生きるチカラ
芸術家にも自殺者は多い。
彼らは、この世の神秘な美しさや、自らの魂に潜む荘厳さすら発見したかもしれないのに自殺したのだ。
この仕組みは、分かりやすく言えば、次のようなものだ。
一般の人が、スポーツや映画の感動的なシーンを見て、涙ながらに「勇気をもらいました」と言って感激する。しかし、月曜の朝になり、これから毎日、学校や会社に行かなくてはならない現実に憂鬱になるようなものだ。
芸術家は、感激を感受する度合いが大きい分、日常の煩いとの落差が大きく、より鬱になりやすい可能性がある。「生活なんて召使にやらせておけばいい」と言った芸術家もいたが、芸術家には多いタイプかもしれない。
逆に言えば、日常を煩わしく感じる度合いの大きい人は、感動したり、ありきたりな勇気なんかをもらうと自殺しやすくなるかもしれない。幻想の夢の世界に行きたがるのだ。
アイドルの後追い自殺が非常に多いのもこのためと思う。
ごく普通に見える女子中学生が「私、○○(自殺したアイドル)みたいになる」と言って、簡単にビルから飛び降りるのである。彼女は、日常に愛想が尽きていたのだ。
日本において、安直に日常を楽しくする方法は1つである。
国家や大企業の定めた価値観に従うことだ。それに逆らうと、煩いごとは非常に大きくなる。
つまり、最も何も考えずに幸せな人生を送るつもりなら、受験エリートを目指すことになるだろう。
日本人の自殺が世界でぶっちぎりのトップを独走する理由は、国家や大企業が押し付ける価値観が非常に狭いことだ。よって、それに適合しない多くの者は自殺予備軍となる。
日本では、ごく一部の人間しか「立派」でない。さらに悪いことに、その「立派」は実は異常であるので、それに適合するのは無理がある。いったん強く適合していた者が、なんらかのきっかけで適合できなくなると絶望して自殺する。
自分独自の価値観に生き、世間に背を向けてたくましく生きているはずの者も、自分の価値観に疑問を抱くと、やはり死にたくなるのだ。
では、どうすればいいかというと、究極的には、人間本来誰しも有している力を見出すことであるのだが、いきなりそう言われても困ると思う。
まずは、価値判断や思慮分別を忘れることである。
数学者としてよりは童話作家で名高いルイス・キャロルは、11歳くらいの少女への手紙に、冗談めかしてはいたが「忘れることがこんなに気持ちいいこととは思いませんでした」と書いていたが、私には本音に思える。
価値判断を忘れ、自然な自分を取り戻すには、私よりもっと役に立つことを書いておられるブログがある。ここでも、よくコメントいただいている彫刻家の石彫人さんのブログ
開き直りのススメ
である。
我々は幼児の頃、何度転び、ぶつかっても、歩くことを諦めなかった。そのような力は、本当は消えることはない。それを取り戻せば、人生は豊かになると思う。石彫人さんのブログを見て、そんなことを感じたものである。






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