見違えた人の秘密
良い意味で、同じ人間にはとても見えないほど見違えた人を見たことがあるだろうか?
決して整形美人のことを言っているのではない(笑)。
以前は、いつもうな垂れ、自身なげで、何かを主張することもなければ、自主的に何かをするわけでもない。あるいは、いつも世間を恨んででもいるかのように拗ねた顔をしていた人が、叡智に満ち、自信に溢れ、落ち着いて穏やかだが、強力でエネルギーに満ちているといった具合だ。
いわゆる劇的な変化であり、その人を知る者を驚かせているような人物である。
世の中には、稀にそういう人がいる。
そして、そういう人に起こったことが、自分にも起こればいいし、さらに、その変化を起す方法が分れば実に良い訳である。
結論から言って、その鍵は集中であることは間違いない。それ以外の理由で、人に劇的な変化が起こったことはない。
座禅だとか、禅の公案などというものも集中を起させる技術である。
時々、「集中と緊張は違う。集中はリラックスしたものだ」とか言う者がいる。ある意味正しいのであるが、リラックスすれば弛緩するだけで集中などとてもできない。むしろ、緊張から入る方が良い。緊張を通り越せば、集中となり、そこからリラックスに導かれることもあろうが、最初からリラックスしてはどうにもならない。
難しい話はさておき(笑)。
喫茶店などで昼食を食べている人の中には、新聞や雑誌、あるいは漫画を読みながら食べている者がいる。それも、ちょっと食べては箸を置き、雑誌を見て、また箸を取って食べるという者がいる。はっきり言って、こんな人間は何をやってもダメである。食べる時には食べること、読む時には読むことに集中できないようでは、大きな集中とは程遠い。
食べものが運ばれてくるまで集中して読み、食べ始めたら集中して食べ、食べ終わったらまた読めば良い。まあ、コーヒーを飲みながら本を読むくらいは良いであろう。
ある宗教の日常での修行で、道を歩いている時は心の中で「歩いている歩いている」と意識し、食べる時は「食べている食べている」など、今やっていることに集中することに留意するものがあるらしい。これはなかなか効果がある。
道を歩いていたら、ビラを配っている男女がいたが、配りながら二人でお喋りしている。こんな連中も一生ダメである。それこそ、心の中で「配っている配っている」と念じながらやると良い。
集中は劇的な変化をもたらすこともあるが、弛緩は人からエネルギーを奪い、無気力から果ては欝にしてしまう。
ドストエフスキーは銃殺される寸前(おそらく数分前)に恩赦となったが、銃殺直前という異常状態の緊張が超集中をもたらし、彼を永遠に変えてしまった。
昔、戸塚ヨットスクールとかで、泳げない人間をヨットで沖に連れ出すとかいう荒療法を行い、確かにその異常な緊張と集中で効果もあったが、あまりに無思慮、無配慮の馬鹿げたものだった。これでは、ロシアンルーレットで集中しろと言うようなものだ。
ある程度の精神の疲弊が起こるまで、緊張ある集中を行うことだ。
テレビゲームなんて、集中があるのはごく最初だけで、後は限りない精神の弛緩と倦怠がある。絶対にやらないことをお薦めする。あれは、アメリカか北朝鮮か知らないが、日本国民を無能力化するための大規模な作戦に違いない(半分マジだったりする^^;)。
The comments to this entry are closed.
Comments
今日のブログも為になった!!
地球に住む私としては大いに役に立った!
遠い星からのメッセージをありがと~~~
で、ポチした、、アルヨ。
↑
こんな言い方をする中国人にはまだあったことがない、、、
Posted by: 華文字 | 2008.05.23 05:11 AM
★華文字さん
ゼータ・レチクル星、いいとこアルヨ。
酒はウマいし、ねーちゃんはキレイ(古!)
ポチしてくれてウレシイアルヨ・・・この中国語流行らせたのは、「サイボーグ009」の張々湖(006)であること間違いないアルヨ。
もうすぐ流星になって燃え尽きます^^;
Posted by: Kay | 2008.05.23 06:33 AM