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2008.04.10

月光仮面のモチーフ

6日に亡くなられた、作家、詩人の川内康範氏の小説作品である「月光仮面」が、今年で50周年であるらしい。昨年から復刻版も発売されている。
「月光仮面」のモチーフは、「憎むな、殺すな、赦(ゆる)せ」であったらしいが、復刻版では「憎むな 殺すな 訊問(ただ)せよ!!」と変わった。これは、現代の世情を鑑みた川内氏の想いがあるもののようだ。
「訊問(ただ)せよ」の文字には、説得して誤りを認めさせろという思いを感じる。しかし、それは難しい。正すには、善悪のモノサシ、基準が必要になる。

人気漫画家ユニットCLAMPの作品に「魔法騎士(マジックナイト)レイアース」があるが、この作品のポリシーは「この世に絶対的正義、絶対的悪など無い」というものであるらしい。確かに、この作品では、正義と悪の判断の難しさがあった。
中国の古典「荘子」となると、善悪など、そもそも存在しないこととなる。
中島敦氏の「名人伝」では、悟りを得たと思われる弓の名人は「我と彼の違いも、善と悪の違いも分らない」と言う。
麻宮騎亜氏の漫画「コレクター・ユイ」の、コレクターとは訂正者という意味であるが、これはコンピュータ内のヴァーチャル(仮想)世界における訂正者であり、訂正するのは、コンピュータソフトウェアのバグ(間違い)やコンピュータウイルスであった。しかし、ソフトウェアに人格を持たせることで、人間的な善悪の理を意外にも客観的に見せた面白い作品であった。しかし、そこまでやっても、やはり善悪の区別が付きにくいこともある。

インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは「苦痛をもたらすものが悪、それを消すものが善」と言った。ただ、快楽は苦痛が姿を変えたもの、あるいは、快楽の代償が苦痛であり、快楽が善ではないと言った。
言葉で認識できる善悪のギリギリのところがこれではないかと思う。

さて、月光仮面のモチーフ「憎むな、殺すな、赦(ゆる)せ」あるいは「憎むな 殺すな 訊問(ただ)せよ!!」であるが、いずれも、先頭から2つに悪の否定を、最後の3つ目に善の肯定を置いたものである。「憎む」「殺す」は、行為者、対象者共に苦痛しかもたらさない。殺される側が苦痛かもしれないが、殺す側も苦痛しかない。
では、「赦す」「訊問す」はどうだろう?「赦す」は苦痛を消す。しかし、「訊問す」は残念ながら苦痛をもたらすのだ。

私なら、3つ目は「理解しろ」もしくは「話し合え」としたい。
何でもかでも赦すわけにはいかないが、かといって、最初からあっちが悪いと決め付け「ただしてやる」などという態度で向かえば、相手も態度を硬化させるだけである。
まずは話し合え。そして、相手を理解することだ。「ただしてやる」なんて言ってるうちは相手を理解していないものである。

尚、「月光仮面」よりやや後となる、平井和正氏、桑田次郎(現、桑田二郎)氏の「8マン」のモチーフは「自己犠牲」であると平井氏が明かしたことがある。昔、三島由紀夫氏が、石原慎太郎氏に「男にとって一番大切だと思うことを同時に書こう」と言って、2人は紙とペンを取った。二人とも「自己犠牲」と書いたようだ。石原氏がまだ純粋だった頃のことであろう。
実際、8マンは自己犠牲のヒーローだった。1人の子供のために国1つを敵に回せる存在、それが8マンである。それは21世紀の8マン「8マンインフィニティ」にも受け継がれている。

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