パラレルワールド
パラレルワールドという言葉を御存知であろうか?
日本語では並行宇宙とか並行世界と言い、SFによく登場するものである。
この世界とは別に、多くの(あるいは無限の)世界が存在し、それらの世界はいくらか異なった世界であるといったものだ。
単に想像上のお話のようではあるが、20世紀に発達した物理学の1分野である量子論は、こんなお話を大真面目に受け取る理由を与えてしまい、実際、それを信じている物理学者だっている。
並行宇宙が沢山存在すると言うよりは、新しい並行宇宙が突然に創造されると言った方が良い。そして、どんな時にそれが生まれるかというと、観測行為が行われた時だ。最もよく引用される例はコイン投げであろう。コインを投げて、その表が出た場合、裏が出た世界がぴょこんと発生してしまうのである。
筒井康隆さんの「果てしなき多元宇宙」というSF小説で、こんな話がある。
暢子(のぶこ)という女子高校生は美少女である。しかし、まぶたが一重であることを残念がっていた。しかし、彼女が、自分のまぶたを観測した時、まぶたが二重である世界が生まれてしまう。
西暦3921年に行われた量子を制御する新しい装置の作動開始時に事故が起こり、時空を乱してしまい、暢子は(あるいは他の全ての人間もかもしれないが)異なる並行宇宙を移動してしまえるようになる。難しい数学が無くなればいいと思ったら、数学の授業は小学校の算数並という世界に移動する。ボーイフレンドの史郎は、頭が良く大人っぽい素晴らしい男子であったが、ケンカが弱いことを内心残念に思っていたら、移動した世界では、史郎は大勢の不良高校生をまとめてKOするほどのスーパーマンになっていた。
量子論の世界では多世界解釈と呼ばれているが、谷川流さんの人気小説「涼宮ハルヒの憂鬱」をこれに合わせてみても大変に面白いと思う。宇宙人や未来人や超能力者がウヨウヨしている世界は現実に生み出されてしまっているかも知れないわけである。
よく、若い人について、「無限の可能性を持っている」とか言うであろう。多世界解釈的には、それはまさに言葉通りの意味になる。別に若者でなくても、老人に関しても当てはまる可能性はあるが、活動範囲の大きな若者の方が観測事象が多いので、その分、創造される世界も多くなるとは言えるかもしれない。
そのような訳で、多くの観測ができる多くの経験を発生させ、より多くの並行世界を創造しようではないか(笑)。あなたが、可愛いあの子をゲットできなくても、別の並行宇宙では、別のあなたが、めでたくあの子と親密になっているさ。え?それでは面白くない?(笑)そんなことはない。この世界であなたが危機一髪をまぬかれても、別の世界ではそうではなかったのである。そう考えれば、あるがまま満足するしかないかもしれない。
だが、私の直観で言うと、我々がいる世界すら、一瞬一瞬に創造されている。そして、それ(世界)は全くの幻想だ。可能性としては、いかなる世界も自在に創造できるはずのものである。世界創造に関しては、ゲームのようなルールがある。そのルールを使いこなす達人になれば、世界は意のままである。
The comments to this entry are closed.
Comments