思想改革は漫画から始まる
第二次世界大戦中、漫画というものは堕落の象徴で、それを読むことはもとより、そんなものを描く者は非国民扱いであったらしい。
戦後も、漫画は低俗なものと国民は思い込まされていた。手塚治虫さんは苦肉の策として、「漫画は3時のオヤツ」論を提示した。主食にはなりえないが、オヤツ程度に楽しむのは良いではないでしょうかとして、賢く攻撃をかわしたのだ。
漫画が低俗なものという、コントロールされた思想、即ち洗脳は今でも消えてはいないと思う。
だが、考えてみれば、漫画は陰から日本を救ってきた。
手塚治虫さんの「鉄腕アトム」ではテクノロジの素晴らしさと未来への希望を与えたが、同時に、ロボットとはいえ心があるものをモノ扱いすることの理不尽さを描いてみせることで、心の大切さを示した。また、横山光輝さんの「鉄人28号」では、強力なテクノロジは大きな正義にも大きな悪になることも示した。平井和正さん、桑田二郎さんの「8(エイト)マン」では、軍事兵器として作られたスーパーロボット8マンに崇高な犠牲精神を与え、より深い心の問題を描いた。
ウルトラマンやウルトラセブンでは、宇宙に目を向けさせると共に、より大きな視野での正義を考えることすら試みられた。
武内直子さんの「美少女戦士セーラームーン」では、輪廻転生を通して、過去生での問題を解決していく中で進化していく姿を壮大に示した。
基本的に子供の女の子向けの作品である「カードキャプターさくら」では、いよいよ日本の思想の破壊に着手した。
恋愛が数多く描かれたこの作品での、愛する者の組合せに注意したい。ごく自然に描かれたものである。
(1)5年生の男子小学生と女性教師
同居し、事実上の夫婦。ただし、この2人はかなり特殊な人間であった。
(2)4年生の女子小学生と男性教師
こちらは、大人っぽい美少女ではあるが、普通の女の子と、立派な青年男性教師の組み合わせである。男性教師は、この女の子に婚約指輪を渡し、デートもしている、バレたら懲戒ものである。
(3)高校3年生の男子同士
主人公さくらの兄である、素晴らしい男子と、その親友で、さくらも一度は憧れた、一見華奢だが、スポーツ万能(というより超人的)の高校生である。2人は相思相愛で、一生を共に過ごすと決めているようだ。
(4)高校1年生の女子と25歳の男性教師
さくらの両親である。心優しく、清純可憐にして天然な美少女の撫子と、一見のほほんとしているが、スーパーマンのような男性教師は、出会ってすぐに同棲を始め、手をつないで登校する。よく懲戒にならなかったものだ。
さて、「カードキャプターさくら」の作者のCLAMP(女性の4人組)は、次の「ちょびっツ」でさらに改革を進める。
(1)高校1年生女子と39歳ケーキ屋店長
はつらつとした健康そのものの美少女と、妻に先立たれた過去のある39歳の男性である。尚、彼の亡くなった妻とは、人型パソコン、即ち、アンドロイドであった。
(2)中学1年生男子と人型パソコン
高度なパソコンスキルを持つ中学1年生の男子は、亡くなった姉の人格を模した人型パソコンを作るが、彼女が最も大切な人になる。
(2)そして、主人公同士
大学浪人生のカントリーボーイ秀樹は、下宿するアパートの管理人である美人未亡人や、美少女にして、巨乳で性格抜群の高校1年生など、いろいろな女性に出会うが、最終的に選んだのは、人型パソコンのちぃであった。
世界を変えるとは、吉本隆明氏の「共同幻想論」でいう、共同幻想を変えることである。
CLAMPさんは、子供達に、従来の大人達の共同幻想に対する確かな防御壁を与えた。その影響がどのように出るか、非常に楽しみである。
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