殺人をさせないという想い
殺人事件のニュースをよく見るようになったが、殺人について考えてみよう。
秋葉原の連続無差別殺人事件の現場に出くわし、もし、自分にその力あれば、それを阻止したいと思うのは当然と思う。では、なぜ殺人を止めるのか?
被害者になりそうな人を救うためか?
もちろん、それもある。
だが、加害者に殺人をさせないためという思いが忘れられている。
「スターウォーズ」の第1作は現在では「エピソード4」と呼ばれるが、1977年に公開され、1997年に「特別篇」としてリニューアルされている。
この中で、オビ=ワン・ケノービが、かつての弟子アナキン・スカイウォーカーであるダース・ベイダーと戦うシーンがある。
年老いて力が衰えたオビ=ワンと、サイボーグ化して身体強化されたダース・ベイダーでは、かつての師が不利である。だが、これまでと思ったオビ=ワンは剣を止め、攻撃も防御も解く。一刀両断にするベイダー。だが、手ごたえがなく、ベイダーはとまどう。
映画の中で、こんな解釈はなかったが、オビ=ワンは自ら命を絶ったのだ。ベイダーに1つの殺人をさせないために。私自身は、そんな見方をした。
殺人は、殺される方は無惨であるが、殺す方も悲惨なのだ。
戦国時代の戦いの最中。
もはやこれまでと判断した兵達が自害することがある。最後の最後まで交戦し、一人でも多く道連れにするという方法もあり、それも賞賛されるのかもしれないが、潔く果てるのには、敵の人間に無用な殺害をさせないためという配慮はないのであろうか?
殺される前に、自ら命を絶った聖者は確かにいた。相手に罪を重ねさせないために。
殺人だけではない。盗まれる前に、心から持ち物を全て進呈した者もいた。
ジャン・ヴァルジャンに銀の蜀台や食器を進呈したと主張したミリエル司教は、何もジャン・ヴァルジャンをかばったわけではない。本当に、彼に罪を犯させなかったのだ。
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Comments
いきなりですが、異論をとなえます。
兵士が自害するのは、深い絶望の為ではないでしょうか。
どうせ、がんばったって、いずれだめになる。
こういう気持ちで死んでいくのではないかと、私は思います。
Posted by: 山口ジジイ | 2008.06.28 08:26 PM
★山口ジジイさん
いろんな兵士がいるでしょうね。
自害の理由も様々に違いありません。
私は、全ての兵士がそうだと言っている訳ではないですし、それどころか、確かに稀有な例としてあげています。1万人に一人でも、そんな兵士がいるかもしれない。いや、いて欲しい。そんな想いなわけです。
Posted by: Kay | 2008.06.28 10:16 PM
おはようございます!
>殺人は、殺される方は無惨であるが、殺す方も悲惨なのだ。
秋葉原は世界的にも有名な場所なので、オーストラリアのニュースでも放送されました。
犯人の顔を見た時に一番初めに感じたことが
(哀れで惨めな人…)
それ以上、何も浮かんできませんでした…
せめて、こういう事件を起こしてしまう前に…彼と話を
してみたかったです…
何をしてみたところで、根本的な問題を取り除かない限り自分の気が晴れることなんてないのに…
残念でなりません。
石彫人さんの新しいサイトの考えと少し似ていますが、(のちにご挨拶に行かせて下さい♪^_^)私もブログを始めたきっかけは…やはり(本当に苦しんでいる人を一人でもサポートできたら…)に尽きるんです。
この事件で、更に(自分に何ができるのか…?)という問いが深まったように思えます。
kayさんの仰る、”殺人をさせない”という思い…
とっても大切ですね…
マザーテレサが日本を訪れた時に仰った言葉が忘れられません。
「日本は物に溢れていて物質的にはとっても恵まれているけど…『心がとっても貧しい国』ですね…」
Posted by: りば | 2008.06.29 09:20 AM
★りぱさん
をを!みんな志が高いなあ。
秋葉原のあの犯人と話をしてあげたかったと言われた人は、確かいなかったです。
立派なことです。
りぱさんは、ブログできっと良いことが沢山出来ると思いますよ。
マザー・テレサが亡くなられてから、日本は精神的にさらに・・・いえ、信じましょう^^;
Posted by: Kay | 2008.06.29 06:35 PM