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2008.03.04

神は老獪である

我々は、国家の支援を受けた大企業に、「欲しがれ、もっと欲しがれ」とそそのかされ、すっかり欲ボケになってしまった。これには、学校教育も全面的に活用されているのである(学校教育は、大企業の利益のために米国国家が考案したものの輸入である)。
また、女性には、よりセクシーでなければならない、セクシーでない女は価値がないと思い込ませることも十分に達成されてしまった。セクシーになれば、我がまま放題、我慢知らずで生きられ、男をランキング付けする権利ができる。ランキング上位の男にのみセックスを与えて大きな報酬を得、下位の男は自尊心と実益を得るための道具であるというわけだ。

欲しがる心を捨てれば強くなり、不安はなくなる。男なら、男をランキング付けするような女にさっぱり興味がなくなる。さらにおかしなことに、モテモテになるが、本当に好かれてしまうから大変だとも言える。
落ち着きを取り戻し、望まなくても幸運に恵まれるようになる。
逆に、国家や大企業に洗脳されたままでは、常に不安で落ち着かず、退屈で欲しがり続けるだけである。

アインシュタインは幸福な人だった。
いつも同じ服を着て、ある時からは靴下を履くこともやめてしまった。
式典用に燕尾服が必要と妻に言われた時は大反発したが、1着だけ買った時は大喜びした。
車を買うこともなかったばかりか、バスにも乗らず、長距離を歩いて職場である研究所に通った。車を持っている人が、自分の車への乗車を勧めてもいつも辞退した。
面識もない女子中学生がいきなり数学の宿題の手助けを頼むと大喜びで教えた(別に彼はロリコンではない)。彼女の母親は、彼があのアインシュタインと知り卒倒しかけたが、アインシュタイン自身は、なぜ母親が驚いたか不思議だった。
難しいことが一切苦手なアインシュタインは(笑)、エレベーターの操作も妻にやらせたが、別に恥とは思っていなかった。
お金にも関心がなかった。
アインシュタインのために年棒2万ドル(当時としては大変な額)を用意していたプリンストン高級研究所だが、念のため、アインシュタインに希望を聞くと、「千ドル」と言われ担当者は驚いたが、アインシュタインはもっと驚き、「いえ、5百でもいいんです」と言った。
高給を得ても、アインシュタインは誰とでもそれを分かち合った。妻に怒られると、「あいつは金が必要だったんだ。伊達や酔狂で物乞いなんてしないさ」と平気だった。
もともと、彼は自分のためにはほとんどお金が必要なかったのだ。
アインシュタインは離婚したが、ノーベル賞の賞金は全て離婚した前の妻に贈った。
若い時こそ、多少の苦労はあったが、アインシュタインは幸福な一生を送った。
だが、彼に問題が何も起こらなかったわけではない。ナチスが彼の首に高額の懸賞金をかけたという噂を聞いた時でも、彼は信じることを主張し、怯まなかった。
彼は「神は老獪(ろうかい)である。だが悪意はない」と言った。こう信じている者は、誰もが幸福に生きるはずである。

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