支配者の裏をかくには
私は聖書研究者でもないし、クリスチャンですらなく、それどころか聖書を通読したこともないが、それでも、新約聖書には削除された部分が少なからずあり、また、誤訳というよりも意図的に改変された部分もかなりあると思う。
これに関して、私は一切の研究者などの意見を見たり聞いたりしたことはない。
まず、実際はイエスは奴隷制に関して何か言っているはずと思う。当時、奴隷は相当な数がいたはずだが、イエスがこれに関して全く批判していないのは不自然である。このことをもって、イエスが奴隷制を認めていたとか、当時は奴隷が存在することを全く自然なことと認識されていたのだとする説もあるらしいが、それはおかしい。
イエスが奴隷制を非難した部分を、支配者達が取り除いたとしても不思議はない。
また、イエスが「私は羊達に命を与えるために来た」という有名な言葉があるが、まさかこの通り信じてはいけない。もし言ったとしたら、「私は羊達に知恵を与えるために来た」のはずだ。しかし、支配者達は、羊、即ち、庶民に知恵など持ってもらっては困るので、こう書き換えたのであろう。
さて、現在でも、そして、わが国でも、このことは全く同じである。
我々国民は、国家にとっては奴隷である。そして、知恵を根こそぎ取り除かれている。知恵がないので、自分が奴隷であることすら分からないのである。
吉本隆明氏は、国家は幻想で成り立っていることに気付き愕然としたと言うが、それは操作された幻想である。
意にそまぬ仕事を馬鹿なほどやらないと、住むことも食べることも着ることもできないことを奴隷常態と言わず何と言おう。時々、「仕事を趣味にしよう」なんてことを言う者もいるが、庶民がそれに成功した例は限りなくゼロである。
スポーツやエンターテインメントや商売の世界のスターは所詮、奴隷頭というに過ぎない。あるいは競走馬である。走り続け、勝ち続けないと生きていけない悲惨な存在であることがお分かりと思う。
聖書は改変されているとはいえ、イエスの教えの片鱗は残っている。面白い・・・と言うほどでもないが、実に、アンチ・キリスト者こそ、イエスの正しい教えを語っているのだ。例えば、ニーチェやイェイツやワイルドである。
聖書だけを見て、イエスが嘘つきと言うのはB級の知性の持ち主だ。聖書が改変されているのは当たり前である。なら、どう改変されたかを知れば、支配者の裏をかくことも出来るかもしれない。
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