まばたきと半眼の神秘
私は子供の頃、テレビのアニメを見ていて、人物がよくまばたきをするのに驚いたことがある。いかに感情移入しているとはいえ、絵でしかない人間がまばたきをするとは不思議だ。
現在のアニメを見ると、これが実に自然かつ頻繁にまばたきをするものがある。人気アニメの「涼宮ハルヒの憂鬱」を見るときは、私は意識的に人物がまばたきをするのに注意するほどである。
なるほど、まばたきによって、人物がより自然な雰囲気を持つような気もする。
まばたきは、普段、無意識に行っている。おそらく、目の乾燥を防ぐための自然作用であろう。ドライアイの傾向がある場合は、意識的にまばたきをすると良いとも言う。
まばたきは、意外に多く行われているかもしれない。写真を撮ると、たまたま目を閉じた顔や、半開きの状態で撮られる場合は珍しくもない。
中島敦の伝説的な傑作短編小説「名人伝」では、弓の修行の第一歩は「まばたきをせざること」とある。
まばたきをせず、何かを凝視すると、周辺視野がぼやけてきて、見ている対象以外が真っ白になったりしてなかなか面白い。まばたきをする時、脳の一部が休止するという説もあるが、それを長時間休止させないでおくと、何か変わった作用が起こるのかもしれない。
ムンクは、絵の中に自分のまつげを、画面を覆う陰影として示したと言う。そのためには、目を半眼にする必要があるように思う。
宮本武蔵も、戦闘時には半眼を使ったと言うし、仏像は圧倒的に半眼が多い。
半眼の場合は、まばたきが少なくなるように思うし、ものの見え方も変わって来る。これは、映像としての見え方が変わるだけではなく、我々の精神状態の変化により、見る対象の印象が異なるのである。
目は心の扉とか言うが、見ている者にとっても神秘の扉になりうる。
見るということにもっと注意を向けることの意義は実に大きいのである。半眼で見ることで、真の自分が宇宙を作る様子を垣間見てしまうことすらある。
尚、見るということだけが、神秘への参入の扉というわけでもない。もっと大きな鍵は、自己の存在の感覚である。こちらはまたいずれ。
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