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2008.02.05

デッサンの狂いこそが芸術である

よく「デッサンが狂っている」というが、それが即ち下手な絵の代表のようにされていると思われる。
画家を目指すような人は、デッサンが狂わないよう練習をし、またテクニックを習得するのだと思う。
ところで、「デッサンが狂う」とはどういう意味だろう?写実でないという意味と思うが、デッサンの狂い方には、その人の特徴があるように思う。そして、その特徴を消し、デッサンが狂わない絵を描くよう矯正することを残念に思うこともある。
絵の種類にもよるのであるが、デッサンなんて狂っていて良いと思う。いや、デッサンの狂い方の中に精神性が表現され、それこそが芸術ではないかと思うこともある。
有名な画家の中にも、正統な絵の訓練を受けていない人もよくいる。例えば、竹久夢二がそうで、彼は画家として有名になってから美術学校で学ぼうとしたが、ある著名な画家が、「美術学校で学ぶと君の絵は駄目になる」と言って止めたそうである。竹久夢二の絵は、言ってみればデッサンは狂っていると思う。しかし、あの味、叙情性は独特であり、彼の自然の性質そのものを表現しているように思う。本当に、彼は美術学校に行かなくて良かったと思う。
ピカソはエリート美術学校でも超優等生であり、その気になればスーパーリアルな絵が描けるのであるが、「毎年、下手に描くようになることで救われている」と言っていたらしい。確かに、特に晩年のエロチカ347、さらに156シリーズでは、そのほとんどがデッサンどころではない、子供のラクガキで、「ピカソ老いたり」の評もあるが、「これらこそ至高の芸術」と言う者も多い。池田満寿夫もそうで、著書で347や156を熱く語っており、自らも収集に励んでいたらしい。
ピカソは下手に描けるようになることで、ピカソそのものを自然に表現できたのではないかと思う。

もちろん、例えば、女性の胸を通常より強調して描くようなピークシフト画法も絵画表現である。これを極端にしたものが、漫画の大きな目や、少女漫画でよく見られる、点だけの鼻や極端に小さな口なのだが、これらはあくまで美的に見せるための手法であり、実際、不思議なことに実に美しく感じることが多い。
漫画といえば、ある時期は、ほぼ全ての漫画家が手塚治虫の絵柄を真似ていたらしい。その手塚治虫の絵もまた、特に人物画はあきらかにデッサンが狂っているというか、デフォルメされている。ある時期から、それぞれの漫画家が独自の画法を取り入れ、桑田次郎は正式にデッサンの訓練をしたようで、実にバランスの良い人体を描くようになり、彼の絵を好むファンが増えたようだ。(桑田次郎は、この絵柄のために「8マン」の作者に選ばれたようだ)
では、デッサンの狂った手塚治虫の絵が悪いかといえば、そうも思えない。
手塚治虫といえば、子供向けの作品も当然多いのであるが、青年向けはもちろんであるが、特に幼児向けでもなければ、女性のヌードは大変に多いし、性描写に関してもかなりのものがあった。ただ、永井豪が描くと問題になっても、手塚治虫だとそれほど叩かれなかったのは、手塚治虫が医者であるというよりも、彼の絵のデッサンの狂い具合が幸いしたと思えてならない。永井豪の絵も、女性らしさは特に強調されたピークシフトであり、彼自身は「僕の絵柄が一番手塚先生に近い」と主張しているが、永井豪の絵にはまだどこかリアリティがあるように思う。
しかし、では、手塚治虫の女性ヌードがエロチックでないかというと、全くそうではなく、むしろデッサンのしっかりとした絵より余程色っぽいかもしれない。特に、日本人の好みには合っていたと言えるのではないかと思う。また、さりげなく描かれた少女の愛らしさは驚くべきものと感じることがある。
手塚治虫は、実際にはかなり複雑な人間性なのではと思う。彼のデフォルメされた絵には、絵の表面やストーリーに現れない、特別な(あるいは歪んだ)嗜好や情念を感じるのである。
ただ、手塚治虫は、画家のように1枚の絵の中に自己の世界を深く表現することはやらなかったと思う。あくまで漫画家であった。コマの展開の中で動きやリズムを表現することが大切であった。そして、速く描けなければならない。彼は晩年、「アイディアはバーゲンするほどあるのに、腕がついていかなくなった」と嘆いていたが、それは1枚に全精力を傾ける画家ではなく、速く沢山描く漫画家の宿命と思う。

私のような絵の素人は、絵の先生に習ったり、まともなテキストを読んだりせず、デッサンの狂いを楽しんではどうかと思う。それは実に面白く有意義だ。
別にわざとデッサンの狂った絵を描くつもりはない。また、描いた直後はそれなりにバランスが取れていると思うのだが、1ヶ月も後に見ると、その歪みに驚くのである。それは、必ずしも悪い意味ではないかもしれないが、その時の精神の歪みや特徴を現している。
子供の絵で精神分析をするような方もいるらしいが、やはり絵のデフォルメ具合を見る場合も多いと思う。そして、その歪みを無理に矯正することが良いこととはとても思えない。
子供に絵の勉強をさせる時は、よくよく注意しないといけないと思う。
自分の絵の歪みは、自分の精神を反映している。それはすなわち、自己を知るのに役に立つ。それは別に精神分析学的でなくても、あるいは美術的でなくても構わない。何か感じるところがあればそれで良いのである。

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Comments

人間、無欲でナチュラルに生きられるのが一番ですね
自分自身を造ればいつかは、ボロが出その時の評価の落差を思えば悪い印象から徐々に好印象に為っていった方が私は、善いと思います
短所は、見方を変えれば長所にも為りますからね

今夜のセミナーにWで・・

Posted by: ヒデピョ~ン。。 | 2008.02.05 11:00 PM

はい、黙っていて馬鹿だと思われる方が、喋って馬鹿を証明するよりマシと心得ております(笑)。
その割には、私もかなり自己主張しているなあ^^;

Posted by: Kay | 2008.02.06 09:41 PM

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