サンタクロースを疑え
童謡で、ある男の子が、「うちにはサンタクロースは来ないんじゃないか?」と心配するものを聴いた覚えがある。その訳というのが、「僕んちは団地だから」である。この団地とは、アパートやマンションのことを指しているのだと思うが、要は煙突が無いので、煙突から進入してくるのが通説であるサンタクロースが来てくれないのではという疑念であろう。
いまどき、煙突のある家など少なくとも日本ではほぼ無いし、団地なんて言葉を使う時代には既にそうであったと思う。
それでも、煙突がどのようなものかは知っている子供が多いと思うが、あんなものから進入してきたり、さらにはそこから退出するなど、ちょっと考えれば出来そうにないことは子供でも分かりそうなものと思う。
何が言いたいかというと、このように矛盾だらけのサンタクロースの風説をすんなり受け入れるクセを子供の頃からつけてしまっていいのだろうかということだ。これは、大人になっても引きずることは間違いがないと思える。活字やテレビニュースや風説や噂を簡単に信じてしまう大人の多さを見ると、つくづくそう思う。
最近、タイ国で人気のある日本の「ドラえもん」のイベントが行われ、かぶりもののドラえもんを見て子供達が歓声を上げ、触ったり、その口に食べ物を押し付けたりしていた。
しかし、いくら子供でも(幼児というほど小さくない子も多かった)、あれが本物のドラえもんでないことくらい分るだろう。いや、分っているはずである。
それなのに、なぜ自分を騙して大喜びしてしまうのだろう?
谷川流さんの小説「涼宮ハルヒの憂鬱」では、主人公のキョン(高校1年生男子)は、サンタクロースを最初から信じていなかったと断言し、幼稚園のクリスマスイベントに現れたサンタクロースを偽者と認識していたし、他の子供達だってそうだと言うところから物語が始まる。
そんなキョンは、高校生になる時には、幽霊、妖怪、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者などというガキな夢から卒業していたことを誇るが、入学した高校の後ろの席に、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者にしか興味がないという美少女、涼宮ハルヒがいたというわけである。
だが、ハルヒは宇宙人や未来人が存在すると主張したりしない。存在することを当然として考え、話し、行動しているのだ。
ハルヒがどれほど凄いかは、小説を読むかアニメを見ていただければ分るが、彼女と同じようにやれば、誰でも彼女と同じ力を得るだろう。
イエス・キリストも現代インドの聖者も同じことを言っている。
「あなたが、身体も心も超え、時間も空間も超えたものであることを知るためには、そのように振舞ってみると良い」
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