人に願いを叶える力なんてない
牛丼の吉野家のテレビCMで松井秀喜さんが「強く願えば叶う」と言い、人気歌手の歌でよく「叶わない夢はない」と歌われたりする。
それは絶対に嘘である。
叶わない夢はあるし、叶ってはいけない夢がある。そして、ほとんどの夢は叶わない。夢も希望も無いようであるが、実はここにこそ夢や希望がある。
幼児は強く願うことがよくあるが、そんなものが叶っては大変であるし、本当の幼児でなくても、幼稚な精神の持ち主の願いが叶うなら恐怖である。独裁者は常に新しい望みを願っているが、そんなものが叶って欲しいだろうか?
反面、奇跡のように願いが叶うことも実はある。まるでそれが必然であるかのように、不思議な偶然が積み重なって、あり得ないような願いを叶えることもある。
種明かしをするなら、願いが叶うかどうかは、その人が願いを叶えることができる状態にあるかどうかで全て決まる。別に、優秀さや、人物の善悪の問題ではない。それらとは全く別の問題である。
さて、ここでまた奇妙なことを言おう。本当は願いは全て叶っているのだ。嫌な出来事、見たくない現実・・・それらは、叶った願いである。
道を歩いていたらヤクザに会った。そしたら、「またヤクザを作ってしまった」と思えばいい。クラスや職場に嫌なヤツがいる。それもあなたが望んだことだ。望んだかどうかはともかく、責任はあなたにある。ごく若い人の場合は、家族の影響も強いかもしれない。
だが、それが理解できれば、いくらかでも願う通りの状況を作ることもできる。
だから、我々は、自分の心や出来事をよく調べないといけない。それは心を静かにして行わねばならないし、偏見のない心で行う必要がある。大方の人が、世界を思うように作れない理由とは、偏見があるからだ。偏見を消すのは難しい。そのための教えを学ぶとしても、人は自分の偏見を強化する教えにしか興味を持たないのだ。よって、ますます状況は悪くなる。
本当に正しい教えとは、最初は奇妙に思えたり、理解しようがないと思えたりするし、全く面白くも楽しくも無い。たまたま正しい教えに巡り合い、時間をかけて偏見をぬぐうと、世界は意のままになっている。ただ、その時は、すでに何も望まなくなっているかもしれない。
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Comments
初めまして、月川拓海といいます。
最近、ブログ村に入村が許可された新参者で、自己流のCGとエッセイを1日おき位にアップして
います。
「叶わない夢はないというのは絶対に嘘である」というKayさんの意見に賛成です。
諦めることも大事な決断だと思うのに、どうしてあんなキャッチフレーズがもてはやされるか不
思議に思っていました。Kayさんがこの現象を深く掘り下げて考察されていたので感心しました。
その他にも含蓄があることをこのブログに書いておられるので、ボツボツ読み進めて行きたいと
思っています。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
Posted by: 月川拓海 | 2008.03.27 06:58 PM
月川拓海さん、はじめまして。
をを!素晴らしいblogを運営しておられますね。多才だ・・・。世の中、なかなか捨てたものではありません。
諦めの美学の中にも、美しい輝きがあると思います。
また、夢がなくたって偉大な人間として生きることも絶対にできると思います。逆に、夢によって他人に操られている人も多いように感じます。
私もライトノベルの感想でも書こうかな・・・^^;
こちらこそよろしくお願いいたします^^
Posted by: Kay | 2008.03.27 11:47 PM