何も食べない仙人もいる。
仙人達は、長命、または不死で、数百年以上に渡って活動していたとされるものも多い。また、殺害されても死体がなくなり、別の処に現れてピンピンしていたという仙人も数多く登場する。この死体がなくなるというのは仙人の特徴であるようで、よって仙人を尸解仙とか氷解仙ということもある。

昔の中国では、仙人になるための煉丹術が流行り、それで作られた薬を服用するのであるが、その原料が硫化水銀であるため、水銀中毒で死んだ者も少なくなかったらしい。
私は、西洋の錬金術が物質的な金を作るというよりは内的(精神的)変化の方法であるのと同様、煉丹術も後に発明された内丹術のように、物質的な薬を使わず、人間の内部で行うものが正しいのだと思う。
普通の人間が、健康で運に恵まれるためには少食にすれば良いが、仙人になるとなると食を断つ必要がある。普通は食を断つと死んでしまうので、大気中のエネルギー(気)や光のエネルギーを取り入れるための方法が考えられ、それが気功になっているのだと思うが、これらも実は究極的には精神的なものではないのかと思う。ただ、インドのヨーガにもクンバハカと呼ばれる特別な呼吸があるように、呼吸と精神、あるいは、エネルギーとは何らかの関係が強いのではないかと思う。
(他にもスーパーラーニングや速読術で呼吸法を取り入れているが、怪しげなものもあるかもしれない)
「荘子」にもゆったりとした呼吸の良さが書かれているし、ここはひとつ、静かで深い呼吸を時々行い、少食に徹することが仙人への入り口であるように思う。

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2008.08.26

次元界で仙女に逢う

久々に次元界に行った。
次元界とは、この世とあの世の間にある霊妙な世界で、仙境と言って良いと思う。
たおやかで落ち着いた自然の風景が広がり、空気は澄み切っていて、気候は穏やかだ。
1人で歩いていると、すぐ傍らに仙女がいることに気が付いた。外見は13歳くらいの、清楚だが大変に美しい少女である。明るく微笑みながらついて来るので、せめて肩先にでも触ろうと思うと、すっと消え去り、気が付くと、20メートルほど向こうの、10メートルくらいの高さの岩の上に立っている。赤と青と緑の混ざり合ったような空を背景にしたその姿は、なんとも絵になった。
その程度と私もそこまで跳躍するが、虚空でさてどうしようかと思っていると、彼女の方から手を差し伸べ、一緒に地上に降り、危ないですわと言う。あまり危ないとも思わなかったが彼女の手に触れることができた。
それからまた歩いたが、彼女はまるで子犬のようにまとわりついてきた。このような美しい仙女が邪魔なはずもなく、楽しく会話した。彼女は、私が1日1食にして、しかも粗食であることを喜んでくれた。そして、こちらの世界に入ることもできると思うと言う。そうなれば、こちらの世界と現界の行き来も自由だし、この世界や現界の山奥で1人静かに過ごすこともできれば、人助けをすることもできるのだと話した。
ただ、他人に少食、粗食を薦める時は、それがいかに良いことかを十分に理解させないと、苦しい思いをさせるものであることを教えてくれた。実際、完全な不食を達成した者でも、その過程が非常に辛かったと言う者は少なくないのだ。
他には、この世界にあるものを現界に持っていく時は、必ず断ってからにするようにと注意してくれた。例えば、3つの良いものがあり、持って帰りたい時は、空に向かってでも尋ねると、1つだけなら良いとかいった答えがあるはずだと言う。
私は、この仙女を持って帰りたかったが、尋ねるのはやめておいた(笑)。

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2008.08.25

少食は偉大な陰徳である

「ローム大霊講和集」(霞ヶ関書房)には、人が力を得る秘訣は「自己制約」であると書かれていたと思います。私自身は、この本に権威を感じる必要はなかったのですが、その部分が実に心に響いてまいりました。
また、陰徳を積むことも神霊の助けを得るに必要と書かれていたと思います。
自己制約とは何かと言いますと、人間とは放埓に、つまり、自由きままにふるまいたいものですが、その心を抑えることです。たとえば、掟を厳しく守るといったことなどがこれに当たると言えば分りやすいかもしれません。

ただ、具体的に自己制約や陰徳をどう実践するかとなると、思いのほか難しいものであるかもしれません。
江戸時代の観相家、水野南北は、若い頃は非常に放埓かつ悪行も為す者でありましたが、ある時、人相観に「あと1年の命」と言われました。どうすれば良いかと聞くと、陰徳を積めと言われました。南北は、禅寺に行き、入門を願いましたが、禅僧に「麦飯と大豆だけの食事を1年続けられたら入門を許そう」と言われます。南北はそれを守り、大好きな酒もやめ、麦と白豆だけの食事を1年続けました。そして、あの人相観に再び会うと、人相観は「剣難の相がなくなっている。余程の陰徳を積んだのか?」と言いますので、「別に何もしていない。ただ、麦と白豆だけの食事をしている」と言うと、「それこそ大きな陰徳である」と言われました。

歴史の中には、余程の身分で、その気になれば贅沢な食事を存分にできたはずが、非常な粗食に甘んじていた人物がいます。
日本では、武士は偉くなっても質素な食事をすることが奨励されましたが(守らない者もいましたが)、徳川家康の食事は実に簡素であったと言いますが、家康は長命かつ老いても健康で、60歳を超えても10代の側室に元気に子供を作らせておりました。

食事を質素にするだけで陰徳になるなら楽なものであります。
上記にあげた以外でも、食事に関して、量を少なく、菜食にすることで、健康面、能力面、運勢面の向上が期待できることはよく言われていると思います。
私も、僅か3週間程前からではありますが、1日1食とし、肉食はなるべく避け(付き合いで食べることはあります)、量も少なくしておりますが、早速、体調が良くなってまいりました。ただ、私の場合は、2週間ほどの準備期間で徐々に少食にしてきたこともあり、普通は、いきなり1日1食ではなく、3度の食事の量を減らし、なるべく菜食とし、次に朝食を抜くなどに移れば良いのではと思います。
また、最初のうちは、むしろ肉体面で苦しいこともあるかもしれません(あると思うからあるのかもしれませんが)。
しかし、おそらくは少食、菜食の威力は絶大であり、健康や運勢に良い影響があるだけでなく、食事に関して教え込まれてきた幻想を破ることにより、知恵を得ることもあるのではないかと思います。
先にあげた水野南北によれば、ほとんどいかなる境遇にあっても、食事を少なくするだけで、全てはうまくいくと言っているようです。南北は、自身もまた、富と栄誉を存分に得ながら、長寿を全うしました。そして、彼の信念は決して一朝一夕に得たものではなく、長年の熱心な研究と実践、そして、50日の断食と水行の荒行の中で悟ったもののようです。

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2008.08.24

優等生の未来

小学校の時、勉強もスポーツも優秀で、自信に満ち溢れた子が不思議だった。通信簿をもらうと、私はオール3なのに、彼はこともなげに「僕はオール5だよ」と言う。
彼としばらく付き合ううち、彼は週に何回も塾に通っており、その他、音楽と武道も習っていることが分かった。彼の家に行くと、母親の雰囲気が自分の母親とはまるで違っていた。落ち着きがあり、常に静かな微笑を浮かべ、はっきりとした言葉を穏やかに話した。父親を見る機会があると、やはり立派だった。
こんな子は、将来もさぞ立派であろうと思った。実際、一流の中学や大学に入ることになると思う。
しかし、このような家庭、このような子供が、後にロクでもないことになる場合が少なくないし、それは今後はもっと増えると思うのだ。
こういった子供の恵まれた条件は、本人やご両親の努力も当然あると思うが、その他のなにかのおかげであるのかもしれない。よくは分からないし、科学的ではないが、ご先祖様が良いことをしたとかかもしれない。まあ、運が良いのだということはいえると思う。
良い思いをする裏には、自分の力ではないものの働きがあるのかもしれない。
そして、自分達に与えられた良いものに感謝の心を持たずに傲慢になると、運はあっという間に逃げていくのかもしれない。
「The Secience of Getting Rich(お金持ちになる科学)」のウォレス・D・ワトルズは、感謝の心が神と調和する秘訣だと言い、感謝の心を持たないと得たものも失うと何度も書いているが、そのようなものであると思う。

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2008.08.23

オリンピック野球 勝負は見えていた

私はオリンピックに興味はないし、中でも日本の野球の選抜チームにはほとんど関心がなかったが、米国メジャーリーガーが出ない以上、おそらくは選手の平均年棒では世界でもダントツの日本チームが他国とどんな戦い方をするのか興味が出て、適当に見ていた。
結果は、韓国に2連敗、アメリカに2連敗であった。
ただ、個々の選手の実力そのものは日本チームの方がはるかに上と思う。
日本選手は、米国のメジャーに行っても、そこそこ以上にやれる選手ばかりと思うが、アメリカチームは3A以下のマイナーの選手。韓国だって、凄い選手もいるが、平均すれば日本の方がずっと上のはずだ。
しかし、試合を見る限り、日本は韓国、アメリカに完敗だった。
そして、気合い、迫力といった点で、韓国、アメリカは日本と比較にならないと感じた。
アメリカ選手は、給料を含め、待遇はかなりお粗末なマイナーの選手だ。オリンピックで活躍し、特に、今アメリカで評判の日本のトッププロ相手に実力を見せてメジャーに注目されたいという必死さがあるのではないかと思った。
また、韓国では、メダルを取れば兵役免除はほぼ確実だ。そして、兵役義務のある若い選手がばんばっただけではない。絶不調の中、4番に座り続けたイ・スンヨプは、日本戦で勝負を決めるホームランを放った後、「これで若手が兵役に就かなくて済む」と言ったのは嘘ではない気持ちと思う。そんな彼らの闘志と絆の力が日本を上回ったように感じた。
日本チームは何を目指していたのだろう?実際には名誉だけではなかったのか?また、日本プロ野球コミッショナーが率いる日本の野球を命がけで守る気もないに違いない。
勝負は最初から見えていたような気もする。

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2008.08.22

誤解するのが人間か

アメリカのSFテレビドラマ「宇宙大作戦」をご存知だろうか?1966年に開始されたという古いものであるが、後に原題の「スタートレック」のタイトルで映画も数多く製作され、「スターウォーズ」と比較されることもよくあった。
テレビシリーズの俳優による映画の最終作品は1991年である。
バルカン星人のミスター・スポックはカーク船長を凌ぐほどの人気キャラで、彼の決まり文句“to error is human”は、1つの確実な真理であり、いろいろな場所で引用される。

カーク船長の宇宙船USSエンタープライズ号の乗組員は、ある意味、カーク船長より優秀だ。特にミスター・スポックの知能、知識は最高である。カークの親友ドクター・マッコイは医師で、チャーリー・スコットは有能な技師だ。カークは、コンピュータに「役立たず」のように扱われたこともある。
もちろん、カークは船長としてのリーダーシップがあり勇敢だ。だが、決して欠点のない完璧な人間ではなく、むしろ人間的欠点は多い。
それでも、スポック始め、乗組員達はカークこそリーダーであると完全に認めている。

私がカークにいつも驚愕するのは、その説得力だ。テレビドラマの最後が、カークの熱弁シーンになることがよくある。宇宙人達と敵対し、危機的状況に追い詰められたところで、カークは熱弁を奮い、相手の宇宙人を説得し始める。宇宙人達は、最初は冷ややかな対応をするが、やがてカークの言葉に対してわずかな戸惑いの色が浮かぶ。カークはさらに熱い言葉を浴びせるが、それは視聴者である我々の心を動かす。相手の宇宙人はやがて冷静さを失い動揺を見せる。後一歩だ。カークのトドメの言葉が炸裂する。武力や科学力で負けても、カークの信念に満ちた熱弁で勝利する。ああ恐ろしい(笑)。

視聴者はこれを見て、信念ある言葉の威力に感動する。
しかし・・・。
現実はどうであろう。
例えば、北朝鮮との対話を見て分かるように、まともな言葉がまるで通じない相手に対しては、いかなる熱弁や理路整然たる説得も空回りする。
いま流行りのモンスター・ペアレントや、その類の非常識な人間にまともに挑んでもほとんど意味がない。
そして、世の中には、そのようなことだらけなのである。
同じ会社の中の、近しい人間相手でも、ごく簡単な理屈がさっぱり通じないことは少なくない。これは、相手に根本的な知識や理解力が欠けている場合や、相手がこちらの話に納得することで劣等感を感じるような場合に多い。あるいは、その両方が重なることもあり、その場合は実に悲惨だ。

思想家の吉本隆明氏は、その名著「共同幻想論」に対する的外れな批判に対し、「馬鹿に付ける薬はない」と言うしかなかったのだと思う。
「共同幻想論」は、はっきりいって誰にでも理解できるものではない。理解力のない者が、自分の力量の範囲内で無理に理解すると、とんでもない誤解をして当然だ。
心理学者の岸田秀氏の「唯幻論」は、吉本氏の共同幻想論と少し似ているが、こちらは非常に単純で誰にでも理解できる・・・と思うが、これすら誤解する者も少なくはない。ましてや共同幻想論となると全く歯が立たなくても仕方があるまい。
スポックは“to error is human”と言ったが、私は“to misunderstand is human”と言いたいくらいだ。
岡本太郎さんは「誤解されてもいいじゃないか」と達観していた。そして、実際、誤解された。我々もそうありたいし、それと、人を誤解しないようにしたい。理解できないなら勝手に決め付けないことだ。

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2008.08.21

セレンディピティを起こす鍵

仙人になるのもなかなか難しいが、精神分析医、心理学者のC.G.ユングは、あるレインメーカー(雨乞い師)の話が好きで、よく話していたらしい。

内容はというと、ある村で干ばつ(日照りが雨が降らないこと)が長く続き、危機的な状況の時、有名なレインメーカーを雇い、雨を降らせようとした。
レインメーカーは村に着くと、テントに篭った。すると、3日で雨が降った。
村人がレインメーカーを賞賛しながら「何をしたのか?」と尋ねると、レインメーカーは「何もしない。ただ、この村には神との調和がなかった。私は神と調和したのだ」と答えた。

実は、私はこの話は、台湾出身の米国人作家で事業家、自己啓発分野で著名な女性であるチン・ニンチュウの本の冒頭で読んだ。
ニンチュウは、この話を非常に重要なものと考えており、この本1冊が、その意義を何とか読者に分らせるために書いていたのではないかと思う。
その本は「誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる」(PHP研究所)である。

神と調和すれば、あらゆることが可能になる。同じことが様々な賢者の本にも見られる。
私が自己啓発分野では最高と思う「In Tune with the Infinite」(翻訳『人生の扉をひらく「万能の鍵」』(サンマーク出版)も明らかにそうだ。
しかし、ではいったいどうすれば神と調和できるかとなると、どれを読んでもなかなか難しい。
私は、チン・ニンチュウの本を何度も繰り返し読んだが、感動的とは思ったが、結局、「ではどうすれば良いか?」は何一つ分らなかった。
およそ成功哲学の本を読んで、誰も実際に成果が出ないのは、上っ面のテクニックめいたものを格好だけ真似しても成果は得られないことの証明と思う。

最近、このブログでよく話題にしている、甲田医院の甲田院長の本を読むうち、それ(神と調和する)は少食にすることだとの確信を強くした。
神はあらゆる生命の繁栄を願うものと思うが、人は生きるためには食べなければならない。
しかし、それでも、他の生命を奪う数が少ないほど、神の意思に適うはずである。
だが、先進国は例外なく飽食で、無用に他の生命を奪ってこれを食べ、更に、食べきれずに捨てるようなことをしている。甲田氏は、こういうことは神は許さないと言うが、表現を変えれば、これは神との調和を乱すことで、私は日本のことしかあまり分らないが、確かに日本は救い難い状況にまで陥ってしまっている。
他国で民衆の食糧事情に問題がある場合が多いのは、因果関係はいろいろあるとしても、一部の人間の飽食に原因がある場合も多いと思う。

およそ宗教的な行で、少食や断食を伴わないものはない。
聖書に、イエスは、山に入って祈ったとあるが、お弁当を持って山に入ったとは書かれていない(笑)。
他の宗教でも、人々の平安を祈るような行の際、僧侶がお食事会をすることはない。
逆に、堕落した宗教の象徴は、映画「ブラザー・サン、シスター・ムーン」にあったように、偉い僧侶が「食事中に呼ぶなと言っただろう!」と怒り出したように、貪り喰らって肥満していることである。

少食にすることで神との調和がいくらかでも適い、良きことが増えるのではないかと思う。
私も少食にすることで、シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)や、セレンディピティ(偶然に訪れる幸運)が頻繁に起こるようになったと思う。

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2008.08.20

奇跡の治療体験記

世の中には、嘘か真か、病院が見放した患者を治してしまうような治療を行う特別な方法があると言われるが、それらが表立って取上げられることは、まあ、滅多にない。
中には、非常にいかがわしいものや、虚偽の宣伝を行うものも少なくはないのだろうが、長く継続して成果を上げていると思われるものもある。

私が実際に試したり、偶然としても奇跡的成果のあったものの2つを含む3つを取上げる。驚くべきものと思う。

最初に、公式の医療機関である甲田医院である。
これは、私は実際に関わったことは全くない。
院長の甲田光雄氏(医学博士)の著書および関連書籍をAmazonで検索すると、医療分野で46冊出てくる。医者が治療に関する内容に偽りを書くことはできないだろう。しかし、その治療実績は驚くべきものだ。
甲田氏は50年以上に渡り少食療法を研究してきた。甲田さんの実施する治療の根本はこの少食療法であり、玄米生菜食が基本と思う。
中でも私が驚いたのは、脊髄性進行性筋萎縮症や、筋ジストロフィーといった難病に顕著な治療成果があり、治るはずがないこれらの病気が治癒した例も多いことだ。
私は読んでいないが、「1リットルの涙」という本で知られる木藤亜也さんと同じ「小脳脊髄変性症」になりながら(奇しくも同じ年齢で発症)完治して元気に働いている人もいる。
筋ジストロフィーに関しては、私も愛読している「風歩」(森山風歩著。講談社)で、この愛らしい女性である著者の凄まじくも悲惨な青春を知っていたので、特に驚愕である。

私が最近実行している少食生活も、甲田氏の影響がある(ただ、全面的な影響ではない)。
甲田医院のHPを見ると、今は休診中とある。甲田氏も既に80代半ばであるが、健康状態は少食健康法で大丈夫とは思うので、講演や著作などで忙しいのかなと想像する。
治療方法そのものは、著作を見ると、あまり医療的でなく、工夫すれば誰でもできそうであるし、特にお医者さんであれば、すぐに導入できるとは思うが、あまりそんな話はないと思う(多分、儲からない)。

2つ目は、内海康満氏が開発したMRT(マート)である。現在、全国に15ヶ所のオフィスがありそこで治良(MRTでは、医療機関ではないので治療という言葉を使えないためか治良と表現している)を受けられる。治良は一瞬で絶対無痛だ。
MRT本部HPで、体験談を見ると、驚くべき治癒例が溢れている。
また、内海氏の著作にも凄い例が沢山ある。例えば、医者に片足が動かない赤ん坊のその片脚を切断しようと言われ、MRTで見てもらったら「切る必要はない」と言われ、その場で即、治癒が現れて完治したり、背骨の疾患で数ヶ月ベッドに全身を固定する治療計画を医者に言い渡され、それはとんでもないとMRTに行くと、これも瞬時に治った。これらのやや以前の著書では、内海氏は、医療を徹底して非難し、「裸の王様」と喝破していた。
今の時代、こういったことで嘘の情報を公開することは無理と思う。また、私自身、MRTを認める医者に何人か会ったし、そのうちの1人は、内海氏の弟子にもなったことがあった。
私も、30回程度と思うが、MRTの「治良」を受けた。正直、何か成果があったかどうかは不明である(私は健康だし)。また、1回に4700円かかるので、高額と言うほどではないが、決して安価ではないことを付け加えておく。
尚、MRTでは、食事に関して一切の制限はなく、食べたいと思ったら、好きなものを好きなだけ食べれば良いとする(ただし、MRTの治良を受け、「中心感覚」というものが発揮されている場合と思う)。標準体重に意味はなく、それをはるかに超えていても、本人が良いと思えば問題ないとしている。

3つ目は、グッズである。
今では入手不能であるが、「神経波磁力線発生器」というものがあり、これによる大変な効果を実際に見た。
この装置は、大阪大学で工作センター長を長年勤め、その後、岡山の林原生物化学研究所の研究職をされていた政木和三さん(2002年逝去)の発明品で、政木さんは精力的に行った講演活動で「この装置でいかなる病気も治る」と自信満々で問題発言(笑)をしていた。
現在、バイオイーザーという、医療器具の認定も受けている、ほぼ同じ仕様の商品が政木さんの発明品として売られているが、本物かどうか私は知らない。個人的には信じていない。
さて、この神経波磁力線発生器であるが、私が直接知る事例を3つ示す。

1つは、私の友人の叔父が末期の胃癌で余命1ヶ月と宣告されていた時、私は友人にこの装置の話をした。友人は国立大の化学を出て、非常にお堅い仕事をしており、考え方も非常に堅く、そんな怪しげな装置のことは意にも止めないと思ったのだが、意外にも、即購入を決め、私が手配した。10万円程度はするものである。その友人が「どうせ最後なのだ。できることは何でもしてやりたい」と言ったのが、実に感動的であった。
さて、友人の叔父は、この可愛い甥っ子が持ってきた装置をすぐに使ったのだと思う。すると、強度の便秘で苦しんでいたのが、わずか15分で排便があった。抗生物質の影響で食欲も全くなかったのが、毎日使ううち食欲も出てきて、病院を抜け出して喫茶店でスパゲッティを食べたらしい。そして、しばらくしてレントゲン検診をしたら、癌がなくなっており、医者は首を捻る。友人は意地悪く、「先生の誤診じゃなかったの?」(半分はそう思っていたのだと思う)とからかうと、医者は「抗生物質が効いたのだ」と言ったそうだ。
そして、余命1ヶ月のはずが、3ヵ月後には退院した。
私が、政木さんの研究所に行った時、家族が癌になったという人から電話があったが、政木さんは「そんなの、あの装置を使えば治る」とぶっきらぼうに言い放った。
厚生省には訴えられたが、その他で政木さんを訴えた人は1人もいないはずだ。

2つ目は、私の父親であるが、病院で、長期間、意識不明の状態が続くうち、床ずれのため、腰に大きな穴が開いてしまった。誰の責任かはここでは問題にしないが、その状況をここに書くこともはばかられるくらい見るも悲惨な状態であり、医者は元に戻すことは不可能と言った。それが、神経波磁力線発生器を毎日使うと、完全に元に戻ったのである。

3つ目は、大手酒造メーカーの課長さんが、肩が悪く、腕を肩より高く上げられない状態が長年続いていた。歓談しながら、この装置を10分ほど使うと、簡単に腕が上がり、驚いておられた。そして、すぐにこの装置を注文した。

私は個人的には医療は全く信じていないことは、以前にも書いた。
そして、これらの治療について、表立ってマスコミに取上げられることが全くないのは、なかなか興味深いことと思う。神経波磁力線発生器については、これを不正に販売した業者がいた時、この装置をテレビに大きく写すということはしていた。暗黙のうちにこの装置を否定しており、テレビの影響は大きく、この装置の信頼を世界から消したようなものであるが、テレビも、この装置がどう悪いのかの説明はしなかった。調べもしなかったのだと思う。考えれば恐ろしいものである。テレビという強力なメディアが、悪意か単なる思い込みかは分らないが、そのいずれかの理由で一方的な価値判断を全国民に押し付けたと言って間違いない。そして、それは当たり前に行われていることに注意されたい。テレビや新聞なんてものは決して信じないよう、自分に言い聞かせる必要があるのではないだろうか?

無業という禅僧は、毎朝、自分にこう言っていたという。
「おーい、主人公」
「はい」(自分で返事をする)
「しっかり目を覚ましておられよ」
「はい」
「人に騙されるな」
「はい」
マスコミのなかった時代でさえ、このような配慮が必要だったのである。
ましてや、今の時代、テレビや新聞は、我々を騙して得をしようという連中の下僕と言ってまず間違いないと思う。心して目を覚ましていたい。

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2008.08.19

1日1食、13日目

本日は、再び少食の話題である。
8月7日に、朝食と昼食を食べないことにしてから13日目である。
14日に、姉の家族が昼に来たので、昼食ににぎり寿司を4つほど食べたが、肉類は食べず、また、その日は夜は食べなかったので、次の食事は翌日の夜となった。
夕食もなるべく少なくし、少量の米に、納豆か豆腐、それに昆布といったところである。
つい最近まで、かなり大食する方で、肉類も大好きであったのだから、驚くべき変化であるが、別に辛いということはない。空腹というよりは、食べる楽しさを思い出した時にやや苦しさがあるが、すぐに慣れると思う。
夕食の時も、特に食欲はなく、少し食べ過ぎるとかえって苦しい。
飲み物は、緑茶、ほうじ茶、ノンカロリーのペプシコーラは時々飲む。
他には、小さなミカンを買ったので、1日に1つくらい食べている。空腹を満たすというよりは、嗜好品のようなものである。なくなれば敢えては買わないと思う。
アイスクリームも週に1~2回食べるが、全くの趣味のような感覚だ。

後は、無理なく夕食を減らし、独立系栄養生物(無機化合物か光をエネルギーとして生きる生物)に進化(?)していこいうと思う(笑)。

このような生活になって変わったのは、お金を使わなくなったことだ。
出勤日は、財布を持っていかなくても問題ない。以前は、昼食に1回千円前後かかっていたし、朝、駅の売店でおやつを買うことすらあった。週末には母親と買い物に行くのだが、食料品ばかりではないが、1回2万円位払っていたのが、最近は1万円位になった。
また、毎朝、自販機でミネラルウォーターを買っていたが(120円)、ふと気が付いて水道水を入れたペットボトルを持ち歩くようになった。別にミネラルが必要とも思っていないのだ。水もそのうちいらなくなると思う。
以前は、月に2回程度、銀行からお金を下ろしてもすぐになくなっていたのが、今はなかなか無くならない。
お金は溜まる一方である(三谷幸喜氏の真似)。

日本人がみんな私のようになったら、食品関係の会社はさぞ困ることだろう(笑)。
だが、誰にでもできると思う。マイケル・ジャクソンのJAMという歌で、歌詞の翻訳では、なぜああなるのか私には理解不能であるが「集中することは僕には耐えられないことじゃない。きみはどうだい?」という部分があるが、これを「少食にすることは僕には耐えられないことじゃない。きみはどうだい?」としたい(笑)。
そうえば、マイケルも菜食で1日1食である。そして、今は違うと思うが、毎日ハードな練習をしていたのだ。

中国の古代の聖典を調べると、やはり食べないことが仙人になる道のようであるが、現代の神霊秘話「ローム大霊講和集」(霞ヶ関書房)には、このあたりのことは書かれていない。日本の高度経済成長期に出た本であるので、やはり食品業界に配慮してたのかなあという気はする。

釈迦もイエスも、悟りを開く前は厳しい断食をしたらしい。
ただし、釈迦は、苦行にやや疑問を持ち、村の娘からミルク粥の供養を受け、平静になってから悟ったという。ただ、これは、釈迦が苦行にこだわり過ぎていたことに問題があったのだと思う。基本的に断食は間違っていないが、無理をしてはいけないし、食べて良し、食べなくて良しの融通無碍な心が必要であったのだと思う。よって、仏教では中庸(中道)を重んじる。
イエスはどうかというと、「人はパンのみにて生きるにあらず」と言ったが、別にパンを否定してはいない。ただ、必要でないと言ったのであり、やはり断食は有効と思う。

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2008.08.18

夏休みの終わり

私は、毎年、夏の間に必ず観るDVDが2つある。

1つは、劇場版(映画)アニメ「アキハバラ電脳組~2011年の夏休み~」だ。
このアニメのテレビシリーズは1998年に放送開始された。2010年という「少し未来」のお話ということであったが、もうすぐその年である。劇場版の公開は1999年だ。
このアニメは、アニマ・ムンディという5人の少女達が主役で、彼女達がアキハバラ電脳組である。彼女達はテレビシリーズ時が中学1年生で、劇場版では中学2年生になっている。
アニマ・ムンディとは、オカルト用語であり、イェイツの詩にも出てくるくらいであるが、このアニメでは、より進化した新しい人類のことである。たが、普通には他の人との違いは特になく、精神の純粋さの問題である。

劇場版で、アニマ・ムンディの少女は、命をかけるような大問題にさえ簡単に決断をしてしまう、ある種の軽さがある。それはもしかしたら軽挙妄動かもしれないが、自分のための決断ではない。そして、彼女達は、その気楽に見える決断で、何が待ち受けているか分からない宇宙に初めて飛び出す。
夜の学校で花火をした後、一人が「行こう」と言い、一人が「うん」と答える。たったそれだけが合図だった。
宇宙に飛ぶには、アニマ・ムンディの5人のうち3人はやったことがない霊気融合という現象を起さないといけない。それは不可能と思われた。しかし、一人が「できるよ。大丈夫」と言うと、皆それを信じた。
そして、5人の少女達の印象的で美しい霊気融合のシーン。5人はディーバ(女神)となり、空に舞う。
奥井雅美さんが、この映画のために作った2曲が素晴らしい。

もう1つは、ガイナックスのアニメ「まほろまてぃっく」の第5話「8ノ634ハ元気デス」だ。
このアニメは外宇宙の侵略者と戦うSFであり、ヒロインのまほろはアンドロイドであるが、彼女の正体を知る者の誰も、彼女をアンドロイド扱いしない。
夏に相応しく、このアニメシリーズ唯一の怪談であるが、これが実に良いのだ。
少年の幽霊と少女の幽霊は、本当は、生きている時、放課後の教室で逢い、少女が少年に告白するはずだった。
2人の幽霊は、別々に同じことを言う。
「ねえ、何か心残りなことがあって、その場を離れられなくなることってない?」
幽霊がこの世に存在する理由の全ては、このセリフに現れていると言って良い。
プールから離れらない少年の幽霊を、なんと、まほろさんはひっつかんで飛ぶ。少女の幽霊がいる教室に。
言いかけるが、恥ずかしがって告白できない少女の幽霊に、少年の幽霊は手を差し出し「帰ろう」と言う。2人は光となって舞い上がっていった。

今年も、この2つを観終わった。
「2011年の夏休み」のヒロイン、ひばりの最後のセリフが浮かぶ。
「私達の夏休みが終わります」
私の夏休みも終わった。

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2008.08.17

スポーツと栄光の罠

スポーツの覇者には、栄光と、そして現在ではアマチュア選手にも報酬がもたらされる。
イエス・キリストは言った。「すでに人々の賞賛を得たなら、神からの報酬は得られないだろう」と。
名誉と金を得ることで失うものもある。

「新世紀エヴァンゲリオン」という有名なアニメにこんな場面がある。
幼かったアスカという女の子は、その素質(おそらくは並外れた知能と運動能力)で、エヴァンゲリオン(戦闘用巨大ロボット)のパイロットに選ばれる。
歓喜し、走るアスカの姿。
「地球を守るパイロットに選ばれたの!世界一なの!」
彼女が目指すのは母親のところだ。一刻も早く、このことを伝えたい。
「だから見て!私を見て!」
彼女は、母親のいる部屋のドアを開ける。そこには、首をつった母親の姿があった。
それでも訓練を受けたアスカは(彼女にはそれしかなかった)、優秀なパイロットになるが、精神の糸が切れ、エヴァンゲリオンを動かせなくなった時、「もう誰も私を見てくれない」と言って精神に異常をきたす。
いかな優秀な人間でも、他人の承認への切望があるのだ。そして、過剰な承認により失うものは大きい。

このアニメで、気付かないかもしれないが、逆のケースがある。
碇シンジという、主人公である別のパイロットは、なぜエヴァンゲリオンに乗るのかと聞かれると、最初は「みんなが褒めてくれるから」と答えた。だが、ある時、エヴァンゲリオンと決別する(パイロットを辞める)。他人の承認より大切なものに気付き、彼は大人になった。再びエヴァンゲリオンに乗った彼は、以前の彼ではなかった。

オリンピックに人々を扇動する手段として、栄光に包まれた選手への羨望をうまく利用する方法がある。
精神が幼い人間は、過剰な他人の承認を求め、その決定版である栄誉に憧れる。栄誉あるものを賞賛することで、自分もその一部を得たような気になると共に、彼らを賞賛する人々の共同幻想の中に包み込まれ、偽りの安心感を得る。
また、栄光への淡い希望を持つ子供や若年者(精神が幼ければ20代いっぱいまで有効)に偽りの期待を持たせるのも有効である。

栄光と不要な富を捨てた時に人は自分自身になる(栄光による利益は不要なものだ)。
むしろ、下手に栄誉を得た者は不幸だ。
スポーツの勝者に拍手を送るのは良いが、栄光まで与えてはいけない。不必要に憧れ羨望する必要もない。勝利を目指した敗者はむしろ幸福だ。
スポーツでも、芸術でも、それらのマスターの成し遂げた技を賞賛するのは良い。だが、その栄光を賞賛するという的外れなことをしてはいけない。

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2008.08.16

国民栄誉賞

オリンピック競泳平泳ぎ100m、200mで、2大会連続金メダルを獲得した北島康介選手に政府が国民栄誉賞の授与を検討しているという。
プロ野球シアトルマリナーズのイチロー選手は、かつて同賞の授与を打診されたが、これを辞退している。
北島選手は、もしそのようなことになっても辞退する必要はないと思うが、ちょっと注意しておきたいのは、彼は自分の意思で辞退することはできないと思われることだ。それがなぜかは考えていただければ嬉しい。

そもそも、騒いでいる割には、国民栄誉賞とは何かを知らない人が多いと思うが、別に厳格な規定に則ったものではなく、実質的にはマスコミの影響の極めて大きい人気大賞と言って間違いない。
本来で言うと、イチロー選手が辞退する理由など何もなかったが、彼の胸中には、インタビューで語ったものとは異なるそれを受けたくない理由があったに違いないと思う。
イチロー選手が受けたくないなら、北島選手だってそうかもしれない。しかし、彼は辞退できない。
北島選手に国民栄誉賞をと扇動するものの存在とその意図を見抜いた方が良い。

北島選手が辞退したら本当にカッコいいと思うのだが・・・。

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2008.08.15

天使や妖精を見る方法

アントニオ猪木さんが「元気があればなんでもできる」を1つのキャッチコピーにしていることはご存知かもしれません。
また、成功哲学では「熱意を込めて強く願えば必ず叶う」とか言います。

当たり前やんけ(笑)。
しかし、元気を出すことと、熱意を持つことが最も難しいという当たり前のことを指摘されたら、みんな足元をすくわれた気分になるのではありますまいか?
責任者出て来い!・・・・と、沈着冷静な私が興奮してはいけませんね(笑)。

不食の超人として話題の山田鷹夫さん(「人は食べなくても生きられる」執筆時点で3年間不食)が、「やる気を出したければ食事を抜け」と別の著書(断眠)に書いていますが、その通りです。個人的には、山田さんはインパクトのあり過ぎるおじさんなので抵抗大きいのですが(笑)。

「やる気を出す」とか「熱意を持つ」というのは、妙な話ですが、天使や妖精を見ることと同じなのです(妙だ・・・)。
「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツの著書にも書かれていますが、ケルト地方には現代でも(イェイツの生きていた1900年代前半のことですが)妖精を見た経験を普通に語る人々は多いようです。必ずしも彼らはそのことを外部者に簡単に語ってくれるわけではありませんが、心を開いて親しくなれば、いろいろ教えてくれたようです。彼らに「あまり食べない方が妖精を見やすいというのは本当か?」と聞くと、「当然だ。たらふく食ってるやつのところに妖精は来ない」と答えるようです。
妖精や天使は、精神的に元気で熱意のある人にしか見えないというのは当然でしょう。

ラルフ・ウォルドー・トラインも著書の中で「天使を見ることができると信じれば必ず見れる」と書いており、彼の百年越のロングセラーには、精神を元気や熱意で溢れさせる話が確実にありますが、食事に関しては控えめに「精神が発達した人間はあまり食事を必要としない」とだけ書いています。おそらくは、農業をはじめ、食品産業やその関係者に配慮していたのではないかと思います。
ある時から、35年間、全く何も食べずに生きたインドのクリスチャンの修道女テレーゼ・ノイマンも、自分以外の人が食べずに生きることについては「お百姓さんが困る」という理由から(他にも理由はあるのですが)薦めなかったといいます。

そこまで行かなくても、元気や熱意を出したければ、あまり食べないことです。
でもよく言われます。「食べる楽しみがなくなったら生きていて面白くない」と。
別にテレーゼ・ノイマンのように完全絶食することは勧めていません。食べる楽しみなら適度に味わえば良い。食べたくて仕方がないというのは、食べる以上に興味のあることがないということです。確かに、それでは元気や熱意を出す意味はありません。
逆にいえば、食べる以上に興味のあることがあれば、自然に食べなくなります。いわゆる、寝食を忘れるという状態ですね。
そして、更にその逆になるのですが、食べずにいると、好奇心が出て、やりたいことも出てくると思います。
私は、ひきこもりが悪いことだとは少しも思わない(むしろ美点の部分が大きい)ですが、やる気がなかったり、ニートだというのは、できればやめた方が良いと思います。
そのために、まず食事を少なくしてみてはどうかと思います。自主的にね(笑)。

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2008.08.14

世界に誇れる日本人

オリコンが「世界に誇れる日本人」というアンケートを行い、男性では、ダントツで野球選手のイチローさんが1位。それから、俳優の渡辺謙さん、映画監督としての北野武さんと続く。
いずれも、マスコミの露出の多さと、成果が分かりやすく晴れがましい分野で選ばれたと言える。

ところで、私が「誇るべき日本人は?」と聞かれたら、ちょっとピンとこない。いないはずはない。私も勉強不足なのである。命の危険を背負いながら弱い者を守った人や、マスコミに悪者にされてしまうのを知りながら人々に尽くした人がいくらでもいるはずである。
だが、「誇れる」といったスケールのことになると、日本人であるかどうかはまるで問題にならないのではないか?同じ人間として誇れるというのならまだ分かる。しかし、偉大な行いに日本人も何も関係ない。
ナチスにいつ逮捕されてもおかしくない状況で、ユダヤ人を亡命させるための旅券を発行し続けた官吏や、降下中に3人のパラシュートが絡まり、他の2人を救うため、自分のパラシュートロープを切断したスカイダイバーの話を聞いたことがあるが、これらの人の方が誇れるという感覚にマッチする。

イチロー選手の話があったので野球の話をすると、プロ野球の球団はいかに財政難とはいっても、それは直接には親会社やスポンサーにとってのことと思うし、個人の感覚とはまるで違うことだろう。
しかし、プロレス団体ともなると、特に日本ではさほど大きくもない一企業だ。
故ジャイアント馬場さんは、全日本プロレスの社長でもあったが、もともと好きでなった社長ではなく、1選手としてアメリカで稼いだ方が絶対にハッピーであった(アメリカでは、馬場さんは昭和40年頃に年棒9千万円を提示されたらしい)。しかし、日本のレスラーのために団体を設立し、長く赤字経営で大変に苦労したようだ。だが、その中でも選手へのギャラの遅延を一度も起さなかったのが最大の自慢と馬場さんは著書に書いていた。また、アメリカで世話になったレスラーには生涯恩義を忘れず、可能な限りはそれを返し続けたことは客観的に確かなようだ。自慢と誇りは違うが、偉大な人間でも、その本人自身が誇りに思うこととは、他人が思うこととは全く違うと思う。
馬場さんが亡くなられた時、史上最高のプロレスラーと言われたルー・テーズさんが「馬場さんはプロモーターとしても偉大で、約束したギャラは必ず払ってくれる誠実な人だった」とコメントしていた。このコメントには、私は人として馬場さんに誇りを感じるなあ。

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2008.08.13

少食生活の記録

7月26日から、全く自然に少食にした。良い機会なので記録しておく。

■7/26(土)
少食を開始する。
■7/27(日)
甘いものを食べるのは、この日のプリンが最後になる。
昼食は、これまでは割に多く食べる方で、スパゲティなら大盛り、定食なら豪華なものを好んで食べていたが、うどん一杯とかスパゲティ普通盛りにする。
夕食は、米は茶碗に1/3。おかずも少量にする。
■8/4(月)
朝食を摂るのは、この日のヨーグルトが最後となる。
■8/6(水)
昼食を摂るのは、この日のスパゲティが最後となる。
■8/7(木)
朝に青汁1杯を飲むこととする。


現在も、朝に青汁1杯。昼食なし。夕食少々を続けている。
体重はこの2週間で8キロ減っている。
別にダイエットをしようという気はサラサラない。体重に興味はないが、減るのは当然だろう。

お腹が空いて困るとか、しんどいとかいうのは、昼食をやめた最初の日に少し感じたような気もするが、おそらく、食べる楽しさを思い出したせいだと思う。
それ以降は非常に快調で、体調はもちろん、体力も向上する。
普通は、少食にしてしばらくは、フラフラしたり、ひもじく思うらしいが、私の場合、食べなくても全然平気だという思考が最初から出来ていたので、そんなことは全くなかった。
食べなくて苦しいというのは単なる思い込みでしかないと思う。
日曜の夕食はソバ一杯程度にするが、嗜好品としてたまにアイスクリームを食べるくらいは構わないとしている。

運動はなるべく多目が良いだろう。
毎朝、腹筋運動2百回と、スワイソウ(腕振り運動)6百回は欠かさない。
休日は腹筋運動は最低6百回となる。
また、出勤日は駅まで2キロの往復を早足で歩いている。重めの鞄を持ってである。電車が空いているので座ってぼーっとしているが(笑)、エスカレーターは必ず歩く。

頭を使う仕事ではあるが、脳には糖分が必要というのは信じていない。そう信じればそうなるだけの話だ。糖分ほぼゼロだが、頭は以前より冴えている。

実は、もう少ししたら夕食もほぼなくすつもりだ。
世に中には、1日に青汁1杯以外のものを摂らずに元気に働いている人が沢山いるらしい。なら、青汁が必須とも思えない。
もっとも、私に妙なこだわりや義務感があるわけではないので、食べる時は食べるつもりだ。
明日は姉の家族が来るので、ご馳走を用意し、私も参加することになるだろう。

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2008.08.12

難病を自分で自然に治す

私は好き好んで医者のところに行ったことは1度もない。
ただ、2年程前、メニエル病だと思うが、立つことも出来ない状態になり、私は寝てたら治ると思ったが、母親が病院に行けと煩いので、とりあえず行ってみた。
病院というのは治療も含め流れ作業だ。
医者の質問に答えると、医者が独り言のように「メニエルの疑いがあるな」と言ったが、それをたまたま私が憶えていて、後でいろいろ調べたら、多分間違いがないと思っただけで、医者は病名を言わない(確信もなかったのだろう)。
脳のCT検査、点滴、そして薬を受け取って帰る。別に何もしなかったのと同じだ。
病院は1度行くと、いつまでも通うハメになる。だが、頭のCT写真は見たかったので(笑)、2回目は行ってみた。
「素晴らしい脳です」(医者)
うんうん、そうだろう(笑)。
てっきりバラ色の脳の中に妖精が飛んでいると思ったが普通だった(CT写真はモノクロであるが)。
点滴するかと聞かれて断った。しかし、どうしてもと点滴される。なら最初から聞くな(笑)。私も根が親切なので、とりあえず点滴を受けた。点滴をすると気分が悪くなるので嫌なのだが。
次の診療時間を指定されたが、全然厳密な時間指定でなく、適当に来たら順番に診てくれるというものだ。よって、行かなくても迷惑はかけない。
もう行く気はないので、放っておいたら、母親が「病院の時間でしょ?」とさも大事のように言い、私が「行かない」と言うと、泣いて行ってくれと言う。母親は医療機関を無条件に信じていて、医者からもらった大量の薬を毎日飲み干すことに満足を感じているようだ。

調子の悪さは数日続いた。
数年使っていなかったアルファシータ(ヘッドホンでうなり音を聴くと、脳波がシータ波に導かれるという小型装置)を使うと、気分がぐんぐん良くなった。そこで、これの新型である林原生物化学研究所のバイオソニックを購入して、1日何時間も聴いた。加えて、スワイソウという、両腕を前後に振るだけの仙道系の運動を1日千回行うと、2週間ほどで完全に回復した。尚、バイオソニックはもう製造していないようだ。もったいない。私の新品のバイオソニックは親戚の中学生男子にあげた。勉強ができず、特に数学が致命傷と言っていたが、成績がグンと上がった。この装置は、もともと「記憶力増強装置」と言われていたものの改良型である。

私の知人で、やはりメニエルになり、手術もしたが(メニエルの手術は難しく、名医に頼む必要があり、かなりの費用がかかる。その知人は金持ちだった)完全には治っていない。この病気の人は意外に多いのだが、皆苦しんでいる。
そもそも、メニエルは治療が難しい難病で、普通、直らない。
しかし私は自分でごく自然に治した。2年間、全く症状は出ない。
もともとが、医療を全く信頼していないのが良かったのだと思う。

会社では、年に1度の健康診断をさせられる。病院に行って受けるのであるが、費用は全て会社が持ってくれる。
診断の後、親切なお医者さんが、個室でじっくりと私に医療アドバイスをしようとした。検査の結果から、まるで私が重病人のような扱いだ。
「あ、私、医療も医者も全く信用してませんので」
と言うのも気がひけたので、心の耳栓をして生返事をしておいた。実際、何を言われたのか全く憶えていない。
医者の言うことなんか聞いていたら、何をされるか分ったものではない。
頭の検査をしたら、血の瘤があるとか言われ、手術をして深刻な後遺症になりかねない。血の瘤なんて探せば見つかるさ。放っておいても、手術よりは危険でない。

医療も学校も、国の経済活動の中の一環なのである。決して、子供を賢くするとか、人を健康にしようとする目的ではない。だから、国の経済が破綻してくると、これらも悲惨な状態になってきた。

私は幼児期からアトピー性皮膚炎で何度も病院に連れていかれたが、何らの効果もなかった。他のアトピー患者の方も全く同様と思う。これに関しても、ほぼ完治させた。何のことはない。権威ある栄養学を無視し、食べなければ勝手に治った。
かといって、「食べなければ治るんですね?」などと言われても困る。他人のことが分かるはずがない。まあ、治らなくても、どんな弊害があっても文句を言わないというのなら、「イエス」と答える。なぜなら、このような人は、想いを叶える心構えがあるからだ。逆に、人に責任を押し付ける人は救いようがない。

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2008.08.11

本当にやりたいことは食べずに考えよう

武道家の堀辺正史さんの本の中に、「誰でも3度の食事より好きなものがあるはずだが、私の場合、それが喧嘩であった」と書かれていたのを印象深く憶えている。
読んだ時は、3度のメシより好きなものが喧嘩というところにインパクトを感じたが、今では、「3度のメシより好きなものが誰にでもあるはず」というところを重要に思う。
「3度の食事よりも好きなものは何か?」と聞かれて即答できる人がどのくらいいるだろうか?

もっとも、今の日本は飽食で、食事時間になり食事の席についても、さして嬉しいと思わない人も多いと思う。特に、間食の多い子供ではそうで、お菓子でお腹が膨れているから、ゲームをやめないといった状態であろう。
また、「メシより女が好きだ」という好色漢も、食うに困っていないからそう言うだけだ。
だから、出来れば丸1日は食事を抜き、その上で、「今、食べるよりもやりたいこと」と問うべきであろう。そうなれば、欲するのは、ゲームより女より、あるいは仕事より食事ということになるはずだ。

よく、「自分が本当にやりたいことは何だろう?」といったことを考えるとか、人に考えろと言うとかがあるかもしれないが、いくら考えたって、お腹が張っている状態で考えても仕方がない。そのやりたいことは、メシを食うよりもやりたいことであるべきで、食べずに考えなければならない。

ビル・ゲイツの伝記を読むと、彼は若い頃でも放っておいたら全く食事をせず、それに気が付いた事務のおばさんが昼食に行くついでにハンバーガーを買ってきて与えていたという。屈指の富豪になってからも、食事は持ち帰りピザで済ませることが多く、食べることへの執着はあまりないと言って間違いない。「17歳の時からフルタイムで働いてきた」と言う通り、彼は本当に仕事好きであり、それで成功したのだろう。

まあ、3日ほど何も食べずに考えるという方法もあるが、もっと楽な方法を取りたい。
私も自分にできないことは言わない。私は先週から朝食と昼食をやめ、夜も普通の一人前にはほど遠い少ない量を食べている(夜もやめようかと思っているくらいだ)。
2週間続け、ようやくいろいろアイディアが浮かんできた。
これならば誰でも出来るであろう(ん?出来んって?^^;)
できないなら、せめて朝か昼を抜くと良い。どうせ我々は飽食だ。それくらいで丁度良い。

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2008.08.10

心の在処

人間(あるいは生物)と機械の違いは何であろう?
おそらく、心や意識といった自律的な精神活動があるかないかという意見が多いと思う。
そこで、人は、心(あるいは意識)を持つ存在に特に思いやりや敬意を持つことになる(最近は、これすらなくなってきたように思うが)。
だが、心や意識がない無生物にも、非常な情を感じることがあるのはよくご存知と思う。その最たるものが、絵や彫刻といった芸術品と思う。決して、その作品が高価であるからという理由ではなく、その作品を傷つけられると、まるで親しい人に対してそうされたかのように感じることもある。
もちろん、芸術品に限らず、大切に思っているものであれば同じである。

「それが知世の一番大事なものなんか?」
「はい」
「中味は何や?」
「消しゴムですわ」
「なんで消しゴムがそないに大事なんや?」
「(さくらちゃんに一番最初にいただいたものですから)」
~「カードキャプターさくら」より~

モノには心はない。しかし、なぜそんなに大切に思うのだろう。
手塚治虫さんの「鉄腕アトム」で、アトムのお父さんとお母さん(共にロボット)が、老朽化して役に立たなくなったということで、廃棄処理場に収容され、廃棄処分されるというお話があったらしい。そこをアトムが助けに来るのだが、この作品では、ロボットに心というものがあるように読者に感じさせていたように思う。

だが、CLAMPさんの「ちょびっツ」では、人型パソコン(アンドロイドと同じ)であるちぃを愛しく思う18歳の大学浪人生の秀樹は、ちぃの姉のフレイヤに尋ねる。
「ちぃに心はあるのか?」
だが、フレイヤは「いいえ」と即答する。ちぃはプログラム通りに動いているに過ぎないと。
だが、秀樹は断言する。「ちぃの心は俺の中にある」

心や意識は、身体や脳といったちっぽけなものに収まっているだけのものではないと考える思想もある。また、ちょっとした表現の違いと思うが、あらゆるものに心や意志があるとする思想もある。それは主に宗教や神秘思想に多いのであるが、高度なロボットの研究者である科学者の前田隆司博士によると、いまのところやり方は分からないが、機械にクオリア(簡単に言うと自意識のようなもの)を与えることはそんなに難しくないと考えるとし、自分がロボットであることがある日突然分かっても驚くこともないだろうし、ロボットと人が愛し合うことも別段おかしなことでないと言う。

七月鏡一さん原作の「8マンインフィニティ」では、テクノロジの進歩は、自然生物と人工生物の区別の意味をなくすと宣言される。
上記、「ちょびっツ」でも、秀樹は躊躇なくちぃを選び、それは誰からも(おそらく大多数の読者からも)祝福される。
インドの現代の聖者ニサルダガッタ・マハラジは、「心が世界を作る。だが、あなたは心も身体も越えたものだ」と繰り返し教えた。
ダ・ヴィンチが描いたという証拠があれば、ラクガキであれ大変な価値となる。だが、なぜ価値があるのだろう。投機的な意味だけではないはずだ。逆に、「モナ・リザ」でも、価値を認めない人間にとってはタダでもいらないものであるかもしれない。
世界に価値を付けるものは自分しかいない。いくら勲章や金メダルを得ても、自分が確かな価値を見出さねば全く満足に至らない。自分が価値あると思えば、銅メダルが金メダルを上回る。他人の付ける価値など問題ではない。
傍目にはどんなに幸福に見えようと、自分が不幸と感じていれば不幸だ。
ある人が、世界は思うがままだという聖者が、乞食のような格好をしているのを見て言う。
「あなたは自分の状況は変えようと思わないのですか?」
だが、聖者は笑って言った。
「どの状況のことを言っているのかね?」

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2008.08.09

人間最大の欲望は何か?

人間の欲望の中で最も強いものは何であろう?
ディール・カーネギー(「鉄鋼王」アンドリュー・カーネギーと混同している人が時々いる)の「人を動かす」によれば、それは自己重要感であるという。つまり、人は自分が価値ある人間であるという認識を切望するものであるらしい。
ナポレオン・ヒルによれば性エネルギーであるから、きっちり同じではないかもしれないが性欲となるかもしれない。
この両者の言い分の根拠は、「人は名誉のために死ねる」「人は愛する異性のために死ねる」ことがよくあるのであるから、これらの欲望は生存欲より強いのであり、きっとこれらが人間最大の欲望と言うのかもしれない。
ナポレオン・ヒルは、おそらくフロイトの影響も強いのだと思う。フロイトを発展させたと言って良いと思うアブラハム・マスローでは、人間の欲求は段階的であると言う。最初は、安全や仲間意識といった欲望が強いが、最終的には自己実現欲求が強くなると言う。

コリン・ウィルソンは、あまりはっきりとは言ってないと思うが、人間最大の欲望は性欲であると感じていたのではないかと思う。
と言うのは、ウィルソンは、根本的には彼は人間に活力を与えることを目的としていたと言うが、それを例えて、「くたくたに疲れて落ち込んでいても、好みのタイプの美女が全裸で部屋に入ってきたら、たちまち活力に満ちるはずだ。そのようなエネルギーを得る方法を探していた」と書いていたことがある。

だが、全部おかしい。
好みの美女の全裸がそんなにいいとしても、数日食べなかった後で、好みの料理を目の前に並べられたら、やはり爛々としてくるはずだ。
また、2日ほど徹夜した後で、静寂と快適な気温の中にある心地よいベッドが与えられたら無常の幸福を感じるはずだ。
つまり、性欲も自己重要感も、食欲や睡眠欲に優るものではまるでない。
いや、食欲や睡眠欲は、明らかに性欲や自己重要感に優るのだ。
カーネギーの本もヒルの本も、長年に渡って相当売れているはずだが、これらを読んで大きな成果を上げた人間はほぼ皆無というのもうなずけるではないか?

だが、自己重要感や性欲には、優れた用途がある。カーネギーやヒルが言ったのとは全然違う意味でね。
それらを捨て去ってみると真理が見えるという用途である。謙虚を貫き、性の衝動をある程度抑制することに成功した人間は明らかに高いレベルに達している。
もっと強い欲望である睡眠欲や食欲を捨てることはもっと効果があるのであるが、これらは生命の危機に直結するので試してみるのが難しい。難しいが効果は絶大であり、命がけで真理を求める宗教的求道者にしばしば奇跡的な知恵や精神力を与えたことがあると思う。釈迦もイエスも、最後の修行が断食であったことも納得ができる。

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2008.08.08

勝ち目のない戦いに必要なこと

勝ち目のない戦いに挑む姿に崇高な美を見ることがある。
小説や映画でも、そのようなものを描く場合が多いのは、そこには平常では見ることのできない貴重なものが現れるからであると思われる。

H.G.ウェルズの「宇宙戦争」の最初の映画化は1953年であるが、映像的にも今見ても十分に楽しめると共に、全体として非常に優れた作品と思う。
この映画の最後に、こんなことが語られる。
「万策尽きた時、奇跡が起こった」
科学技術力で圧倒的に優る火星人の前に、人類はなす術もなく文明を破壊され、火星人の地球侵略完了は目前であったが、不意に火星人は死に絶える。火星人を滅ぼしたのは地球のウイルスであった。
「万策尽きた時、奇跡が起こった」というのは、つまり、万策は尽くしたということだ。
いかに力の差があるとはいえ、人類は何もしなかったわけではない。あらゆることを試みたのである。まさに、神は自らを助ける者を助けるである。

「宇宙戦争」を参考にしたのだとは思うが、1996年の米国映画「インデペンデンス・デイ」では、やはり人類をはるかに超えたテクノロジを持つ宇宙人の侵略に対し、圧倒的に不利な状況から人類が反撃を挑む。
この作品で勝利の鍵となったのが、「宇宙戦争」のウイルスに対し、コンピュータウイルスであったというのはちょっとした笑い処ではあるのだが、この映画でも、人類に勝利を呼び込んだ「ある」要因を感じることができたかもしれない。

アニメも侮れない。
「美少女戦士セーラームーン」の最終シリーズの「セーラースターズ」の最後の敵、セーラーギャラクシアは、セーラームーン達と比較にならない強大な力を持ち、セーラームーンの強力な仲間達が次々と倒される中では、セーラームーンに勝ち目は全くないと感じたはずだ。それならと、敵に寝返ったふりをして、ギャラクシアの力の一部を手に入れ、仲間のうちの2人さえ殺して反撃の機を狙ったが失敗したウラヌスとネプチューンが特に良かった。子供向けとは思えないハードな内容である。
そんな中で、セーラームーンを勝利に導いた要因は何か?セーラームーンの絶対的ポリシーは5年間のシリーズで一貫しており、それは「誰も犠牲にしない」ことであった。それは言うまでもなく奇麗事であり、仲間にすら批判されることもあったが、セーラームーンは信念を変えなかった。ギャラクシアとの戦いの中で、セーラームーンは宣言する。これ以上、誰も犠牲にしないこと。そして、その中にはギャラクシアすら含まれることを。その刹那、勝負は逆転する。

私が、アニメ史に残る最高傑作と考える「キャシャーン」(1993年。1973年のアニメ「新造人間キャシャーン」のリメイクで全4話)では、勝利の鍵をキャシャーンははっきりと口にした。
ついに、ブライキング・ボスの所に辿りつき、最終決戦に挑むキャシャーンの身体はすでにこれまでの激しい戦闘で傷付き、限界であった。そして、圧倒的パワーで優位に立つブライキング・ボスであるが、なぜかキャシャーンに和睦を提案する。
「俺はお前達を愛しているのだ。キャシャーン、いや、東鉄也よ。お前にも永遠に生きる特権を与えてやろう」
「断る。お前の作った世界など俺は欲しくない。俺は俺の手で新しい世界を作ってみせる」

さて、これらに共通する勝利の要因は何であろう。
思考上では勝ち目のない戦いの状況すら変えてしまう奇跡の力の源は。
「8マンインフィニティ」(七月鏡一原作)という漫画の中で、これが非常に印象的に語られていたように思う。この作品は、1963年の「8マン」(平井和正原作)の正統な続編で、平井和正さんが原作者に七月鏡一さんを指名し、2人は大いに討論したようだ。
8th(エイス)と呼ばれる新しい8マンのボディを得た光一は、1thから9thのマシナリー(この作品でのスーパーロボットの呼称)の敵を前に、勝ち目は全くなく、高度な電子知性体であるアンナの計算では、光一の生存確率は0.04パーセントであった。だが、かつての8マン、東八郎は勝利を呼び込む要因を2つあげる。1つは、敵が持たないものを光一が得ることができるかどうか。もう1つが、光一が運命を自分で選択できるかどうかであった。
かつて、8マンに倒されたケン・谷のクオリア(デジタルの魂とでも言うべきもの)を有するもう1人の8マンが言う。「戦いを決するのは、速さでも火力でもない。状況を作り出す強い意志だ」

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2008.08.07

教師に恨みを持つ方へ

少し前、18歳の青年(18歳に「少年」なんて言葉は全く似合わない)が、中学教師をナイフで刺す事件があったが、彼はその教師の生徒であったことがあり、恨みがあったようだ。
教師に恨みのある者は少なくないと思う。単に逆恨みの場合もあるが、教師の方にも甚だしい欠陥がある場合も少なくないと思う。
教師に恨みのある若い人に言うとすれば、復讐はもっと先延ばしにすることだ。
まず、いろんな仕事を熱心にやってみると良い、なるべく楽でない仕事が良い。世間で蔑まれるような仕事は実に良い。仕事を前向きに行い、能力の向上を心がけ、チャレンジを忘れずに、一度は仕事馬鹿になってみれば良い。
すると、ものの5年で分かる。もし、恨みに思っていた教師に本当に大きな欠陥があれば、その教師が幼い精神の持ち主であることがだ。おそらく、ほとんどの場合、そうであることが分かると思う。
そして、それが分かれば、恨みそのものはなくなる。恨みではなく、嘆きは残るかもしれない。学校というものの馬鹿げた在り様にだ。
人間は、誰かを恨んだり嫌悪する場合、その相手と同じレベルなのである。自分がレベルが上なら、嫌いだとか憎むなどという感情は起こらない。
ちっぽけな教師と同レベルのまま不幸になるなど馬鹿馬鹿しいではないか。教師のレベルをはるかに超え、豊かな人生を生きて欲しいと思う。

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2008.08.06

PH62年

私としたことが、今日が広島原爆の日であることを失念していた。
朝から少しはテレビも見たし、ネットのニュースも見ているが、それでも気付かなかった。恐ろしいことである。

ハンガリー出身の英国の天才的サイエンスライターで、アインシュタインをして「神様より何でも知っている男」と言わせたアーサー・ケストラーは、人類にとって最も重要な日が、この1945年8月6日であると断ずる。
ケストラーによれば、今年はPH(ポスト広島)62年である。2008年というのは、時代遅れの暦であるとのことだ。

ケストラーは悲観主義であった。人間の脳には致命的な欠陥があり、理性で感情を制御できないと感じていた。そして、最後には絶望して自殺してしまった。
だが、時代は進み、必ずしもケストラーの考えた通りでないことは分かってきたと思う。
確かに、現代の日本人を見る限り、ケストラーの考えが正しいように感じるのであるが、我々はそのような人間を超えることもできる。
地上の喧騒に埋もれる者と、空高く飛ぶ者とに分かれる時が来たように思う。

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2008.08.05

栄養神話

誰が言い出したのかは知らないが、1日30品目の食事を目標にすれば栄養のバランスが取れて健康でいられるなどということが信じられているかもしれない。
私も、そこまでではなくても、栄養のバランスは大切だとは思っていたが、ある時テレビでこんなものを見た。外国のとある地域に、轢いたトウモロコシしか食べない部族がいるのだが、皆、健康で、特に走る能力が高く、有名なクロスカントリー選手権に出てみたら、強豪選手と互角以上の走りをする。これを見て、どうも30品目の話はおかしな話だと思うようになった。
自然界の動物の多くは、いわゆる偏った食事であると思うが、ほとんどの場合、病気もせず元気である。
医師であり、甲田医院院長の甲田光雄さんは、少食で健康を得る方法で有名であるが、甲田医師の指導を受けた人には、1日1杯の青汁だけで10年以上元気で働いている人がいるという。
そこで青汁が良いということになるのかもしれないが、上のトウモロコシだけで元気な人もいるように、別に何でも良いと思う。
さすがに、酒やチョコレートやアイスクリームではいろいろ不都合がありそうであるが、本人さえそれで良いと思っているのであれば、それでも構わないのではと思う。責任は持てないが。

昔、非常に人気のあったアイドルが野菜を一切食べないことを告白したが、それでもお肌はスベスベ、髪はツヤツヤで、萌え萌えであったからこそトップアイドルだったのであり、彼女は結局、今も大活躍の大物プロデューサーと結婚した。
元サッカー選手の中田英寿さんも野菜嫌いで有名であるが、もちろん何の支障もなかった。

江戸時代の名僧、沢庵和尚こと澤庵宗彭(たくあんそうほう)は、「添え物(おかず)がないと飯が食えないというのは、本当は空腹ではないのだ」と言ったそうだが、食べるなら米や麦などの穀物だけでも十分ということと思う。

いろいろ考えると、どうも栄養に関するいろいろな話は風説でしかなく、全然、もしくは、あまり気にしなくて良いかもしれない。
もっとも、人間にとって、幻想の力は強く、多くの食品で多様な栄養を摂取しないと健康でいられないと信じるなら、必ずそうなると思う。

なんでも、世の中には、人間は何も食べないでも生きていけると主張する方もいるらしい。案外、本当ではないかと思う。まあ、事の真偽はともかく、実際に必要な食物の量は、現在我々が食べている量よりはるかに少ないことは間違いないように思う。

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2008.08.04

意識改革

人間には、いかなる想いも実現させる力がある。ただし、本当に信じることができればね。
そして、ウォレス.D.ワトルズによれば、思うように考えることほど難しいことはないらしいが、まさにその通りと思う。
世界は人の思考が作るのであるが、思考を自分で制御することは大変に難しい。なぜなら、人は国家や地域といった巨大な共同幻想に強く支配されているからだ。その他に、家族の中での幻想や、個人の幻想もあり、それらのために、自在に思考を行うことができない。

台湾出身のアメリカ人作家、実業家のチン・ニンチュウは、思考改革を起すには、眠っているときに自分の好きな夢を見れるようになれば良いと言う。しかし、これも簡単ではない。
年収わずか3千万円(!)の経営者は、年収3億円になるために思考改革が必要で、そのために自分の好きな夢を見れるよう工夫した。しかし、なかなかうまくいかなかった。そこで、苦手な運動をやり、億万長者専用の豪華客船の船旅に参加するなどの努力をして、徐々に意識を変容させ、ついに年収3億円を達成した。

思うように思考するためには、国家や学校や大企業などから叩き込まれた嘘の情報を頭からたたき出す必要がある。
良い方法がないなら、1つ提示するが、適用に関して責任は持たない。
その簡単な方法の1つとしては、なるべく食べないことがある。食事の量を普段の半分から1/3と少しずつ減らしていくと、教えられた常識と異なり、身体に活力が蘇り、思考がクリアになる。これは経験上、確かと思う。
朝食、昼食を、できるだけ僅かにするか抜き、夜も食べ過ぎず、間食もできるだけしないようにすれば良いと思う。少なくとも、食べ物を非常に美味しく感じる効果はある。
他にも、可能であれば、いろいろ冒険してみると良いと思う。予想不可能な状況の中では思考も澄んでくる可能性が高い。つまり、やったことのないことをやってみることはとても良いことと思う。

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2008.08.03

仙人になる法

仙人というものは中国のものであるらしい。中国には、他にも導師と言われる超人がいる。
いずれも不老不死で、術を使う。
いずれも、中国の道教と関係がありそうであるが、道教は、老子、荘子の教えから始まっていると思う。
荘子の著した「荘子」に登場する仙人は、外見は乙女のようであるという。だが、いかなる大火も洪水も彼らを害することはできない。風に乗り、虚空をただよって遊んだりもする。
最高クラスの人間が自信満々で仙人に会いに行くが、打ちのめされて呆然として戻ってくる。

仙人と導師の違いというと、仙人は単独行動で、趣味に生きる場合が多いようだ。対して導師はグループで行動し、人助けに活躍することが多いという話もある。
日本を代表する超人である天狗は、こと術に関しては仙人や導師を上回るというが、天狗は試練を背負うものであるらしい。

いろいろ考えると、仙人になるのが最も楽しそうである。
仙人になる方法であれば、竹内満朋さんの「ローム大霊講話集」(霞ヶ関書房)に書かれている。とはいえ、「仙人養成講座」ではないのだから、この通りやれば仙人になれますとかいうものではない。本のあちこちに仙人になるために必要なエッセンスを散りばめている。読む人が読めば仙人になれるというものだ。

仙人といえば、割にそこいらにいると教えてくれた人がいた。だが、今はかなり少ないのではないかと思う。
さて、人の中に居る仙人とはどのような者なのであろう。
上記の「ローム大霊講話集」にこんな話がある。
市役所に勤める男性は、自分の子供ではないが、12ほどになる娘と、ある家に下宿していた。彼は、家では「役所で沢山食べているから」と食事せず、役所では「家で沢山食べているから」と、やはり食事をしない。
ある時、娘に「お父さんはもうすぐ死ぬが、お前のためのお金は貯めてあるので心配いらない。だが、一度帰ってくる」と言った。ほどなく、彼は死に、葬式を出したが、しばらく経つと、元気な様子で帰ってきた。そして娘に「今度こそ本当に居なくなるが、困った時は私を呼びなさい。」と言って去って行った。

ここに登場したのは、死解仙(あるいは氷解仙)という、仙人の中では最下位の仙人であるが、死んだ後、身体を分解させたり、逆に作り上げることもできる。
仙人の特徴は飲み食いしないことであるが、酒仙なんてものもあるように、酒好きな仙人もいる。また、食事を楽しむ仙人もいると思うが、これらは単なる趣味である。

「ケロちゃんって、食べなくてもいいんでしょう?どうして甘いものが好きなの?」
「これは嗜好品ちゅうやっちゃ」
~「カードキャプターさくら」より~

「ローム大霊講話集」にははっきりと書かれていなかったが、食べずにいることで仙人になる方法もある。ただし、意識変革が必要だ。
「20世紀最大の詩人」と言われたW.B.イェイツはオカルティストであったことが知られているが、彼の著書には、妖精に出逢うためには、食べないことが必要とある。彼の自伝的小説である「まだらの鳥」には、イェイツ自身を投影したマイケルが少年時代、長く絶食することで、聖母や精霊の少女に出会う様子が、実にリアルに描かれている。だが、彼は食べないことで消耗してしまう。彼自身が妖精や精霊の仲間入りができるということに彼は気付かなかったようだ。「まだらの鳥」にも、それに気付けなかったイェイツの物悲しさが溢れている。

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2008.08.02

宇宙をつくりだすのは人間の心だ

イタリアの著名な社会学者アルベローニの著書に「宇宙をつくりだすのは人間の心だ」という本がある。
ただ、原題は“Valori”(価値観)であるらしい。
私は随分前にこの本を買ったが、読んでいない。多分、日本版のタイトルが気に入ったので買っただけだと思う。しかし、今、パラパラと中を見ると、実に良さそうな本であると思う。

宇宙を作り出すのは人間の心・・・これは私にはすでに自明のことである。
どのような出来事も、全て自分の責任であろう。
良い出来事も、極めて嫌な状況も、全て自分で作っていることは間違いない。
では、自分の好きなように世界を作り変えれば良いのであるが、言われる前から、誰もが自分の好きなように世界を作っていて、いま見ている世界はその結果である。
「どうすれば願いが叶うのだろう?」とはよく言われることであるが、全ての願いは叶っているのである。

この事実は、優れた本にもそのように書かれているが、私の経験上も確かである。
私が子供の頃、住んでいた団地の前に、大変に車の交通量の多い道路があり、信号機もなかったので、そこを渡ってお菓子や漫画を買いに行くのが大変だったが、私はいつも目をつぶって道路に飛び出した。そうやれば車はこないと確信していたのだ。そして、いつもその通りになった。
だが、これを真似した結果については私は一切関知しない。
山田鷹夫さんの書かれた「人は食べなくても生きられる」という本がある。この中で、山田さんは、腐って糸を引いたマグロの刺身や、消費期限をはるかに超えて放置したカキを食べても全く大丈夫と書いてあるが、その理由は「私が大丈夫と決めたからだ」と書かれている。
私のも同じような理由である。
他の人が腐ったマグロやカキを食べたらあたるだろうし、交通量の多い道路に目をつぶって飛び込めば、結果として自殺になる。尚、私は今ではこれはやらない。

私には、このような経験はザラにある。いや、実は誰もが同じであるはずだ。ただ、気付かないのだ。
だが、私は比較的に意識的であったので、子供の頃からやや神秘がかってしまった。
何かの疑問を持った時は、情報は向こうから飛び込んできた。シーラカンスの話を聞き、家に帰ってテレビをつければ、シーラカンスの特集番組をやってるとかである。
ある映画で、若い頃のジョディ・フォスターが集団レイプされるものがあるが、私はそのシーンを二度と見たくないと思った。ある時、妙な予感を感じながらテレビを付けると、まさにそのシーンであった。それも2度あった。

「涼宮ハルヒの憂鬱」のアニメを見た際も、「なんだ、涼宮ハルヒも私と同じか」と思った。原作小説では、彼女は、公園の土鳩が白ハトになればいいのにと思ったら、翌日はそうなったが、私も子供の時、「あの星が土星であればいい」と思って天体望遠鏡を覗けば、いつも土星だった。
このあたりの原理は、「涼宮ハルヒの憂鬱」の中で、超能力者の古泉君が解説してくれている。
ただ、再度言うが、誰もが同じである。ただ、意識するかしないかの違いはあると思う。
涼宮ハルヒだって、神の力を持ちながらも、結構、うまくいかないことも沢山ある。その理由こそ哲学である。解明している本をあげるとすれば、ラルフ・ウォルドー・トラインのものだ。以前から、宗教家の谷口雅春さんの訳した「幸福はあなたの心で」はあるが、文語体で読みにくいかもしれない。2004年に、新訳『人生をひらく「万能の鍵」』(サンマーク出版)が出ている。原題は“In Tune with the Infinite”だ。これを読み、神の力を自在に行使するが良い。

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2008.08.01

結婚しないことで日本を救える

世の中を変えようと、政治家や企業の不正を暴き立てても、あまり効果はない。
人気者の宮崎県知事が、選挙が劇的に政治を変えると言ったが、そんなはずはない。
世の中を変えたいなら、みんなが結婚しなくなればいい。
もちろん、好きな人と一緒に住み、子供を作るのは良いことだ。
しかし、結婚してはならない。
皆がこれをやると、初めて国家は本気で恐れ、全ては変わるだろう。

そもそも、結婚自体がおかしなものであることにいい加減気付くべきであろう。
お決まりのパターンであるが、人気者の芸能人が離婚すると「破局」とか言う。そんなの、破局でもなんでもない。単に一緒にいるのをやめただけのことである。
しばらく一緒にいて、やがてパートナーを替える。実に自然なことだ。
なぜ、一生同じ相手と過ごさなければならないのか?その理由は何か?
理由なんてあるはずがない。相手を替えるのが自然なのだから。

なぜ離婚があるのかというと、結婚があるからだ。結婚しなければ離婚はない。
よって、離婚問題などない。
離婚すると子供が困る?
そりゃそうだ。離婚したら子供が困るようにわざとしてあるのだから。
つまり、国家というのは、アフラックのCMではないが、1組の男女が一生一緒にいてくれるのが圧倒的に都合が良いのだ。安定した収入のある家族という単位が出来やすく、結果、安定した税収が得られる。結婚したほぼ全ての一般庶民は力を持つことはないので、大企業と結託すれば支配体制は万全なのだ。
ちょっと頭がいいだけの評論家やジャーナリストにいろいろ言われても、結局は世の中は支配者のいいなりである。
また、女性の労働条件が悪いことも、結婚制度の強固さに役立っている。

しかし、このような作為的、計略的なことがいつまでも続くと歪みが大きくなるばかりで、実際、日本はもう破綻している。
フィンランドあたりでは、結婚せずに子供を育てるのもごく普通で、それでも母親や子供にデメリットはない。日本とは逆に、そんな子供や母親が困らないようにしているのだ。
日本でもかつてはそうであった。江戸時代の長屋では、親も年齢も違う子供達が家族のように生活し、実際、どれが自分の子供か分らないこともあるが、食事時にやってきた子供には、誰にでもご飯を与えた。
金を払う風俗なんてなく、ちゃんとルールを作って夜這いしてたから(笑)、いろんな意味で人々の交流があり、皆が親しく、村は明るく活気があり、実は秩序も強固だったのだ。それを国家が弾圧し、税金のとれる風俗を手厚く保護し、国家は大きな税収を得たが、数限りない女性が不幸になったのである。

自分だけ結婚して得をしようなんて考えず、全ての人のために、皆が結婚をやめればいい。
パートナーを替えることなど、全く悪いことではない。
離婚は破局なんて考えるから、単に一緒にいなくなっただけで相手を憎んだり恨んだりして、結果、意欲をなくしたり病気になって不幸になるのだ。
光源氏のように、熟女に飽きたら次は少女と、蝶のように羽ばたけば良い(笑)。
かつて一緒に過ごした女性やその子供には、別れても情は残るはずだ。自分の子供だけでなく、そんな子供やその母親のためになら税金を使うのは良いと思うはずだ。
先にもあげたフィンランドは、経済大国でありながら、政治家の不正は驚くほど少ない。国民の豊かさや知性は日本を大きく上回ると聞く。
別にフィンランドの真似をせずとも、日本には比類なく素晴らしい精神文化があったはずだ(軍国思想ではない^^;)。それをちょっと復活させよう。まずは夜這いの習慣から・・・^^;;

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