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2008.01.31

理想的な画家の生活とは

知人に画家がいるという人はさほど多くはないと思う。それほど、画家で身を立てるというのは難しいということと思う。
私の知人には、食えているだけでなく、そこそこの家に住み、いい車に乗っている画家もいる。

しかし、子供の頃、画家や小説家になりたいなんて作文に書いた人は多いと思う。私は決して書かなかったが(笑)。
では、理想的な画家の暮らしとはどんなものであろう?
好きなものを好きなように描けば、画廊、コレクターが先を争って買いに来る。よって、絵の価格は上がり、高収入になり、豪邸で贅沢な暮らし。さらに、時々、豪華な旅行を楽しんで英気を養い、また好きな絵を描く。
もし、本当にそんなことになったら悲劇であろう。
それはまるで、子供が、理想的な暮らしとは、ピザもハンバーガーもチョコもアイスも食べ放題。勉強も、家のお手伝いもなしで自分の好きなことだけやれば良く、アニメ見放題、ロック聴き放題と思うようなものである。そんな生活が続けば、生きるのも嫌になるに違いない。
あるいは、サッカーの試合に参加していて、自分がボールを得れば、敵チームの誰もボールを奪いに来ず、悠々と敵ゴールに迫り、シュートをすれば、キーパーはそれを止めないような試合が楽しくないのと同じだ。
敵デフェンダーに電光石火でボールを奪われ、時には脚を引っ掛けられて転倒させられ、怪我をすることもある。シュートは敵キーパーの鉄壁の防御でなかなか決まらない。それでこそ楽しいのである。

別に画家に限らないが、うまくいかないことを楽しむことだ。
苦難や苦労は、実は楽しむためにこそある。それがないなら、そもそも人生に意味はないに違いない。

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2008.01.30

汝、邪な目でミニスカートの脚を見るべからず?

アイドルグループAKB48の一人が、少し前に「ミニスカートから出ている脚を見るオジサンはチカン」と発言して、大変なバッシングを浴びたらしい。なんでも、「見られるのはかまわないが、オジサンは嫌。どうせなら女の子に見られたい」と言ったそうな。
私、昨年末の紅白で初めてAKB48を見て、ついファンになったものである(笑)。それに関連したAKB48の特集映像も見たが、確かにみんなミニスカートが抜群に似合っていた。

ことの是非は問わないが、肝心なのはこういうことだ。
おじさんが、彼女のミニスカートから覗く脚を、イエスの言われる「罪と言える邪な目で見た」かどうかは存ぜぬが、ここはそういうこととしよう。
しかし、彼女の脚を「邪な目で見るおじさんの欲望」と、「女の子に見られたいという彼女の欲望」に絶対に優劣など無いと断言できる。どちらもただの欲望である。
優劣などあり得ないものに、彼女が勝手に善悪を設定したことが問題であるのだ。
尚、彼女の善悪の基準に何の意味もないのだから、「あなたの主観ではそうですか」と軽く流せば良い。彼女は世間を変えられないし、世間も彼女を変えられない。それだけのことである。

かつて、ブルック・シールズは11歳の時、「人が私をセックスの対象と見ても構わない。私は傷付くことはない」と言った。大したものである。さすが大物になる人は違う。
しかし、誰でも18歳くらいまでにはこう悟って欲しい。上のAKB48のアイドルは今年成人である。

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2008.01.29

落ち着け

成功の秘訣は落ち着くことである。落ち着いていれば全てうまくいく。
しかし、例えば会社で、ベテラン社員が新入社員を見て「ちっとは慌てろ!」と思うことが多い。新入社員は実に落ち着いている場合があるが、それがちっとも良くないのだ(笑)。
さて、この矛盾の意味を把握することは、人生を生きやすくすることになる。

ジュリアーノ・ジェンマ、リー・バン・クリーフ共演の西部劇映画「怒りの荒野(DAYS OF WRATH) 1967年」の、「ガンマン十カ条」の1つに、「危険な時ほどよく狙え」というものがある。
「よく狙う」というのは、いつでも良いことだ。これは「落ち着け」ということでもある。危険な時ほど落ち着かないといけない。
ところで、危険な状況でよく狙うというのは、2通りの意味がある。1つは、危険を知っていてよく狙うということ。もう1つは、危険に気付かずによく狙うという意味だ。
のほほんとした新入社員というのは、危険を感知する能力がないのである。また、危険があっても、誰かが対処してくれるという甘い認識を持っている。そんな者に大事な仕事を任せることはできないし、一人前の立場を与えるわけにもいかない。
また、危険でない状況では集中力がなく、よく狙っても外れるものだ。危険な状況で集中力を発揮してこそ、最高の能力を引き出せる。
落ち着いた新入社員に苛立つのは、彼らに危険(仕事の場合は重要性)を知る感受性や思考力が無く、集中力がないからである。
「ガンマン十カ条」はなかなか素晴らしい。

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2008.01.28

未熟な魔法使い

トルストイは、「時間は存在しない。一瞬のみ存在する」と言った。
かつて、アメリカの陸上選手カール・ルイスは、その絶頂期に「記録はいずれ破られる。しかし、勝利の一瞬は永遠なのだ」と言った。
なぜ、時間が存在しなかったり、一瞬が永遠になるのであろう?
それは、我々は、本質的には時間を超えているからだ。現在に打ち込んでいれば、過去や未来は消え去る。その時、我々は永遠である。
5分を永遠に感じたり、1年が一瞬だったりする。それは、時を超えた力を持つ我々が作り出す魔法だ。時間とは魔法で作られた幻想、あるいは、イリュージョンだ。時間は伸縮する。アインシュタインは「美女と過ごす時間は短し。しかし、熱いストーブの上に座っている時間は長い」と言った。彼の相対論によれば、時間は速さと重力の影響を受ける。上記の話は、時間が万人共通でないという科学的論理を極端に分りやすく言ったものだ。だがむしろ、この話は科学よりもこの世の本質を語っている。インドの詩人タゴールは、「人が月を月として認識しなければ月は存在しない」と言った。しかし、アインシュタインは納得しなかった。
だが、アインシュタインは「神は老獪(ろうかい)である。だが悪意はない」と言っているのだ。人類が持つ幻想。タゴールの幻想。アインシュタインの幻想。これらが交錯し、これほどの天才達の間にも認識の差を生じさせる。荘子は「一切の思慮分別を捨て、無為に徹しろ」と言った。そこに真理が見える。真理が見えれば、間違いは起こらない。
我々は実に「時の魔法使い」である。しかし、自分のその能力に翻弄されて慌てている未熟なウイザードまたはウイッチーだ。

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2008.01.27

有名な絵

Nip_3

不意に、「売ってるんじゃないか」と思い、Web検索して購入した絵(ブリキ看板)です。
キャンディタワー楽天支店で買いました。

世界一有名な絵といえば、ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」かと思いますが、では、その次となると、この絵も候補に上がるかもしれません。
ビクターマークで知られる、蓄音機に耳を傾ける、フォックス・テリア犬のニッパー君です。
1889年、英国の画家フランシス・バラウドの作品です。
ニッパー君は、フランシスの兄マークの愛犬でした。しかし、マークが死んだため、フランシスはマークの息子達と共にニッパー君も引き取りました。
家にあった蓄音機が、在りし日のマークの声を再生すると、ニッパー君がその声に聞き入っているように見えるのがフランシスの胸を打ったのだと思います。
詳しくは、ビクター・JVCホームページ内会社情報ページにあります。

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2008.01.26

運命は迎えに来る

「レイアース」という全編で2時間ほどのアニメ作品で、中学卒業を控えた風(ふう)という名の少女が、こう言うシーンがある。
「確かに私は、人と争ったことも、傷つけたこともありません。でも、この現実を、こんな運命を受け入れる訳にはまいりません」
想像もしなかった悲惨な状況が展開される中で、心優しくおとなしい性格の彼女が、戦いを決意した瞬間であった。

早い話が、現実が、運命が気に入らないから、それを変えてやろうと誓ったわけである。
だが、言葉とは面白い。上記のセリフは、以下のように言っても同じなのだ。

「確かに私は、人と争ったことも、傷つけたこともありません。でも、この現実を、この運命を受け入れて戦います」

そして、後者の方が正しい心構えである。
運命なんて逆らえるものではない。言ってみれば、芸術家になるべく運命付けられ、その才能も与えられた者が科学者になろうとするようなものだ。彼は科学者になろうと闇雲に努力するがうまくいかない。だが、芸術家には決してなりたくない。そうしているうちにストレスがたまり、病気になり、何もかもうまくいかないという状況になる。
だが、ある時、運命を受け入れ、芸術家になろうと決意した時、確信が生まれ、たとえ生活などが苦しくても安らぎを感じるのである。

運命に背いたことで成功し、大金を稼ぎ、地位や名誉を手に入れることもある。しかし、それには真の満足がなく、長続きもしなければ、苦しみすらもたらす。
そして、ある時に運命を受け入れ、ことによるとお金も名誉も失うが、真の安らぎや満足を感じ、世間的成功に興味がなくなる。

自分の運命を知ることだ。
イチローは子供達に「早く、自分が本当にやりたいことを見つけて下さい」と言ったが、「やりたいこと」と言ったら誤解を与える可能性が極めて高い。どうしても、欲望や見栄といったものの影響が大きいからだ。誰だって、スターでお金持ちになりたい。だから、それを実現できそうなものの中で面白そうなものを短絡的に選ぶ危険があるのだ。
偉大な人間の伝記や自伝を読む意味もこのあたりにある。
彼らが、運命を受け入れた瞬間を見極めるのだ。
シュヴァイツアーであれば、彼は若くして音楽家、学者として成功し、いずれの道でもさらに成功する自信があった。しかし、彼の精神は落ち着かなかった。ところが彼は運命を見出し、未開の国の人たちに医療を提供するために30歳で医大に入学することを決意した時に心は晴れたのである。それが彼の運命であったのだ。

岡本太郎は、誰でも本日ただいまより芸術家になれると言った。だが、世界に芸術家として迎えられるためには、その運命を持っている必要がある。芸術家志望であっても、本当に自分がその運命にあるのかを考え直してみても良いと思う。
運命を見出すというのは、天職を見つけるというのと同じかもしれない。しかし、世間で言われる天職の見つけ方には全く意味はない。運命は強制的だ。自分で無駄に探す必要はない。今の立場で、出来る限り義務を果たし、人に親切にすることだ。すると、自然に運命に導かれるであろう。

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2008.01.25

芸術は宗教とエロスの下僕である

人類の歴史において、宗教と芸術には深い関係があることは間違いないと思う。
コリン・ウィルソンは「芸術は宗教の下僕」と言ったが、確かにまずは宗教が先であったと思う。その宗教を彩る目的や補助として芸術が生まれたが、宗教本来の目標を宗教がなしえないことで、芸術が宗教の役割を受継いだ部分も大きいと思う。

宗教の発生は、埋葬の習慣に関係すると思われる。つまり、死というものを考察することで、目に見えること以外のものの存在を意識し始めるのが宗教の起源と思われる。目に見えないのであるから、単なる心の産物であり、幻想であると言えるかもしれないが、逆に言えば、死を意識することで、人類は幻想を持つに至ったわけでもある。
フロイトは、本能が壊れることでその代替物として心が生まれたのだが、自然に根ざさない心は幻想であると言った。しかし、私は、やはり死を意識することから宗教的な幻想が生まれたのであると思う。そもそも、人間の本能は壊れていない。

埋葬の習慣は、現世人類以前の人類であるネアンデルタール人が既に持っており、埋葬に際して花をたむけたと思われる証拠もあるらしい。
ネアンデルタール人は3万年以上前に生存した人類で、以前は、現人類の祖先と考えられていたが、遺伝子科学の発展によりそれは否定されており、絶滅した人類とされている。
ネアンデルタール人と一部生存期間が重なるクロマニヨン人は、現人類の祖先であると考えられているが、クロマニヨン人は死者を丁重に葬っただけでなく、ネアンデルタール人と違い、壁画や彫刻も残している。クロマニヨン人が描いたと言われるラスコーの壁画は大変に見事で、少なくとも私よりはるかに上手い(笑)。
ところで、かなり古い時代の壁画などにも、エロチックな場面を描いたものがよくあるらしい。バタイユによると、エロスというものは死の概念を持たないと発達しようがないものらしく、人間以外の動物には、死の認識がないのでエロスを持つことはできないようである。そういえば、「逝く」というのは死ぬという意味であるが、性的エクスタシを指すこともある。かなり昔から、洋の東西を問わず、性的エクスタシをなぜか「死」と関連付けることは自然に行われ、特に女性がよくその時に「死ぬ」と叫ぶことは一般的だ。

エロスは、芸術同様、宗教の下僕、あるいは子供であろうか?
ことによると、エロスは宗教とすら同格であるかも知れず、芸術は宗教の下僕であると共に、エロスの下僕であるかもしれない。
宗教芸術にもエロチックなものは数限りない。ミケランジェロの彫刻「聖テレサの法悦」では、若く美しい聖テレサの表情は宗教的法悦を示しているが、これをエロチックに感じない人はいないと思うほどであり、やはり宗教と芸術とエロスには強い関係があると確信する。

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2008.01.23

お金持ちになる条件

結局、お金をどのくらい稼げるかは、能力というよりは、人が自分をどう思っているかで決まると言える。
高度に訓練された歌を歌って1ステージ数万円という歌手もいれば、下手な歌を歌って数百万円以上の香港のスターもいる。
セールスマンでも、マナー良く、説明もうまい者がさっぱり売れず、収入も低いかと思えば、マナーに問題があり、説明もたどたどしい者がトップセールスで、高額なコミッションを稼いでいることも実際にある。
ところで、人が自分をどう思うかは、自分が自分をどう思っているかの影響が大きい。
自分が素晴らしい人間だと思っていれば、他人もそう思ってくれるようになる。だから、セールスの国であるアメリカでは、自己啓発においてセルフイメージの向上が重視されてきたのである。
ただ、セルフイメージの向上とは言っても、昔流行ったかもしれない下手な自己啓発プログラムにあるように、「私は素晴らしい。私は優秀だ。私は成功者だ」と疲れるほど連呼しても何にもならず、かえって自己イメージが低くなる。
また、フランスの心理学者で、精神療法で有名なエミール・クーエが発明した、少しはマシな自己暗示の言葉の「毎日、あらゆる面で私はますます良くなっていく」を必死で繰り返したり、さらに、斎藤一人さんの「ツイてる」を千回言うと運が良くなるという冗談も、実際にやった者のほぼ全員が効果の無さを実証しているはずだ。
こんなことでうまくいくのであれば、子供が富豪になってしまうという矛盾には、誰もが気が付くと思うのであるが、そうでもないらしい。
人を憎んだり嫌ったりする者、その心がそうさせるのであるが、人に意地悪なことをする者は、間違いなくセルフイメージが低く、自分を嫌っていると言って間違いない。人類全員に意地悪をするならまだ救いがあるかもしれないが、ある者には気味が悪いほど愛想良いが、別の者はゴミのように扱うような者は気の毒である。お金持ちどころか、下手をすると病気になることも多い。
憎い人がいるのであればお金持ちにはならないだろうし、もしお金持ちになっても苦しいことが大きくなるはずだ。
自分を高く評価するようになるためには、まず自分をよく知らなければならないというのは正当なことである。しかし、これは難しい。まずは、人を憎むことをやめることだ。後は容易い。

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2008.01.22

SFの悪影響

SF小説に科学的考察がどのくらいあるかというと、あくまで著者次第と言える。
科学者として通用すると言われるくらいであったH.G.ウェルズや実際に科学者でもあったアイザック・アシモフらは、SFであるのだから当然空想の部分もあるにせよ、明らかに科学と矛盾すると思われる記述は、少なくとも当時においてはあまりなかったと思う。
ただ、SF作家には、実際には科学に弱いと自認する者もおり、電気機器に乾電池を入れる際に、妻に「これはどっち向けに入れるんだ?」と尋ねるのだと自嘲気味に書いていた作家もいた。
SF作家ではないが、あのアインシュタインも、エレベーター操作を妻にやらせていたが、その理由は「私は難しいことは一切苦手」だからだそうだ(笑)。

そのSFであるが、子供が見るものの場合、その科学性や合理性には配慮をするべきではないかと思う。子供はいかに不合理でも、見たものを信じてしまうことがあり、しかもその影響が長く残ることがある。その影響は、神秘的なものより、むしろ一見科学的なものの方が問題が大きいかもしれない。
例えば、シュワルツェネッガーのターミネーターシリーズでは、第2作から液体ロボットが登場する。これは、あらゆる形態、色に外形を変えることができ、人間形態を取るなら、あらゆる姿の男性や女性の姿になれる。また、手を剣の形にし、実際に硬度を上げて殺傷を行うこともできる。床に偽装するということも行われた。
ただ、この映画では、ジョンがシュワちゃん演ずる機械型ターミネーター(T-101型)に「(液体ロボットT-1000型は)何にでも化けられるの?タバコの箱とかピストルとか?」と尋ねると、T-101は「大きさがある程度同じでないと無理。また、離れる部品のあるものも出来ない」と答え、液体ロボットの能力にも制限があるとした。
液体ロボット自体の実現可能性も、現時点ではほとんどないが、液体ロボットが持つ不可思議な能力は「化ける」ということだけであり(厳密に言うなら、不可思議だらけではあるが)、しかも、大きさの問題には制限を加えているので、子供も不合理な部分は限定的に捉えてくれ、思考能力に悪い影響は与えないと思う(むしろ、想像力を高めてくれるかもしれない)。
ところが、「サイボーグ009」というアニメで、この液体ロボットのような能力を持つ007というサイボーグがいるが、これが実に問題である。
1966年版のアニメでは(他に1979年版と2001年版がある)、オープニング(主題歌)の部分で、007が下半身をロケットに変身させて空を飛ぶ様子が出てくる。これは実際に、第1話で、敵の空飛ぶ円盤を追いかけるために、007が行ったことである。しかし、変身能力とロケットの機能とは全く別である。また、この第1話の中で、007は身体を巨大化させる変身も行った。これらは絶対にいけない。仮に大きくなれても、重さは変わらないはずであり、強度もひどく下がるはずが、そんな様子はなかった。製作者の配慮の足りなさに問題があると思う。実際に、このアニメを見て、矛盾に悩んだ子供がいるが、むしろ、矛盾を感じない子供の方が問題かもしれない。
まあ、1960年代のことだからという意見もあるかもしれないが、実に2001年版の「サイボーグ009」でも、007は巨大化しているのである。

大槻教授ではないが、オカルトなどを信じてしまうのには科学的思考が足りないということも言えるが、逆にオカルトを信じることで科学的な思考能力を失くすこともある。上記の「サイボーグ009」のようなものは、子供(大人も無関係ではないが)の思考方法に悪い影響を与え、非科学的で不合理なものを信じてしまう原因になっている可能性もある。
血液型性格診断や占いがなぜか人気があるのも関係がないとも思えない。
空想の世界、遊びの世界のことであっても、配慮や知性ある善意は必要である。

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2008.01.21

ポーカーフェイス

ポーカーフェイスという言葉がある。
七並べやババ抜きでも同じであるが、多くのトランプゲームでは、敵の表情を読むことで有利にゲームを進められることから、表情を読まれないよう無表情を装うことをこう言う。
また、昔から、ものを買う時にはサングラスをかけろとも言う。どうしても、欲しい商品に目がいくものであり、売る側にそれを悟られては付け込まれる恐れがあるという意味だ。
恋愛においても、好きな人を見ると、瞳孔が開くので、観察力があれば割に分りやすいものであるらしい。特に瞳孔ということを意識していなくても、例えば、「彼、私のこと好きなのよ。だって、子犬のような目で私を見るんだもの」といったように、思いは隠せないものらしい。ただし、敏感なのは女性の方で、大概において男性は鈍感であり、女性としては「何で分ってくれないのよ」ということになる。尚、女性は敏感であるが、特に年を取ると勘違いも多くなる(笑)。「何よ!変な目で私を見て」と実は満悦で言うが、誰もアンタみたいなオバさん、アンタが思っているような目で見ないよと言いたい場合が多いに違いない。
ただ、ポーカーフェイスというのは実際は難しい。自分ではポーカーフェイスをしているつもりでも、何を考えているかはかなり分りやすいものなのだ。人間の観察能力というのは誠に驚異的だ。
例えて言うなら、人間は頭の上に巨大ディスプレイがあり、そこに心の中を完全公開しているようなものなのだ。感受性の鋭い人や、特別な訓練をした人には特に容易に心を読み取られる。これが読心術とか言われる場合もあるが、あまりに見事だとテレパシーだと思わせられることもあるだろう。
よって、常に精神には高貴なものを住まわせておくことが、信望を得たり、恋人を得る秘訣である。いや、低俗な心を持っていればそれに見合ったものを引き寄せ、それはそれで当人には楽しいのかもしれない。

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2008.01.20

引きこもりの魔力

奇跡の起し方をご存知だろうか?
奇跡と言って突飛であれば、幸運である。
巷には「幸運を呼び寄せる法」だの「運が良くなる」だのといった本があり、それに類した占いがあったりして、なかなか人気があるらしいが、これらの全てに意味がない。
奇跡に関しては、私は昔、精神科医で心理学者のC.G.ユングが好んで話した雨乞い師の話を読んだことがある。私は、ずっとこの話の真意が理解できなかったが、最近よく分かるようになった。
お話は簡単である。

干ばつに苦しめられている村があった。いろんなお祈りや儀式が行われたが効果はなかった。そこで、有名な雨乞い師が呼ばれた。雨乞い師は小屋に閉じこもった。すると、4日目に雨が降った。
村人は、雨乞い師に何をしたか尋ねた。雨乞い師は「何もしない。この村は神の摂理から外れていた。だから私は神の摂理に合わせた。ただ、神の意思に任せたのだ。」と言った。

幸運を呼ぶとかいう本に書かれていることは、読者に欲望を節操もなく沸き立たせる。欲望を限りなく沸き立たせることは神の意思から離れているのだ。よって、幸運も奇跡も起こらない。
神の意思と言って抵抗があるなら、自然から外れていると言って良い。
我々にとって、「自然な」というくらい美しい言葉があろうか?

雨乞い師は、世間から離れ引きこもる必要があった。
もちろん、世間にあるままで自然の摂理に従えるなら問題はない。しかし、世間には欲望を掻き立てるものが多過ぎる。
引きこもって自分の内に沈み、自然と波長を合わせないと奇跡は起こらない。
荘子が言ったように、一切の思慮分別を捨て、無為自然で万物と共に流れることだ。

1995年くらいであったろうか。
マイクロソフトのビル・ゲイツは部屋に何日も引きこもったことがある。ゲイツは究極の理論派だ。神がどうだのとは言わないかもしれない。しかし、あの難しい状況は知性で決着の付くものでもない。
ゲイツは部屋から出るなり言った。「わが社はインターネットに全面シフトする」
ゲイツは自然の摂理に沿ったのだろう。この決断がなければ、他の大手ソフト会社のようにマイクロソフトの没落もあったに違いない。

日本経済は回復していると言う。
しかし、言うまでも無く、回復しているところもあれば、より悪くなっているところがあり、その差が歴然としてきた。
全体として経済は成長しているが、倒産件数は記録を更新しているのだ。
自然の摂理に合わせたところがうまくいっているが、自然に逆らうところはどんどん悪くなっているように思う。

20080120_2
久々の、そして、今年最初のラクガキ。クリックすると、ポップアップで大きな絵が出ます。

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2008.01.19

「Chanko Dining 若」に行く

昨夜は、大相撲元横綱の若乃花であった花田勝氏が経営することで有名な料亭「Chanko Dining 若」に初めて行った。いまや全国にお店があり、更に開拓中でもあるので、行ったことのある方も多いと思うし、また、これから行かれる機会もあると思う。基本的に鍋であるので、今の季節が良いとは思うが、夏でもクーラーをガンガン効かせているそうなので、実は夏も良いらしい。

ドリンクはそこそこ豊富だ。今時の料亭であるので、人気のある焼酎は種類が多いし、日本酒もかなり色々ある。メニューに梅酒が見当たらなかったが、注文したらちゃんと出てきた。
また、洋酒、ワインもそこそこに用意されていた。さらに、ノン・アルコール飲料もお洒落なものがあり、飲めない方や未成年の方、特に若い女性にも良いだろう。

お店の作りは洋風である。壁や床の色合いのセンスが良い。
私は4人用の個室を選んだが、さほど広いわけではないが、良い雰囲気で、椅子の色が2種類に分かれているところも面白い。
ペーパーナプキンには花田氏の実寸の手形が印刷されている。合わせてみると、なんと私の方が大きい。私と花田氏は同じ180センチだが、指は私の方が長いわけだ。だが、女性スタッフの方が、手の厚みが全く違うと言われた。さすがに、花田氏の手は凄いらしい。私の手は白魚のようである(笑)。

印象的なのは、従業員のマナーだ。受付の方が美人ということもあったが、笑顔が素晴らしい。また、鍋をしてくれたスタッフの女性も気さくで、色々楽しく会話していただけた。花田氏を皆が尊敬しているような雰囲気である。
その花田氏、お店にもよくお越しになるそうだ。このお店にも、月に1~2回は来られるらしい。私が使わせていただいた個室にも入ってきて下さるそうで、そのうち、運良くお会いできれば良いと思う。
私が、花田氏の気さくで人好きのする雰囲気を褒めると、スタッフの方も全面的に同意され、私も良い雰囲気であると言って下さった。本当に良いスタッフである(笑)。
私はあまり食べる方でも飲む方でもないし、連れの2名も女性だったので、支払いは個室料金を合わせても2万5千円程度と安価であった。
料理は、鍋を2人前とし、なるべく珍しそうな一品を多数注文した。ドリンクは、焼酎、梅酒、ノン・アルコールそれぞれをそれなりに注文。最後はラーメンで締める(笑)。デザートはアイスクリームとガトーショコラ。本当はプリンと杏仁豆腐も食べたかったが・・・(笑)。
食材が素晴らしく、翌朝の調子も良かった。味付けは若者向きと言えると思う(あまりしつこくなく、さっぱりしている)。
お洒落なチャンコ鍋店である。一度行かれたい。

ただ・・・
私は決して食通ではなく、毎日3食を食べられれば天国と思っている者である分はご注意いただきたい。
食べることが趣味という通の方にはあまり参考にならないご報告だったと思う。

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2008.01.17

宝くじに夢があるか?

以前から、テレビで、宝くじの一種である「ロト6」のCMをよく見る。
常盤貴子さんが、「あたる気がする」とか「やってみる?」とか脳天気な雰囲気で言い、「誰でも簡単2億円のチャンス」といったナレーションが入る。

さて、ロト6は、一口が200円と聞く。
2億円当たる確率は大雑把に言って、1口に対し、2千万分の1である。
これはどういうことかというと・・・
毎日2万円を使って100口ずつ購入したとしよう。つまり、年間730万円を使うわけである。
これを1年続けた時点で、2億円当たる可能性は0.1パーセント。
そして、20年間続けたとして、それでも一度も2億円当たらない可能性は96パーセントより高いのである。そして、投資額は1億4千6百万円である。
50年やったって1割の可能性もない。ちなみに投資額は3億6千5百万円で、2億当たっても意味がないにも関わらずである。

宝くじは夢を買うものだという意見をよく聞くが、全く夢などないことが分かる。
私なら1枚だって買う気はない。

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2008.01.16

共犯者

「共犯者」という言葉を聞いて、何を思うだろうか?
小説、テレビドラマ、あるいは、矢沢永吉のアルバムにあるらしいが、私はどれ1つも知らない。
しかし・・・
「共犯者」という言葉には、何かワクワクするものを感じないだろうか?
また、共犯者を扱った映画なども、視聴者に、心の奥深くで、共犯者達に不思議な憧れを抱かせるのではないだろうか?「明日に向かって撃て」とか「ノワール」(アニメ)とか。
私の最も好きな映画「さらば友よ」にも共犯者になった者の至高の友情が見える。

共犯者には、真の友情が生まれることが多いのだ。
共犯者の登場する名作(小説、映画等)で、友情の意味を考えてみても良い。
共犯者の間には不思議な落ち着きがある。2人の間にだけは平和がある。
共犯者には対等にモノが言える。
共犯者の前では、自分が自分でいる。

意中の人を手に入れたければ、一緒に悪いことをすれば良い(笑)。きっと、一生の青春の思い出になる(危険も大きいが)。
だが、相手を手に入れる前に、自分自身を手に入れる必要がある。そうでなければ、良い共犯者になれないのだ。

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2008.01.15

美しい人

彼女は誰にも似ていない
人は、母親に似ているとか、姉に似ているとか言うけれど
私は少しもそう思わない
彼女に似ているのは
星か、虹か、咲きたてのバラか、あるいは小鳥の声だ
これらは美しくあろうとなどしていない
本質そのものが美しいのだ
そこが彼女によく似ている
いや、性質から言えば、彼女は雨か月の光に似ている
雨は善人にも悪人にも平等に振り、月の光は分け隔てなく照らす
彼女は誰かに特別に優しいわけではない
ただ、誰にでも同じように接するのだ

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2008.01.14

千の風と熱い風

秋川雅史さんの「千の風になって」がロングセラーを続けている。
「死んだらどうなる?」ということについては、丹波哲郎さんの「大霊界」という映画のPRだったと思うが、「死んだらどうなるか、知ってるかな~」という丹波さん独特の口調を今でも思い出す。
「美少女戦士セーラームーン」のミュージカルで、セーラームーンこと月野うさぎの恋人であるタキシード仮面こと地場衛が、「俺が死んだら、きっと熱い風になる」と言っていたが、死んだら風になるという考えは人類に染み付いるものかもしれない。
アンデルセンの「人魚姫」でも、海の泡になって消えた人魚姫は風の精になったのだ。

さて、実際死んだらどうなるのだろう?
そもそも、我々は生きるという意味もあまり知らないのだ。なぜかと言うと、自己というものを全く知らないからだ。
死んでも、何か特別なことがあるわけではない。
「スターウォーズ」という映画で、年老いたオビ・ワンがダースベイダーと帝国軍の要塞で戦う場面がある。
ベイダーは、かつての師オビ・ワンに「かなり力が落ちているな」と余裕を見せる。しかし、オビ・ワンは「お前に勝ち目はない」と勝利宣言をする。構えを解くオビ・ワン。ライフセーバーで一刀両断にするベイダー。だが、オビ・ワンの姿はなかった。オビ・ワンは永遠の存在となった。
もし、ジェダイというものがあるなら、彼らにとって生死は必ずしも重要ではないだろう。
わが師、ニサルダガッタ・マハラジに誰かが尋ねた。「もし、誰かが鋭利な刃物であなたの首を切ればどうなりますか?」。
師は答えた。「胴体が首を失う。ただそれだけのことだ。私に何の関係があろう」。

間違うな。死んだら千の風になるのではない。我々はいつも千の風であり、熱い風であり、永遠であり、至高の実在であるのだ。
死んだ愛犬が時々夢に出てくる。相変わらず落ち着きがない。私は言ってやる。「お前、死んでも全然変わらんなあ・・・」

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2008.01.13

精霊の与える言葉

子供の頃、映画やテレビ番組や小説や漫画、あるいは、ちょっとした会話の中で見たり聞いたりした台詞をなぜかしっかり憶えているということはないだろうか?
それが特に鮮烈な印象のある場面で言われたものでもなく、その台詞自体も特に激しいものでないにも係わらずである。

米国の思想家、哲学者、詩人、作家であるラルフ・ウォルドー・エマーソンによれば、そのような言葉は自己の本性に響くものであるらしく、それならば大切にしなければならないものだと思う。
なぜならば、人が最も才能を発揮し、幸福を感じ、生き生きと生涯を送るのに最も重要なことは自己の本性に忠実に生きることであるからだ。

かなり以前に書いたこともあるが、私は子供の頃、ある英国のテレビドラマで聞いた言葉をよく憶えている。それは、「攻撃こそ最大の防御なり。そして、最大の攻撃は無抵抗なり。だから、何もしないのが一番強いのさ」であった。
私は、これこそ、まさに真理であると思った。もちろん、ガンジーの非暴力の思想を知る前であった。ガンジーの思想は深いものだが、私もこのシンプルな言葉を深く記憶に留めたのは、その中の深い意味を感じたからである。本性という点では、私もガンジーに通じるものもあるのではないかと思う。

また、これも英国ドラマであったが、「爆発現場に近ければ近いほど生き残れるそうだ」という言葉も印象深い。
随分後になって、似た言葉を知る。それは「夜空の星を掴み取ることは危険だ。しかし、それをしないともっと危険だ。なれるかもしれなかった偉大な人間になりそこなう危険である」だ。
他にも、一時的に忘れているものもあるが、20や30はあると思う。

だが私は「名言集」などに意味があるとは思わない。
私に必要な言葉はガーディアン(精霊)が必要なタイミングで与えてくれる。

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2008.01.12

自殺するなら、引きこもれ

本田透氏、堀田純司氏共著の「自殺するなら、引きこもれ」(光文社新書)という本が出版されている。
まるで私のブログを読んで書かれているような内容である(笑)。まあ、実際はそんなことはないだろうが、私の考え方に近いことは確かだ。
その主張は、「いじめにあったら学校をやめてしまえ。そして引きこもれ」である。
これは全く正しいし、他に道はないとすら言える。
この本にも、「教師に解決できないいじめの問題を生徒個人が解決できるはずがない。それなのに、被害者の子供達は逃げることもできずに、遂には自殺するという悲惨なことになるのだ」と書かれているが全くその通りだ。
教師がいじめの問題を解決するどころか、教師にも教育委員会にもそんな意思は全く無いのは、子供が自殺してすらいじめの事実の隠蔽に必死になる学校の体質を見れば明らかである。
この本の著者2人も、高校を中退して引きこもった経験があるが、それは「絶対に良かった」と言い切る。

もう1冊、参考になる本を紹介する。
「誰が子どもを狙うのか」(北芝 健、テレンス・リー著、東邦出版)だ。
著者らは、元刑事、元米国傭兵(やとわれ兵)・ボディーガードで、人間の危なさを知り尽くしている。
子供が被害者になった犯罪例を取上げ、その防御策を語るが、このように経験豊富な著者の主張はまともなものばかりだ。
その中で、いまやありふれている変態教師、ロリコン教師に運悪く当たったら、学校をやめることが極めて合理的な対策とされる(この本では転校を薦めている)。
全く正しい。他に子供を守る方法はない。教師が子供を守るなんてのは幻想であり、その教師が加害者であるのだから、子供やその親に対応させるなど、テロ国家の拉致問題に当事者だけで立ち向かえと言うのと同じである。

そして、「自殺するなら、引きこもれ」では、いまや学校に行く必要がないことを説明するというか、バラしてしまっている。
当然の話である。学校は、馬鹿になるために行くのである。自己の本性を歪め、偏見を押し付けられ、国家と大企業にとって都合の良い人間を生産する場でしかない現在の学校に意味はない。(参考書籍として、米国最高クラスの教師によって書かれた「バカをつくる学校<成甲書房>」がある)。
ただ、我が敬愛する日本最高の思想家である吉本隆明氏は、人間社会全般が不条理なものであり、学校と付き合うことで、それらに対処する知恵や強さを身に付けることを薦めている。いずれにせよ、学校や教師とはロクでもないものであるという認識は一致している。そして、学校に付き合えとは言うが、それには当然限度があると言っておられる。
生きる意欲を失くすほどいじめられたり、教師に猥褻行為を受け、心身に深い傷を負うまで付き合う必要は絶対ない(ズバリ、レイプの報告も、昔から一般的な教育関連書に数多いが、一向改善はなく、むしろ増大が予想される。セクハラの数はもはや悲惨の域を超え、なぜ子供を学校にやるのか、まともな知性では理解しかねる)。
私は身体自体は学校に運んだが、授業を積極的に聞いたことは一度も無く、特に中学2年からは授業を断固として無視した。しかし、何の問題もなく、むしろ素晴らしい結果となった。その中で、遅くとも13歳までに独学の方法を身に付けることが必須であり、それができれば、学ぶのに困ることは全くないことも理解した。

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2008.01.11

「フランダースの犬」考

ご存知の方も多いと思うが、日本人を号泣の渦に巻き込んだ「フランダースの犬」は、海外では全く評価されず、単に「負け犬の死」と見られるようでもある。
この小説は、英国人作家のウィーダが書いたが、舞台はベルギーである。ベルギー人もまた、「我々は、このような不幸な少年を見捨てる国民ではない」と反発しているらしい。
日本人がなぜ「フランダースの犬」をかように評価し感動するのかは、海外では謎であるが、そこには日本人の崇高な滅びの美学があると分析する向きもあるようである。

外国の方に馬鹿げた分析をされても仕方がないので、空海の知恵を持つと言われる私が(誰も言ってないが)分析しよう。
確かに、物語には不審な点や矛盾が見られる。
画家の天分を持ち、自らも画家になることを希望するネロは15歳である。赤ん坊の時、ネロを引き取ったおじいさんは、その時ですら80歳であったのだから、物語では90歳をとおに超え、実際、終盤では寝たきり状態から死を迎える。
ネロとおじいさんの生活は、牛乳を荷車で町に運ぶことで得られるささやかな手間賃で賄っており、当然、2人は貧しかった。
しかし、老人の仕事としては致し方ないとして、15にもなるネロは、なぜもっとマシな仕事をしなかったのだろう?当時では、子供も10歳にもなれば働いてそれなりの賃金を稼ぐのが普通であったはずだ。

アロアの父親コゼットは、ネロが気に入らなかったが、これは当然のことである。
物語の中で13歳になるとびきりの美少女で、一人娘であるアロアが2つも年上の男と仲良くしているのだから、コゼットの懸念も全く無理からぬことである。
余談であるが、そもそも、ネロはアロアに手を出していなかったのか?(笑)
「ロミオとジュリエット」のロミオを演じた英国の名優に、こんなインタビューがされたことがある。「ロミオはジュリエットに手を出していたのでしょうか?」彼の答えは「ロミオのことは存ぜぬが・・・私ならそうするであろう」。
かつての米国の人気テレビドラマ「大草原の小さな家」で、インガルス家の長女である金髪の美少女メアリー(12歳位と思う)に、やはり15歳の男の子が熱を上げたことがあり、父親のチャールズは当然、不快感をあらわにするが、母親のキャロラインはいたって呑気であった。チャールズはそんな妻に苛立ち、「男の15歳ってどんな年頃か分っているのか?」と詰め寄るが、妻は、「さあ、分らないワ。経験ないし」と軽く流す。
ここらへんは、確かに母親の方が落ち着いている場合が多い(こういったことは、そう簡単に男の子の思惑通りにならないことを知っているので)が、父親とは哀れなものである。

しかし、そう考えると、むしろコゼットのネロの扱いは紳士的であったと思う。
ネロがアロアの絵を描いたことがあった。それを知ったコゼットは一喝するつもりが、絵がみごとだったので思いとどまったばかりか、決して安くない額でその絵を購入することを申し出る。だが、ネロはお金の受け取りを辞退し、無料で提供した。
ネロは、自分のためだけでなく、おじいさんのためにもお金を受け取るべきだったかもしれない。しかし、愛するアロアの絵をお金に換えることに抵抗を感じることも認めよう。だが、それなら、ネロは、「そのかわり、仕事を紹介していただけませんでしょうか」とコゼットに頼むべきであった。ネロの年なら、その位は考えるべきであるし、コゼットとて、この状況では多少の手間をネロのために割いたとして不思議はない。
むしろ、コゼットがネロに対して反感を持っていたのは、このような頼みごとをしないネロの気位の高さではないかと思うくらいである。
心の奥では、コゼットもネロが好きだったに違いない。確かにネロが死んだ後ではあったが、コゼットは「ネロは私の息子になるはずだった」と、ネロとアロアがお似合いであることを認めていたのだ。

ネロは志は高かったと思うし、最後まで誰も恨まずに死んだという高貴な魂の持ち主と言えるとも思う(別にアロアに手を出していても構わないが^^;)。
しかし、時代と場所を問わず、画家で身を立てるのは難しい。ましてや、いかに素質があったとしても、貧しく、何も持たない身であれば尚更である。ネロは何十年かかるか分らない画家としての確固とした立場を獲得するまでの生活手段を考えるべきであった。
20年以上前に、トップアイドルでありながら18歳で自殺した岡田有希子さんという歌手がいたが、彼女は元々が画家志望で、実際、かなりの作品を描いていた。しかし、画家で身を立てることが難しいことを認識した彼女は芸能界を目指したと聞く。これに比べれば、なんとネロの頼りないことか。

考えてみれば、「フランダースの犬」が日本で人気があるのは、単に日本人の同情心の強さのせいかもしれない。つまり「かわいそう!」と言うわけだ。
そして、世間的駆け引きを一切しないネロに「潔さ」を感じたのかもしれない。どうも日本人は、商取引を汚いものと考える傾向があり、お金で解決することを「手を汚す」と表現するくらいである。邱永漢氏は、著書で「地元で商売をするな」と書いていたことがあった。その理由は、「商売とはある程度破廉恥なものであり、とても地元ではできない」などとしていた。なるほどと思う。
だが、日本人の同情心も今では歪んでいる。現在、「フランダースの犬」を見て泣く日本人の多くは、ネロを哀れむ自分に酔っているのである。

ネロと同じではないが、寒さの中で一人死んでいった(ネロにはパトラッシュがいたが)お話には、アンデルセンの「マッチ売りの少女」がある。
だが、ネロもマッチ売りの少女も、微笑を浮かべて死んでいた。
アンデルセンは、マッチ売りの少女が最後に見た美しいものを誰も知らないことを、なぜか必死に強調していたと思う。
ネロもマッチ売りの少女も、最後は死が守ってくれたのだ。もし、このことによって作品を評価しているなら、日本人の特別な哲学がこれらの作品に輝きを与えていると言えるのであるが。

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2008.01.10

犠牲の法則

何かを得ると、必ず何かを失うというのがこの世の法則であるらしい。
得られると好ましいと思われているもの、例えば、富、親友、恋人、結婚、地位、名誉などがあるが、これらでさえ、得ることでそれに相当する価値のものを失うものである。
逆に言えば、望みを達成するには、何かを必ず犠牲にしなければいけない。例えば、スーパーモデルになりたければ、甘いものを楽しむことを犠牲にするようなものだ。
自分の目標にはどんな犠牲が生ずるかを考え、その犠牲に見合うものであるかどうかを考えた方が良い。
不必要なものを望んだがゆえに、とんでもない犠牲を払うことになった者は多いのだ。
これも逆に言えば、不必要なものを望まない限り、必要なものは与えられるのがこの世の法則だ。

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2008.01.09

自由人

中国の古典「荘子」では、何ものにも囚われない自由人を理想とし、無限の宇宙に自由に遊ぶ不可思議な人物がよく登場する。
我々も、そのような存在を目指したいものである。
有名人の中で、豪快な自由人として生きた人といえば、私は岡本太郎さんと丹波哲郎さんを思い出す。
岡本太郎さんについては何度か書いたので、久々に丹波哲郎さんについて書く。
丹波さんは、俳優とも言えないようなペーペーの頃でも、他所の映画会社に行くと、当然のように、女子社員にラーメンの出前を命じていたらしい。「ああキミ!ラーメンを頼みなさい」と、あまりに堂々と言うので、女子社員は丹波さんが立派な俳優だと思って従ったらしい。当然、その料金はその会社の支払いである。
丹波さんにもサラリーマン時代があったらしい。ただ、入社時に渡された鉛筆は数年後にクビになった時も全く手付かずで残っていたらしい。そもそも、自分の机に居たためしはなかったようだ。上司から「何しててもいいから、居るだけは居てくれ」と懇願されたらしいが、「何もしないんだから居ても仕方ないじゃないか」という正論により、常に外で遊びまわっていたらしい。
本人いわく、仕事嫌いだそうで、俳優になってからも、マネージャーの採用条件は「仕事を取らない人」だったそうだ。
丹波さんは通訳として採用されたことがあったらしい。中央大学時代、英語関係のクラブに入っていたことから英語ができると誤解されたからだが、米軍のバーでバイトしていたので、発音は良い。まんまと騙して採用され、後はトイレなどに隠れて過ごしたようだ。

そういえば、天才写真家のアラーキーこと荒木経惟さんも、サラリーマン時代、自分が撮った写真を、会社のコピー機で何千枚もコピーし、それをあちこちに送りつけてデビューのきっかけを作ったと聞く。無論、天才が自分でコピーしてはサマにならない。女子社員に命じてやらせたのであるが、その写真たるや、女性の秘所の拡大写真などの超猥褻なものばかりであったという。

もちろん、彼らのような器のない我々が、彼らの真似をしてもうまくいくわけでもないだろう。だが、その器の作り方は、荘子も丹波さんも言うことは同じで、ものごとにこだわらないこと、善悪にすらこだわらないことである。他人をすぐに気に食わなく思ってイライラするようなみみっちい精神では自由人には縁がない。
例えば、働いていないからといって、遠慮しながらご飯を食べるべきではない。堂々と食えば良いのだ。
斉藤一人さんの本にあったが、ある男が、自分の弟が、かなりいい年でありながら、全く働かないと憤慨していたそうだ。斉藤さんは「弟が働かないと何か困るのか?」と聞くと、男は「そんなことはない。私だって経営者だ。あいつ一人くらい、俺が一生食わしてやる」と言ったらしい。人間の器が広がった瞬間である。斉藤さんが言うには、この世で困ったことは絶対に起こらないのだそうだ。
ちなみに、私も、全く働かずに給料をもらう程度の芸当ができる自信はある。というか、やってたのであるが(笑)。やり方?そのうち教えてあげよう。ただし、良い子は真似しないように(笑)。

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2008.01.08

私心

エマーソンは、芸術作品において、私的なものを全く含まない部分が最高の部分であると書いていたが、これは芸術はもちろん、あらゆることがそうだと思う。
岡本太郎も、「自分でも何ができるか分らない、ひとりでにどんどん進む作品が最高」と言っていたが、優れた芸術家は誰もがそう言っているように思う。
私心というものは、いかなる人間の行いにおいても障害であるのだ。
昨今、企業のM&A(合併と買収)がますます盛んであるが、京セラの創業者である稲盛和夫氏は1983年にヤシカを合併する際、ずっと考え続けたのが「私心なきか否か」であったそうだ。ホリエモンがどのくらい悪いのかはよく分らないが、少なくとも稲盛氏は全く心構えが違っていたわけだろう。
当ブログに何度か(勝手に)登場させていただいた政木和三さんは科学者であり発明家であるが、素晴らしいピアノ演奏者でもあった(ピアノ演奏のCDも出している)。ピアノの練習をしたことは一度もないという信じ難いことを言うが、私は他にも、画家の方で、シンセサイザを使った演奏旅行をしているが、シンセの演奏はある日突然出来るようになったという方に実際に逢ったことがあるし、その画家に「あなたにもできるよ」とも言われた。
で、政木さんであるが、「上手く演奏しよう」と思った時は、演奏のレベルが落ちるそうである。やはり、そのような欲望というか、私心が無い時が最高の演奏となるようだ。
言っては何であるが(笑)、私もソフトウェアを作る際、ただユーザーのためを思って作った時は最高の出来となる。
・・・をを!人生の真髄を表現してしまったようである(笑)。

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2008.01.07

画家と彫刻

画家には、彫刻家を兼ねている人がいるが、有名なところではミケランジェロがそうだ。
ただ、ミケランジェロの絵を見て、彫刻家の絵とはあまり思わない。絵にも彫刻にもそれぞれ独立に徹しているようだ。
ところが、モディリアーニの絵を見た後で、彼の彫刻作品を見たら納得してしまった。
モディリアーニの絵のほとんどは人物画で、さらにその大半が一人の人間を描いたものだ。そして、背景はほとんど描かない。まさに彫刻をそのまま絵にしたようなものだ。
ピカソも岡本太郎も彫刻を作ったし、私の大好きな画家・イラストレーターのギュスターヴ・ドレも晩年には彫刻に手を出した。
しかし、考えてみれば、絵と彫刻の制作は真逆ではないかと思う。絵は基本的には線や色を加えていくが、彫刻はひたすら削り取っていくものである。
ところが、「脳の右側で描け」の著書で有名な美術教育家ベティ・エドワーズは、「絵を描くな、空間を描け」と主張する。これなら、空間を削り取る感覚であり、彫刻に通じるように思う。
ひょっとしたら、画家の多くは、彫刻のような制作を好むのではないかと思う。というか、ほぼ間違いないと思う。
池田満寿夫さんもまた、晩年に陶芸や彫刻を制作したが、絵よりもむしろこちらが向いていたのではないかと思う。また、池田さんは版画家として有名だが、油彩画を捨てて版画家になった理由について、「1枚あたりの単価の低い版画の方が油絵より売れると思ったから」などと言ったようだが、むしろ、版画の修正の仕方の方が、油彩画より彫刻に近いからではないかと思う。もともと、池田満寿夫さんは、「撲の絵は消去法。消したい欲望の方が強い」とよく言っていた。まさに彫刻の制作手法と思う。池田満寿夫さんはモディリアーニが大好きだったようだが、それも頷けるような気がする。

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2008.01.06

自分らしさ

いかなる優れた教えも、究極的には「自分らしくあれ」「自分の本性に従え」と言っていると思う。
ただ、もちろん、自分の欲望や、自尊心に忠実であれという意味ではない。
しかし、多くの人が目にする詩や小説では、自分らしくあれと何度も何度も繰り返し語られながら、それはなんと控えめであることか。
だから、これほど重要なことを、我々はあまり真面目に考えない。
ただ、国家がそれを考えさせないというところも大きいのだ。
学校では、決して自分らしくあることを奨励されない。自分でないものにさせられてしまう。
大企業の方策もそうである。国民が自分らしくあるようになれば、自社の製品やサービスが笑いが止まらないほど売れるということは絶対になくなる。
国家や大企業にとって、自分らしく生きる国民が多くいることはなんとも都合の悪いことなのだ。
だが、自分らしさを取り戻さないと、自分がいかに偉大な存在であるか知らずに過ごし、不満と自信喪失の中で一生を生きねばならない。
今一度、自分らしさについて、真面目に考えてみることである。

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2008.01.05

サウンド・オブ・ミュージック

先日、BS放送で、野外ミュージカルの大ヒット映画「サウンド・オブ・ミュージック」が放送されていた。
私は、幼い頃から、この名作の誉れ高い作品にひどい違和感を憶えていたものだ。あまりに作り物っぽく作為的に感じられたのである。
まず、トラップ大佐のコミカルなまでの厳格さだ。子供達を笛で呼ぶなど、賢明な人間がするはずがない。狂人が子供を育てていたという時点で、この物語は終わったはずだが、誰もそれに気付かなかったのだろうか?

次に、トラップ家の子供達の異常なまでの無垢さ、清浄さだ。
長女のリーズルは16歳であるが、まるで清純可憐な乙女である。1つ年長のロルフと恋仲なのであるが、これがまたあまりに可愛いらし過ぎる嘘っぽい子供の恋愛である。“Sixteen going on seventeen”(もうすぐ17歳)という歌の「きみのページはまっさらだ」なんてセリフは13歳の女の子になら似合いそうな気もするが、思わず苦笑したくなる。リーズル役のジャミアン・カーが実際は18歳ということもあるが、非常に大人っぽく、色っぽいとさえ言えたのでなお嘘っぽい。
他の子供達も幼過ぎる。まるで天使を演じているのが露骨であり、どうにも気味が悪い。
主演のジュリー・アンドリュースの歌は掛け値なしであるが、実力を見せ付ける歌いっぷりは、この作品には似合わない。同じ野外ミュージカルの大作「ジーザス・クライスト・スーパースター」でも、イエスもユダもマリアも歌は素晴らしかったが、あの歌はあくまでセリフ代わりであった。しかし、こちらはマリアが普通に歌っているという設定が大半であったはずである。
マリアも22歳の設定であるが、アンドリュースは実際には大スターの貫禄たっぷりでもある29歳。役柄通りの天真爛漫な女の子には見えない。主観であるかもしれないが、スターのいやらしさの方が目立ってしまっていた。
修道院長役のペギー・ウッドも72歳にして神をも恐れぬ絶叫の歌は素晴らしかったが、ハレルヤはもっと厳かに歌うものだ。
トラップ大佐のエーデルワイスも清々しさの欠片もないアル中のオッサンの歌にしか聞こえなかった。

私の感覚が正しいと分ったのはわりに最近だ。
ご存知の通り、この物語は実話に基づいており、マリアは1987年まで生きていた。
この映画でのトラップ大佐のキャラクターはデタラメであり、マリアは抗議したようだが無視された。
マリアはトラップ一家の物語を書いたが、彼女は作品の権利を売り渡していたので、法的には意見を言う立場になかったのである。
物語自体も、マリアの著作とは全く異なる非現実的なものになってしまっていた。早い話が、この映画は利益追求のみを目的として製作されたと言って良い。
何も真実の伝わってこない映画なのである。
マリアやその子供達の感情を無視して悲しませた映画であることは認識した方が良いだろう。

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2008.01.04

スフィンクス

スフィンクスといえば、エジプトのギザの大スフィンクスを思い浮かべる人が多いと思う。
ファラオ(王)の顔(男性)とライオンの身体を持つ聖獣である。
対し、メソポタミアやギリシアのスフィンクスは、身体はやはりライオンであるが、顔は女性で、鷲の翼を持つ。また、形良い乳房もある。
有名な謎かけをするスフィンクスはギリシアのものである。旅人に謎かけをし、答えられないと食べてしまうというものだ。
その謎かけとは「4つ足で、2つ足、3つ足とは何か?」であるが、「朝は4つ足、昼は2つ足、夜は3つ足とは何だ?」として、一般的ななぞなぞになってしまっており、このなぞなぞは知っていても、これがスフィンクスの謎かけとは知らないという人も多いと思う。答は人間である(赤ん坊は4つ足、その後2つ足だが、老人になると杖をつくので3つ足)。

今日、スフィンクスがなぞかけをするならば、上記のものはもう知られてしまっているので、新しいものを考えるであろう。その場合、スフィンクスさんには逢いたくないものである(笑)。
しかし、本当は、我々はスフィンクスにはいつも逢っている。
スフィンクスは、本当はもっと驚くべき存在である。
そして、スフィンクスは常に我々になぞかけをしている。
身の回りで起こる一切の出来事が謎かけなのである。そして、謎かけの意味が理解できなければ、我々は出来事の中に封じられてしまうのである。そして、ほとんどの人がそうなってしまっている。
だが、出来事の謎を解いてしまえば、我々は全ての束縛から解放され、宇宙を手中に収める。
全ての出来事に何らかの意味があるとするのと、全ての出来事に何の意味もないとするのは、言葉の上での違いだけであり、実際は同じことだ。
また、全てが偶然と言うも、全ては必然と言うも、やはり同じことである。
だが、我々の思考習慣から考えれば、全てに意味があり、全て必然と考えた方が良いと思う。ニーチェやイェイツは全て偶然としたが、この偶然の意味はかなり深いのだ。
では、スフィンクスとの謎かけを楽しんで欲しい。宇宙をその手にできるように。

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2008.01.03

感性

非常に重要でありながら、現在の人類、ことに日本人がなくしかけているのが感性だ。
感性は、心に荒い刺激を連続的に加えることで破壊できる。例えば、毎日ゲームをやれば速やかに消失する。
感性があれば想像力が発達し、そうすれば、王様や億万長者になれるかはともかく、学校や職場で毎日何をやってもうまくいく程度は簡単なはずだ。
では、感性を発達させる秘法を述べる。物語を利用すれば良い、なるべく理性的なものが良いが、特に、偉大な人物について書かれたものが良いだろう。例えばの話であるが、新約聖書を使うこともできる。この福音書の部分は、イエス・キリストの物語である。
偉大な人物について書かれたものを読む時、それが自分について書かれていると感じることだ。そして、それは実際その通りなのである。
これを行えば、感性が発達し、普通の仕事であれば、あまりにたやすいものとなるはずだ。

20070103
ラクガキの描き初めなんてあるのかな。そのラクガキです(笑)。
絵をクリックすると、ポップアップで大きな絵が出ます。

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2008.01.02

新しい視野

私はあまり(実際は全く)、大晦日だのお正月だのと考えない人なのだが、休暇はありがたい(笑)。
そして、休暇の間、ずっと宇宙のことを考えている。
日本の月探査船かぐやが昨年10月に送ってきた月面のハイ・ヴィジョン映像の印象もある。

私は時が経つごとに、1969年に人間を月に送り込んだアメリカの恐ろしさを実感する。
1961年にケネディ大統領が議会で、1960年代に人間を月に送ると声明を出し、それはぎりぎりで実現した。しかし、ぎりぎりで実現するのも奇跡的なミッションであった。
この有人月着陸計画はアポロ計画と呼ばれ、そのロケットはサターンと命名された。

現在のITの進歩もアポロ計画と無関係ではない。コンピュータの性能を高めたLSIの開発はアポロ計画のために行われた部分が大きい。
かつては、超ICをLSIと呼び、さらに性能が上がる度にVLSI、ULSIなどと呼んだ時期もあったが、それらに定義された性能も、いまや蒸気機関の動力性能がかつてはどうであったかと思うようなものだ。
だが、アポロにはごく初期のLSIが使用されたコンピュータが搭載されていた。
コントロールセンターのコンピュータの性能も低いので、NASAは平均年齢24歳の超秀才スタッフが運営にあたった。まさに生きたコンピュータである。
その他、機械、電気、電子、材料、航空技術等、当時の技術でよくやったものだ。

さて、よく言われるのが、「月に人間を送り込んで何になる?」だ。
最初のアポロ11号こそセンセーショナルだったが、事故を起して奇跡の生還を果たしたアポロ13号ともなると人々の関心も薄れ、テレビ中継すらされない始末だった。
「月ロケット1台で病院がいくつ建つと思っている。その燃料で、どれだけ多くの凍える人を助けられる?」とかもよく言われた。
宇宙計画の結果、実用になったことで思い浮かぶのは衛星中継、気象衛星、スパイ衛星といったものだが、月に行っても、仮に鉱物資源などがあるとしても、その採掘は現実的ではない。
宇宙計画でアメリカに常に先行していた旧ソ連が決して月に人間を送り込まなかったことが賢明と言われるくらいである。

だが、立花隆氏の著書「宇宙からの帰還」(現在は中公文庫)の中に、「一度宇宙に出た者が、以前と同じ人間であることは不可能である」といったことが書かれていたのを憶えている。
丹波哲郎氏は、この神秘的な意識変革を霊(ことに守護霊)と結びつけて説明していたが、それも1つの考え方として良いのではないかと思う(私は丹波氏はかなり好きである)。
いずれにしても、それは「新たな視野」を得たことなのである。
神秘的と思える体験により、意識が拡大し、それまでの狭い視野を壊し、新しく広大な視点に立つ。それこそが、宇宙に挑む本当の目的である。

アメリカは2020年に再び月に挑む。さらに火星をも目指すようだ。
ロケットの名前がアレスである。ローマ神話のマルスであり、戦いの神は、火星そのものを示す。不吉な名ともとれるが、強さや、壮大な計画に必要な狂乱の意気込みも必要であろう。
そして、かつてのアポロの時代と違い、いまやネットワーク時代であり、2020年ともなればさらにそうであろう。
「新しい視野」は、広く人類に共有されるはずである。

※宇宙開発計画における「新しい視野」のアイディアは、「8マンインフィニティ」(七月鏡一、鷹氏隆之)を参考にした。

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