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2008.04.30

姿を変えない理由

ナイフマニアとして、多少は一般的にもお役に立てそうなこともたまには書いてみよう(笑)。

特殊な条件があったり、最高級品を所望するわけではないが、長く使える立派なナイフが欲しいという場合、何を選ぶかについて話したい。まずは、皮や木のシース(鞘)に収まるシースナイフか、折りたたみ式のフォールディングナイフかであるが、どちらでも良いならフォールディングナイフが圧倒的に便利である。そして、フォールディングナイフの中では、米国BUCK社のフォールディングハンター110 BK-5をまずお薦めする。
110bk
ハンドル12.4センチ、刃長9.5センチで、フォールディングナイフではかなり大きい方である。小型のポケットナイフではないので、そこらへんは注意して欲しい。
ずっしりと重く、頼もしい感じであるが、これも軽いナイフが欲しい方は対象外だ。用途としては、キャンプなどのアウトドアに良い。趣味によっては、眺めるだけでも良いのだが(笑)。
BUCK社は、アメリカの大きなナイフメーカーで、アメリカ精神溢れる野外用ナイフを主に生産しているように思う。
このナイフも、自然の中で頼りになる道具であり、たくましい大人の男のナイフといった雰囲気があると私は思う。
この大きさ、重量感、そして、ロック解除ボタンや刃の動きの重さなどからみて、男性用であり、ワイルドな用途が想定されていると思う。
先端の鋭い形状の刃はなかなか美しいし、ハンドルは濃い色の天然木で、暖かいというよりはやはり威圧感や重さを感じる。このやや弓形にカーブしたハンドルはやや細身で非常に握りやすい。このナイフとほとんど同じだが、ハンドルに指の形状を加工したモデルもある。こちらは110FG BK-3と言う。FGがフィンガーを指すものと思う。私は普通の110で十分だと思う。

アメリカでは、非常に標準的なナイフであるのだと思う。1963年に発売され、40年以上形を変えていない。長く形を変えていないナイフでは、日本では1890年から基本的に同じ形状の肥後守があるし、フランスのオピネルも面白いことに1890年から始まり、スイスのビクトリノックス社のソルジャーナイフがスイス陸軍に納入を開始されたのが、なんと1891年であり、現在も基本的に形を変えていない。
(私は、肥後守もオピネルもビクトリノックスも全て愛用し、使い分けている)
なぜこのように、近代においてナイフの形が変わらないかであるが、おそらく、19世紀までにナイフの形状が完成したのではないかと思う。ナイフは、人類にとって石器時代からの重要な道具であり、長い時代の間に使い込まれ、改良を重ねられたのであり、特にかつてほどナイフを使わなくなった近代となっては、もはや改良する部分は多くないのだと思う。

フォールディングハンター110 BK-5は、定価で1万円ほどと思うが、通販などでも大きな割引で売られている。ナイフの品質を考えれば実にお買い得である。
刃材は420HC鋼とある。これはステンレス鋼で、当然、錆びには強い。現在、西洋ナイフの大半は刃材にステンレス鋼を採用している。錆びる炭素鋼の方がよく切れるらしいが、現在のステンレス鋼は進歩しており、よほどの使い方をしない限り問題はないと思う。
ナイフに使われるステンレス鋼材で優秀なのはATS-34で、非常によく使われる440Cはこれに少し劣るとされる。420は440にさらに劣るが、BUCK社では、420を独特の熱処理で高性能化し、420HCと名付けている。
私には、このあたりはよく分らないが、BUCK社の420HCの他のナイフも持っているが、切れ味など、特に問題ないと思う。
同じ110BK-5を20年以上使っているという人もいるが、耐久性のあるナイフだと思われる。
私も数多くナイフを持っているが、フォールディングナイフを何か1本というなら、これをお薦めする。

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2008.04.29

女の子の最も可愛い仕草

本当にそんなことをやる人がいるのかどうかは知らないが、女の子の仕草の中で、反則的に可愛いものといえば、男の服の腕の後ろの部分(半袖なら袖口になる)を指でつまむことだと思う。
ちょっとラクガキしてみる(笑)。ちなみに私は絵は苦手だ。
一応、クリックで大きな絵が出る(笑)。
20080429

ただ、残念なことに、これをやる女の子には、どうしても資格というものがある^^;
1つは、ある程度は可愛いこと。そして、純情可憐であること。年齢的にも、せいぜいが17歳が限度と思う。
この仕草は、愛情表現であり、事実上の愛の告白である。しかし、口で告れない女の子が、恥ずかしそうにうつむきながら、袖口をつまむのである。男にとって、好きな純情な女の子にされて、これほど嬉しいことはないだろう。逆に言えば、悲しいことではあるが、可愛いと思っていない女の子にされて、これほど気持ち悪いこともないであろう^^;

ただ、それが愛情表現で事実上の告白とは言っても、あまりストレートに受け取るべきでもない。
こうされたからって、いきなりハグしてチューするような男は最低であろう(笑)。
と言うのは、女性の方、これは少女と言い切って差し支えないが、彼女にとって、その男性への好意が無意識である場合も多いし、少なくとも、少女の方が、愛をささやくには非常に未熟であることは間違いがないからだ。
本格的な愛情であると言えるのは、袖ではなく、腕にすがりつくようになってからである。
つまり、やはり袖をつまむという行為は、やや幼い女の子に似合うものである。

「恐いんなら、いっそ腕にすがり付いてくれ。その方が気分が出る」
「バカ」
~アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」6話(正式には14話)。閉鎖空間の中で、キョンの制服の腕のところをハルヒが指でつまんで歩いている時の会話より~

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2008.04.28

天使と逢った記憶とは

最近、天使と話すのが趣味になった(笑)。
その内、皆様にも興味深い部分をご紹介しよう。

天使に会える人間は限られているのか?
「そんなことはありません。ある人にはお逢いして、他の人とは逢わないということはありません。特に、人生の初めの頃はよく逢います」
ごく幼い頃?
「そうですね。でも、それだけではありません。17歳くらいまでは、2年に一度くらいは近付いてみますよ」
みんな、そんな記憶は無いと言うと思うが・・・。
「忘れてしまうのです」
あんたみたいなすごい美少女を、そう簡単に忘れるはずがないと思うけどね。
「ちょっといじわるな現れ方はします」
どんな?
「遅刻しそうになって学校に急いでいる時とか、家にいいことが待っていて、急いで帰る時とかに、ちょっと姿を現してみます。大学受験に行く時なんかもあります」
そりゃ確かに意地悪だ。
「でも、本当に深刻な時は避けていますけどね」
で、そんな時、あんたを見た人はどんな様子なんだ?
「一瞬、注意を払ってくれます。でも、結局は自分の目的を優先します」
学校に遅刻してでも、立ち止まる人はいないのか?
「いくらかいます。そして、お話します」
そんな人は、あんたのことを覚えている?
「そうですね。でも、変わった女の子に逢った・・・くらいの記憶にしかなりません」
どうやっても、憶えておいてもらえないんだな。
「そうですね。でも、割合に幼い頃は、十分に私の相手をしてもらえそうな状況でお逢いします。でも、時が経つにつれて、記憶が改ざんされていきます」
どんな風に?
「学校で、1人で掃除をしていた8歳の男の子がいました。そこで私が手伝ってあげたのです。でも、彼は、私をクラスの女の子だと思っている。でも、後でアルバム写真を見ても、どれが私か分からないし、名前も分からない。また、その時以外の私の記憶もない」
それでも、クラスの女の子だと思い続けるのかい?
「そんなものです」

ここまで言えば、「ああ、あの時のあの子は天使だったんじゃないか?」といったことを思い出すのではと思う。
また、私以外にも同じような人がいるはずだが、数年おきに同じ天使に会っている。その時は、人間の美少女だと思っていたが、外見がいつも12歳くらいだった。いつも、不意に現れていたようだ。小学5年生で逢った時と、高校3年生で逢った時で、まるで同じ姿をしていたが、少し不思議に思っただけだった。
ではなぜ、彼女たちは我々の前に姿を見せるのか?それは各自で考えてもらいたい。

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2008.04.27

天使と幽霊との対話

久し振りに天使を見た。
天使を見る時は、いつも空気が普段よりはるかに澄み切った感じがして、全てが鮮やかに見える。彼女の髪の1本1本や、瞳の中の煌きや、服のひだの1つ1つまで。
この機会に、前から聞きたかったことを聞いてみる。
「できれば、あんたのようなのをもっと見たい。どうすればもっと天使が見れるんだ?」
天使は微笑んで、
「天使が見えるのは天使だけ」
と言う。
いや、俺は自分が天使だとはちっとも思えないのだが・・・
すると彼女は、ぱあっと明るい顔をして、
「それ、あたしと同じ!」
と言う。まるで女子高生のような雰囲気だ。
だが、天使に逢う時間なんてほとんど主観時間で、1/1000秒程度のものらしい。その時間を覚えていられる能力の持ち主が天使を見るわけである。なるほど、1/1000秒の天使ね。

もっと久し振りに幽霊に会った。
「幽霊はどうやったら見ずに済むんだい?」
と尋ねると、幽霊は陽気に、
「幽霊が見えるのは幽霊だけ」
と言う。
それも1/1000秒の幽霊かい?
幽霊は静かに言った。
「名を持たぬのが幽霊」
私は、彼女に名前を付けた。彼女は幽霊でなくなった。

だが、私は時々、人が見えなくなるのだ。
それは、私が人でなくなるからだ。
そして、ほとんどの人は自分が見えない。
自分でなくなっているからだ。

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2008.04.26

夢と惑いがあざなえる世界で

大正・昭和の小説家・推理作家である江戸川乱歩は、サインを求められると、色紙に「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと」と書いたそうである。これは、「現実と思っているものが夢で、夜見る夢こそ本当の世界なのだ」という意味と思う。
だが、私は、江戸川乱歩が心からそう思っていたか疑わしい。そうであればいいのにという願望か、あるいは、それが真実であれば、早くそれを悟りたいという思いが、彼にそう書かせ続けたのではあるまいか?

夜、夢を見ている時、それが夢であることに気付き、「見破ったぞ」と思うことがある。
しかし、それは現実と思っている世界でもありうることなのだ。
夜の夢と現実で違いなどない。夢は短く、目覚めは長い。それだけの違いである。言ってみれば、両方共夢である。
現実と思っているものが、実は夢であるという手がかりは、時々ふっと現れることがある。感性を鋭くしていれば、より多くそれを発見できる。しかし、権威や制度に従っていれば、いつまでもそれに気付かない。そして、夢が死に至ったところでやっと気付くのである。ゲームオーバーというやつである。
この世が夢であることを見抜けば、何にも動じなくなる。そうなれば人生はショーのようなものだ。それがゲームだと思えば、そのゲームに上達し、その気になれば世界を動かすようにもなるだろう。


「まもちゃん!ちびうさが目を覚まさないの」
幼いちびうさを腕に抱えた月野うさぎが、恋人の地場衛に言った。
衛はちびうさを受け取ると、ベッドに寝かせ、
「こうして寝かせておこう」
と言う。
「目を覚ますかしら?」
心配するうさぎに、衛は、
「いいじゃないか、目覚めなくて」
と言う。さらに、
「ちびうさは幸せな夢を見ているんだ」
衛は明るく言う。
驚くうさぎ。うさぎが衛に、
「まもちゃん、あたしとちびうさのどっちが大事?」
と尋ねると、衛は
「決まってるじゃないか?俺が大事なのはうさこ(うさぎのこと)だけだ」
と言って、うさぎを両腕で抱く。しかし、うさごはその腕をすり抜けると、ちびうさを抱き上げる。そして、「まもちゃん」と衛に呼びかけると、衛は微笑んでうさぎを見る。
そして、うさぎは言った。
「まもちゃんは、夢の中でもハンサムだね」
衛の驚愕の表情。そして、衛も衛の部屋も消え去った。
~劇場版「美少女戦士セーラームーンSuperS ブラックドリームホールの奇跡」より~

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2008.04.25

幻視

6歳くらいのことであると思うが、忘れられない思い出がある。
特に仲良しでもなかったのだが、近所の顔見知りの男の子が、スタンドを立てた大人用自転車のサドルにまたがっていた。しかし、彼はじっとしていなかったためと思うが、自転車ごと倒れてしまい、後頭部から地面に落ちた。ところが、丁度その後頭部のところに、半分土に埋まった大きな石があった。
彼は地面に仰向けで倒れたまま泣いていたが、短く刈った髪の隙間から真っ赤な血が流れるのが見えた。実に鮮やかな場面で、私は鮮烈に憶えている。
ところが、回りの大人は、「あらあら」と言うだけで、誰も慌てないし、助けようともしなかった。私は、これほど血が流れても大したことはないのだろうかと思った。
3年くらい後と思う。その男の子に会った時、その時のことを彼に聞いてみた。凄く血が出て大変だったよねと私が言うと、彼はちょっと怒ったような顔をして、そんなこと知らないと言う。私はきょとんとなった。
あの時の場所もよく憶えている。あの鮮やかな流血の様子は夢のはずがない。
あれほどの大怪我であれば、憶えていないはずがない。しかし、彼は知らないと言う。

今思うに、あの時の彼の流血は、私が作り出した幻かもしれない。
私は、幼い時、家の畳を食い破って出てきた、ムーミンに出てくる不思議な生物であるニョロニョロとよく似たお化け(?)をはっきりと見た記憶がある。
子供とは、そのようなものを見るものである。
いや、状況によっては大人だって見ることもある。
これが幻視と呼ばれるものであろう。

「フィオレ、君は本当にいたんだな。子供の時に見た幻じゃなく」
「幻か・・・。僕にはほんの昨日の出来事のようだ」
~劇場版「美少女戦士セーラームーンR」より~

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2008.04.24

答の無い問い

質問に質問で返すのは、頭の良い人向けの、タチの悪い会話術である。
だが、中には良いものもある。例えば、
「なぜ結婚しないのですか?」
という質問に対し、
「なぜ結婚するのですか?」
と問い返せば良い。。
この質問に答なんてない。
いい年になれば結婚しなければいけない、結婚しなければ一人前でない、結婚しなければ人生の半分が分からない・・・全部嘘だ。
なぜ結婚するのかというと、結婚することが良いことであるという共同幻想を持っているからに過ぎない。

オリンピックはやめれば良い。
なぜか?それには、
「なぜオリンピックをやらないといけないのか?」
と問い返せば良い。すると、まっとうな答なんてないことが分かる。
美しく聞こえる答は全部幻想である。

お仕着せの返答しかできないものは全て幻想である。
常識をひっくり返して自分に問うてみれば良い。
高度な質問はこうだ。
「あいつががいるから困る」
「あいつがいたら本当に困るのか?」
別に困らない。
さらに高度なのはこうだ。
「私はモデルで、23歳で、女で人間だ」
「私は誰か?」
問い続ければ、誰でもないことが分かる。

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2008.04.23

異世界への扉

春というのは、そこここに異世界への扉が開かれているはずの頃だ。
異世界とはどのようなものかというと、例えば、H.G.ウェルズの「堀についたドア」という短編小説に実に美しく描かれている。この物語の主人公は、少年の頃、一度だけ、その世界に入った。その後、何度かチャンスはあったが、ついに二度とそこを訪れることはなかった。
ウェルズがなぜ、こんな突拍子もないことを小説にしたかということであるが、いろいろな国に伝わる似たような伝説を読んだか、あるいは、自分でその世界をちらと垣間見たか。
その異世界。仮に次元界とでも呼ぶことにする。この世と重なるように存在するが、普段は見えない世界。いきなりその世界を見ると、幽玄の世界としか言いようがない。川が流れていたり、花が咲き乱れている場所が多いし、妖精や天女もいるし、そこに入れば仲良く彼女達と遊ぶこともできるであろう。
そのような次元界に入る方法も、いろいろに伝えられている。例えば、子供の頃に住んでいた処の風景を思い描き、その中に入っていくようにすれば、知らないうちに次元界に入っていることもある。
あるいは、想像の力を使って絵の中に入っていくという方法もある。
うとうとしながら、美しい天女と戯れる想像をしていると、一瞬、その世界にいることもある。人はそれを夢と言うし、確かに、それが夢というものだろう。
愉快な仙人と酒を酌み交わすのも楽しいものであり、そのような想像をしていると、次元界の波長とすっと同調することもある。
次元界との接触は、心を豊かにし、精神や身体を癒し、活力を与えてくれることだろう。
我々人間にとっても、その世界は非常に大切なものである。

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2008.04.22

健全な肉体に幼稚な精神は宿る

この時期、オリンピック出場選手が決まり、テレビでそのインタビューの様子が放送される。
いつも思うことであるが、年齢の割には子供っぽい人が多い。二十歳もとおに過ぎているが、とてもではないが大人に見えない、子供でしかないような選手も少なくはない。
企業の所属であっても、仕事は全くしていないとか、大学院生とかいう場合は、ほぼそうであるように思う。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉がある。
これは、古代ローマの詩人ユウェナリスの言葉とされるが、実際はユウェナリスは、身体ばかりが立派で、精神の幼いオリンピック選手を見て、思わず、「我々は、健全な精神が健全な肉体に宿るよう祈るべきである」と言ったのであるらしい。まことによく分かる。

これとは別の意味で、浅田真央さんのインタビューは見たくない。ものすごく言葉に気を使っているのが分かる。うっかりおかしなことを言わないよう、大変に注意しているのだろう。よって、いつも同じ答。本来の意図とは異なることを言っていると思う場合もある。
あんなの見て楽しいだろうか?

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2008.04.21

魔法の呪文を知りたいかな?

インドに、サイババというアフロヘアのおじいさんがいる。
史上最高の聖者、神の化身という者もいれば、インチキ詐欺師と断言する者もいる。
まあ、別にどっちでも良い。
以前、テレビで見たが、サイババの回りに外国人を含めた大勢の人が集まっていた。その中の西洋人の若い男性が、サイババにかざした手を、自分の髪になすりつけていた、別にハゲの治療のつもりではない。フサフサしていた(笑)。サイババの神秘パワーを自分に取り入れて得をしようと言うわけと思う。たとえサイババが本当に神の化身であるとしても、この男に良いことが起こることはない。この我欲に凝り固まった姿から、それは容易に想像できる。
もし仮に、天使が現れて、「美と健康と若さと幸福の光」を振りまいてきても私は受けるつもりはない。他の人に全部やる。それでもし、私からこの美しさと(笑)、健康と力と幸福が失われたり、全く恵まれなくなったとしたらそれは偽者である。
これを唱えたら、お金も恋人も思いのままなんていう呪文があったら、私は決して唱えない。これは当然のことなのだよ。

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2008.04.20

情けは人のためならず

「情けは人のためならず」という諺ほど、人によって異なる解釈を持たれているものはないと思う。
この諺には、2通りの異なった意味が知られている。
1つは、「情けをかけることは、かけた相手のためにならない」という意味だ。例えば、宿題をやってない子に、自分の宿題を丸写しさせてやっても、その子のためにならないという意味だ。
もう1つは、「人に情けをかけるのは、かけてやる人のためでなく、自分のためである」という意味で、かけた情けは、回りまわって自分に返ってくるという意味だ。
実は、私は、この諺の正しい意味は最初の方のものだと思っていた。
しかし、正解は後の方の意味であるらしい。

このように、私は、この諺を、「情けは、かけた相手のためにならない」という意味と思っていたが、政木和三さんに本来の意味を教わっていた。
政木さんは、大阪大学で、自分が所属する学科以外(工学部全学科と医学部)の研究も大いに手伝い、そのおかげで幅広い知識や経験が出来、後に数多くの発明ができたことを持って、「情けは自分のためである」と悟ったということだ。

尚、谷川流さんの人気小説シリーズである「涼宮ハルヒ」シリーズの1つ、「涼宮ハルヒの陰謀」で、この諺の本来の意味を書いている。
そして、今は私も、この諺の本来の意味が正しいことを実感している。
人にかける情けとは陰徳のようなものである。人が運を向上させる唯一の方法は陰徳を積むことだ。神に祈ろうが、神霊にすがろうが、潜在意識を活用しようが、宇宙に感謝しようが幸運は訪れない。ただ陰徳のみにその力がある。
逆に言えば、陰徳を積めば嫌でも幸運に恵まれる。
利己的でも良いから陰徳を積めば良い。陰徳であるから、虚栄心をくすぐられることもない。
その上で力を得たければ、自己に厳しい制約、すわなち、掟を定めると良い。
世の中なんて、簡単で難しいものである。

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2008.04.19

ボウイナイフ

ボウイナイフ、あるいは、ボーイナイフと聞いて何を連想するだろうか?
普通は、子供用ナイフとか、ボーイスカウト用ナイフといったところではないかと思う。私もそうであった。
だが、実際は、ボーイスカウトとは何ら関わりがないばかりか、そんなところでは全く必要としない類のナイフである。

以下、「ボウイナイフ」で統一する。
ボウイナイフは、ジェームズ(ジム)・ボウイが愛用していたナイフである。
ジム・ボウイは、1783年のパリ条約で英国がアメリカ合衆国の独立を承認した十数年後の1796年にケンタッキー州で生まれている。
ジム・ボウイは、テキサス革命の英雄であり、「アラモ砦」でメキシコ軍により殺されたことで有名であり、ジョン・ウェイン主演の映画「アラモ」でもNo.2キャストとして登場している。
ジムは、兄のレズィンにもらった大型ナイフを狩猟や決闘に使ったが、ジムの決闘の戦果は凄かったので、テキサスの男は彼に憧れて、彼と同じナイフを持つようになった。この大型ナイフこそがボウイナイフと呼ばれるようになったものだ。
有名なミュージシャンのデヴィッド・ボウイの名もボウイナイフから採ったと言われている。

本来、ボウイナイフは、刃渡りが少なくとも20センチ以上の大型ナイフで、後のサバイバルナイフの基になったと思われる。
突き刺すのに有利な形状で、正にハンティングや決闘で殺傷能力を発揮する。通常作業ではあまり必要がない形であるかもしれないが、現在でもジム・ボウイに憧れる男は多いのと、形状の美しさのため、有名なナイフメーカーは、ボウイナイフを製作しているし、ずばりボウイナイフではなくても、その形状を取り入れたナイフは多い。
そもそも、米国あたりでは、ナイフを護身用と考えることもあるのかもしれないが、それで言うなら適正なナイフかもしれない。ただし、ナイフをただ持っているだけでは護身の役に立つことはなく、知識や訓練が必要である。

Albowie
これは、私が愛用する、アルマーデザインの「ワイルドウエスト・ボウイ」だ。
アルマーは特殊部隊に所属した経験のあるナイフデザイナーらしいが、確かに彼のデザインするナイフは、美しいがファイティング向きと思えるものが多い。日本でいえば、やはりナイフのデザインも行う軍事評論家の柘植久慶氏のような感じであろうか。私も、柘植久慶氏のナイフは持っている。
ワイルドウエスト・ボウイは刃渡り131ミリで、ボウイナイフと言うには小さ過ぎる。しかし、この細身に作られたパッカーウッドのハンドルは作業用ではなく、ファイティング用だ。販売会社の説明では、FBIに所属するアルマーの友人の依頼でアルマーが製作したものであるらしい。ファイティングの趣味はなくても美しく雰囲気のあるナイフとして気に入っている。

日本では、ある時、学校で全面的にナイフの所持が禁じられ、ナイフのイメージが非常に悪い。その結果どうなったかと言うと、ナイフによる犯罪が大きく増えることとなる。
3日前、アメリカでは禁酒法で闇バーが増え、日本では淫行条例で援助交際が増えたと書いたが、それと同じ理屈である。アメリカは禁酒法で学んだが、日本は相変わらず馬鹿が制度を作る国である。
男の子がナイフが嫌いなはずがない(例外は当然あるが)。良いナイフを与えて、正しい使い方を教えれば、悪しき用途に使うこともない。
私はナイフ販売会社の手先か?それも一応疑っておいても良いだろう(笑)。

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2008.04.18

夢のような出来事

本日は、かなり砕けた話をしよう(いつもだって・・・)。
仮に私が男とする(笑)。
同じ部署にA子という可愛い女の子がいた。
何かの時に、私が、別の部署のB子は可愛いなあと言った。
すると、A子はいろいろ気を使ってくれ、ある時、「B子がよろしくって言ってたわよ」と言う。
私はあまり信用しないでいたが、ある時、A子が「もうB子にアプローチしたの?」と言う。
「いや・・・」と答えると、A子は「じれったいわね。絶対うまくいくって!」と請け負う。
まあ、B子は本当に可愛くて神秘的なコであるので悪くはないのだが、こうまでやられると「はいそうですか」とはなかなかいかない(笑)。
たまたま、元プレイボーイであったIT企業の社長に、なんとはなしにそんな話をすると、社長殿は、
「お前は馬鹿だな。A子は『私のとこに来て』と言ってるのだよ」
と言う。
実をいうと、A子はB子に全く引けを取らない。よってそれも悪くないのだが、これではあちこちに作為ありありのような気がする。
ある寒い日、エレベーターを出るとB子がいた。あの神秘的な瞳を煌かせて私に一瞥をくれたが、少し視線を外して動かない。
この世の全てを夢とみなした時、我々はやるべきことをやり終えたのだ。
2人のことは、夢のような思い出である。

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2008.04.17

損したいのに

テレビでもネットでも、やたらと「得をしよう」「損してないですか?」「楽して儲けよう」なんて言葉を見る。
つまらん得なんかしたくないんですよ。損したっていい。いや、損したいんですよ。
楽して儲けたくなんかないんですよ。私のサービスや販売で、相手が本当に喜んでくれてるかどうかだけが気になるんですよ。相手が喜んでないのに儲けたら、どの道無事では済みませんしね。
朝のテレビの占いコーナーで、どうせ間違いなくデタラメですが、「ラッキーアイテムは何」なんて言ってますが、なぜアンラッキーアイテムを紹介しないのか理解できませんね。損するのも、なかなか難しいのですよ(笑)。
いえ、このような心構えでいると、神様はなかなか損をさせてくれないんですね。あんたは力が付いてきたので、もっと派手に損しなさいというわけです。3万円貸して返してもらえない程度ではダメなんです。次は10万円貸しなさいって。そんなこと言ったって、「返さなくっていいよ」って気持ちで10万円貸したら、百万入ってきそうで恐いですね(笑)。ただ、10万円なくなっても平気な人でないと真似してはいけません。分相応な額を貸すように。でも、返さずに済んだ相手のことを考えると気の毒ですがね。

20080417
気紛れに勤労少女のラクガキをしてみる(笑)。クリックすると大きな絵がポップアップで出るらしいです。

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2008.04.16

児童ポルノを本気で規制すると何が起こるか?

児童ポルノに関する罰則を強化する動きが以前から出ている。
なんでも、「所持」しているだけでも罰則を与えるべしという意見も多くあるらしい。
はっきり言って、取組み方が間違ってやしないか?

淫行条例が出来たおかげで、援助交際がどっと増えた。
当たり前である。禁断の果実ほど美味いものはない。セーラー服という、別に何という程のこともないものがこんなに人気があるのは、これに健全で清純なイメージを与えようとする、その実、自分が一番スケベな教育家や道徳家がいるためである。
昔、アメリカで禁酒法と言って、酒類の製造、販売が禁止されたが、当然のことながら非合法のバーが増え、また、闇酒の流通が盛んになり、ギャングに資金源を提供した。
昔の日本で、国家が性風俗を取り締まり、特に夜這いの風習を弾圧したせいで、営業としての風俗が爆発的に増えたのである。
ある時期から、児童の裸体映像の出版等が禁止されたのだと思うが、おかげではるかに猥褻な児童映像が凄まじい勢いで製作・販売され、絵で表現するゲームではもう歯止めの効かない児童ポルノの世界となっていると思える。
法に関わる人間は、なぜかくもオツムが悪いのであろうか?とにかく何も学ばないものであるらしい。

解決法に関しては分りきっているし、私も何度も書いてもう飽きてしまった(笑)。
ただ、不自然に禁止した欲求は歪んだ形ではびこるという常識くらいは理解して欲しい。
あなただって、心からやりたいことを無理に禁止されると、ますますやってやろうという意欲を持つか、それが叶わぬ場合は心が歪み、歪むだけならまだ良いが、破滅的な行動に駆られる可能性が高い。
人間の心理から言っても、抑圧・・・つまり、願望や欲求を無理に押さえつけると、それは歪んだ形で噴出し、それをすなわち精神疾患と言うのである。これは、フロイト理論の基礎的でまっとうな部分である(フロイトにはまっとうでない部分もあるが、この程度は疑いようもない)。

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2008.04.15

極限的忍耐

生命、あるいは、社会的信用に関わるほどでは問題であるが、いじめや嫌がらせの被害を受けているとしても、ジャッキー・ロビンソンのことを思えば何でもないと思える。
ジャッキー・ロビンソンは黒人初のメジャーリーグベースボールプレイヤーであり、彼の背番号42は全球団の永久欠番に指定されている。
(現在、ニューヨーク・ヤンキースのマリアノ・リベラのみが背番号42を付ける。1997年に背番号42が全球団永久欠番となった際も、その時点で背番号42を付けている選手までには強制されなかったからである)
ロビンソンが、ドジャースに入団した時、ドジャースファンですらロビンソンにブーイングし、生卵を投げつけた。チームメイトも、ロビンソンと同じテーブルで食事をせず、シャワーを一緒に使うことも出来なかった。
だが、ロビンソンには絶対に守らねばならないことがあった。いかなる嫌がらせや理不尽な仕打ちを受けても、いつも紳士でいることであった。

ゲーテは、忍耐を必要とする時には、地球のことを思うと言ったらしい。黙々と永劫の時を回る地球を思えば、大抵のことは些細なことに違いないと言う訳だ。
私なら、谷川流さんの小説「涼宮ハルヒの暴走」の「エンドレスエイト」で、8月17日から31日までを意識を保ったまま15498回繰り返した長門有希のことを思う(笑)。

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2008.04.14

どんな顔をしていいか分らない出来事

本日は名文・・・のはずだ(笑)。

「どんな顔をしたらいいのか分らない」といった経験がおありか?
これは、自分の理解の範囲外のことが不意に起こったり、自分の感情を自分で理解できない時にそうなるものと思う。

有名なスポ根漫画「エースを狙え」で、ヒロインの岡ひろみが、テニス部の新入部員の女子で「お蝶夫人2世」と言われる超美少女に「好きです」と告白された時、こわばった顔で彼女をただ見つめた時がこれであった。
岡ひろみは、どんな顔をしたら良いか以前に、今、自分がどんな気持ちなのかが分らないのである。

高橋留美子さんの「めぞん一刻」という漫画で、テニススクールのコーチでプレイボーイの2枚目である三鷹瞬が中学生の時の奇妙な写真があった。テニスウェアで優勝カップのようなものを持っているが、笑い顔と泣き顔が合わさった妙な顔をしている。
実は、持っているのは準優勝のカップで、決勝で負けたことが悔しかったが、写真撮影が始まったので笑ったものであるらしい。
三鷹の花嫁になる予定の清楚なお嬢様は、自分を見る三鷹の顔が、これと同じだという。
三鷹は、彼女が嫌いではない。むしろ、だんだん好きになってきている。しかし、彼が一番好きなのは響子だ。
彼女は言う。「2番目って、嬉しくないのですね」
図星を突かれた三鷹は動揺したが、三鷹はこれで吹っ切れた。今度こそ、本当にこの優しい、まだ少女のように純粋な彼女を選んだのだ。

「新世紀エヴァンゲリオン」で、この手の有名なネタがある。
生存が全く不明と思えた綾波レイが無事であると分った時、碇シンジは思わず泣き出す。
レイはクールな顔で、「どうして泣いているの?」と尋ねる。シンジは「知らないよ」と答え、泣き続ける。
レイは困った顔で言う。「ごめんなさい。こんな時、どんな顔をしたらいいか分らないの」
シンジは「笑えばいいと思うよ」と言い、レイは少し間を置いたが微笑んで見せる。
その笑顔が自然であったのは、レイも気付かない自分の本当の感情は「嬉しい」であったからだ。

どんな顔をしたらいいか分らない出来事は、人を成長させるのである。
それは、本人にとってサプライズであるからだ。
予想もしなかった出来事。それは精神をかき乱すのであるが、必死に対応すれば精神を強く大きくする。

「スピネル、この世で一番楽しいことは何か知ってるかね?」
「何ですか?エリオル」
「予想しなかったことが起こることさ」
(CLAMP著「カードキャプターさくら」より)

「イエスよ、お前は我々の神ではない。サイコロが我々の神だ。予期せぬことでさえあれば、なんでも起こるのが最善だ」
「父よ、なぜ我を見捨てたもう」
(W.B.イェイツ著「カルヴァリー」より)

しかし、臆病者は予期せぬことを嫌う。予想できる人生を選ぶ。それでは、人間最大の喜びである成長の機会を逃す。

だが、悲劇もまた、人から表情を奪う。
小林麻美さんのヒットアルバム「クリプトグラフ」にあった「グランプリの夏」という曲だと思うが、「あまりに悲しみが大きいと何にも感じなくなってくるのね」という詩があったが、うまく表現している。このように、真理を突いた言葉は1回聞いたら憶えてしまうものだ。
こんな時は、時間はかかるかもしれないが、やはり立ち直らないといけない。聞くところによると、神は耐えられない試練は与えないものらしい。ギリギリの大きな試練は、最大の成長の代価でもあるのだ。
この歌、恋人であるレーサーの彼が、競技中に事故で死ぬものであったが、彼女は自分がレーサーになるというものであった。

慣れていない感情に襲われた時も、どんな顔をしていいのか分らない。

谷川流著「涼宮ハルヒの動揺」で(最近、これの引用が多い。それほど奥深い小説である)、キョン(高1男子)が、持っていたメモ用紙をくしゃくしゃに丸めて窓から投げ捨てた。
すると、なんと、その落下地点に涼宮ハルヒが偶然に通りかかり、そのメモを拾い上げてしまう。「見るな!」キョンの叫びも虚しく、ハルヒは丹念に読み上げる。そこには、まさにキョンの字で、長門有希への愛が切々と書かれていた。
部室に上がってきたハルヒは、キョンの必死の弁明に全く耳を貸さず、キョンにこの世の最大のリンチをまとめて加えずにはいられなかった。とりあえずの命令は3階の窓から飛び降りろであった。だが、ハルヒの顔は奇妙に笑っていた。著者は決して書かないが(ハルヒが恐いのだろう)、ハルヒはキョンが好きだ。世界を終わりにしようとした時には、この世でただ1人、キョンだけを新しい世界に連れてきたくらいであった。しかし、ハルヒにその自覚はない。いや、自分の意思の全てでそれを押さえ込んでいるようだ。しかし、正直な気持ちは心の中で容赦なく突き上げてくるのだろう。それをうまく扱えないハルヒは、どんな顔をしたらいいか分らず、半分笑っているおかしな形相になってしまったのだろう。ツンデレ乙女とは可愛いものである(笑)。

さあ、皆の衆!どんな顔をしていいか分らない体験をどんどんしようではないか?
学園の(あるいは会社の)マドンナに告白されたとか・・・ね。なるほどそれは、予想外で慣れていない出来事であろう(笑)。

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2008.04.13

もしもピアノが凄い腕前で弾けたなら

西田敏行さんが歌った「もしもピアノが弾けたなら」という歌がある。しかし、この歌、もしピアノが弾けたら何だと言うのだろう?

黒澤明さんも絶賛したという、大林宣彦監督の「さびしんぼう」という映画では、百合子という美少女が、放課後の音楽室でピアノの練習をしていた。彼女は、ピアニストを目指していたが、家庭が貧しく、自宅にピアノはなく、放課後2時間程度の練習では、とてもプロにはなれないことを悟る。やがて、ピアニストどころか、百合子は高校も辞めざるをえなくなり、ヒロキが訪ねてきても、恥ずかしくて自宅を見せられないと言う。
「私の反対側の顔は見ないで」という百合子の言葉が印象的であった。

ライス国務長官は実はピアニストを目指していたことがあり、実際、プロ級の腕前である。彼女の育った家庭は裕福だった。そして、彼女には素質もあり、努力も惜しまぬ性質ではあったが、彼女が大学で音楽を学ぶ16歳の時、本物の天才と言える11歳の少年に会って、自分は世界一級のピアニストにはなれないと悟る。

岡本太郎が、戦前にフランス留学し、肝心の絵画ではいろいろ紆余曲折もあったが、なんとかうまくやっていけたのは、彼がかなりのピアノの腕前を持っていたことが大きいと思う。プロ並という声も聞いたことがある。それなら、東洋人や日本人に偏見を持つ人が多いとしても、その見事な腕前のピアノを披露すれば、ヨーロッパでは一目置かれたに違いない。これも芸は身を助けるの好例であろう。

セールスや自己啓発の分野で著書の多い夏目史郎さんの本で読んだことがあるが、彼がいた百科事典のセールス組織には、外人のセールスマンがよくいた。その中の、若くてハンサムな西洋人の青年が、セールスの成績が上がらなかった。しかし、彼はセールスよりピアニストでやっていけそうなピアノの腕を持っていた。夏目さんは彼にアドバイスし、彼は上流家庭を訪問し、その家のピアノを弾かせてもらう。ハンサムな西洋人の青年が見事なピアノ演奏をするのであるから、その家の奥さんが、彼にオーダーを出すのは当然であった。

ピアノとは、かくも実用的であるもののようだ。
そこへいくと、絵の腕前はどうだろう?目の前で見事な似顔絵をさささーっと描いてみせても、ちょっと感心されるくらいのものだろうか?
いや、今は、ピアノや絵よりも、私のような見事なパソコンの腕前・・・と言うか、知識や技術を持っている方が得をしやすいかもしれない。
何か特技を持っておかれると良いかもしれないね。

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2008.04.12

単純なモチベーション

昔、アメリカにはポパイというヒーローがいて、ポパイはほうれん草を食べることでパワーアップして大活躍した。すると、ポパイのアニメを見た子供達が、普通は嫌いなことが多いはずのほうれん草を好んで食べるようになったらしい。
ここで考えるべきは、子供達は、ポパイが食べるから嫌々食べたのではないということだ。喜んで食べたのだと思う。
子供とはかくも単純である。もっとも、「灼眼のシャナ」という小説・アニメで、ヒロインのシャナがメロンパンが大好きなのを見て、朝食はメロンパンと決めている私も相当単純であるが、似たような方は多いと思う(笑)。
それなら、子供達に人気のあるヒーロー、ヒロイン達に、是非、子供達の嫌いなものを食していただいて、子供達の偏食を治そうと考えることもできるが、食べ物の好き嫌いというのは、単なる我がままではなく、体質に関係する場合もあるので注意しないといけない。例えば、ソバアレルギーや卵アレルギーの子供が、学校で教師に無理矢理これらを食べさせられ、危険な状態になったという事件も実際にある。
しかし、子供達が嫌いな食べ物の代表である、ピーマン、ニンジン、タマネギは、特に大量に食べない限り、体質的に合わない場合は少ないと思う。では、これらを是非、人気者達に・・・と思ったのだが、昔の「美少女戦士セーラームーン」では、セーラームーンこと月野うさぎの娘のちびうさはピーマンが嫌いであった。しかし、月野うさぎの恋人にして、ちびうさの父親である地場衛もまたピーマンが嫌いという、非常に子供達にとってためにならない設定があった(ただし、ちびうさも地場衛も、月野うさぎに強制されてピーマンを食べていた)。セーラームーンの仲間のセーラーヴィーナスこと愛野美奈子はしいたけがだめであるようだ。
「ふたりはプリキュア」のキュアブラックこと美墨なぎさはタマネギが嫌いであったが、がんばって食べる場面もあった。
ハム太郎がひまわりの種を食べるのを見て、自分も食べたいと思った子供は多いはずだ。アメリカ大リーグでは、選手たちがベンチでひまわりの種を食べることが多いらしいが、このように、人間の食べ物として存在し、普通のお店ではなかなか売っていないが入手することはできると思う。
ピカチュウあたりが、ピーマンやタマネギを美味しそうに食べるシーンを見せれば、子供達が喜んでこれらを食べるのにと思う。

食事ではないが、セーラームーンでは、中学生であったセーラー戦士達が集まって勉強する時は、セーラーマーズこと火野レイの自宅である神社に集うのが恒例であったが、そこでは正座して勉強していた。現在のアニメでも、可愛い女の子達が正座しているところは結構よく見る。養老孟司さんによると、正座というのは実に健康に良く、昔の日本人は、特に運動しなくても、正座をすることで身体、特に腹筋が鍛えられていたらしい。

私が思うのは、アニメで可愛いヒロインやイケてるヒーローが熱心に読書するようにしていただきたいと思う。きっと子供達を中心に、喜んで読書する人が増えるであろう。
私は「涼宮ハルヒの憂鬱」の長門有希が黙々と読書する姿を見て、さらに読書熱を上げているのであるが(笑)。

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2008.04.11

ジャン・ヴァルジャンに見る人生の収支

人間、別に大きなことをする必要もないものだと思う。
世に出て、脚光を浴びる人間だけが立派なわけではない。
死後の世界なんてものがあるのかどうかは知らないが、ある本によると、生きているうちに行った善と悪の総計がプラスマイナスゼロであれば立派な人間として、あの世で評価されるものらしい。
なるほどと思ったが・・・。
人間は自分に甘い点をつけるのが、ほぼ絶対的な性質である。私は特にその傾向が強く、他人に厳しく、自分に優しくがモットーであるが(笑)、それでも、どう考えても善の方が全然足りない。
ここは一つ大物にでもなって、どかんと善を行わない限り間に合いそうにない。
そういえば、「レ・ミゼラブル」の主人公ジャン・ヴァルジャンは、パン1つ盗んだ罪をきっかけに19年を牢獄で過ごして46歳で出獄し、ミリエル司教の博愛に触れるまではほぼ悪の人間であったが、後に大物となり、あらゆる善を行ってなんとか悪の分を帳消しにしたように思う。
これだ!これしかない(笑)。
本日は(本日も?)妙な内容になってしまった。

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2008.04.10

月光仮面のモチーフ

6日に亡くなられた、作家、詩人の川内康範氏の小説作品である「月光仮面」が、今年で50周年であるらしい。昨年から復刻版も発売されている。
「月光仮面」のモチーフは、「憎むな、殺すな、赦(ゆる)せ」であったらしいが、復刻版では「憎むな 殺すな 訊問(ただ)せよ!!」と変わった。これは、現代の世情を鑑みた川内氏の想いがあるもののようだ。
「訊問(ただ)せよ」の文字には、説得して誤りを認めさせろという思いを感じる。しかし、それは難しい。正すには、善悪のモノサシ、基準が必要になる。

人気漫画家ユニットCLAMPの作品に「魔法騎士(マジックナイト)レイアース」があるが、この作品のポリシーは「この世に絶対的正義、絶対的悪など無い」というものであるらしい。確かに、この作品では、正義と悪の判断の難しさがあった。
中国の古典「荘子」となると、善悪など、そもそも存在しないこととなる。
中島敦氏の「名人伝」では、悟りを得たと思われる弓の名人は「我と彼の違いも、善と悪の違いも分らない」と言う。
麻宮騎亜氏の漫画「コレクター・ユイ」の、コレクターとは訂正者という意味であるが、これはコンピュータ内のヴァーチャル(仮想)世界における訂正者であり、訂正するのは、コンピュータソフトウェアのバグ(間違い)やコンピュータウイルスであった。しかし、ソフトウェアに人格を持たせることで、人間的な善悪の理を意外にも客観的に見せた面白い作品であった。しかし、そこまでやっても、やはり善悪の区別が付きにくいこともある。

インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは「苦痛をもたらすものが悪、それを消すものが善」と言った。ただ、快楽は苦痛が姿を変えたもの、あるいは、快楽の代償が苦痛であり、快楽が善ではないと言った。
言葉で認識できる善悪のギリギリのところがこれではないかと思う。

さて、月光仮面のモチーフ「憎むな、殺すな、赦(ゆる)せ」あるいは「憎むな 殺すな 訊問(ただ)せよ!!」であるが、いずれも、先頭から2つに悪の否定を、最後の3つ目に善の肯定を置いたものである。「憎む」「殺す」は、行為者、対象者共に苦痛しかもたらさない。殺される側が苦痛かもしれないが、殺す側も苦痛しかない。
では、「赦す」「訊問す」はどうだろう?「赦す」は苦痛を消す。しかし、「訊問す」は残念ながら苦痛をもたらすのだ。

私なら、3つ目は「理解しろ」もしくは「話し合え」としたい。
何でもかでも赦すわけにはいかないが、かといって、最初からあっちが悪いと決め付け「ただしてやる」などという態度で向かえば、相手も態度を硬化させるだけである。
まずは話し合え。そして、相手を理解することだ。「ただしてやる」なんて言ってるうちは相手を理解していないものである。

尚、「月光仮面」よりやや後となる、平井和正氏、桑田次郎(現、桑田二郎)氏の「8マン」のモチーフは「自己犠牲」であると平井氏が明かしたことがある。昔、三島由紀夫氏が、石原慎太郎氏に「男にとって一番大切だと思うことを同時に書こう」と言って、2人は紙とペンを取った。二人とも「自己犠牲」と書いたようだ。石原氏がまだ純粋だった頃のことであろう。
実際、8マンは自己犠牲のヒーローだった。1人の子供のために国1つを敵に回せる存在、それが8マンである。それは21世紀の8マン「8マンインフィニティ」にも受け継がれている。

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2008.04.09

信念を得るには

強い信念を持つ者は幸いだ。
誰かが、インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジに、「絶対の確信と疑うことのない信念があれば悟りを開けるか?」と尋ねたら、マハラジは、「そんな者にできないことはない」と言われたようだ。聖書にも、「信じる者は何でもできる」と書かれている。
歴史的な芸術家になれるという絶対の自信を持てばそれも叶うだろう。ただし、中学生か高校生くらいまでなら、そのような妙な確信を持っている者もいる。しかし、その後、壁にぶち当たり、だんだん自信を失くし、遂には夢を諦めることも多い。
ほぼ全ての人間は自信に欠けている。しかし、闇雲に「私は天才だ」とかいう暗示を自分にかけたり、心を鼓舞する素晴らしい言葉をどれだけ繰り返しても無駄である。むしろ、かえってさらに自信を失くす結果にもなりかねない。フランスのエミール・クーエは、本来心理学者であるのだが、そのような逆の結果にならないような自己暗示を発明したことで有名であるが、クーエの言うとおりにやって強い信念を得たという者も、実際にはいない。
信念を持つには、力とツキがいる。ツキを得るには陰徳を積むことだ。そして、力を得るには、放縦に振舞いたいという心を押さえ、自己に厳しい制約を課すことだ。そうすれば、冷静な自信を得、あらゆることが可能になるであろう。

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2008.04.08

天使に関心を持たれる人間の特徴とは

戯言であるが(笑)、私は子供の頃から天使を見ることができ、時によっては話を聞くこともある。
それによると、天使には、大変に好き・・・というか、興味を惹かれる人間というものがあり、そんな人を見つけると、いろいろな意味で差し支えない限り付きまとうものらしい。
仮にも天使が側についているのであるから、その人間は自ずと幸運になる場合が多い。
で、どんな人間に天使が興味を持つかというと、はっきりとは言いにくいのではあるが、得をすることにあまり関心が無いというか、損をすることをあまり嫌がらないという、ちょっと変わった人になるかもしれない。例えば、学校で、5人が掃除当番になったとして、そのうち4人が偶然にさぼることにした時、別に大した感慨もなく、一人で掃除をするような人である。何か貰うと、他の人にあげても差し支えない状況なら、本当に他の人にあげてしまうし、自分が貰う予定のものを横取りされても、まあ仕方ないと思って諦めてしまうような人である。
前にも書いたが、私が幼稚園の時、何かの行事の終わりに、園児達にお菓子入りの袋が配られたが、我先にそれを取りに行く子供達の中で、一人の女の子が最後まで取りにいかなかった。実は、先生の手違いか、1つだけ袋が足りなかったのだ。ただ、この時は、その袋をもらわなかった子が天使だったのだ。天使だってお菓子は好きだが、彼女は黙っていた。すると、別の女の子が、自分のお菓子の半分を彼女に渡した。後で確認したところ、天使にお菓子を半分あげた子は、特に自分が好きなお菓子を天使に与えたらしい。天使はよほど嬉しかったらしく、自分の姉(先輩天使といった意味と思う)を呼び、自分が人間の姿でいる間、彼女の世話をするよう頼んでいた。
天使が近くにいると、空気が輝くというよりは、透明度が増したような感じになり、服のひだや髪の1本1本が大変に鮮明に見えたりするのが特徴である。輪郭もくっきり見えることが多いと思う。
天使に関心を持たれる方法が理解できたであろうか?
まあ、戯言である(笑)。

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2008.04.07

学校教師の質を向上させるには

私は常々「不要なものを求めなければ必要なものは必ず得られる」と書いているが、これは真実である。
そして、不要なものが得られてしまった時は注意する必要がある。
例えば、せいぜいが200万円くらいの年収が相応しい者が500万円の年収を得た時は気を付けた方が良い。いい気でいるとロクな目に遭わない。
分不相応の素晴らしい恋人ができるということは、ままあることである。その場合は、よくよく相手を大切にし、後から陰徳を積むことを忘れると悲惨な目に遭うかもしれない。
たまたま美人に生まれたせいで、お金持ちと結婚した場合は、特に慎まないと大変なことになりかねない。
タナボタなんてものは、ないにこしたことはない。タナボタだらけの私が言うのだから間違いない(笑)。
ただ、タナを自分が作った場合のタナボタはまだ良い。良いタナを作れば幸運にも恵まれよう。良いタナとは陰徳である。神様は、タナ以上のボタモチをくれる場合が多いから、その場合は、くれぐれも謹んで受けるように。

公務員の中には、国が非常識どころか、狂気といえる高給を設定してしまっているものも多い。それをやった役人は責任を取るべきである。もらう方もロクなことはないのだ。
例えば、もはや問題を起すのが日常茶飯事の学校教師であるが、連中の起す問題は「誰にでも間違いはある」とか「つい」といった程度のものではない。その幼稚さ、レベルの低さは驚愕ものである。これも異常な収入を与えているゆえに起こる惨劇である。教師の質を上げるには、せめて学校教師の収入を年収で平均200万円カットすることだ。国も大変な財源となる。そして、それだけカットしても、まだ教師の収入はあまりに分不相応であることは間違いあるまい。

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2008.04.06

報恩

およそ人間の考えることで、恩に報いようとするものほど美しいものはない。これに比べたら、恋人を想う心などカスと言って差し支えない。
仏典にこんな話があった。竹やぶが火事になり、多くの動物が逃げ場を失った。1羽のおうむは、身体を池の水にひたすと、炎の上で羽ばたいて水をかけた。それを何度も繰り返す。それを見ていた神はおうむに「おまえの心はけなげであるが、その程度で何ができよう」と言った。しかし、おうむは、長い間住みかを与えてくれた竹やぶへの恩に報いるため、そして、動物達への慈悲の心で行っていることが成らぬはずがない。自分は次の生に及んでもやり通すと宣言した。心を動かされた神は、おうむと協力して火事を消した。
世界的建築家の安藤忠雄さんは、決してエリート建築家ではなく、独学で建築の勉強をし、サラリーマンとして個人住宅の設計をしていたようだ。安藤さんは、自分に仕事をさせてくれた大阪という都市に恩義を感じ、いろいろなボランティア活動をしていると聞く。
プロレスのジャイアント馬場さんは、初めてアメリカに武者修行に行った時は、今のイチローさんや松井秀喜さんらと全く違い、行きの飛行機のキップをもらったきりであったようだ。右も左も分からない中で、ボボ・ブラジルやジン・キニスキーといった大物レスラーなどが世話を焼いてくれた恩を決して忘れず、自分が大スターになっても、控え室では常に小さくなって先輩レスラーを立てていたようだ。また、ブラジルやキニスキーがすっかり年を取っても、定期的に日本に呼び、高いファイトマネーを支払い続けたと聞く。
恩を忘れない人間が成功しないはずがない。
不要なものを求めなければ、必要なものは必ず得られるが、大きく成功するかどうかは、陰徳の数と、自己にどれほど厳しい制約を課したかによって決まる。その上、恩を忘れない人間であれば、さらに成功するだろう。
ただ、成功の度合いが大きいと、煩いごとも、予想もできなかった程増える。正直言うと、そこそこ欲しいものは何でも買え、自分の時間をたっぷり持てるあたりが一番幸福ではないかと想う。
もっとも、宿命からは逃げられない。大物になる運命にある者は、それに応えるしかない。ある意味、気の毒ではある。

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2008.04.05

小説は不滅だ

本日はもっといかめしいことを書くつもりであったが、存外に軽いことを書く。
映画やドラマなら、ヒーローやヒロインは憧れの対象たるべき、美しかったりカッコいい役者が演じ、アニメでも、視聴者に素敵だと感じさせるキャラクターデザインと演出を施すのであるから、それなりにピュアな感覚を持っていれば、これら架空の人物に恋をしてしまうこともあるだろう。
ところが、小説となると文字情報しか無い分、不利な感じがしないでもないが、良く出来た小説であれば、実にドラマや映画やアニメ以上であるかもしれない。
もっとも、映画化やアニメ化された小説であれば、既にその映画やアニメを見ていれば、そのイメージの影響は大きく、その登場人物に対して感じる感情は、文章の力なのか、映像の力なのかが分からない可能性もある。
だが、私は、これはあきらかに小説の力であると思った作品がある。昭和40年に出たらしい、筒井康隆さんの「時をかける少女」だ。この小説を原作とする最近のアニメ映画作品や、もう20年以上も前のものだろうか、原田知代さんが主役の芳山和子を演じた、同タイトルの映画化作品は、原作とはストーリーがかなり違っていたということもあるが、小説を読んでも、これらの映像のイメージが浮かばない。そして、小説の芳山和子が素敵なのだ。小説の芳山和子は中学3年生である。今の中学3年生よりはかなり大人っぽく感じる。映画やアニメ映画の芳山和子が高校生であるのは、むしろ今の時代ではしっくりくるかもしれない。当時の中学生は今のように、携帯電話やテレビゲームやモバイル型ゲーム機も知らないのだが、全体としては世界はそんなに変わっていない。芳山和子も、今の中学生と根本的には変わらない。しかし、世界を、特に日本を覆う人々の精神はかなり異なる。当時は今ほど欲にまみれた時代ではなかったと思う。
まあ、それはともかく、この小説の芳山和子は魅力的だ。そうは見えないようだが、実は年下と分かった未来人、ケン・ソゴルに告白された時の反応が特に素敵だった。
映画やアニメの映像としての素晴らしさは否定できないが、細かな心理描写ではやはり小説には敵わない。
小説家の方は、恋させるほどの男女を見事に描いていただきたいものだ。
私は、本日、実にそんな感じを得た。「涼宮ハルヒの消失」の中の、普通の人間版の長門有希に対してである。もっとも、それは本来の長門有希との関係があってのものであり、この微妙な演出を表現する作者に敬服する。450万部は伊達ではない。
現在の進歩した映像作品も良いが、昔ながらの小説の役割は決して無くならないはずだ。

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2008.04.04

閻魔様の前で何を言おう?

さて、我々が死んで、閻魔様の前に出たとしよう。
閻魔様は、
「お前は生前、どんな良いことをしたのかな?」
と問う。そこで我々は、
「え~と、あの~、その~、まあ、大したことはしてないんですがあ~」
とシドロモドロになる。閻魔様は、
「大したことはしていないが、なんだ?大したことないものでも良いぞ。言ってみよ」
とたたみかけてくる。
ああ、一生に1つくらいは良いことをするべきだった・・・と思いながら冷や汗を流すばかり・・・。

子供の頃、誰かから聞いたことがあるが、こんなことを言う者がいたらしい。
「私は閻魔様の前に出た時、大したことは何もしていないが、便所のゲタだけはいつもきちんと揃えましたと言うつもりです」
私はいたく感動したのを憶えている。

ちなみに、閻魔様の正体とは、実はお釈迦様であると聞いたことがある。お釈迦様は大変に慈悲深く、この程度のことでも褒めて下さるに違いない。それで、なんとか地獄行きは免れるのではないか。そもそもが、弥陀の誓願と言って、阿弥陀如来は、いかな悪人でも、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えた者であれば、必ずや極楽浄土に生まれるようでなければ、自分は如来(仏)にならぬと誓ったらしい。阿弥陀如来はちゃんと仏様になっているのであるから、この請願は果たされたことになる。

先の便所のゲタを揃えるという行為をする者と、いわゆる小善人というものとは違うと思う。私は小善人は大嫌いなのだ。むしろ、大悪人が自発的に良い行為をしたりする。

う~む。私も、一生に一度くらいは、人様のお役に立たねば(^^;

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2008.04.03

募金

陰徳を積むため、募金をしようと思った。言ったら陰徳ではなくなるが、今日び、陽徳も良いものらしい(笑)。
また、徳を積めば運が良くなるといった、少々の下心があっても、決して悪くはないと思う。少なくとも、何もせずに運を良くしようなどと考えるよりはマシであろう。
いまどき、募金先など探さなくても、インターネット上でいくらでも見つかる。Yahoo!では、Yahoo!ボランティアというのがあって、Yahoo!ウォレットに登録してあれば、登録したクレジットカードから募金ができる。また、Yahoo!ショッピングで発生したYahoo!ポイントを募金にすることもできる。
しかし、Yahoo!ボランティアに登録されたものだけでも、現在117もある。3千円ずつとしても約35万円必要だ。また、これでも世界で募金を必要としているごく一部であることは間違いあるまい。
こうやって、多少その気になって調べると、世界の有り様というものが少しは見える。
きっと涼宮ハルヒ(※)のような意識の変革をもたらす可能性もあるはずだ。

※谷川流さんの人気小説「涼宮ハルヒの憂鬱」の主人公の1人。高校1年生の女子で外見だけは相当な美少女。小学6年生の時、親に連れられてプロ野球の試合の観戦に行き、そこにいた5万人の観衆を見て、自分がその1人に過ぎないこと、そして、その5万人でさえ、日本の人口のほんの一握りに過ぎないことを知り、自分がいかにちっぽけな存在であるかに気付く。それ以来、自分を変えようと行動に出る。

前日のブログ記事に、運を良くするには陰徳、そして、力を持つには自己制約と書いたが、「ローム大霊講話集」(霞ヶ関書房)を読むと、そのあたりがよく分る。まあ、現在はなかなか手に入りにくい本ではある。完全に宗教的、霊的な書物ではあるが、空想の物語として読んでも十分に面白い。この本をボロボロになるまで読んで大者になった人もいる。
最近の本では、国際線ジャンボジェット機長である坂井優碁氏の書いた「パイロットが空から学んだ運と縁の法則」(インデックス・コミュニケーションズ)が分りやすく書いてくれている。
余談だが、この坂井優碁という名前に驚いた。私が熱烈なファンの小説・アニメである「灼眼のシャナ」の主人公の1人である高校1年生の男子の名前が坂井悠二で、とてもよく似ている。私は坂井悠二が大好きなのだ。これもシンクロニシティーであろうか?(笑)
ふむ、私もツキが上がってきているようである(?)

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2008.04.02

ツキがなければ成功しない

いかなる職業であれ、成功するためには、テクニカルな部分や、時代の流れ、市場傾向、法律、常識や風潮といったことを研究する必要があると思う。
芸術家によっては、そのようなことは一切顧みず、ただ自分の思うものを制作するという人が多いかもしれないが、そのような場合は、たまたま成功することはあるかもしれないが、ほとんどの場合、たとえ芸術としては価値があっても、世間に認められないものと思う。
ところが、上記のようなことを、全く無視した場合には難しいかもしれないが、さして熱心にやらなかった場合でも成功する場合もある。
技術そのものは、ギリギリでプロのレベルというエンジニアや、上手さそのものは、美大生や街の似顔絵屋に馬鹿にされるレベルの画家でもかなりの成功を収めた者はいると思う。
どうも、そういう人にはツキがあるものらしい。
14年連続富豪世界一の座は小差で逃したものの、ビジネスでは人類屈指の成功者であるマイクロソフト社のビル・ゲイツ会長は若い頃、天才プログラマとか言われたが、私はそうは思わない。ゲイツ氏に、「あなたの、ソフトウェアの最大の業績は?」と尋ねたら、「8080BASIC」と答えたことがあった。しかし、8080BASICは、マイクロソフト共同創業者のポール・アレン氏がほとんど製作したのだと思う。学生時代から、ゲイツ氏は技術そのものより、コンピュータの応用に関心を持っていた。ゲイツ氏に、「成功の秘訣は?」と尋ねたら、きまって「ハードに働いたからだ」と言う。しかし、彼に大きなツキがあったことは間違いがない。マイクロソフトの最初の製品のBASIC言語が、最高の製品とは言い難かったが売れに売れたことや、IBMからパソコン用OSを受注したこと、IBMと共同開発したOS/2を世界中に売り込むと同時に独自に開発していたWindowsがOS/2をはるかに凌ぐヒットとなったこと、そしてそれ以降も、確かにゲイツ氏やその仲間はがんばったが、奇跡的なツキも味方している。
世界的版画家の池田満寿夫氏も、芸大に3回連続して受験に失敗し、似顔絵描きなどもしていたが、似顔絵の仕事の交渉中に芸大生とバッティングした時は、こそこそ逃げ出していたらしい。もちろん、池田満寿夫氏の天才的なものもあるであろうが、大きなコンクールでは、権威的な人物がほとんどゴリ押しともいえる支持をして賞を得たり、やはりツキの面も大きかったと思う。
私は、ビル・ゲイツ氏や池田満寿夫氏の本を多く読んだが、全く分野が異なる2人ではあるが、なるほど、これならツキがあるのが当然ということをやっていると思えてならなかった。
ところで、彼らのようなスケールではないが、私もツキがある方だ。良い思いばかりしているので確かにツキがあるのだろう。その秘密は、どうも、ある時期、半年ほど休日無しで深夜まで働きながら(休日は1人で仕事をすることも多かった)、残業代を1円も申請せず、会社を辞める時も、ボーナス支給前に辞めたことだと思う。
だが、そのツキの材料もいつかは使い果たすであろうから、そろそろ陰徳を積まねばなるまい(笑)。

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2008.04.01

幸運と力

いまさらであるが。人間が現実的に切に欲するのは力と幸運であると思う。
そんなものは実に簡単なものである。
2つのことでそれは得られる。陰徳と自己制約である。
陰徳が幸運に、自己制約が力に対応する。
陰徳とは、例えば、公園を掃除するとか、寄付をするとかである。そういったことができなくても、電車の中では席を譲るか、少なくとも良い席を譲る・・・それもダメなら、せめて窮屈に座り、隣の人に広々と座ってもらえば良い。
私は、道を譲ることで運を稼いでいる。駅では、クロス方向に歩き合うことも多いが、自分が他人の前を横切らず、止まって先に行かせるようにしている。道で正面でぶつかる形になれば、相手が肩で風切るいやなヤツでも、こちらが譲れば良い。
おかげで良いことだらけである。
自己制約とは、例えば、酒好きならそれを控えるとか、チョコレートが好きなら、それを食べないとかである。一般的には、放縦(勝手気まま)に振舞うことを止めれば良い。
自己に加えた制約は、倍化した力となって戻ってくるのが経験上確実である。

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