戦いを決するもの
大相撲初場所の千秋楽、白鵬VS朝青龍を見て、思い出した言葉がある。
「戦いは、速さではない。また、火力でもない・・・」
朝青龍は、完全には相撲勘は戻っていなかったと思うし、スタミナも普段通りではなかったと思う。しかし、やはり白鵬が勝つ状況にあったかもしれない(結果論とも言う^^;)。
上記の言葉の続きはこうだ。
「勝利するのは、自ら状況を生み出す者。より強い意思を持つ者だ」
この言葉は、漫画「8マンインフィニティ」第5巻で、ケン・ヴァレリーが言った言葉だ。
(ケン・ヴァレリーは、8マンを作った谷博士の息子であるケン・谷の記憶を移植したマシナリー(スーパーアンドロイド)である。ケンは昔、ゴール博士によってスーパーロボットのボディにその脳を移植したサイボーグになったが、8マンと決闘して死んだ。)
似た言葉として、名前は忘れたが、PCサーバのネットワークOSであるNetWare(ネットウェア)で覇権を握っていた頃の米国ノベル社の社長のこんな言葉を私は憶えている。
「流れに取り残されれば死ぬ。流れにのれば生き延びる。流れを作り出せば勝てる」
ノベルはその後、流れに取り残された感もあるのだが・・・。
人間は自分で奇跡を起せるわけではない。しかし、奇跡を生み出す状況は作れるのだ。そうすれば。結果として、思うがままに楽々と奇跡を起せる。そのためには、ただ落ち着けば良い。不動の心を持ち、無為自然で無欲であれば良い。この状況を昔から、中国では「道(タオ)と一体になる」と言い、西洋では主に「神の摂理に従う」といった言い方をした。
尤も、落ち着くことこそ難しい。人の心はさ迷い落ち着かないのが本性だからだ。その原因は欲望と恐怖である。よって、この2つを制すれば無敵であるのだ。
瞑想なども、本来は、心を静寂にし、神の摂理に従うためにある。ところが、お馬鹿な成成功宗教の教祖は、「瞑想の中で望むものをイメージせよ」という、およそ自殺的なことを教える。せっかくの心を鎮めるための瞑想で欲望を喚起すれば、たちまちにして心は揺れ動き神の摂理から遠ざかるのである。結果として、望みは全く叶わないか、叶うことでより不幸になるのである。
落ち着くためには、衝動的に反応しないことを学ばねばならない。小泉純一郎が流行らせた「鈍感力」も単にこのことを言っている。物事に無闇に反応する者は決して勝てない。なぜなら、危険な状況で、当てずっぽうに鉄砲を撃つようなものだからだ。危険な時ほど落ち着いてよく狙わないといけない。いや、危険な時ほどよく当たるものなのだ。
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