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2008.07.31

思想改革は漫画から始まる

第二次世界大戦中、漫画というものは堕落の象徴で、それを読むことはもとより、そんなものを描く者は非国民扱いであったらしい。
戦後も、漫画は低俗なものと国民は思い込まされていた。手塚治虫さんは苦肉の策として、「漫画は3時のオヤツ」論を提示した。主食にはなりえないが、オヤツ程度に楽しむのは良いではないでしょうかとして、賢く攻撃をかわしたのだ。
漫画が低俗なものという、コントロールされた思想、即ち洗脳は今でも消えてはいないと思う。

だが、考えてみれば、漫画は陰から日本を救ってきた。
手塚治虫さんの「鉄腕アトム」ではテクノロジの素晴らしさと未来への希望を与えたが、同時に、ロボットとはいえ心があるものをモノ扱いすることの理不尽さを描いてみせることで、心の大切さを示した。また、横山光輝さんの「鉄人28号」では、強力なテクノロジは大きな正義にも大きな悪になることも示した。平井和正さん、桑田二郎さんの「8(エイト)マン」では、軍事兵器として作られたスーパーロボット8マンに崇高な犠牲精神を与え、より深い心の問題を描いた。
ウルトラマンやウルトラセブンでは、宇宙に目を向けさせると共に、より大きな視野での正義を考えることすら試みられた。
武内直子さんの「美少女戦士セーラームーン」では、輪廻転生を通して、過去生での問題を解決していく中で進化していく姿を壮大に示した。

基本的に子供の女の子向けの作品である「カードキャプターさくら」では、いよいよ日本の思想の破壊に着手した。
恋愛が数多く描かれたこの作品での、愛する者の組合せに注意したい。ごく自然に描かれたものである。
(1)5年生の男子小学生と女性教師
同居し、事実上の夫婦。ただし、この2人はかなり特殊な人間であった。
(2)4年生の女子小学生と男性教師
こちらは、大人っぽい美少女ではあるが、普通の女の子と、立派な青年男性教師の組み合わせである。男性教師は、この女の子に婚約指輪を渡し、デートもしている、バレたら懲戒ものである。
(3)高校3年生の男子同士
主人公さくらの兄である、素晴らしい男子と、その親友で、さくらも一度は憧れた、一見華奢だが、スポーツ万能(というより超人的)の高校生である。2人は相思相愛で、一生を共に過ごすと決めているようだ。
(4)高校1年生の女子と25歳の男性教師
さくらの両親である。心優しく、清純可憐にして天然な美少女の撫子と、一見のほほんとしているが、スーパーマンのような男性教師は、出会ってすぐに同棲を始め、手をつないで登校する。よく懲戒にならなかったものだ。

さて、「カードキャプターさくら」の作者のCLAMP(女性の4人組)は、次の「ちょびっツ」でさらに改革を進める。
(1)高校1年生女子と39歳ケーキ屋店長
はつらつとした健康そのものの美少女と、妻に先立たれた過去のある39歳の男性である。尚、彼の亡くなった妻とは、人型パソコン、即ち、アンドロイドであった。
(2)中学1年生男子と人型パソコン
高度なパソコンスキルを持つ中学1年生の男子は、亡くなった姉の人格を模した人型パソコンを作るが、彼女が最も大切な人になる。
(2)そして、主人公同士
大学浪人生のカントリーボーイ秀樹は、下宿するアパートの管理人である美人未亡人や、美少女にして、巨乳で性格抜群の高校1年生など、いろいろな女性に出会うが、最終的に選んだのは、人型パソコンのちぃであった。

世界を変えるとは、吉本隆明氏の「共同幻想論」でいう、共同幻想を変えることである。
CLAMPさんは、子供達に、従来の大人達の共同幻想に対する確かな防御壁を与えた。その影響がどのように出るか、非常に楽しみである。

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2008.07.30

いじめの報酬

「わたしのいもうと」という絵本がある。
実話をもとにしたこのお話を簡単に紹介すると、引っ越してきた先の小学校で、4年生の妹はクラスメイトから陰湿ないじめを受ける。暴力を振るわれることは無かったが、彼女が給食を配ると、「きたない」と言われて受け取ってもらえない、誰も口をきいてくれないし、呼んでも返事をしてくれない。
遠足に行っても、ずっと一人きりだった(その時の様子を描いた絵が実に哀しい)。
やがて妹は学校に行かなくなり、家族とも口をきかなくなる。そのうちに、妹は色紙で鶴を折り始める。毎日、ひたすら折り続ける。隣の部屋で母親と姉も折り(母親は、そうすることで、妹の気持ちが分るような気がすると言う)、いつしか家の中は折り鶴でいっぱいになる。そしてある日、妹は生命の火が消えたかのように、ひっそりと死ぬ。
妹が家に閉じこもっている間、彼女をいじめた子達は、中学生になり高校生になって、家の前を通り過ぎて通学していた。彼女達には何事もなかったかのようであった。
自らもいじめに遭った経験があると言う著者の松谷みよ子さんは、イソップ童話のお話を引用する。池に石を投げ込んで遊ぶ猿に、カエルは「あなた方にとっては遊びでも、私達には命取りなんです」と言う。

私が気になるのは、妹をいじめ、結果的に死にいたらしめた子達は、本当に単に遊びのつもりだったのか?そして、その後、本当に平穏無事に過ごしたかである。
私には、彼女達が妹をいじめたのが、悪意の無い遊びだったとはとても思えないのだ。
いじめた子達の心の中に、大きな闇があったに違いないと感じる。
確かに子供には、蜘蛛の脚を引きちぎってニコニコ笑うという面もあるが、それはよほど幼い場合だ。小学校の4年生ともなれば、そんなことは普通できない。
いじめた方の子達も、いじめざるを得ない衝動があったはずだ。その衝動を生み出す闇の正体も分っているのだが、これを話題にすると非常に長くなる。
それよりも、妹をいじめた子達のその後についてだ。できれば調査を行いたい位である。
もしかしたら、高校を卒業するくらいまでは平和に過ごしたかもしれない。だが、心の闇を振り払うような強烈な体験でもしない限り、無事で済むとは思えないのだ。
私の場合、いじめとは認識しなかったようなところもあるのだが、私に悪質な嫌がらせや卑劣な攻撃をし続けたような者達はいたが、分っている範囲で言えば、皆、悲惨な結果となっている。大抵は、難病になるか、死ぬかだ。言うまでも無く、私は最初から全くとは言わないがほとんど報復もしなかったし、彼らと関わりがなくなってからはそれに関しては指1本動かしてはいない。
犯罪を犯し、人を苦しめながらうまく逮捕されずに時効になったような場合でも、犯人は悲惨な人生を送るのではないだろうか?むしろ刑務所に行った場合より悪いかもしれない。ほとんどの場合は、犯人であることも公表しないのであるから確認しようもないが、そんな確信がある。
随分後で戦犯として逮捕された元ナチス党員には、結構な地位や身分の者もいたようであるが、日常が幸福であったとはとても思えないし、人生の最後に全てを失くすことは悲惨であろう。しかし、それでも、うまく逮捕を逃れた同罪の者達よりはマシかもしれないのだ。
なぜこのような根拠もない確信があるかというと、やはり人生は自分の思考が創っているということは間違いがないと思えるからだ。そして、思考は、どうしても心の奥深くを反映してしまうのである。邪悪な闇に支配された思考の結果が幸福なはずがない。

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2008.07.29

飯を食わないという選択

日本では、「金を稼ぐ」ことを「飯を食う」とか言うだろう。面白いものだ。
収入を得る最大の目的は、やはり食べるということであろうか?
高校生がロッカーになると言ったら、「そんなんで食っていけるのか!」と親に怒られる。
仕事の先行きが不安になると「おまんまの食い上げ」とか言う。
野球界の偉い人が、有名なプロの投手の投球を見て、「メシが食える球を投げとる」とか言う。その程度の投球かいと思う(笑)。
人間は食べなければ死ぬらしい(他人事?)。ならば、収入が無いということは死ぬことだ。
それなのに、ワーキングプアとか、十分に食べられない人が沢山いるらしい。それを放置するということは、そんな人は死ねということだろうか?

飯を食うとは、偉く大変なことのようだ。
なら、食わなきゃいい(笑)。
食わなくていいなら、好きなロックをやれるし、仕事がうまくいかなくても焦らないし、下手な投球をしてても良いことになる。

私は一頃、気紛れで食べるのをやめたことがある。
食べずに1週間経つと、「1週間食べなかったんだ」という感動が湧いた(笑)。思ったほどしんどくもなかった。65キロだった体重(身長180センチ)は55キロくらいになった。
だが、9日でやめてしまった。車で遊びに行くことになったのだが、同乗者にもしものことがあったらと心配したのだ。私自身は、別に何ともなかった。

世の中には、全く食事を取らずに生きたと言われる人もいる。
生涯、少女の容姿を保った長南年恵さんという女性や、ヨガの藤本憲幸さんの本に出てきた宇宙人の少女とか、その他、言われているだけなら割にいると思う。
あるいは、外国のある地域の人は、轢いたトウモロコシしか食べないが、クロスカントリー選手権に出ると、素晴らしい成績を上げるというのをテレビで見たことがある。

はてさて、私もあのまま食べずにいたら、食べずに生きられる人になったのか、20日くらいでギブアップしたのか、あるいは、適当なところで死んだのか?
最近また、食べるのをやめようという気になってきた。今日、お昼に食べたスパゲティがまだ重い。

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2008.07.28

和式と洋式のナイフ

Buck119w

Hakorou
上は、米国BUCK社のシースナイフ119スペシャルである。通常モデルは、ハンドルは黒色の樹脂であるが、これはココボロの木でハンドルを作った若干高価なモデルである。
下は、伝統工芸師の認定を受ける刀匠、佐治武士作の和式狩猟刀「白狼(はくろう)」である。

119スペシャルは刃長15センチ。刃の鋼材はBUCK社独特の420HCというステンレス鋼だ。420はナイフの刃材によく使われる440という鋼材に劣るとされているが、この特殊処理された420HCはよく切れる上に、ステンレス鋼だけあって錆びない。ハンドルは上に書いたようにココボロであるが、プラスチック樹脂を滲み込ませた加工で強化している。
白狼は刃長12センチ。刃の鋼材は青紙2号である。ステンレス鋼と違い、手入れしないと錆びるが、切れ味はさすがである。ハンドルは樫の木で、いかにも落ち着きがある。最近は、和式ナイフといっても、かなり洋風なものも多いが、この白狼は極めて純粋な和式ナイフと思う。

ご覧のとおり、119スペシャルは美しく派手で、白狼は素朴ながら風格があるように思う。
私は、何とはなく、アーチェリーと和弓を連想する。一般にはアーチェリーの方が早く上達し、命中率も高いが、和弓は達人となると、驚くべき的中を見せるものであるらしい。
西洋ナイフは、持った瞬間、ある程度使いやすく感じるが、和式ナイフはちょっとクセがあるように感じる。ハンドルのカーブも西洋ナイフの方が手の形に添い、和式は非常にシンプルな形状である。だが、どういう訳か、和式ナイフは使い込めば使い込むほど手に馴染んでくる。そして、荒削りに作った和式ナイフのハンドルも、長く使ううちに深い色合いや艶が出てくる。
西洋ナイフは、消耗品であるという認識が大きいのかもしれない。だが、良く出来た和式ナイフは一生もんであり、子供や孫に譲ることもあるかもしれないと思う。

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2008.07.27

若さの秘訣

いつまで若々しくいられるかは、男女に関わらず大きな関心事であろう。
もっとも、その若さのレベルの問題もある。
マイケル・J・フォックス主演の映画「摩天楼はバラ色に」で、マイケル演じる青年ブラントリーは、社長夫人ベラ(40代?)に「あなたは永遠に21歳でないといけないと思っているけど」と言う場面(吹き替えだが)があったが、それは若過ぎるかもしれない。だが、これも愚かな女性の願望であろう。
また、「スタートレック」では、ある惑星で、年齢を止めた人々がいて、その中の女性がミスター・スポックに「私がいくつに見えまして?」と聞き、スポックが「35ですか?」と答えると彼女は不機嫌に「失礼な!30で止めましたのよ」と言う場面があった。当時のアメリカでは30くらいが理想的な年齢と考えられていたのかもしれないが、それよりたった5つ上の35では駄目だというわけである。
ただ、少なくとも日本でいうなら、女性に「何歳になりたいか?」の本音を問えば、現実に二十歳以下の人はともかくとして、17歳くらいと思っているのではないかと思う。

男で言うなら、「時をかけるおじさん」サンジェルマン伯爵は、一説で93歳で死んだと言われるが、生涯40歳の風貌を保ったという。この外見は彼が選んだようで、その理由は「35歳では若すぎて重んじられないし、45歳ではやや老けた感じになる」からだそうである。もっとも、50歳が老人だった時代の話ではあるので、この40歳は現在ではどれほどのものかは分らない。

もちろん真偽は不明であるが、日本でも、長南年恵という霊能力者と伝えられる女性は生涯少女の容姿(18歳くらいとも聞いた)を保ったとされる。
陰のベストセラーともいわれる、霞ヶ関書房の「ヒマラヤ聖者の生活探求」では、もっと凄い例はいくらでも登場し、著者である米国探検家と同行するヒマラヤの聖者エミール氏(仮の名前)は、外見は50代だが、実は数百歳。さらに、彼の母親は、愛らしい少女にしか見えないとされる。また、特に聖者でもないようだが、800歳の少女を実際に見、戸籍も確認したことを著者は主張している。
この本によれば、これは誰にでも可能なことであるようであるが、著者のスポールディングは、90歳以上の、当時としてはかなりの長命とはいえ、やはり亡くなっている。

もう少し常識に近い話にしよう。
トラインの『人生の扉をひらく「万能の鍵」 』(サンマーク出版)(原題“In Tune with the Infinite”)では、著者の知る女性で、80代であるが25歳以上に見えないという女性が登場する。どうやればそうなるかは、その章で説明されている。
トライン自身も91歳の長命であった。

「不思議の国のアリス」で有名な数学者・作家であるルイス・キャロルは60代になっても若々しい容姿を保っていたことが、彼と親交のあった少女の手記に残っている。
キャロルは、沢山の少女の友達(7~15歳までと思われる)があり、度々茶会を開いて彼女達と交流し、ある時期には、彼女達のヌード写真も数多く撮影している。少女趣味が若さの秘訣というよりは、上のトラインの著書にある若さを保つ秘訣のようなものを自然に実践していたのではないかと思う。それは、一言で言えば、心を明るく保つことである。
確かに、年齢より老けた感じの人は、恨みや憎しみ、不満、軽蔑、不親切、差別といったものが心に巣食っているように思う。上記、トラインの本を読んで若さを取り戻し、それを保ってみてはいかがなものだろう。宗教的ではあるが、特に神秘的な本ではなく、ある意味常識的な本と思う。自動車王ヘンリー・フォードが愛読し、自宅に数多く在庫して訪問者にプレゼントしていたことは有名である。

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2008.07.26

天命の受容

天命に生きることで、真の満足すべき生涯を全うできる道が開けると思う。

台湾出身のアメリカ人女性作家で、世界的経営者でもあるチン・ニンチュウは、著書「誰でもちいさなことで大切な願いがかなえられる」の中で、誰でも一生に何度か天命の誘いを受けると言う。有名なベートーヴェンの「運命」のような雰囲気であるかどうかは分らないが。
だが、天命に誘われても人の方で拒否することも多いし、天命に応えるほどに成長できないまま一生を終わる場合もあるらしい。

ニンチュウは、アメリカ初代大統領ワシントンの例をあげている。
ワシントンの若い頃の望みは富と名誉で、彼は見栄っ張りの自己中心的な人間だった。有名な、桜の木を斧で切ったことを正直に牧師に告白したというお話は、ワシントンを美化し、子供のしつけに利用するための作り話である。
富の方は、早くに首尾よく手に入れた。土地取引で不正を行ったり、金持ちの未亡人と結婚したりしてだが。
次は名誉だ。不正で儲けた金で、アメリカ大陸軍の高級将校の地位を手に入れた。だが、戦闘の際、戦術といえばちょっと本をかじっただけのワシントンの指揮で、大勢の同胞を死なせてしまった。
やっと目覚めたワシントンは、本気で英国と戦うことを決意する。天命を受け入れたのである。長く苦しい戦いの末、遂にアメリカは独立を得、目は衰え、髪も白くなったワシントンは初代大統領となったのである。

小説だが、実に感動的な例がある。
高橋弥七郎さんの累計585万部という(今後も増えるだろう)人気小説「灼眼のシャナ」で、シャナは日本人の捨て子だった。それを、偶然にヴィルヘルミナという女性が見つけて、住処であった「天道宮」に連れ帰った。そこには、異世界の魔神「天壌の劫火」アラストールがいる。この子を連れてきた目的は1つ。フレイムヘイズという特殊な戦士に育てるためである。
それまで多くの子供を育て、鍛えてきた。才能を示す子もいたが、力がつくと傲慢になり成長しなくなった。だが、シャナは違った。肉体的知的な能力だけでなく、精神が他の子とまるで違っていた。過酷な訓練をしながらも、心の明るさを失わなかった。
だが、それを見るにつけ、ヴィルヘルミナとアラストールは後ろめたさを感じた。美しく素直に成長する彼女に、フレイムヘイズになる道しか選べないようにしてしまったことを。
だが、シャナにもまた隠し事があった。彼女は、ヴィルヘルミナやアラストールを愛していたが、彼らの真意を疑っていた。フレイムヘイズの使命の崇高さも。
だが、シャナは言う(後に、坂井悠二がこの名をつけるまでは本当は名前はない)。
「それでも私は、自分の意思でフレイムヘイズの道を選ぶ」
生まれた時からフレイムへイズの天命を背負った彼女は、12歳にしてそれを受け入れたのだった。
シャナのアラストールとの契約の言葉はこうだった。

偉大なる天壌の劫火アラストール。あなたの志に、敬意を。我が身を器に、顕現を。ともにフレイムヘイズたるの使命を、斃(たお)れる日まで果たしましょう。
~高橋弥七郎「灼眼のシャナV」より~

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2008.07.25

さくらちゃん、気を付けて

相思相愛の仲であれば、ずっと共にいたいと思うものであるだろうし、片想いの場合でも、離れたくないと思う場合が多いであろう。
しかし、1年かそこら離れてみるという手もある。
松本典子さんの「春色のエアメール」という歌(古い!)で、「きれいになったねと、見つめられたらどきどきしちゃう」とあるように、女の子であれば、10~15歳であれば1~2年もすれば見違える程きれいになるだろうから、相手をより惹きつける可能性が高いといえるし、男の場合もカッコ良くなるかもしれないだろう。
ただ、女の子の場合は、大抵の場合、放っておいても綺麗になるのとは違い、男の場合は、日々の過ごし方の影響がより大きい。男の場合は、1年単位で磨くのではなく、昔から「男子三日会わざれば刮目して見よ」と言われるように、3日で見違えるようでないといけないらしく、その積み重ねが現れるものであるらしい。
ただ、男を磨くとは言っても、勉強したり、身体を鍛えたりしたところで大した効果はない。昔の詩人が、「健全な肉体に健全な精神が宿るよう祈りたい」と言ったように(なぜか、「健全な肉体に健全な精神が宿る」などという妙な言葉に摩り替えられているが)、身体の立派さと中身とはしばしば大きく異なる。また、学校の勉強がいくらできても、男としての価値にはほとんどならない。
男を磨くものとは、「自己制約」である。放縦に振舞いたい心を抑え、自分に厳しい試練を課すことで男は磨かれ、魅力が出る。
考えてみれば、女も同じである。放縦に過ごすと、たちまち魅力を失う。女性の場合は、制約とか試練と言わず、「つつしみ」と言う場合が多いが、やはり、心や身体を自分で律することには違いがない。

CLAMPさんの漫画「カードキャプターさくら」で、さくらと小狼(しゃおらん)は、小学5年生で離れ離れになる。小狼が香港に帰ったからだ。
時が流れ、中学生になり、もともとが可愛かったのが、萌え萌え度大幅アップとなったさくらが、寝坊癖だけは直らず、慌てて学校に向かうと、道でクールさ大幅アップとなって戻ってきた小狼が待っているところで話は終わる。さて、小狼は何日後にさくらに手を出したか妄想せざるをえない(笑)。

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2008.07.24

サンタクロースを疑え

童謡で、ある男の子が、「うちにはサンタクロースは来ないんじゃないか?」と心配するものを聴いた覚えがある。その訳というのが、「僕んちは団地だから」である。この団地とは、アパートやマンションのことを指しているのだと思うが、要は煙突が無いので、煙突から進入してくるのが通説であるサンタクロースが来てくれないのではという疑念であろう。
いまどき、煙突のある家など少なくとも日本ではほぼ無いし、団地なんて言葉を使う時代には既にそうであったと思う。
それでも、煙突がどのようなものかは知っている子供が多いと思うが、あんなものから進入してきたり、さらにはそこから退出するなど、ちょっと考えれば出来そうにないことは子供でも分かりそうなものと思う。
何が言いたいかというと、このように矛盾だらけのサンタクロースの風説をすんなり受け入れるクセを子供の頃からつけてしまっていいのだろうかということだ。これは、大人になっても引きずることは間違いがないと思える。活字やテレビニュースや風説や噂を簡単に信じてしまう大人の多さを見ると、つくづくそう思う。

最近、タイ国で人気のある日本の「ドラえもん」のイベントが行われ、かぶりもののドラえもんを見て子供達が歓声を上げ、触ったり、その口に食べ物を押し付けたりしていた。
しかし、いくら子供でも(幼児というほど小さくない子も多かった)、あれが本物のドラえもんでないことくらい分るだろう。いや、分っているはずである。
それなのに、なぜ自分を騙して大喜びしてしまうのだろう?

谷川流さんの小説「涼宮ハルヒの憂鬱」では、主人公のキョン(高校1年生男子)は、サンタクロースを最初から信じていなかったと断言し、幼稚園のクリスマスイベントに現れたサンタクロースを偽者と認識していたし、他の子供達だってそうだと言うところから物語が始まる。
そんなキョンは、高校生になる時には、幽霊、妖怪、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者などというガキな夢から卒業していたことを誇るが、入学した高校の後ろの席に、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者にしか興味がないという美少女、涼宮ハルヒがいたというわけである。
だが、ハルヒは宇宙人や未来人が存在すると主張したりしない。存在することを当然として考え、話し、行動しているのだ。
ハルヒがどれほど凄いかは、小説を読むかアニメを見ていただければ分るが、彼女と同じようにやれば、誰でも彼女と同じ力を得るだろう。
イエス・キリストも現代インドの聖者も同じことを言っている。
「あなたが、身体も心も超え、時間も空間も超えたものであることを知るためには、そのように振舞ってみると良い」

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2008.07.23

ニートの秘密と発展の秘訣

フロイトは、人間の本能は壊れていて、本能だけで生きていけないので、本能を補うために自我を作ったが、自我は自然に立脚したものではなく、狂っていると言ったようだ。
しかし、これは明らかに間違いだ。
人間は本能が壊れているわけではない。ただ、進化の能力が与えられたのだ。
本能に完全に支配されていては、精神的進化はできないのだから、本能がそのまま発揮されないことがあるのは当たり前であるし、良いことである。

ほとんど本能のままに生きている人間もいるが、これは正しい生き方ではない。
食べ、寝て、異性を求め、自己や家族の安全のみ求め、支配欲から離れられない。それだけの人間なら動物と同じだ。
だが、人間は本能の求める相応なものなら、割合に簡単に得られるようになっている。
男であれば、今の自分に見合った程度の女なら確実に得られる。
しかし、人間は天使や女神を想像する能力があり、自分がそれに見合う存在に進化しようと考えることもできる。このように人は進化する。美少女アニメオタクなんてのは、現実の女性をはるかに超える対象を愛するのであるから、本来は大きな進化を得る可能性がある。

生活の糧なら、本来簡単に得られるはずが、働くことができず、それを自分の力で得られないというのもまた、その原因は進化しようとする力なのである。
多くの仕事には、自分本位や他者支配の本能を利用しなければならないものがあるが、それらを極端に嫌うと働けなくなるのだ。
それなら、自分本位や他者支配、あるいは、性的本能の利用や攻撃本能をあまり表に出さなくて済む仕事を選べば、楽しく働けるようになる。
早い話が、そのような者は進化の意識が強く、人類全体の進化に寄与することに喜びを感じる。
だが、1つ言っておきたい。本当は知恵さえあれば、いかなる仕事であっても、そのようなことを達成することは可能だ。だが、わずかにはある、明らかにその目的に反するような仕事であれば、やめてしまうのが良いだろう。
進化を達成したいなら、知恵を得るしかない。そのためには本当の勉強が必要である。学校の勉強は、もしかしたら知恵を破壊する可能性の方が高いかもしれない。しかし、求めれば知恵ある本はいくらでもやってくるだろう。本能を満足させるためでなく、進化を目的とするならね。

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2008.07.22

和式ナイフの美学

Miyagi

日本人なら、このような木鞘作りの小刀にどこか憧憬を持つかもしれない。
特にこの槐樹(えんじゅ)の木で作った鞘は、色、模様、手触り、それに香りがとても良い。
この小刀は、宗正刃物で購入した「木鞘拵湯西川小刀」というものだが、鞘を作った宮木義男さんという鞘師が引退したため、もう入手できないらしい。
確かに、どの方向から見ても、柄と鞘に寸分の狂いもない。柄も鞘も、2つの部品を組み合わせた跡はなく、この女性の指2本分しかない鞘の中をくり抜いて作ってあるようだ(日本刀では、2つの部材を組み合わせる)。
また、気候により、鞘からの抜き射しのきつさが違うところが、さすが天然木である。

革の鞘なら、素人でもそれなりには作れると思うが、木鞘だと、なかなかそうはいかない。
普通に作れば、革の鞘の方が耐久性がありそうだが、やはり木の鞘のような味わいは出ないと思う。それでいて、良い木鞘は何十年と使え、しかも、使えば使うほど色合いに深みが出てくるらしい。

Hiroshige

そして、鞘から抜いた小刀の本体、弘重作・木鞘拵湯西川小刀だ。
まだ使い込みが足りず、風格が出てくるのはこれからである。

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2008.07.21

「時をかける少女」マニアの秘密

昨夜、HDD録画しておいたアニメ映画「時をかける少女」を観た。
HDD録画できるデジタルテレビを買ってしばらく経つが、滅多にHDD録画なんてしない。しかし、昔のビデオ録画と比べると、やはりすごい進歩だ。

こんな名作とは思わなかった。
実は、私はこのアニメ映画に抵抗があり、観ようとしなかった。宣伝映像でよく見る、しっかりと伸びきった女子高生が、笑顔で飛び出す姿があまり好きではなかった。私はもっとおとなしそうな、純情そうな少女が好きなのだ(笑)。
いや、単に趣味の問題ではなく、私は小説の「時をかける少女」の大変なファンである。
筒井康隆さんの手による、昭和40年出版のこの小説のヒロイン芳山和子は、決して内気な少女ではないが、もっと繊細で、あまり大声で「行けえ~!」と叫んで突進するタイプではない。

このアニメ映画の主人公は、真琴という名のさっぱりとした性格の17歳の女子高生だ。
そして、芳山和子が、彼女の叔母として登場するのは驚いた。小説の芳山和子が30代後半のミステリアスなおばさんになった雰囲気だ。
和子は、未来人ケン・ソゴルのことは、彼に記憶を消されたので憶えていないが、誰か素晴らしい人にいつか必ず会えるという強い想いを持ったことは、小説のラストに描かれている。そして、和子はいまでも待ち続けているようだ。
「あなたは、私のようなタイプじゃないでしょ?」
和子が真琴に言うが、なるほど、最初からの私の印象通り、真琴は和子とは違うタイプだ。

さて、注目すべきは、真琴の不思議な体験を聞いた和子は、「タイム・リープでしょ?」とこともなげに答えるところだ。和子も、憶えていないとはいえ、中学3年生の時、何度もタイム・リープしたのだ。
そして、さらに重要なのは「珍しいことじゃないわ。あなたの年頃ならよくあること」と、言うところだ。
これに関しては、私も言おう。それほど大したことではないと。
え?冗談だろうって?
では、早速、やり方を教えよう。
秒針がよく見えるアナログ時計があると良い。
いつでもその時計が見える位置で、目を閉じて、かつて訪れたどこかの光景を思い描いて欲しい。子供の頃にいた風景なんてものでもいい。やはり、自然の美しいところや、ノスタルジックな場所がいいなあ。
で、心がぽっと暖かくなったところで、静かに薄目で時計を見て欲しい。
ぎょっとするかもしれない。
時計の針が止まっているのだ!
この方法を推し進めていくと、不思議な世界にすら参入できる。H.G.ウェルズの小説「堀についたドア」に出てくる輝きに満ちた世界や、桃源郷の一歩手前の次元界などである。美しい天女や知恵のある仙人にも会えるであろう。

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2008.07.20

本当の責任者

仕事のキャリアを重ねるうちに、これだけは間違いないと気付いたことがある。
プロジェクトを進めていって、最終的に失敗に終わるということも何度か見てきた。
その時、「あいつのせいで失敗した」「あいつは責任を取るべきだ」と言う者が必ずいる。また、後で「お前のせいで失敗したんだろう」と言う者もいる。
これは絶対に間違いないのだが、失敗の本当の責任があるのは、そう言う者である。

「あいつに責任がある」と言えるくらいなら、その形は様々にしろ、自分もそのプロジェクトに関わっているはずである。その自分の責任を感知することすらないのだから、そのような者が存在していたというだけで、プロジェクトは失敗が運命付けられていたのだ。
これは精神論ではなく、ちゃんと調べれば分かることでもある。
また、誰かにことさらに責任を押し付けるということは、元々がその相手に恨みや悪意があったのだ。そして、自分は邪魔こそすれ、協力していないのだ。そんなプロジェクトが成功するはずがない。

仕事に限らず、何かがうまくいかなかった時、それを人のせいにしないことだ。
土台、本当に優秀な人間とは、自分のためには言い訳をしないものだ。言い訳をしても良いと思えるような状況ですらそうである。なぜなら、自分に全く問題がなかったとは思えない程の知性があるからなのだ。
人間は、何をしても構わないが、言い訳だけは許されないのだ。

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2008.07.19

月の愛と楽観主義

シェイクスピアのリア王と言えば有名な悲劇である。
アメリカの作家カート・ヴォネガットは、シェイクスピアは下手な作家だが、人生をよく知っていたと言うが、何となく私もそう思う。

リア王であるが、年老いたリア王が、娘達に自分への愛の大きさを問い、年上の娘達は最大級の愛を語ったが、末娘は、単に「父として愛している」と言ったのみであった。
若いコは正しいと言うのは、昔から変わらぬ流行であろうか?(笑)

もし、リア王の知恵が雲っていなかったら、末娘の答えを聞いた時、「よくぞそこまで育った」と喜んでいたと思う。
このお話が有名である割には、誰も肝心な点を身に付けていない。
本当の愛とは月のようなもので、特別な人の要望を叶えることでも、恋人を理解することでもなく、誰にでも同じように接してあげることなのだ。

だが、リア王の感想で私を最も驚かせたのは、あのヘレン・ケラーだ。
彼女は、これを楽天主義の文学という。ここには、善に対する希望があり、悪を改善し、社会の秩序を回復し、国家を新しく建設するなど善への展望が示されていると言う。
~「楽天主義」(サクセス・マルチミディア・インク) 74P~
ラルフ・ウォルドー・トラインは「楽観主義は、自分と人々のために天国を作っている」と言っていた。

ただ、楽観主義にも、知恵ある楽観主義と無知な楽観主義というのはあると思う。
無知な楽観主義は非常に恐ろしい。

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2008.07.17

世界征服だ

英国の作家、コリン・ウィルソンがよく例に出すのだが、英国の伝説的なSF作家ハーバート・ジョージ・ウェルズが、“The History of Mr. Polly”(「ポーリー氏の物語」翻訳はないと思う)で、ポーリーが「自分の人生が気に入らないなら、変えてしまえばいい」と言ったらしい。ウィルソンは、その通りに人生を変えたのだ。
なら、我々も真似をしようではないか?
では、どうやれば、人生が思うとおりになるのであろう?
ウィルソンの本を沢山読んだが、なかなか分からない(笑)。
中島孝志さんが、「波動経営」という本で面白いお話を書いていた。
松下幸之助さんだったと思うが、講演の中で「これからの企業は余剰が必要」と言ったらしい。すると、受講者の一人が、「どうやれば余剰を持てるのでしょう?」と尋ねた。松下さんは何と答えたかというと、「余剰が欲しいと願うこと」で、笑いを誘ったとあったかもしれない。中島さんは、このお話を印象深く憶えていたのだと思うが、私も気に入ってしまった。
手塚治虫さんが制作したアニメ映画で、タイトルは忘れてしまったが、この映画で最後に明かしたこの世の真実は、「願うことが大切」であったと思う。
私もニート時代、ジョセフ・マーフィーの成功法則の本を読み、この本の中での成功者はセールスマンが多いのに気付き、セールスマンになりたいと思ってそれになり、「セールスコンテストで優勝したい」と思って優勝した。しかし、もともと不向きなセールスマンが嫌になり、「普通の総務系のサラリーマン」になりたいと思ってそうなったが、やはりスペシャリストがいいと思ってIT技術者になった。会社が小さかったので、「一部上場企業がいい」と思って一部上場企業に入った。しかし、給料が安かったので、高い給料と、せめて役職が欲しいと思ったら、給料が倍になり○長になった。
願えば叶うものだ。ただし、願いが叶う前には、必ず危機的状況になった。
さて、次は世界征服を狙おうか?(笑)

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2008.07.16

顔に気をつけよう

「小さな恋のメロディ」(原題:Melody)という、製作された英国では不評であったが、日本でヒットしたという変わった映画がある。
まるっきり幼いというわけでもない11歳の少年と少女が恋をして、保守的な周りの大人が振り回されるというものだ。主役の少年少女役は美少年と美少女だったし、ビージーズの音楽も素晴らしく、なかなかの作品と思うが、なぜ英国では評判が悪いのだろう?

私は、ごく子供の頃、これの原作小説を読んだことがある。なんせ、小さい時に読んだので詳細は憶えていないが、映画と併せて考えると、教師や、教師の味方であるPTAを徹底的にコケにしているように思える。それも、保守的で権威ある教師を完全に馬鹿にした様子がありありとしていて、これが案外に学校のヒンシュクを買い、「悪い作品」にされてしまったのではないかと勝手に想像する。

日本で言えば、1970年頃と思うが、今では巨匠と言われる漫画家の永井豪氏が、二十歳そこそこの時描いた「ハレンチ学園」という漫画が大ヒットしたが、学校やPTAに徹底的に叩かれたことがあった。永井氏はNHKに引っ張り出され、全国に汚らわしい猥褻漫画家として晒し者にされたようだ。しかし、面白いことに、永井氏の、もっと過激と思われる別の漫画作品には、そんなことがなかったらしい。
単にエッチというなら、白土三平氏の「カムイ伝」では、コミックス1巻分に1~2回は、過激なレイプシーンを含むかなり「凄い」シーンがあるし、ごく少年向きと思える「ワタリ」でも、ちょっと教育に悪いのではないかと(笑)思える場面もある(「教育」云々は冗談であるが、妄想を掻きたてるものである)。手塚治虫氏などは医学博士の特権でもないだろうが、本格的な性描写はハレンチ学園の比ではない。ハレンチ学園は、ヌードが出る以上のことは全くなかったと思う。
早い話が、「ハレンチ学園」では、やはり、先生というものを徹底的に馬鹿にしたことで、プライドの高い教師の恨みを買っただけではないかとも考えられるようだ。

教師の話はさておき、「小さな恋のメロデイ」で、私が子供心に印象に残ったのは、主人公のダニーが見た大人のおかしさだ。特に、顔がヘンであるとあったと思う。顔の美醜のことではなく、なぜ、やたら気難しく不満げな表情をしているのか不思議であったのだと思う。
しかし、これは今の日本でも、町を歩き、電車に乗れば、そんな顔の大人ばかりである。
本当に、奇妙な顔の大人ばかりだ。
何かが気に食わなくて仕方がないといった感じで、他人を蔑み、不満で、あるいは、物欲しげで、さらには、なんと言っていいのか分らないくらい不気味に思えるほどなのだ。
明るく、すっきりとした、冷静な自信に満ちた顔に出会うことはほとんどないかもしれない。まるで日本の現状を如実に顕しているかのようだ。
自分の表情には注意したが良い。そして、悪い表情をしていると思ったら、その原因を自分の中から「自分で」一掃することだ。でなければ、きっとツキもやってこないに違いない。

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2008.07.15

未来の学校

日本という国が進歩すると、例えば、学校というものは現在とは全く違ったものとなるであろう。
学校は画一的なものでなくなり、決まった建物に全ての子供が毎日決まった時間にやってくるということもなくなるだろう。
ただ、大勢で集まることにもメリットはある。だが、子供達を年齢で仕切ってしまうことはない。年の離れた子供達が同じ場所にいることが多くなる。子供は、年下の子に教えるのは本来好きなのだ。放っておいても、自分より小さい子供に教えるだろう。勉強だけでなく、あらゆることを。
年齢の高い子供達は、やりたくてやっている勉強をしているだろうが、小さな子供に教えることが、小さな子にとって良いことであると共に、それで自分達もまた重要なことを学べることをすぐに気付くだろう。また、自分だって小さい時に、年上の子に教わった恩もある。それで、自分のやりたいことを多少我慢してでも、小さい子に熱心に教えるだろう。
時間が来たらチャイムがなって終わりなんてことはない。子供達も、終了の合図なんて待ってはいない。熱中すれば、時間延長で勉強し続けるのだ。
もちろん、勉強には退屈な一面も絶対にある。だが、退屈さに耐える忍耐は賞賛すべき知性と勇気として、それを示すことによって模範となるのだ。
競争もある時期にはあるかもしれないが、競争のための競争にはならない。
試験もあるかもしれない。しかし、試験は勉強のためにあるのであり、試験のために勉強するのではない。それが分かれば、試験の成績が良いことで優越感を持たないし、成績が悪いからといって自分を卑下することもない。
勉強の目的は、あくまで個性と才能を伸ばすことであり、必ずしも競うとは限らない。
教師は、やりたければ、誰にでもやらせたらいい。まあ、現状では、地域の顔見知りの方が良いかもしれないが、本来、良い教師とは空気のようなものだ。普段は別の仕事を持ち、週1~2回の教師をやるめたに休暇を取ることになると思う。教師による収入はほとんどないが、それで満足するはずだし、それで不満なら教師などやらないであろう。

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2008.07.14

豊かな国

日本は、大量生産、大量消費で、国にだけお金があった経済大国の時代を過ぎ、精神を充実させねばならない過渡期にあると思う。
現在も「モノ」での豊かさが残っているように見えるのも、昭和30~40年代に勤勉に働いた方々の蓄えのようなもので、それもすでに底をつきかけている。
現在は、ニートやネットカフェ難民や、ワーキングプアといった問題がいっぱい出てきているが、それも、この過渡期の歪であると思われる。
今後は、巨大なお金が一気に動くビジネスのように、繊細な神経の持ち主なら関わりたくない仕事ではなく、ひきこもりでも喜んでやるような仕事が創造されなければならないだろう。
日本が経済大国であった頃、必ずしも海外から重く見られていなかった。しかし、たとえ経済力がさほどでなくても、思想のある国の方が敬われるものである。
そして、各人が本当に想像力を発揮できる国になれば、人々に活力があるのだから、経済的にも充実するはずである。
そのためには、学校や結婚や、その他、制度の見直しも必要になってくる。画一的な教育である必要はない。ある程度の基礎を学んだ後は、好きな時に好きなだけ、本当に身に付く勉強が無料でできるようになるだろう。
他人より優位に立つための勉強ではなく、自分の個性や才能を育てる勉強になるのだ。
子供達は、地域社会で、役割と責任を持ちながら、みんなで教育するようになる。大人と子供は親密になり、世代の断絶もあり得なくなるだろう。本来、大人と子供は仲が良いものなのだ。
結婚制度はなくなる可能性がある。十代の少女と、大人の立派な男性の交際が多くなり、若い女性が素晴らしい女性になるだろう。
現在は、多少、嫌なものもあるが、上記のような流れを掴めば、経済大国時代どころではない、幸福な国になる可能性があると思う。
その時には、芸術の役割も大きくなり、優れた芸術家は尊敬されるようになるだろう。もちろん、権威とは関わりのない本物の芸術家でなければならない。

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2008.07.13

今の仕事への取り組み方

今はそうでもないかもしれないが、昔はハリウッドでトップで活躍する映画スターでも、若い頃はポルノに出演していたことが多かったらしい。女優だけではなく、むしろ肉体派男優の出演率は高かったと聞く。言うまでも無く、俳優という仕事は志望者に対する仕事の数が少なく、最初から俳優で食べられるはずもないので、別のアルバイトをするか、俳優を目指すほどの自慢の容姿を生かしてポルノに出るかであろう。あのマドンナですらそうであったらしい。
日本でも、年配の有名な俳優にはポルノ出演時代がある者もいるし、別に隠してもいないと思う。

問題は、彼らがポルノに出演したいた時の仕事態度と思う。後に成功する俳優は、おそらく、ポルノとはいえ、全力でやっていたのではないかと思う。
俳優の話ではないが、人気イラストレーターのいとうのいぢさんの来歴が興味深い。
普通、アダルトゲーム、それも昨今流行の美少女アダルトゲームの絵描きといったら、一般にはあまり良いイメージはないと思う。「なんでそんな仕事やるかね」といった感じもあると思う。いとうのいぢさんは、美術学校を出てゲームソフト会社に絵描きとして就職したが、その会社がアダルトゲームの製作会社と知ったのは入ってかららしい。
いとうのいぢさんは、最初は見習いみたいなものだったろうが、やがてファンの間で人気が出てくる(美少女アダルトゲームのファンということだろうが)。そして、主に若い人を対象とした小説(一般にライトノベルと呼ばれるが、実際にそんな小説分野がある訳ではないと思う)の挿絵の仕事もやるようになる。ここでは、登場人物のデザインを行うので、著者にとっても、小説作品のファンにとっても非常に重要なものであろう。ところが、挿絵を手がけた2つの小説「灼眼のシャナ」と「涼宮ハルヒの憂鬱」がいずれも空前の大ヒットとなり、いとうのいじさんは一躍、超人気イラストレーターとなり、本業のゲームの原画の他にも、雑誌表紙やグラビア、アニメ関係、画集、版画その他大活躍で、彼女のホームページベンジャミンには、「新規のお仕事をお受けすることができません。すいません」と書かれている。最近では、筒井康隆さんの作品の挿絵を描いているようである。
言うまでもないが、彼女も、無名の頃から、アダルトゲームの絵描きを全力でやっていたに違いない。

ウォレス・D・ワトルズの『富を「引き寄せる」科学的法則』(角川文庫)には、お金持ちになるために必要なこととして、現在の仕事を、自分が成長するために全力で行うことが不可欠であると書かれている。
ワトルズのこの本は、沢山の翻訳が出ているが、私も何冊か読んだ中で上記翻訳をお薦めする。この翻訳本は、と学会の2008年度の「日本トンデモ本大賞」に輝いたらしい(笑)。トンデモ本とは、とんでもないほどおかしな本という意味と思う。
尚、と学会とは、学会でもないでもない自称学会のお遊びクラブであるらしいが、SF作家の山本弘氏(私は1冊も読んだことはないが)が会長で、会員には著名人も多いのでよく知られている。話題の尽きない人気者オタキングである岡田斗司夫氏も会員であるらしい。
成功法則の本の多くが、現在の仕事についてあまり言及しない中で、ワトルズの本は非常にそれを重要視している点は特筆すべきと思う。人間は仕事で最も成長する。もちろん、主婦も仕事と言って良いし、企業や学校に所属するアマチュアスポーツ選手にとっても、スポーツは仕事である。もっとも、アマチュアスポーツ選手は、国家や企業にやらされている部分が大き過ぎるように思う。

ただ、1つ反例をあげておく。
俳優の丹波哲郎さん(故人)だ。丹波さんは、自伝に書いているくらいだから間違いないと思うが、サラリーマン時代の仕事振りは最悪だった。通訳時代は、そもそも英語はロクにできないのでトイレに隠れ、会社員時代は、まずもって席にいたためしは無く、入社時にもらった鉛筆は、数年後クビになるまで一度も使わなかったという。
しかし、彼の心の大きさは尋常ではない。ものごとに全くこだわらない。
特殊な例なので、相当自信のある方以外は真似しない方が無難と思う(笑)。

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2008.07.12

真夏に冬服をキメる

夏目志郎さんの本で読んだのだが、真夏でも冬のスーツを着て、汗ひとつかかない夏目さんを見て、社員(夏目さんは社長である)が「社長は人間じゃない」などと言ったことがあるらしい。夏目さんは、「アメリカのエグゼクティブは、夏でも冬のスーツを着ていた。その気になれば、涼しい風を感じることができ、真夏でも平気なのだ」と書いていたと思う。
暑い中で、かすかな涼しい風を感じ、それで暑さをしのぐ。
なかなか印象深い言葉だった。

夏目さんは、日本に帰化したが、もともとは中国人である。
大金と、当時日本に1台しかなかったアメリカの高級車を持ち込み、日本でビジネスをするために来たが、詐欺に遭い、莫大な借金を背負う。
中国の姉からは、「良い家があったので、あなたのために買っておいた。車も運転手も準備している。夫の会社では重役のポストを用意しています。借金なら問題ありません。だから中国に帰ってきて下さい」と言ってきたが、夏目さんは日本に残った。そして、クリスチャンとなり、宣教師を助けて布教活動をした中で説得術を学び、35歳でセールスマンデビューし、百科事典セールスで大成功し、SMIという自己啓発プログラムの販売で4年連続世界一となり、その後独立したという人物である。

その時、なるほど、どんなに暑くても、涼しい風は吹いているものだと思った。
クーラーががんがんに効いていないと不満を言う人を気の毒に思うようになった。

私は、真夏に別の会社の人に、一緒にセールスに行こうと誘った。
炎天下の中、1日中歩いてセールスした。日本とアメリカの大学で柔道に励んだ彼は大変に体力があり、私は相当苦戦した(笑)。
なんと、彼は冬のスーツを着ていた。それでも、あまり暑そうでなかった。彼はその後アメリカに行ったが、今は帰国して経営者になっている。

沢山の苦しい中で、かすかな良いことを感じ、それで満足する。
それができれば、その人は傍目には不幸でも、本人は幸福であるかもしれない。
また、夏目さんは、あくまで大成功主義者であるが、かすかな良いことを感じるような人が成功するのかもしれない。
心理学者の岸田秀さんも、著書に書いておられたと思う。日常の、ほんのちょっとした良いことでなぜ満足できないのだろう・・・と。彼は、人生に目標などないと言う。だが、30過ぎて働き始めながら、大学教授になり(学長の座は逃したらしいが)、日本で最も人気のある心理学者になり、膨大な著書を出した。これを成功と言わず、なんと言おう。

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2008.07.10

心の強さとは

信じたいことを信じることができないのが人の苦しさだ。
冷静な自信をもって信じることができれば、およそこの世に不可能はない。
なりたいものになれ、したいことが出来、欲しいものは手に入る。

簡単にできるかどうかは分からぬが、思うように信じることができる道はある。
信じるべきことを信じれば良いのだ。何のことはない。
学校の成績の悪い子、おとなしい人、攻撃してこない人を、さげすみ、無視し、いじめて良いと信じているなら、信じるべきでないことを信じているのであり、それは信じる機能を破壊することなのである。
自分の方が偏差値の高い大学を出ているから、給料が高いから、世間で評価が高い仕事をしているから偉いという馬鹿げたことを信じて、本来の信じる心を濁らせてしまっていたら、良いことを信じられるはずがない。
実に簡単なことである。
人に優しくすることは良いことであるし、誰にでも同じように接してあげられることが人として正しい行いであるという正しいことを信じるなら、やがて思う通りのことを信じられるようになり、不可能なことはなくなるだろう。

少し昔、CLAMPさんの名作漫画「魔法騎士(マジックナイト)レイアース」という作品があった。
この作品では、「信じる心が力になる」を合言葉のようにしていた感がある。主人公の14歳の少女、光(ひかる)は強い心を持っていた。
光と、オートザム国のイケメン戦士イーグルは、宇宙の神であるモコナの命令で、セフィーロという国の柱(神様のようなもの)の座を賭けて、異空間で戦う。勝った方はセフィーロの柱となり、負けた方は、その場所で朽ち果てる。
光は勝つが、なんと、イーグルを連れ帰ろうとする。2人同時の帰還は不可能で、そんなことをすれば両方消滅する。そして、イーグルは病気のため、もう長くはなかった。光を愛するイーグルは、「僕はどの道死ぬ」と、光にセフィーロに戻るよう言うが、光は、「だめだ!生きている限り、一生懸命に生きるんだ」と諦めない。
この様子を見て、やはり光を愛する魔法剣士ランティスは、神モコナに剣を突きつけ、
「2人を戻せ。さもなくば、お前が神であろうが知ったことではない。俺はお前を切る」
と命じる。
この作品では、善も悪も、自ら正しいと信じることを貫いた。そして、CLAMPさんが明かした作品のテーマは「この世に絶対的な正義や悪など存在しない」であった。
ただし、貫いたのは自らの真の正義である。
そのような者の心は強く、最も強い心の持ち主は、神の命令より、たとえ途切れる寸前の命でも犠牲にしなかった光であった。

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2008.07.09

信念の対価

信じる心は実際的な力を持つことがある。
よく知られているのがプラシーボ効果と呼ばれるもので、何の効き目もないものでも、特効薬と言われて服用すると、病気が治ってしまうことがあるというものだ(薬の効果自体がプラシーボという説もある)。
心身医学でも、精神状態が身体に影響を及ぼすことは認められていると思うし、何度か会ったことがある政木和三さんが、大阪大学医学部にいた時、医に潰瘍があった患者が、医者に「どこにも悪いところがない」と言われると、数日で潰瘍が消えたという経験を聞いたことがある。
フランスのルルドにある泉水が奇跡の治癒効果を持つとして知られている。これは、19世紀半ばに、聖母マリアの顕現に逢ったという14歳のベルナデッタ・スビルーという少女が、マリアの指示で掘ると泉水が湧き、現在も湧き続けているというもので、この泉水の水で清めると、医学上あり得ないような奇跡的治癒があったというものだ。
現実には、ルルドの泉水の水で特別な治癒効果を得たという人は、ほとんどいないらしい。しかし、ごく少数ならいると思われるが、その人たちは、強い信じる心を持っていたのではないかと思う。
実は、病気治療や肉体回復に関しては、私が直接見たものや、信頼できる人から聞いたものにも驚くべきものがいくつかある。いったんここに書いてみたが、あまりに凄いので、異様な雰囲気になりかねず、披露するのはやめておく。
信じる心があれば、病気は治るし、モテるし(笑)、とにかく何でもできる。
しかし、ご存知のように、信じることは難しい。
催眠術を使えば、思慮分別を通り抜けて、直接意識の奥にメッセージを伝えることができ、レモンが甘いと思えば甘く感じるし、空手の達人のように、硬貨を指で折り曲げることも可能だ。珍しいところでは、女性に自分を恋人の男性だと思い込ませることだってできる。
だが、信じる心とは、無意識と意識の協調作用だ。催眠術で成功した人などいないし、無意識に外から暗示を与え過ぎると、どんな副作用があるか知れたものではない。
カルト宗教を信じているかに見える者は、実に簡単にその信念の嘘を剥がせる。薄っぺらいものなのだ。
信念の対価は安くはない。しかし、見合う対価を用意すれば、必ず得られるものであると思う。

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2008.07.08

全てはエスの仕業

「心身医学の父」と呼ばれるドイツ人医師、ゲオルグ・グロデックの著書「エスの本」(誠信書房)と、グロデックの論文とその解説である「エスとの対話」(新曜社)が、私の部屋のデスクの書棚という、良い場所に立てられている。無意識ながら気に入ってるに違いない(笑)。
実際面白い。ただし、「エスの本」の方が(笑)。
この本は、グロデック自身を投影した男性が、架空の女友達に書いた手紙なのであるが、本当にこんな手紙を書いたら、逮捕されないまでも絶縁されること必至のすごくエッチな内容だ(笑)。その一部でも、ここには書けないくらい凄い^^;
さあ、是非読みたまえ!(爆)

エスといえば、フロイトのエスが有名である。しかし、ネットやWikipediaでエスを調べてもロクな答えが見つかるまい。学者が言いそうな、もったいぶった訳の分からない説明にうんざりすることと思う。あえて単純に言えば、本能的な生命エネルギーのことであるが、その在り処が無意識の中というのだから、小難しい言い方で誤魔化さざるを得ない気持ちも分る(笑)。
フロイトのエスは、もともとグロデックのエスを借用したものであり、フロイトもそれを認めているが、両者のエスはかなり異なる。

グロデックによると、エスによらずに人に何も起こらない。
癌になるのもエスの仕業なら、それを治すのもエスである。
ちなみに、フロイトは精神分析医であったが、治療で成果を上げたことはほぼない。対して、グロデックの患者の大半は他の医者に見捨てられた難病患者であるが、治療に精神分析を導入し、時には奇跡的治癒を見たものもある。
病気だけでなく、事故もエスが起す。転んで脚を折るのもエスが起すものである。
好きな人、あるいは、きらいな人の前を通り過ぎる時、何もないところでつまづくのもエスの働きである。
女性が、好きな男性の前で手が冷たくなるのも当然、エスの企みである。その男性に手を温めて欲しいという表明を代理でやっているのだ。
逆に、嫌いな男性の前では、髪が悪臭を放つこともある。それだけなら良いが、本人は気付かないが、顔が醜くなって魅力を感じさせないようにする。人を嫌う女性が醜くなるカラクリはこれだ。

中森明菜さんの歌「あなたのポートレート」に、

あの日にボートがぶつかって
帽子を落としていなければ
他人のままでこんなときめきもない
恋は信じられない偶然

という歌詞があるが(作詞は来生えつこさん)、ボートがぶつかったのも、帽子を落としたのもエスの仕業である。エスは、彼女の好みのタイプの男性の接近を感知し、きっかけを作ったのだ。エスには何でもないことである。
視力的には識別不可能な文字も、エスには見えていると思われる事例もある。

ここまで言えば、人生を楽しく幸せに過ごすには、エスのことをよく理解した方が良いのではと考えても不思議はない。
ただし、エスは、そうすんなり味方になってくれるかどうかは保証しない(笑)。

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2008.07.07

脳トレより千倍大切なこと

少し前、「脳トレ」が流行したが、今はどうなのだろう?
景品の簡易型の脳トレツール(電卓みたいなもの)をもらったことがあるが、開封もしていない。
計算やパターンマッチングの能力より千倍も大事なのが「思考したいように思考する能力」だ。
日本人の大半はこの能力を訓練したこともなければ、磨いたこともなく、よって真の能力を持たない。

有名な心理学者のエミール・クーエは、無理に何かを信じようとすると、かえって信じられなくなると言い、有名な「毎日、あらゆる面で私は良くなっていく」という安全な自己暗示を提示した。
しかし、これも誤魔化しだ。やはり、我々は思考したいように思考する能力を得なくてはならない。
ダイヤが欲しい時は、よく似たガラス玉には、「これはガラス玉だ」と言わなくてはならない。危ういほど正直に。これが第一歩と思う。

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2008.07.06

2日でとてつもないマスターになったひきこもり

神の顕現とか悟りとかいった、通常には意味不明な言葉で言わざるをえないとも思われるが、人が短期間で全くの別人に生まれ変わることが実際にある。
「マジック・ストーリー」という本にそんな話がある。ある、人生の落伍者としかいえない画家がいて、ポケットに金が入っていた試しもなく、その態度も雰囲気もそんな状況を表しているような男だったが、久し振りに偶然会った彼は、立ち居振る舞いがどこか以前と異なり、さらに面と向かって話すと、冷静さと落ち着き、そして自信と情熱に溢れていて驚かされるというものだ。
「マスターの教え」という本には、もっと極端なものがある。人生に絶望し、健康も害して悲惨な状況にあり、もう二度と彼と生きて会うことはないとすら思えた男が、生き生きとし、自信に溢れ、誰をも落ち着かせる冷静さと魅力、そして活力をも備えて帰ってくる。

だが、ここではもっとシンプルな例を示そう。
上記の本の話は、実例かどうか今では確認しようがないが、これは事実のようだ。
ある引っ込み思案で臆病だった男が、わずか2日で自信に満ちた魅力ある人間となり、さらにとてつもないマスター(師)とまで言われる。
実に簡単な話だ。その駄目男が、「俺はなんて不幸なんだ」と言った時、彼の友人が「きみは不幸じゃない。そう思ってるだけさ」と言った。それだけだった。
その時の一瞬の啓示。そして、それから2日の啓示。それで彼は聖者のような別人になった。
思考と体験は同じものだ。ありもしない問題を作り出しているのは自分の思考だ。それが理解できれば、誰しも彼のようになるだろう。
また、上記の「マジック・ストーリー」や「マスターの教え」の登場人物のようになる。
実は、この話は、コリン・ウィルソンの「超越意識の探求」(学習研究社)の「あとがき」の話である。この本自体は、それなりに難解で、読んで果たして利益が得られるかどうかは疑問だったが、要は「あとがき」だけ読めばよかった。もちろん、その後でもう一度読むと面白いかもしれない。

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2008.07.05

カテゴリ分類を完全に変更しました

カテゴリの分類を完全に変えました。
過去の記事のカテゴリを付け直すには、ココログのレスポンスがあまりに遅く断念しました。
カテゴリ別表示は、現時点では全く意味がありません。
カテゴリ別表示を利用されている方が沢山いらっしゃることは存じておりますが、誠に申し訳ありません。

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ひきこもりが楽しく働ける国へ

世間で、ひきこもりをどうすれば良いかという話となると、目指すところは学校や会社になんとか行かせようということであると思うが、まず、これは全くの的外れであると断言する。
おだやかな方法にしろ、荒療法にしろ、ひきこもりを社交的な性格にすることができるという妄想があるのかもしれない。いや、日本には、社交的であることが良いことであるという妄想や偏見があるのであろう。

まず、日本にはひきこもりに向いた仕事がほとんどない。日本は大量生産、大量消費の国であるが、その目的に向く、非常に狭い範囲の個性の持ち主以外は人間として認められないことになっている。
つまり、ある1つの基準による偏差値を受け入れる人間でないとまともな人間として扱われないのだ。極論すれば、日本の社会に苦も無く対応しているのはロボットのような人間である。
もっとも、この方式はもう限界が来ており、このままいけば、日本は経済以外にない国なのに、その経済が駄目という国になる。いや、もう十分になっている。

ひきこもりでも十分にやれる仕事が普通にある国になれば、未来はある。
私は、ひきこもり気質ではあるが、普通に会社に勤務している。だが、同じことをひきこもり気質の人に薦めたいとはあまり思わない。精神的負担が大変に大きく、精神や身体にも良くない。病気になったり、自殺する人が大量に出かねない。
「自殺するならひきこもれ」という本があるが、実際、私もそう思う。
ひきこもりが普通に働き、十分な収入を得ても、家庭を持つことは難しい。社会生活で疲れ果て、休日に家族サービスをするエネルギーなどないであろう。

ひきこもりは、本来は職人のような仕事に向いていると思う。だが、日本は、優れた職人は気難しく傲慢な人が多くて、弟子になるような人が少ない場合が多いと思う。実際、多くの重要な工芸品で後継者がいない状態だ。
また、日本では優れた職人の技能が高く評価されない。大量生産された工業製品を、流通に乗せて安価に販売することで企業が、そして、国家が成り立っているからだ。

株主から資金を集め、膨大な利益を上げるようなことばかりを目指す必要はない。
経済大国でなくて良い。
とはいえ、今はほとんどの日本人は仕事を情熱的に行っていない。例えば、信じがたいような低レベルの医療事故が起こるのは、医者が忙しすぎる場合があると共に、やる気のない医者が多いのだ。年金問題を見ても、つまるところ、昔から公務員にやる気がないのである。
学校の男の先生が女生徒にセクハラばかりするのも、仕事をやる気がないからである。事件が起きた時、「あんな熱心で真面目な先生が・・・」と決まったように言われるが、それは下手な芝居を見抜けなかっただけである。

いろんな個性の人間が十分に働ける国にすることが重要である。
まずは、手練の技、長い経験をもっと評価するようにしないといけない。人間は、何かに10年間、たゆまず熱心に取り組めば大変に能力になるし、20年、30年なら神業になる。
よく出来たバッグは、ブランドの問題ではなく、一生使える。いや、子供や孫にすら譲れる。
だが、そのようなことを行う事業家も、最近は少ないながら登場している。儲ける気はあまり強くないのだが、下手な営利第一企業よりよほどうまくいっているところもある。
ひきこもりの優れた能力を活かす企業が出れば、次はそこが成功するかもしれない。

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2008.07.04

イタリアの大聖堂への落書き事件を考え続けた

イタリア、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂への日本人の落書き事件は記憶に新しいと思う。
落書きを行った大学生は停学処分となり、高校野球部監督は解任となった。
こういった日本の動きに対して、イタリアでは、そのあまりに厳しい処分に驚いている。
学生の所属する大学では、修繕費の支払いを申し出たが、イタリア側は「謝罪で十分」と断った。つまり、もう赦してくれていたのだ。
日本の処分に対し、イタリア側は、日本人の良識を賞賛する発言もあったらしいが、それはやむなくといったものではないかと思う。
むしろ、「日本人には、間違いを犯した人間に対し、哀れみはない」という批判が本音と思う。

さて、この事件が起こった時、多くの日本人の反応は、「馬鹿」「恥知らず」「幼稚」といった強い批判が多かったように思う。
「私は日本人として恥ずかしい」という言い方も多かったと思う。自分は、あんな悪いことをやる馬鹿と同じではないというわけである。
では、私はどうかというと、やはり、「幼児レベルの大人や学生」「恥知らずの大馬鹿」と思った。つまり、私も(落書きした連中と)同レベルなのだ。もし、私が彼らのレベルを本当に超えていたら、やはり哀れみを感じるだけだろう。
親が、子供の悪行に対し、哀れみを感じるほどであれば、子供を叱るより先に、自分が謝りに行き、それを子供に見せることと思う。自分の責任であるからだ。

この日本人の異常な厳しさは、事件を起した学生や野球部監督が、日本を代表するタイプの人間であることを表明したようなものと思う。
つまり、お高くとまった意味でなく、本当に「日本人としての恥」を感じることができるわけである。土台、「日本人として恥ずかしい」とは、本来、そのようなものであるはずなのだ。

あるところで、中学生が万引きをした。問い詰めると、かなり多くやっていたことが分かった。教師達や母親は、激しくその子を叱り、罵った。
そのままだと、その子は、さらにひねくれることとなったはずだ。
父親は一言も叱らなかった。そして、日曜日、「行くぞ」と、その子を連れ出し、万引き先を1件ずつ訪ね、自分が謝った。個人商店などでは、激しくも口汚い罵りにあったが、父親は黙って頭を下げ続けた。本当に自分の責任だと思っていることが子供にも伝わった。
その子は、心から父親に謝罪したのである。

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2008.07.03

まるで魔法

少し以前の夏のことだ。
会社の冷房して締め切った部屋の中に、大きなスズメバチが入ってきた。
女の子達は大騒ぎし、男性達は頼りになるところを見せようと新聞紙を丸め(笑)、スズメバチに近寄るが、スズメバチは敏感に、人が近寄ると向かってくるように飛び立つので、男性も思わずひるんで逃げる。
ところが、ドアの目の高さの位置にスズメバチが止まった時、一人の男性がそこに近寄った。男性は静かにドアを開けるが、スズメバチは、まるで身づくろいでもするかのように、脚で羽を擦るようにしている。ドアが大きく開いてから十数秒。スズメバチは何事もなかったように外に飛び立ち、男性も何事もなかったかのようにドアを閉めた。
まるで魔法だった。
彼とスズメバチの間には調和があった。彼に敵意がないからだ。
で、その彼とは私のことであるのだが・・・(笑)。

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2008.07.02

美という幻想

現在では非常に高価である、ゴッホ、ルノワール、セザンヌ、モネなどの印象派の画家の絵は、彼らが在命の頃はほとんど評価されず、そのため、「優れた芸術は作者が死んでから評価される」という思い込みが一般にもあるように思う。

では、なぜ彼らの絵が、彼らが制作していた当時、認められなかったかと言うと、当時の美術界や一般の持つ「良い絵」の基準に合ってなかったからと思う。
岡本太郎さんも「今日の芸術」で、美を含むものごとの価値は非常に曖昧であり、時代や地域で極端に変わると書いていたが、一方で、現在の情報メディアの発達した世界では、その偏りが少なくなりつつあるという見解を示していた。
だが、私に言わせれば、偏りが大きかろうが小さかろうが、美や価値なんて曖昧だ。これらに実体はなく、言ってみれば幻想だ。幻想の範囲が広かろうが狭かろうが、幻想は幻想である。
かつて大変に評価されたものでも、現在では全く記憶にも記録にも残っていないというものは実に沢山あるはずだ。そして、現在、絶対的価値を持つ絵画や彫刻、あるいは音楽や文学が、将来、全く注目されなくなる可能性も無いとは言えない。
紀元前130年頃に制作されたと考えられているミロのヴィーナスの価値が今も認められていると言っても、たかだか2200年程度しか経過していない。数千万年が経過し、仮に人類は滅んでいて、別の知的生命体が地球上で発達していたり、宇宙人が地球を訪れてこれらを見ても、果たして価値を認めるかどうかは疑問であろう。
美というものを認識するためには幻想を作り出す能力が必要である。人間以外の動物には幻想を作り出す能力はなく、よって、美を認識することはない。フロイトは、人間は本能が壊れているので、その補完として自我を作ったが、それは自然に立脚しない幻想であると言った。その論が本当かどうかはともかく、人間は幻想に生きるものであると思う。これに関しては、フロイトよりも、吉本隆明氏の「共同幻想論」が優れていると思う。
人類とは別の知的生命体が出現しても、もし彼らの神経組織が幻想を必要としないものであれば、やはり芸術は理解されないかもしれない。
もっとも、幻想を完全に振り払ったと言われる、インドなどに時々存在した解脱した聖者は、幻想をショーとして楽しむことはあると言う。興味深い話だ。ショーであるからには、少しも重要でなく、自分がそれに影響されることはないが、幻想は驚くべき力であり、なかなか楽しいものであるもののようだ。
ならば、我々も、幻想と自己が不要に密着した状態を脱し(これを悟りというのかもしれないが)、この世をあるがままにショーとして楽しめるようになることもあるのかもしれない。まあ、私も、時々はそうなのである(笑)。

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2008.07.01

アミュレットのススメ

人間は本質的にお守り好きである。これは、日本人も、それ以外の外国人も変わりない。
芸術は、もともと宗教の下僕として始まったと言ったのは英国の作家コリン・ウィルソンであるが、宗教は、人間を日常とは異なる意識状態に導く目的がある。その効果を高めるために、祭壇や礼拝堂の壁などを、荘厳に、あるいは絢爛に装飾するための芸術が発達することとなったと思う。また司祭はもちろん、一般の人も儀式用に特別の衣装を纏うようになり、服飾の芸術も発達したと思う。
それと共に、宗教では、各種グッズもいろいろに工夫されてきた。実用というよりは祭礼用の華麗な剣や、豪華な装飾の聖杯などがあるが、キリスト教では、十字架の付いたネックレスであるロザリオが代表的なものであろう。
そして、宗教的なグッズには、呪術的な意味を持つものが多く考案されるようになった。超自然的な力を発揮するために使うものもあるし、逆に悪魔などの超自然な存在から身を守る魔よけなどである。
十字架にもともと魔よけの意味があったのかどうかは疑問であるが、バンパネラ(吸血鬼)対策には十字架が良いというのはほぼ定説みたいなものである。
(萩尾望都さんの、バンパネラの一族を描いた名作漫画「ポーの一族」では、バンパネラの美少女メリーベルは「あれに込められた信仰が恐いの」と言っていたが、なるほどと思った)
岡本太郎は、古代民族が残した、宗教的、あるいは、呪術的な各種グッズを非常に興味深く考えていたし、その芸術的価値を認めていたと思う。そして、やはり、芸術のそもそもの根源がそこ(宗教や呪術)にあると考えていたようにも思われた。
池田満寿夫さんは、非常に独特な解釈と思うが、ピカソの絵画は魔よけのために描かれたのではないかという論を著書で展開していた。現代の高名な芸術家も、呪術的グッズを求めていたというわけであろうか。

さて、人は誰もお守り好きという話に戻るが、誰の心にも不安があり、その不安は、何か分からぬが我々に災いする力には、人間としての自分の力だけで対抗できるとは限らないものもあると感じているからで、人間は何かにすがらないと、心が落ち着かず、生きていけないものかもしれない。
天才画家ダリは、常にある木片を持っていた。そして、それがなくなったと思った時には、哀れなほど取り乱したという。自分を神と言いかねない超自信家ダリですらそうであったとは面白い話である。

「美少女戦士セーラームーン」は武内直子さんが23歳で描き始めた歴史的漫画・アニメ作品であるが、実は宗教的と言えるお話であり、それもこの作品が大ヒットした原因ではと思う。原作とは異なるアニメの話であるが、セーラー戦士達は、世界を救うための3つのタリズマンを探すが、タリズマンとはお守りとしての宗教的宝具である。3つのタリズマンである、鏡、玉、剣が揃った時、聖杯が出現し、セーラームーンはその力でパワーアップする。しかし、聖杯の力を十分に引き出せなかったセーラームーンはメシア(救世主)ではないと見なされ、年長の3人のセーラー戦士達は別のメシアを探しに行く。だが、この3人は最後に、真のメシアに対する自分達の思い違いを知ることとなる。無限の力を発揮する万能のスーパーマンがこの世のメシアではなかったのだ。彼女達は、セーラームーンを真のメシアと認め、礼拝を捧げた後、姿を消す。
原作でも、同じ部分のお話で、小学6年生の病弱な美少女である土萠ほたるは、幼い頃からアミュレットというものを持っていた。アミュレットもまたお守りであるが魔よけの意味が強い。身体が弱く、度々発作に襲われるほたるはアミュレットの助けが必要だった。発作の回数が増え、アミュレットが効果を発揮しなくなるが、セーラームーンこと月野うさぎの娘で、ほたるの美しさに憧れるちびうさが、自分のアミュレットである「幻の銀水晶」に触れさせると、ほたるは一時回復する。ほたるは、ちびうさに、自分のアミュレットをむやみに人に見せないよう警告する。(アニメでは、ほたるは自分の家で発作を起した際、ちびうさと共に来ていたうさぎの幻の銀水晶を組み込んだコンパクトに触れ、気分が良くなるのを感じる)
尚、原作者の武内直子氏は、この土萠ほたるの正体であるセーラーサターンを「メシアの一人」とし、セーラームーンこと、プリンセス・セレニティーを「もう一人のメシア」とするなど、対等の扱いをしていたところが、サターン萌えである私には嬉しく(笑)、また興味深い。
余談であった(をい)。

鉱物(天然宝石等含)ファンも多いと思うが、やはりアミュレットの意味で愛好する人も少なくないのではと思うし、鉱物の神秘的効果を謳う本もよく見るが、これにも人々が何か不可思議な力に望みをかける様子がうかがえる。

私は、小学2年生の時、友達に教えられてタリズマンを自作し、常に持ち歩いた。ポケットの中でボロボロになってくると、さらに有り難味が増したものである。効き目云々より、心の支えになるものと思う。人間は、やはりそのようなものであるのかもしれない。
そう思えば、ダリを笑うこともできないと思う。
最初にあげた英国の作家ウィルソンも水晶片を持ち歩いていたらしい(今は知らないが)。
そういえば、私はヒランヤ(ご存知?)を持ち歩いていたこともあった。私は、かなりの引きこもりであるが(ひきこもり自体は治らない)、精神的に弱く、このようなものも必要であったかもしれない。
誰だって、アミュレットを持って良いと思う。人間って、それが向いていると思うからだ。
そして、何をアミュレットにするかは、自分の好みだけで決めて良い。他者の決めた価値などどうでも良いことである。「霊験あらたか」とか言う宗教団体のものをアミュレットにしていると、そこの教祖が詐欺で逮捕された時、嫌であろう(笑)。

W_sv

これは、スイスのウェンガー社のナイフ、スーベニールだ。
同じスイスのビクトリノックス社にスーベニアという、ほとんど同じナイフがある。
大刃と小刃の二つのブレードが付いていて、大刃でも60mmなので、持ち歩いても銃刀法に触れない(軽犯罪法で警察に難癖を付けられる可能性はある)。
とても美しく、洒落ていると思う。
女性で世界初の七大陸最高峰に登頂し、エベレストにも女性で初めて登頂成功した登山家の田部井淳子氏は、別にタリスマンの意味ではないが、登山時にはこのナイフを常に丈夫な紐をつけて首から下げているらしい。夜寝るときも離さない。寝ている時、雪崩に遭い、テントを切って脱出する時にナイフを探していては間に合わないからだそうだ。
この写真の、スーベニールにつけた紐はパラシュートロープで実に丈夫だ。
なんとなく、アミュレットに良い感じではないだろうか?
このように、アミュレットは、自分が良いと思えば何でも良いと思う。
さて、私もこれを首から下げたまま寝てみた。安眠できた(笑)。度を過ぎなければ、人はアミュレットを支えにするのも良い。

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