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2007.12.05

禊としての芸術

特に高尚(?)な趣味を持つわけでもないという人でも、芸術的な絵画や音楽、あるいは詩や文学を鑑賞するようになることがある。ロックや刺激的な絵画、面白いだけの小説を受け付けなくなるのである。
そんな時は、ストレスが溜まっている場合が多いが、「癒し」を求めているとはあまり思いたくないものである。いや、直接にはそうであるかもしれないが、ストレスにより生命力が低下しているのであり、本来、エネルギーの拡充のために芸術に向かうのであると思いたいものである。「今日の芸術」での岡本太郎の話の趣旨もそんなものであると思う。

戦国時代の武士が戦場で花を生けたというのも、直接には癒しであったかもしれないが、これはむしろ「禊(みそぎ)」と考えたい。
禊とは穢れを払うことである。普通は、水をかぶるなどの行を行うことが多い。
しかし、上にもあげたように、花を生けたり、仏像を彫ったりする者もいる。
戦場では人を殺さねばならず、それは尋常な精神状態では勤まらないが、人間にとって心を荒ぶらせることは苦痛であるのが普通で、武士といえどもこれは例外ではない。放っておくと心は重くなり、やがて活力を失う。そこで禊を行うことで心を鎮め、新たな活力を呼び出すのである。

芸術的な絵画、彫刻、詩、文学に急に惹かれ出したら、心の病を疑う必要があるかもしれない。逆に言えば、芸術には、傷付いたというか、落ち着き無くさ迷う心を鎮め、それにより活力を湧き起す役目というのは必ずあると思う。本来、それは宗教の役目だったかもしれないが、現在の宗教にそんな力はないかもしれない。また、絵画や文学において、芸術的かそうでないかを分けるものはそのようなものではないかと思う。
となれば、良い芸術家になる意味の1つも分るのではないかと思う。

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