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2007.12.31

ハートの声

なにげなくBS放送を見ていたら、アドリアーナという名のアメリカの9歳の少女の日常が紹介されていた。まだ9歳なのに大変な美少女である(*^^*)。
父親が言うには、彼女はお洒落は好きだが、流行は追わないという。
家庭の教育方針は、「何かを決める時、他人の言うことに惑わされず、ハートの声を聞く」「1日の出来事を聞くが、その中でも『誰に親切にした?』と必ず聞く」だそうだ。
アドリアーナの夢は米国大統領。全ての子供が大学に進学できるよう、そして、ホームレスなど、不幸せな人を助けたいそうだ。私も米国に帰化しようかな。いっそ彼女と結婚して(笑)。

Fa
2007年ラストのラクガキ。フランソワーズですね(笑)。
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2007.12.30

鎖と絆

同じつなぎ合わせるものでありながら、鎖と絆では随分と異なる。
いずれも、それを断ち切ると言うことがあるが、鎖を断ち切る時は悪しきものからの解放という意味あいが強く、絆を断ち切るという場合は大切な結びつきの喪失ということになると思う。
しかし、絆と鎖の違いをよく考えることは、事のほか重要と思う。

鎖は強制的であり、また強力で、いったん縛られたら解くのは容易ではない。
しかし絆は、もともとが目に見えないものであると同時に、強い絆、弱い絆という言葉があるように、その強さは様々であるし、また、強い絆が弱くなったり、逆に弱い絆が強くなったりもする。

何が鎖で縛るかというと、欲望や恐怖に満ちた心である。
男女の愛や親子の愛でも、欲望や恐怖で結び合わせているなら、それは鎖で縛られているのだ。
鎖は強力なものであるが、欲望や恐怖が無くなれば、その結びつきも消える。

絆とは純粋な心が結ぶものである。
心が消え去った無心の状態が純粋な心の状態である。
心から欲望や恐怖が取り除かれると、心は鏡のようになり、ものごとをあるがままに映す。
そんな時に感じる引力が絆なのである。
真の絆を得るには、心を消し去らねばならない。
それには、人を憎むのをやめることだ。
イェイツは言った。「愛とは神の領域であり、我々は愛を理解できない。だが、憎しみは人の領域であり、我々は憎しみを理解できる。本当に愛することはできないが、憎むのをやめることはできる」

絆と鎖という言葉をうまく使ったものがある。
アニメの「サイボーグ009」(2001年)の第1話で、8人の00ナンバーサイボーグ達は反乱を起し、悪の結社ブラックゴーストの基地から逃亡しようとしていた。だが、生まれたばかりの9番目のサイボーグである009は状況をまだ完全に理解できておらず、8人と共に行くか、ブラックゴーストに残るかは009の判断にまかされた。
その009に001が言う。
「僕たちはブラックゴーストに鎖で縛られている。でも、その鎖を僕たちの手で強い絆に変えることだってできるんだ」

ここからちょっとおふざけモード^^;
いやあ、さすが赤ん坊ながら天才001。
しかし、見事に見えるものは陰の努力の賜物である。001は昨夜、必死に考えたのかもしれない(笑)。
尚、このセリフは2001年版のアニメで初めて出てきた。
石ノ森章太郎さんの原作では、私も記憶がはっきりしないが、003(フランソワーズ)に「一緒に来て」と言われただけだと思う。その時、ブラックゴースト側は、009に「こいつらをやっつけろ。お前ならできる」と言う。最新型の009はそれほど高性能なサイボーグだった。
だが、003の「私たちを信じて」の一言で、あっさり009はサイボーグチームに入る。
これには伏線があり、003の超視聴覚能力のことを聞いた009は003をじっと見つめるが、003は「そんなに見ちゃ恥ずかしいワ」と顔を真っ赤にして恥じらいのポーズをキメている。その時すでに009の心は固まったと言ってよい。
このシーンはTVアニメにはなく、TVアニメシリーズに先行して製作された映画(1966年)に出てきた。TVアニメは映画の続きという形になっていた。
さて、その映画で、8人の00ナンバーサイボーグ達とブラックゴーストによる009の取り合いのシーンも面白かった。
ブラックゴーストは高額年棒と複数年契約で009を慰留する(嘘です嘘)。
一方、00ナンバー達は金がない(笑)。
だが、彼らには切り札があった。16歳のパツキン、マリンブルーの瞳の美少女003ことフランソワーズ・アルヌールが天使の微笑みを浮かべながら「一緒に来て(はぁと)」と言う。若い009はひとたまりもなかった。私には、003の心の中の「イケる!チョロい!」という言葉が聞こえた(笑)。
003は赤ん坊の001を抱いていたが、009には彼女が「一緒にこーゆーの作りましょう」と言っているようにすら思えたのだ^^;
この作戦は002あたりが考えたような気もする。「ニッポンのボーイはみんな奥手と聞くし、金髪の可愛い子に頼まれたら断らないさ」と。
これら、1966年の映画から始まる、1967年、1979年、2001年のTVアニメ、劇場版3作のDVDは発売中であります^^;

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2007.12.28

遷移の神秘

こんな画家がいた。
毎日熱心に絵を描いていたが、なかなか良い絵が描けなかった。だが、ある時、ついに絵の神様が降りてきた。早速上京し、絵を出版社に持ち込んだが、なかなか相手にされなかった。しかし、自分の絵に自信があったので気にならなかった。すると、通俗的な雑誌が絵を採用してくれたが、その様な雑誌の方が発行部数が多いこともあり、一気にブレークした。

絵画に限らず、楽器演奏、スポーツ、武道、学問、ビジネス、コンピュータプログラミングなど、初心者から始めて根気よく励んでもなかなか目に見えて進歩しない。しかし、ある時、まさに「神様が降りて」きて、以前はできなかったことが軽々と出来るようになるといったことを多くの人が経験していると思う。

どのようなことも、コツコツやるのが大事であるが、進歩というのは、ほとんどの場合、段階的ではなく一足飛びである。
私は、中学生や高校生の頃、毎日腕立て伏せをしていたが、10回しかできなくても毎日やっていると、ある日、不意に身体が軽く感じ、30回できた。さらに毎日やっていると、ある日、身体に力がみなぎる様な感覚があり、やれるところまでやってみたら100回に達した。それが高校1年生の時だが、別に武道家を目指す気もなかったので、それで飽きてやめてしまった(笑)。
専門のコンピュータプログラミングも、最初は数行プログラムを書くのも気力がいったが、ある時、コンピュータプログラムの神様(あまり聞かないが)が降りてきて、いわゆる、目をつぶっても、いや、眠ったままでも自在にプログラミングできるようになった。

もっと壮大なレベルの話となると、中国出身で米国人の偉大な経営者、作家のチン・ニンチュウの著書にある話が面白い。
あるコンピュータソフト会社の経営者は、年収が30万ドルしか(!)なかったが、自分の欲しい豪邸を買うには年収300万ドルが必要だった。しかし、それは到底不可能に思えた。
しかし、彼は、そのようなことを信じることができるよう意識変革の練習を始めた。すると、10ヶ月後にブレークし、豪邸が買えるようになった。ただし、いざそうなると豪邸に興味がなくなっていたのだが。
この書籍では、「飛躍理論」というものが、彼にインスピレーションを与えたとある。
飛躍理論とは、昔、量子飛躍と呼ばれていたものと思われるが、いまは量子遷移と呼ばれる。簡単に言うと、電子は原子核を回っているのだが、ある軌道から別の軌道に移る際、どうやって別の軌道に移るのかがさっぱり解らない。どう見ても、テレポーテーションしているとしか思えない。外側の軌道に移った時は電子のエネルギーが大きくなったということなのだが、文字通り、一気に外側の軌道に移るのである。
彼は、自分にもそのようなことが起こると考えたのである。
まあ、それが論理的かどうかは置いておいて、何事も進歩は一足飛びということは確かである。また、量子力学は一般的な意味においては、論理的と思えないところがあり、かのアインシュタインですら、「神はサイコロを振らない」っと言って、量子力学を認めなかったこともあった。アインシュタインには量子力学が論理的と思えなかったのだと思う。

こと、可能性の話となると、いつも論理的に考える必要はないか、むしろ、考えない方が良いかもしれない。
ところで、私の絵にはなかなか神様が降りてこない(笑)。1つには、良い絵とは右脳で描くもののようであるが、私はコンピュータソフト開発のため、左脳を鍛え過ぎたこともある。これからは非論理的に徹することにしよう(笑)。

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2007.12.27

モテる辛さ?

私は、百貨店などに買い物に行くときは、よく空いた時間を狙う。ガラガラの駐車場にぽつんと車を止めて買い物をする。
ところが、駐車場に帰ってくると、いくらでも空いているのに、私の車の横に別の車が止めてあることがよくある。
喫茶店も空いたのが好きなのだが、他にいくらでも席が空いているのに、私の隣の席に着く人が多い。
毎朝、ガラガラの電車で通勤しているのだが、これもなぜか私の近くの席に人が集まる。
これらは、昔から不思議だと思っていた。

北杜夫さんの小説「怪盗ジバコ」で、こんなことが書かれていた。観光地の砂漠に生えた木は枯れてしまうそうだ。水が無いわけではなく、十分に地中から水を根で取り入れることができるのにである。その訳は、観光客が、その木に向かって立小便をするからだとか。
北杜夫さんは断言する。自分はそんなことはないと思っていても、何もない砂漠で用を足す時、木を見つければ必ずそれに向かってするのだと(笑)。

人はがらんとした空間を恐れ、何かに、誰かにくっつきたがるものであるらしい。

また、私は歩いている時、後ろから必死で追いすがられることがよくある。別においはぎではない(笑)。
私は普通に歩けば、常人は決してついてこれないが、のんびり歩けば、常人の1.5~2倍程度の早さなので、目標にしたがるのかもしれない。私に離されていくことに本能的な不安を感じるのだと思う。
ある時も、バタバタと下品な足音をたてて後ろからおいすがってくる者がいた。私はそのままゆっくり歩き、追いつかれようとした時、ぴたっと止まって少し脇に寄った。60過ぎくらいの年配の男性であった。何か息も切らしている^^; そして、止まった私を追い越す時、ずでーんとはでに転んだ。
愚かである。

上にあげたように、群れたがる本能から人にくっつきたがる者は決して世の中で成功しない。哀れな人間なのである。
ただ、私には人を引き寄せるオーラがあるのも確かである。何といってもこの美しさだ(笑)。
今日も、帰路の電車の中で、隣の席の若い美女が、しばらくすると、私にすっかりもたれかかって寝ていた(笑)。得をした。彼女がね(笑)。

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2007.12.26

プロトタイプの威力

プロトタイプという言葉をご存知だろうか?
試作品のことであるが、あらゆる分野の製作品の多くは、完成品の前にプロトタイプが作られている。例えば、携帯電話、ぬいぐるみ、机、自動車、服、ピストル、インスタントラーメン・・・その他、あらゆるものである。
ベッドを製作する会社で新型のベッドを作る場合、紙に描いた絵や図、あるいはコンピュータ映像だけでは、実際にどんなものが出来るか、せいぜい3割程しか解らないだろう。
そこで、プロトタイプを作り、実際に多くの人に使ってもらってこそ、そのベッドの良さや悪さが解るのである。
ところでプロトタイプを作るのに重要なことは、試作品だからといっていい加減に作るわけではないということである。場合によっては、本製品で必要になる機能のいくつかは割り引かれることはあるかもしれないが、あくまで本製品を作るのと何ら変わりない。それでこそ、真の欠点や改善点が解るのである。
プロトタイプをいい加減に作っては、最終的に良い製品はできない。
また、プロトタイプを作る回数はいろいろだ。1回で済む場合はむしろ少ないかもしれない。数十回に及ぶこともある。飛行機のようなものでは大変な費用になるはずだ。
今でもよく知られているが、昔、「鉄人28号」という、横山光輝さんの漫画があったが、この戦闘用ロボットである鉄人は、プロトタイプが27回作られたということと思う。その1回1回が本格的に作られたはずである。
近年の戦闘ロボット漫画・アニメである「新世紀エヴァンゲリオン」のエヴァンゲリオン(正式名称は「汎用人型決戦兵器人造人間エヴァンゲリオン」)もまた、アニメの中で、おびただしい数の試作品の残骸が出てきたことがあった。
また、石ノ森章太郎さんの有名な「サイボーグ009」の9人のサイボーグ戦士は全てプロトタイプである。
平井和正さん、桑田次郎さんの「8マン」は、8マン開発者である谷博士自身が8マンのプロトタイプである(アニメではこの設定は無かった)。
さらに、漫画やアニメの主要なキャラクターはほぼ例外なくプロトタイプが存在し、よく「ヒロインの初期設定」などが公開されるが、なかなか興味深い。

漫画やアニメでも、このように現実的設定がなされていることは面白いものである。
惜しむらくは、これらの作品から、子供達にプロトタイプの意味を考えさせる働きがあれば素晴らしいと思う。そして、実際にプロトタイプから始める工作を体験することで、素晴らしい知恵が身に付くはずである。教育というものは非常に即物的で、ここらの現実的センスが無い。しかし、おそらくは公教育に関わる者自体に現実的な知恵がないし、そもそも学校教育は知恵を破壊するのが目的で、決して知恵を育むためのものではないのであるから仕方がない。

芸術にもプロトタイプが有効な場合があると思う。
岡本太郎さんの太陽の塔も、まずはプロトタイプが作られた。高さ70メートルの本物に対して3.5メートルであったが、完成品とほとんど同じであったように思う。
もちろん、芸術は未完成さもまた価値になり得ると思われ、何が何でもプロトタイプが必要なわけでもない。

産業では、プロトタイプが作られるようになると、その分野はやっと成熟してきたと言えるかもしれない。
私が携わるコンピュータソフトウェア業界では、ようやくプロトタイプ式開発が普及してきた。プトロタイプを作れば、品質は上がるが、時間と費用は一般に多くかかる。つまり、これまでは、費用をかけずに品質の悪いものを作る傾向があったと言えるということと思う。もちろん、Windowes OSや、マイクロソフト・オフィスといった莫大な収益をもたらす製品は早くからプロトタイプが作られていた。

本当は、ブログ程度でも、いったん、プロトタイプ記事を作ってじっくり読んでみたら良い記事になるかもしれないが、そこまでの時間、いや、根気は私にはない(笑)。
ただ、小説などを書きたい人は、プロトタイプはかなり有益と思う。

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2007.12.25

スーパースターの誕生日

本日はクリスマスで、人類最大のスーパースター、イエス・キリストの生誕日とされる。しかし、これはおそらく違うと言って良い。
イエスの誕生日とされるのは、後に決められたキリスト聖誕祭の日である。決められたのは4世紀のローマと思われる。そして、12月25日というのは、当時ローマで人気のあった太陽神ミトラ生誕の日であり、それに合わせただけだと言われている。
もともと、イエスの誕生日は1月6日説というものもあり、現在でもヨーロッパではクリスマスは12月25日から1月6日とする国も多い。
尚、イエス聖誕祭がクリスマスとなって一般に祝われるようになったのは西暦440年以降と言われる。

ところで、新約聖書には、イエス誕生の時、救世主出現を恐れたヘロデ王が、2歳未満の男児を全て殺すよう公布したとされる。
しかし、ヘロデ王は紀元前4年に死んでいるのである。つまり、イエス自体が、紀元前4年よりも早くに生まれているのである(紀元前4~8年の間と言われる)。
これは、西暦を定める際に、学者が計算違いをしたことが原因とされている。そして、その間違いはもう訂正しようがない。

クリスマス、特に、その前夜のイヴはカップルで過ごすものと誤解している人も多いが、これは商売人に洗脳されているだけである。そんな風習があるのは日本だけだ。キリスト教国では、いくらあこぎな商売人でもそんなことを薦めたりはしないはずだ。
ただ、クリスチャンでない外国人男性の間では、日本の女の子は夏とイヴは不気味な程ナンパしやすいことで世界的に知られている。
そもそも、本来、クリスマス・イヴとはクリスマスの1日の前半のことである。古代では、1日の始まりは日没だったので、その意味では24日の夜をイヴと言うのも間違いではないが、そんな事情を知りもしない者が、クリスマス前夜をカップイルでいちゃつくというのも変な話であると認識した方が良い。今日的に言うなら、イヴは25日の午前である。

ただ、日本でも熱心なクリスチャンは、イヴやクリスマスはボランティアを行うと決めている人もいるらしい。いや、実際に見たわけではなく、立川恵さんの「怪盗セイント・テール」という漫画で、可憐な美少女でシスターの卵である深森聖良(みもりせいら)さんがそう言ってたのを鵜呑みにしただけであるが、ありそうな、いや、あったらいいなと思っただけである(笑)。尚、この聖良さんは、クリスマス・プレゼントをもらった経験が一度もないということであるが、西洋でも、クリスマスプレゼントの習慣はやはりあるようである。
ただ、サンタクロースの話は随分変質してしまっているが、それはまた機会があればお話しよう。

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2007.12.24

芸術家と巫女

私にとって、クリスマスより重要なのは、年末のマッチ売りの少女の命日である(をい)。
吉本隆明氏の「共同幻想論」から考えると、クリスマスに浮かれるのが共同幻想で、マッチ売りの少女を憂うのが個人幻想であろう。いずれも幻想であるが、共同幻想と個人幻想に差異が大きいと巫女かシャーマンになれるようだ。
尚、巫女の巫(かんなぎ)という字は「工」の中に「人」が2人である。工の字の上の横線は天、下の横線は地である。天の素晴らしいものを地に下ろし、地の素晴らしいものを引き出すのが巫女であるが、今日では、巫の字を引き継ぐ工に携わるものがそれを行う。
1つは工学に携わる科学技術者であるが、1つには工房を仕事場とする芸術家である。
横尾忠則氏は、「私の仕事は天国の美を地上に知らせること」と著書に書かれていたが、それが芸術家の使命であろう。また、同時に地で泥にまみれないといけないという意味でもあると思う。
世俗にどっぷり関わる巫女的芸術家、または科学技術者こそ神のごとき業を行うのかもしれない。

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イヴのラクガキ。上の絵をクリックするとポップアップで大きな絵を表示します。

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2007.12.23

アヴェ・マリア

私はずっと「アヴェ・マリア」の良いCDがないか探している。
アヴェ・マリアは、シューベルト派とグノー派がいるようなことも聞くが、私には「犬と猫、どっちが好き?」というようなもので、選べるはずがない。いずれにも萌え萌えである(笑)。
では、いずれのCDも沢山出ているではないかと言われそうだが、気に入るのが無いのだ。
ソプラノ歌手の歌唱のものが多いが、どれもパワーがあり過ぎる。声量のある声とテクニックで朗々と歌ったり、巻き舌のメリハリの強いアクセントがアヴェ・マリアらしくないと感じられて仕方がないのだ。
男性歌手のも聞いてみたが、ややイメージが合わないように感じる。
やはりアヴェ・マリアは清純可憐、どこまでも清らかで、その上で儚げでないといけないのだ(趣味の問題か?)。
子供の頃、ウィーン少年合唱団とエーリッヒ・ベンダー少年少女合唱団の歌で聞いたことがあるが、これが良かった。ただ、ウィーン少年合唱団のものは、いかに素晴らしいソプラノでも、やはり男の子の声である。そこに抵抗を感じないでもなかった。
そもそも、なぜ少年合唱団といったものがあるのだろう。人によっては、少年特有の声が素晴らしいらしく、女の子の声が混ざるのは良くないと言う。
しかし実際は、昔、女性が教会で歌うことが禁止されたせいで男の子だけの合唱隊ができたのが少年合唱団のルーツとも聞く。
少なくとも、アヴェ・マリアに関しては、少女の声があった方が私は良いと思う。
実際、エーリッヒ・ベンダー少年少女合唱団が歌うアヴェ・マリアは記憶に残っているものをハートの中で再生してみると今でも聴き惚れるのである。
名高い少年少女合唱団のCDは廃盤が多い。まあ、爆発的に売れるものでもないので、販社も力を入れないのであろうか。

尚、「アヴェ・マリア」とは、ラテン語で「めでたし、マリア様(おめでとうマリア様)」となるらしい。
ところで、シューベルトのアヴェ・マリアは世俗曲であり、宗教曲ではない。これは、ウォルター・スコットの叙事詩「湖上の美人」をシューベルトが歌曲にしたものの一部であり、いつのまにか「アヴェ・マリア」と呼ばれるようになったらしい。
そして、宗教曲としてのアヴェ・マリアは、アヴェ・マリアの祈祷文で、マリアに対する祈りである。

ところで、ほとんどの人が気付いていないと思うが、旧約、新訳の聖書の時代にも奴隷は多くいたはずだが、いずれの聖書にも奴隷制に対する非難は出てこないのは不思議である。実は、奴隷制は当然のことと思われていたらしい。よって、イエスも奴隷解放には関心がなかったようである。

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2007.12.22

クリスマスが近付く度に思うこと

何の機会に見たのかは忘れたが、アメリカの大昔のミステリードラマシリーズ「トワイライトゾーン」で、貧乏な男が、急に大富豪になるというものがあった。彼のもとには、毎日ひっきりなしにセールスマンが訪れ、高額な商品を売りつけていった。ある時、その成り上がり富豪が「もう欲しくない!何も買いたくない!」と言うと、セールスマンは「いえ、あなたは買わなければならない。買う義務があるんです」と主張した。

経済大国で大切な人間とは、たくさん消費する人間である。金持ちは高額な税金を払うと同時に、がんがん金を使い、さらにがんがん稼いでこそ国家の英雄なのである。
沢山売れるCDを出す歌手は重要人物だが、その歌手もまた、稼いだ金でがんがん贅沢をしてくれないと困るのだ。
また、庶民も、ちまちま稼いだ金を貯金しているようではだめなのである。ブランド品や新型の自動車などを我慢せず次々買わなくてはいけない。庶民に金を使わせため、クレジット会社はみだらに消費することのイメージを高めるCMを作り、国民をその気にさせないといけない。
大企業は、あれも欲しい、これも欲しいと思わせる宣伝をぬかりなく行う専門部隊をより強化しないといけない。「いい女は我慢知らず」と馬鹿女共に叩き込まないといけない。お父さんは、可愛い娘のためにおこづかいを際限なく与えてこそ愛情ある良いお父さんであると信じさせないといけない。
保険や医薬品に暖かい心があるという幻想を浸透させないといけない。なあに、庶民の心を操るなど他愛もないことである。

今のわが国は、このようなものに支えられているのかもしれない。
クリスマスが近付く度にそう思うのは当然のことと思う。

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2007.12.21

信じる者は救われる

「信じる者は救われる」という言葉があるが、これには多くの方が少しは同意されるのではないだろうか?
よく知られる例としては、プラシーボ(偽薬)効果というものがある。実は全く薬効はないが、外観は薬品のようなものを投与すると、客観的にも有意な治療効果が認められることがあるというものである。いわゆる「暗示効果」のようなものだが、これは悪い方に働く場合も考えられ、始終、「顔色が悪いね」などと言われ続けると本当に病気になることもあるといったものである。
作り話も多いであろうが、宗教信者が絶対的に信じる教祖に「病気が治る」と言われ、難病が本当に治ったという例も実際にあると思う。また、その逆に、本物の呪術師と信じた相手から「お前はまもなく死ぬ」と言われて、死なないまでも病気になったということも実際にありえると思う。

その効果を手っ取り早く見せるのは催眠術である。深い催眠状態になった者に、「お前は歩けない」と暗示をかけると実際に歩けなくなる。また、逆の効果と言えると思うが、レモンを渡し、「これは甘い」と暗示をかけると、それを平気で食べることができる。
また、暗示のかけようによっては、10円硬貨を指で曲げるという、空手の達人並のパフォーマンスが誰にでもできる。

また、学業、スポーツ、ビジネスにおいても、信じる力は偉大であると思わされることは多いと思う。極端な言い方をするなら、「出来ると思えば出来る。出来ないと思えば出来ない」ということである。
確かに、一見、信じることと逆の結果となることもある。
プロボクシングの元世界王者の具志堅用高さんは、世界王者グスマンに挑戦することが決まり、グスマンのスパーリングを見たとき、あまりの強さに驚愕し、「あんなのと戦ったら殺される」と思ったらしい。しかし、結果は具志堅さんのKO勝ちであった。ただ、具志堅さんは試合開始と同時に恐怖で頭が真っ白になり、無茶苦茶にパンチを出したところ、気が付いた時にはグスマンがのびていたと言う。
逆に、絶対の自信を持って挑んだことで無残な結果に終わった例も数え切れまい。
ただ、具志堅さんの場合は、無心になったということであり、自信がありながら失敗する者は慢心があったということと思う。そして、具志堅さんの場合は実力が実際にあったのだが、無心になることで実力が発揮できたということであろう。

さて、誰でも、信じる心、自信、信念が欲しいのだと思う。達成したい目標があるのに、全く自信が無いというのは辛いものである。もちろん、的外れな目標に対して自信があるとか無いとか言うのは意味がない。例えば、少年野球チームに参加したばかりの少年が、将来、大リーガーになれる自信が無くて悩むというのは馬鹿な話である(もちろん、目標としては悪くは無い)。
合氣(気)道の大家の藤平光一氏は、毎日鏡に向かって「私はますます信念が強くなる」と自分に言い聞かせているようであるが、これを普通の人がやっても逆効果になると思う。昔、セールス会社には、社員に鏡を見ながら「売れる売れるぞ」と自己暗示をかけさせるようなことをやらせたところがあったらしいが、無論、悲惨な結果に終わっている。
実は、大事なことは無心になるということである。無心にならない限り自信はできない。
そして、無心になるには欲望を捨てなければ無理だ。
成功本や成功セミナー、成功プログラムで、「成功した自分の姿をイメージしろ」とか「目標を紙に書いて毎日読め」とかいうのがあるが、これらは欲望を喚起するだけであるので、全く逆効果である。
ではどうすれば良いか。

私の知る、最も揺らぎ無き信念の持ち主は、政木和三さんだった(2002年没)。いろいろ批判もないでもないが、誕生パーティーには政財界の大物が集まり、著書は何冊もベストセラーになり(装丁を世界的美術家が行ったこともあり、その本を私は政木さんから直接貰った)、習ったこともないというピアノを見事に演奏するのみか、自作の曲を自分でピアノ演奏したCDを出し、50歳過ぎて始めたゴルフは関西シニア選手権で優勝し、340ヤードを飛ばしてスポーツ新聞に載った(実際は370ヤードだが、信じてもらえないと困るので340ヤードにしたとご本人から聞いた)。80歳を過ぎても企業で研究を続け、納税は毎年1億円だった。お金には執着はないようだが、サラリーマンの月給600円の時代に「千万長者になる」目標を立て、実際2千万円の預金を作ったらしい。
政木さんに、「私もあなたのようになれるか?」と聞いたら、政木さんは「簡単です。欲望を捨てればいいのです。あなたはまだ、いろいろなことを自分の能力でなんとかしてやろうと思っている。それがいけない」と言われた。
政木さんは、「私はお金なんてちっとも欲しくないんです。でも、社長が私が作った製品の特許料を全部私の口座に入れちゃうんです。だから納税が1億になっちゃうんです」と冗談で困ったように言っておられた。
なんとなく、これがコツと思った。
さて、極めつけにモテる凄いコツを教わったので披露・・・あ、時間切れである(笑)。いえ、基本は同じですので・・・^^;

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2007.12.20

フリーソフトで描くフラクタル

フラクタルとは、全体と部分が同形態のもので、一部分を切り取って拡大すれば、全体の像と基本的に同じ形です。さらに、その切り取った部分の一部を切り取っても、さらにその切り取った部分の一部を切り取っても果てしなく同じような形です。
よく知られているのが、海岸線、枝分かれした樹木、山などの形です。人体の血管もそうです。
フランスの数学者マンデルブロによる幾何学の概念です。

フラクタルは部分と全体が自己相似であるという言い方をします。つまり、部分と全体が同じ形態であることをちょっと専門的に言うとそうなります。
ところで、コンピュータプログラムには、再帰(リカーシブ)というテクニックがあります。これは、あるプログラムが、自分自身をさらに呼び出して動かすというもので、そのプログラムが図形を描くものであれば、描く形はそのままで、角度や大きさを変えて自分自身である図形を描くプログラムを呼び出し続ければフラクタルができます。

Ft0001

このフラクタルは、フリーソフトのApophysis(アポフィジス)で描いたものです。フリーとは思えない素晴らしいもので、簡単にフラクタルを描ける上、自分で様々に設定を変え、様々なバリエーションで描くこともできます。
このソフトはこのページの「2. お薦めフリー・フラクタル・ソフト・アポフィジス(Apophysis)」を参考にすると良いでしょう。ここでダウンロードできますし、インストールの仕方や簡単な使用方法等が説明されています。
フラクタルで、芸術表現の幅を広げることができる・・・かもしれないですね。

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2007.12.19

UFOが地球に来ていると言う愚

官房長官さんが、UFOがいると言ったことが話題になり、それにつられてUFOの話題が増えているようだが、実はこの問題、考えてどうなるものでもないという認識が必要だ。
結論から言えば、「UFOは宇宙のどこかにいるかもしれなが、地球には来ていない」と考えるのが極めて正当である。これが正当であることが認識できれば良い。

太陽系には、地球のような文明のある惑星は存在しないことは明らかと言って良いから、もしUFOがあったとしたら、他の太陽系の星にあるということになる。
我々の太陽系に近い恒星は、4光年から8光年の距離にいくつかあるらしい。これらの恒星を回る惑星に地球のように文明が発達した惑星が存在するかであるが、おそらくその可能性は奇跡的という言葉も意味をなさないほどのあり得ないものであろう。しかし、ここでは、初めてゴルフをやる素人が100回連続ホールインワンを起こすことも絶対無いとは言えないという無茶な論理で、地球から4光年離れた太陽系惑星に超科学文明があるとしよう。

ここで問題となるのは、我々には4光年という距離が全く見当が付かないということだ。だからUFOが地球に来るなどという馬鹿なことも言ってしまうのである。
4光年とは、約38兆キロメートルである。人間のイメージの限界をはるかに超えた距離である。
いや、それでも、兆という言葉を、普段よく言ったり聞いたりしているので、なんとなく親しみはあるかもしれない。ビル・ゲイツの資産は日本円で6兆円以上とかね(笑)。しかし、1兆円という金額を、ほとんど全ての人が甚だしく誤解しているはずだ。想像をはるかに超えて大きな額なのである。
例えば、「1日百万円使ったとして、何日で1兆円使えるか」を勘で答えてみて欲しい。イメージとして数ヶ月とか、せいぜいが数年くらいではないだろうか?
答は百万日、即ち、約2740年である。予想外と思う。ビル・ゲイツの妾になるのも恐れ多いと気付いたはずだ(笑)。

38兆キロメートルを飛行してこれるかなど、想像ができるはずがない。よって、考えるだけ無駄である。
いかな比喩や類推を使ったとて把握できないような距離なのだ。
例えば、地球の直径を1センチとしたら、38兆キロメートルは約3万キロメートルに相当する。しかし、この3万キロメートルの意味すら分らないと思う。月の直径の約8.6倍であるが、そんなことを言われても困るであろう。
SF好きな方なら、「いや、ワープ航法を使えば」とか言われるかもしれない。宇宙戦艦ヤマトやスタートレックでお馴染みの瞬間移動航法である。しかし、そのようなものはあくまで空想上のものであり、何か実現の根拠があるわけではない。
さあ、もうUFOに乗った宇宙人が他の惑星から地球に来ているなどという馬鹿は言わないでおこう。

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2007.12.18

「引き寄せの法則」を読む

書店の主にビジネス部門の自己啓発書コーナーに、「なんでも望みがかなう」ことを謳い文句にした成功法則の本が沢山ある。
おおよそ、3種類に分けられると思う。1つは思考習慣や行動習慣を律して能力アップするという比較的常識的なもの。2つ目は宗教的なもの。3つ目は、神秘的な宇宙の法則を使い世界を動かすというものだ。2つ目と3つ目では、宗教か宇宙の法則かという表現の違いだけで、内容は同じようなものと思う。
人気があるのは、3つ目の「宇宙の法則」の使い方をマスターするものであると思う。
中でも、努力不要を標榜(公然と唱える)するものが好まれるのは当然と思う。

実際、昔からのベストセラーから比較的新しいものまで、「話題騒然」「全米超ベストセラー」と書かれたものが沢山ある。よほど人気のあるジャンルであるのだろう。
Amazonでも、これらの本には力の入った読者レビューが数多く付いている。ただ、「素晴らしい」「究極の成功法則だ」とレビューしている方は多いが、実際に億万長者になったとか、イチローの1/10程度にでも成功したというものは全くない。言っては悪いが、いかにも貧乏人が希望を持ったといった程度のものばかりである。

私もとりあえずどれか読もうと思い、現在最も旬らしい「引き寄せの法則」(ソフトバンククリエイティブ )を読んでみた。異世界の賢者エイブラハムの教えをチャネリングで伝えるというものである。チャネリングとは、死者の霊を霊媒と呼ばれる霊能力者にとりつかせるのと大体同じと考えて良いと思う。ただ、エイブラハムは死者というよりは、次元の異なる世界の生命体であるらしい。尚、巷では、宇宙人とのチャネリングの本も多い(結構面白い)。
チャネリングというだけで受け付けないという人も多いと思う。
ただ、「20世紀最大の詩人」と言われたW.B.イェイツの「ヴィジョン」は、彼の奥さんが異世界の住人とのチャネリング(自動書記の形だったようだ)によって情報を得て書かれたものである。もっとも、この本のおかげでイェイツにそっぽを向いた識者も多く、少なくとも文壇を困惑させたことは確かと思う。
また、世界的美術家である横尾忠則氏の著書では、横尾氏はチャネリングも宇宙人も霊も敢然と肯定しておられる。
確かに証明の出来ない世界ではあるが、人に迷惑をかけない限り、思想の自由の範疇である。

さて、その「引き寄せの法則」であるが、予想に反し、良い本と思った。
これまでの多くの成功法則の矛盾をよく解消しているあたり、画期的とすら思う。
2007年10月刊と、まだ出たばかりであるが、もう2ヶ月程度は経っている。
しかし、おそらく、この本の通りにして、20万円の月収が200万円になったとか、乗っている車が中古の軽自動車からセルシオやベンツになったという人は、これまでも、そして今後もほぼゼロと思う。このあたりは、これまでの成功法則の本と全く同じだ。
私は良い本とは書いたし、内容は言ってみれば正しいと思う。ただ、肝心なことがすっぽり抜けているのだ。なぜこんな肝心なことが抜けているのか実際不思議だった。著者が気付いていないのか、何か理由あってわざとそうしたのか・・・。いずれにせよ、放っておいても成功したような人は別だが、現在不幸で苦しんでいる人が素晴らしい立場や境遇になることはまずない。あり得ない。

ただ、よく考えると、その抜け落ちている「肝心要」の部分をさあここで書こうと思ったら、それはなんとも難しいことと思った。その難しさも変なもので、言ってみれば、簡単過ぎて難しいのだ。なんとなくニュアンスが分っていただけるだろうか?(分るはずがない^^;)
では、ちょっと方向を変えて説明しよう。
ナポレオン・ヒルやジョセフ・マーフィー、ノーマン・ピール、ロバート・シュラーといった昔からある成功法則は今でも人気があるし、さらに、「なぜこれらで成功しなかったか?」とうまいことを言う新種の成功法則にも面白いものがあり、新しい読者を掴んでいる。逆に、「これが成功法則の真の原典」という、ムードたっぷりに古代の真理の復活を謳い文句にするものありと、なかなかの商魂と感動する。
よって、成功法則の読者は膨大なものながら、これらを読んで、極めて低い立場の者が躍進したということは、実際は無いらしい。それどころか、成功法則の本のマニアは中流以下か、はっきりいってその者個人は下流層が圧倒的であると思う。まあ、私がそうだったのだが(笑)、成功法則を捨てて地道にIT技術の習得に励んで、ちっとはマシになり、偉い人の執務室にも入れるようになった。すると、そんな部屋には必ず本棚があり、実務書以外にもいろいろな本があった。そして、ほぼ必ず、成功法則の本が1冊あるのだった。ただ、注意して欲しいのは、「1冊」ということだ。2冊ではない。2冊なら2流、3冊あれば3流の社長である。
ある大人物の本棚には成功法則の本は1冊もなかったのだが、なんと、1冊を何千回と読み、とうとうばらばらになってしまったという(20年かかったとか)。
また、別の社長は、書籍ではなかったが、SMIという成功プログラムのテープを耳が空いている限り聞いていた。あまり常にイヤホンを付けているので、難聴者と思われているらしい。
ご本人は次から次に本を出しているが、大富豪の斉藤一人氏の本を読むと、明らかに「マスターの教え」の引用が見られるが、多分、これだけ読んでいるのではないかと思う。

そしてもう1つ。いかなる成功法則を学んでも、成功するには精神の円熟が必要であることは疑いない。当たり前の話で、普通の中学生や高校生が何千万円も手にできたら、世界は混乱し、何より本人たちが不幸であるし、そもそも、絶対にそんなことはあり得ない。

精神の円熟という必要な条件をクリアできない者が非常に多いのであるが、実際は成功法則の中には優れたものも多いと思う。また、少々怪しいものであっても、ひょっとしたら効果は変わらないかもしれない(個人的には間違いないと思う)。
精神の円熟振りは、おかしなもので一目で分かるものである。一目で「どこにでもいる雑魚」に見える者が「引き寄せの法則」を読んでも始まらない。そういうことである。

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2007.12.17

無欲

無欲とは良いものだ。
ある時、私はかなり疲れていたが、電車に乗る時、先頭に並んでいながら、あっという間に後ろから割り込まれた。最後で結構と、割り込ませてから乗ったら、やはり席はなかった。しかし、目の前の席に座っていた2人が急に降りた。
私が片手間に作っていたコンピュータソフトを、ある社長が買いたいと言ったが、別に売る目的のものではなく、大したものでもなかったので、「差し上げます」と言ってソースプログラム(コンピュータ言語で書いたプログラムのテキストファイル)入りのメディアを渡した。後で、「5万円くらい貰っとけばよかったかな」とも思ったが、翌日、その社長から50万円振り込まれていた。
エジソンの最初の発明を、ある社長が買うと申し出た。エジソンは5千ドル欲しいと思ったが、「言い値でいいです」と言ったら4万ドルくれた。

ところが、大抵の人は、絶対に損をしたくないと思っていて、実際、目先の小さな利益に必死にしがみつく。それで、結局は大事なものを失っているように、私には思えてならないのである。
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2007.12.16

幻想の未来絵画

小学2年生の時の美術の時間、「ものすごく変な顔」を描くように言われた。
出来た絵は全て教室の壁に貼られたが、私の絵は上下逆に貼られていた。注文通り、変な絵であったわけだ。不満はあったが、「これもありか」と思い、抗議しなかった。
マチスの「舟」もまた、ニューヨーク近代美術館で誤って上下逆に展示されたが、絵を見た11万人は誰も気付かなかった。きっと変な絵であったのだろう(笑)。

言うまでも無く、宇宙空間では上下はない。だが、地上で描かれた絵には重力が描かれている。よって、宇宙空間で見ても、絵画には上下は存在する。
ようやく、民間人の宇宙飛行の可能性も見えてきたが、将来は、無重力状態で描かれた絵画が一分野を築くかもしれない。重力から解放された絵画というのも楽しみである。

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2007.12.15

鼓動の神秘

小学生か中学生の男の子に、聴診器で好きな女の子の心音を聞かせたら、興奮するよりも心臓の鼓動の神秘に感動するのではないかと思う。確信は無いが(笑)。
Wikipediaを見ると、聴診器が発明されたのは1816年で、子供が木の棒に耳を当てて遊んでいるのを見て、医者のラエネクが発明したとある。初期のものは、筒状の木で作ったらしい。
Wikipediaには書かれていないが、なぜラエネクがそんなことをしたかというと、当時の医者は、直接患者の胸に耳を当てて心音を聞いていたが、非常に太った患者がいて、心音がよく聞こえなかったからである(Wikipediaに勝った^^;)。
聴診器なら、Amazonで600円程度からで売っている。是非購入してお医者さんごっこ、もとい、鼓動の神秘に触れて欲しい。

20071215
心音を聴きたい対象を考えながらラキガキしたらこうなった。私のラクガキはウィジャ・ボード(こっくりさん)である。無論、嘘である(笑)。クリックすると、ポップアップで大きな絵が出ます。
なんて素朴な絵だ!(笑)

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2007.12.14

惹き合うハートの秘密

タイムマシンを最初に考えたのは、英国の著名なSF作家ハーバート・ジョージ・ウェルズであると思う。この1866年生まれの作家の作品は現在でも読む価値は最高にある。彼の作品はSFというジャンルに制限されず、文学として極めて優れたものであり、逆にSFに限るなら、歴史上でも最高の作家であると思う。
彼の代表作「タイムマシン」「宇宙戦争」はいずれも、1950年代と2000年代に映画製作されており、4作全て名作の誉れ高い。
ただ、今回はウェルズの作品の賞賛が目的ではない。

タイムトラベルを題材とした小説、映画、ドラマ、漫画、アニメ等で、特に過去に時間移動した時の行為の影響がクローズアップされることがある。
例えば、ある人物を消したければ、過去に時間移動し、その人物の両親、あるいは祖先を殺せば、最初から生まれなかったことになり、この世から消えるといったものを一度は見たり読んだりしたことがあるのではないか?
また、こういった歴史の変更が起こることを防ぐための時間警察を登場させるのは、タイムトラベルもので常套化されている。
しかし、それはおかしな話である。
まず、ある人物を消すために、その者の両親や祖先を消せば、下手したら、それを実行した者や指令を下した者も一緒に消える可能性だってある。少なくとも、その人物1人が消えるといった程度で済むはずがなく、多くの人が一緒に消えたり、消えないまでも全く異なる人物になったり、その他、あらゆることで大きな異変が起こるに違いない。
それどころか、誰かが過去に行って、石ころ1つ動かした影響すら計り知れないのである。
私は特に賢いわけでもないのだが(笑)、小学生の頃には、十二分にその可能性に気付いていて、どうもタイムトラベルものにほとんど嫌悪感を持つようになってしまった。

「バック・ツゥ・ザ・フューチャー」という映画では、マーティ少年が過去の世界に行き、そこで出会った自分の母親がマーティに恋をしてしまい、マーティの父親と恋に落ちず、マーティが消えかかるというストーリーであったが、これも、マーティ1人の消滅で済むはずのない話である。
もちろん、娯楽映画であり、それとして楽しむなら、過去の時代の母親のロレインがついに憧れのマーティにキスをした時、彼女は不意に怪訝な顔になり、「なんだか弟にキスしたような感じ」と言う場面が面白かった。
顛末はご存知とは思うが、まだご覧になっていない方のために隠しておこう(公開から20年以上経っているが・・・)。

さて、過去を変更するというカラクリではなく、1人の人間がもともと存在しなかったことになってしまうという状況が描かれるのが、高橋弥七郎さんの小説「灼眼のシャナ」(他に漫画、アニメ、アニメ映画がある)である。
人間が、その根源的なエネルギーである「存在の力」を喰われると、存在自体を失くし、最初からこの世にいなかったことになってしまうというものである。その人間が消えたことによる矛盾は自動的に調整されるが、どうしても無理があるので、あまり多くの人間が消えると、世界に歪みが生じ、それが大災厄に至る可能性があるということになっている。
あなたには2人の子供がいるとして、実際にはもう1人いたかもしれない。しかし、その1人は存在を喰われて消えてしまっており、そのことは全く気付かないといったものである。

この小説の通りでなくても、人間は何かのきっかけで、誰かを、あるいは、自分の経験を記憶から完全に抹消してしまうこともある。
これに関しては、筒井康隆氏の小説「悪夢の真相」に面白く表現されている。この作品は、以前は、「時をかける少女」の書籍に同時収録されていたが、現在もそうであろうか?
高所恐怖症の少年、般若の面が死ぬほど恐い少女が登場するが、彼や彼女は、なぜそれが恐いのか全く分らない。それを恐れるようになった事件が記憶からすっかり消えてしまっているからである。やはり同じ書籍に収録されていた「果てしなき多次元宇宙」と共に傑作であると思う。是非、ご一読を・・・。

上記、いずれかの小説にこんな話がある。
15歳の少年と、せいぜいが12歳にしか見えない少女は、その絆を強めていた。少女は大変に体術・剣術に優れ、毎朝、少年の家に来て、少年を鍛練していた。少年の母親と少女は非常に仲良くなり、少年の母親は少女の分も朝食を用意し、さらに少女を入浴させてから息子と少女を学校に送り出した。その他にも、少年の母親は、あらゆることに異常に秀でてはいるが両親がなく、少女としての感情に翻弄されることもある少女に賢明なアドバイスを与えるなど、限りない愛情を少女に注いでいた。
しかし、ある日、少年は消える。少年の母親は、少年のことを全く憶えていない。少年の部屋も、もともと少年がいなかった様子のものに変わってしまった。
それからどうなったか・・・。
少女は、毎朝、少年がいた家を訪れ、1人で鍛練を行った。鍛練が終わると、少女は少年の母親だった女性の作った朝食を食べ、女性は少女を入浴させた。本来、何の関係もない主婦と少女では不自然なことであるが、それは何の違和感もなく続いていった。

もちろん、創作のお話ではあるが、人間とは本来、このようなものなのだ。
意味もなく惹かれる人というのはいるものである。単に萌え萌えキュートであるという理由からだけでなく(笑)。そのような気持ちは大切にしなければならない。

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2007.12.13

派遣でなんか働くな

最近、テレビで派遣社員の保護に関する活動についてのものを見た。
「派遣社員を使い捨てにさせない」といったスローガンを立てていたが、これはおかしな話である。企業は使い捨て社員として派遣を利用しているのだから。
問題は、労働者を不幸にするだけでしかない派遣ビジネスの規模が巨大化したことである。
十数年前だろうか、「派遣こそ新時代の業務形態である」とか言って、派遣でみんながハッピーになれるような考えを精力的に普及させた派遣ビジネス業者がいたのだ。
派遣業が普及すればハッピーなのは、第一に派遣ビジネス業者であり、次に、ユーザーの企業も使い捨て社員を後腐れなく利用できメリットは高いが、派遣社員には何のメリットもない。
昔は、派遣に登録すれば仕事が次々にやってきて、経験になるなんて宣伝がさかんにされたが、こんなのは大嘘であることは少し考えればすぐに分る。派遣社員にやらせる仕事は、典型的な単純労働や体力を使う仕事、また、正社員がやりたがらないストレスはたまるが経験にはならない仕事である。土台、経験になる重要な仕事を、すぐにいなくなる派遣社員にやらせるはずがない。
派遣を利用する企業は都合の良い派遣社員を十分に選べるし、気に入らなければ交換すれば良いのである。
本来であれば、派遣業者は、派遣登録社員に仕事がない間も、いくらかの手当ては支払うべきであろう。全ての損な部分は現在は派遣社員のみが背負っている。
昨今、ワーキングプアと呼ばれる低所得者層が増えてきたのも、派遣業の普及と無関係ではない。派遣で働く人のかなり多くは低所得であることは間違いない。
派遣なんて仕事を禁止すれば、使い捨て労働者ではなく、社員になれる人も増えるし、パートやアルバイトでも、派遣と比べればまだマシと思う。
まずは、派遣で働こうなんて気を起さないことだ。
これら社会の歪みの中には、企業による思想操作みたいなものがあるのである。
例えば、フリーターといえば、現在では決して良い印象はないが、かつてはフリーターを素晴らしいものとして、フリーターになることが推奨された。その時の宣伝文句もまた、いろんな仕事を経験できるとか、自由なライフスタイルとかであった。そんな言葉に踊らされた者はみんな不幸になったわけだ。なんのことはない。リクルート会社が、現在の派遣のような労働力を求める企業のニーズに応えただけだ。
派遣もフリーターも、いくら続けてもなんら経験にならず、それはつまり、社会での上位者になれず、いつまでも18歳と同じ扱いを受けるということでしかない。
派遣やフリーターが沢山いることで得をする者の目論見を見破ってこそ、健全な社会への足掛かりができるのである。

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2007.12.12

栄光ある帰還

リチャード・バックの「かもめのジョナサン」を読んでいたく感動する人というのは、ひどく虐げられた経験を持つ者ではないかと思う。
いじめられるなど不当な扱いを受けたり、差別されたり、大切にしている何かを踏みにじられたり。
また、優れた能力を持っているのに、それを発揮できないようしむけられたりといった場合もあるかもしれない。これは、特に子供のうちは辛いものであろう。
そういった屈辱の記憶を持つ者が、いったん消え、そして巨大な力をまとって戻ってくる。
これほどのロマンはないであろう。

「あしたのジョー」で、矢吹丈がいよいよ世界王者ホセ・メンドーサに挑戦する時、警察の吹奏楽隊がメキシコと日本の国家を演奏する。丹下段平は「丈が、かつて自分を追い掛け回していた警察に国家を演奏させているんだ」と感激する場面があるが、これに共感する人間もまた、心に傷を負う者であると思う。

逆に言えば、虐げられた者のみが持てる大いなる快感こそ「栄光ある帰還」である。
このような物語を読んで精神を奮い立たせ、是非、力を身に付けられたい。ただ、帰還しても、かつて自分を虐げた者達を皆殺しにするのは少し待つように(笑)。
このようなお話では、西部劇の「怒りの荒野」が面白かった。主演はジュリアーノ・ジェンマである。この映画は、ガンマン十か条が有名であるが、私としては、私生児として迫害されたスコットが、凄腕ガンマンのタルビーと組み、自分を虐げた者達の町を支配した時の快感に激しく共鳴した。もっとも、彼は最後に復讐を捨てる。
最近見たものでは、「灼眼のシャナ」16巻(電撃文庫)がある意味、栄光の帰還を鮮やかに描いていた。かつて、「お前は人じゃない、モノよ」と言われ、「お前は本当に弱い。みっともない」と言った少女に対し、何度も自分の力の無さを呪った少年が町に帰ってきてその少女に言う。「僕は強くなりたいと思った。そして、強く強くなった」。

私も、相当暗い過去があるらしい(笑)。

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2007.12.11

罪な名画

野外ミュージカルの傑作映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」(ノーマン・ジュイスン監督版 1973年)で、イスカリオトのユダがイエスを「しなびたマンダリン(オレンジ)」だと歌う場面がある。ユダはイエスを散々なじり、イエスはユダにGet out(出て行け)と言う。ユダは一瞬、イエスを抱くが、そこを飛び出す。それを見送るイエスの表情が苦悶に染まる。良い場面である。

だが・・・
この時代のイスラエルにオレンジがあるはずがないのだ。
しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチの世界的傑作「最後の晩餐」でも、テーブルの上にオレンジ、もしくはレモンが認められるらしい。
オレンジもレモンも原産はインドで、これらがヨーロッパに伝わるのは12~14世紀と言われる。
「ジーザス・クライスト・スーパースター」も、この「最後の晩餐」を参考にしたのかもしれない。罪な名画であるし、天才レオナルドにも間違いはあるということかもしれない。
尚、「最後の晩餐」でのオレンジ(もしくはレモン)の役割は、そこにある魚料理にその果汁をかけるというもので、現在でもよく行われている。しなびたオレンジはその用を満たさない。よって、ユダはイエスに「役立たず」と言ったのかもしれない。

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2007.12.10

世にも奇妙な祭日「クリスマス」

クリスマス・イブにラブホが満杯になるほど今の人は馬鹿ではないとは思うが(微妙か)、イブがロマンチックだなんてアホなこと、誰が広めたのだろう。多分、飲食業やホテル業、貴金属業その他、あらゆる娯楽・販売業の関係とは思うが、乗せられる方も乗せられる方である。
そもそも、クリスマス・イブが24日の夜だなんていうのが間違いで、本来、イブは25日の午前なのである。
救いの御子のお誕生日に、なぜカップルが獣になって燃え上がるのか、実に不可解である。

20071209

な、なんと素朴な絵だ(笑)。クリックすると大きな絵が出るが、やはり素朴だ。。。

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2007.12.09

井の中の人間

誰でも17歳くらいまでに、一度くらいは世の中を変えたいと思うものだろう。
もう少し正確に言うなら、この世のありかたを変えたいと思うのだと思う。
まあ、昨今では、そういうことを考えない者も増えているかもしれないと思う。
また、そう思うとしても、個人的な願望のためにそう思うようでは意味がない。あくまで、他人の、大袈裟に言えば、全人類、さらにはあらゆる生命、果ては無生物を含めた世界全体のために世界を変えることを望むのだと思う。
ただ、問題はこうである。
変えたいと思う、現状のこの世について、ごく僅かしか知らないこと。
そして、どう変えるのが正しいのかが、極めて難しいことだ。世の中とか人間というのは複雑なのである。それをごく独善的に単純化した理想を掲げるのが新興宗教みたいなものと思う。
新興宗教というのは、この世の調査があまりに足りないのであろう。ごく一部を見ただけで全てが分かったと思うものを、いわゆる「井の中の蛙」と言うのであるが、それも人間らしさと言えば人間らしさだ。
しかし、井の中の蛙の欠点はもっと別のところにある。それは、井の中すら、実際は知らないということだ。
ところで、「井の中の・・・」という場合、蛙が何匹いるかが問題にされないことが多い。蛙は何匹もいるはずだ。井の中をよく知るのは、最も立場の悪い蛙である。
井の中が分かっても、外のことは確かに知らないが、井の外で学ぶ能力を得たとは言えるのである。逆に言えば、井の中で立場が良かった者は、外でも大して学ばない。そもそも、井の中から出たがらない。
尚、井の中で最もよく教えてくれるのは、立場の良い蛙である。彼らを冷静に観察すると良い。案外面白いものである。
そして、我々の知る世界そのものが井の中かもしれないのである。

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2007.12.08

金持ち父さんからWeb2.0まで

「金持ち父さん貧乏父さん」という憶え易い本のタイトルで有名なロバート・キヨサキさんはブームを呼び、今でも人気があると思うが、私も最初の本を1冊だけ読んでいる。
とはいえ、何年も前に走り読みしただけである。みんながみんな株や投資に興味があるわけではなく、私も同様で、あまり興味が湧かなかった。しかし、1つだけ、非情に気に入った部分があった。それは、「資産」と「負債」の考え方だ。キヨサキさんは、一般に言われている資産と負債の考え方は間違いであると言う。そりゃ、一般に言われていることの大半は間違いなのであるが(笑)。
例えば、家は一般には資産であるが、キヨサキさんは負債だと言う。車も同様だ。
キヨサキさんは、資産と負債について「あなたのポケットにお金を突っ込んでくれるのが資産。逆にあなたのポケットからお金を取っていくのが負債」と、実に合理的な説明をしていた。これには私も納得した。キヨサキさんの言う、ポケットにお金を突っ込んでくれる資産は株のようなものであるということなのだろう。
だが、一番の資産はこれである(私は人差し指で頭を叩いているのだ)。まあ、これの磨き方が意外と難しいのであるが。
頭は本だけでは磨けない。意外ということもないが、頭は実践の中で使ってこそ磨かれる。学校ではあらゆる実践が無いのだから、頭が磨かれることは全くない。いじめられっ子がいじめっ子から我が身を守ったり、女生徒がロリコン教師の魔の手を逃れる方法でも自発的に考えれば、それは立派な実践であるが、学校はそんなこともさせない場所である。何せ、学校はいじめによる自殺は1件も無かったし、先生は女生徒に猥褻行為などするはずがないことを絶対前提にしているのだからね(笑)。

世間では「Web2.0時代」とかいう言葉が随分前からブームになっている。そして「Web2.0企業」だの「Web2.0時代への対応はおまかせ下さい」だのという訳の分からない企業が出てきたりして困る(笑)。「我こそはWeb2.0企業」といった顔で成り上がり、マスコミもこぞってそう言っていた神戸のクインランドという会社(ライブドアのライバルとか言われた)は、先ごろ、200億を超える負債を抱えて倒産した。私は何年も前から、「あんな会社、中味は何もないよ」と言い続けてきたのだ。あの会社の中に、まともな技術者なんて1人もいないなんて、誰も分からなかったのだろうか?
大体、Web2.0なんて言葉にはっきりした意味なんてないのである。
2ちゃんねるの管理人として有名なひろゆき氏もWeb2.0なんて意味ないといったことをよく言ってるらしいが、実践者は知るだと思う。
キヨサキさんなみに単純に言えば、Web2.0ってのは、総体としてのユーザーを善とするということと思う。これが分かっていれば、儲かる道もあると思う。

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2007.12.07

ひきこもりは運が良い

昨日、テレビでちらと見聞きしたことである。
人気俳優の柳葉敏郎さんのオーディションの話があった。本当の話かどうかは知らないが、真理を含んでいたので憶えた。
彼はオーディションに応募した1人であった。そして、オーディションが終わった2時間後に主催者は応募者の自宅に電話をかけた。本人が電話に出たら採用と決めていたらしいが、柳葉さんだけ家にいて採用となった。
一緒に遊びに行く友達もいない、いつも家にいるような孤独なのは運を持っているというのが趣旨であるが、おそらく、主催者は経験上知っていたのだと思う。
柳葉さんのこのお話自体が本当かどうかに関わり無く、それは正しいと私も思う。
孤独の典型といえばひきこもりだ。ひきこもりは、実際、運を持っているのである。ただ、その使い方を知らないだけだ。ひきこもりも二十歳そこそこならまだ気楽な場合もあろうが、今は30歳、あるいは40歳過ぎで仕事もできないひきこもりも多いと聞く。しかし、それで食べていけるのだから、幸運以外の何ものでもない。
私も立派な現役のひきこもりであるが、運の良さは脅威である。孤独な人間は、ちょっとコインを投げてみれば良いのだ。ただ、ギャンブルはだめである。ギャンブルは意識を曇らせる。そうなれば、何をやってもだめなのだ。
孤独なら、下手に他人と交流しようと思わず、孤独に徹すれば良い。
後は、良い状況が得られた時の準備だけしておけば良い。そもそも、機会なんて案外多いものなのだ。しかし、準備が出来ていないと幸運を掴み損なう。
簡単に言うと、素敵な彼氏や彼女がいるやつというのは、そんな彼氏や彼女が出来た時の準備が出来てるやつなのだ。
まあ、適度にがんばって欲しい。

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2007.12.06

アンペリア

本日は文章を書く気にならず、絵を1枚描きます。クリックすると大きな(というか縮小されない)絵が出ます。

20071206

モデルは2人。
1人は、ホフマンの怪奇小説「砂男」に登場する自動人形の少女オリンピア。大学生のナタナエルは彼女を人間と思い恋をします。このお話を基にしたバレエが「コッペリア」で、自動人形の少女の名前はコッペリアに変わっていますが、こちらは喜劇です。
もう1人のモデルは、マシナリー(高度な機械装置)のボディを持つ電子知性体アンナ・ヴァレリー。「8マンインフィニティ」に登場する、外見10歳くらいの少女ですが、超優秀な知性を持ちます。ですが、8マン・ネオこと、東光一にヌードを平気で見せ、光一が慌てると、「人間は不合理だ」と言います(笑)。光一は幸姉ちゃん(引き取られた先の娘)に「光ちゃん、犯罪よ」と言われたりします。

鏡を見ている自動人形です。鏡に少し水が付いています。これは、「8マンインフィニティ」の3巻最終ページのパクリです^^;
タイトルの「アンペリア」は、アンナとコッペリアをくっつけただけ^^;

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2007.12.05

禊としての芸術

特に高尚(?)な趣味を持つわけでもないという人でも、芸術的な絵画や音楽、あるいは詩や文学を鑑賞するようになることがある。ロックや刺激的な絵画、面白いだけの小説を受け付けなくなるのである。
そんな時は、ストレスが溜まっている場合が多いが、「癒し」を求めているとはあまり思いたくないものである。いや、直接にはそうであるかもしれないが、ストレスにより生命力が低下しているのであり、本来、エネルギーの拡充のために芸術に向かうのであると思いたいものである。「今日の芸術」での岡本太郎の話の趣旨もそんなものであると思う。

戦国時代の武士が戦場で花を生けたというのも、直接には癒しであったかもしれないが、これはむしろ「禊(みそぎ)」と考えたい。
禊とは穢れを払うことである。普通は、水をかぶるなどの行を行うことが多い。
しかし、上にもあげたように、花を生けたり、仏像を彫ったりする者もいる。
戦場では人を殺さねばならず、それは尋常な精神状態では勤まらないが、人間にとって心を荒ぶらせることは苦痛であるのが普通で、武士といえどもこれは例外ではない。放っておくと心は重くなり、やがて活力を失う。そこで禊を行うことで心を鎮め、新たな活力を呼び出すのである。

芸術的な絵画、彫刻、詩、文学に急に惹かれ出したら、心の病を疑う必要があるかもしれない。逆に言えば、芸術には、傷付いたというか、落ち着き無くさ迷う心を鎮め、それにより活力を湧き起す役目というのは必ずあると思う。本来、それは宗教の役目だったかもしれないが、現在の宗教にそんな力はないかもしれない。また、絵画や文学において、芸術的かそうでないかを分けるものはそのようなものではないかと思う。
となれば、良い芸術家になる意味の1つも分るのではないかと思う。

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2007.12.04

電脳ロマン

1950年代に描かれた「鉄腕アトム」の原作では、アトム誕生は2003年であったらしい。当時は、21世紀には、民間人が他の惑星に出かけ、地球内でも、自動車は空を飛ぶと空想されていたのだから、アトムだって出来ると考えたかもしれない。それも、一般庶民だけでなく、科学技術のそれなりの専門家ですら、ある程度、そう信じていたのではないかと思う。
アトムの主要スペックをあげれば、原子力エネルギーで動く10万馬力のボディーに、足には高速・長時間飛行可能なジェットが装備され、しかも宇宙空間ではロケットに切り替わるというものだ。(最初、アトムはジェットのまま宇宙空間を飛行したが、それは不合理であると指摘を受け、このロケット切替方式となった)

アトムは21世紀であるが、アトムのテレビアニメが開始された1963年に、アトムに対抗するために企画されたのが、伝説的ロボット漫画「8(エイト)マン」だ。8マンはアトムと違い、1960年代のままの設定である。アトムと比べ、性能は控え目(?)で、やはり原子力エネルギーで動き、音の10倍の速さ(!)で走り、10万キロワットの電撃を放射し、人工皮膚を変形させ、どんな人物にでも変装できる(関節を調整して小柄な女性にすら化けられる)。

ところで、アトムにしろ8マンにしろ、そのスーパーボディに優るとも劣らない驚異は、人間並み(あるいはそれ以上)の働きをする電子頭脳である。
コンピュータ技術は確かに驚異的に進歩したが、現在でもそのようなものはまだまだである。しかし、21世紀のアトムはまだいい。「50年先だ。何とかなってるさ」で済む(笑)。
しかし、8マンは1960年代そのままなのだ。その頃は、数百本の真空管を使ったコンピュータから、ようやくトランジスタを使ったコンピュータの時代となったが、アポロ計画のおかげで集積回路(IC)が発達するのはまだこれからだった。1969年に人類初の月面着陸を果たしたアポロ11号のコンピュータは当時としては先進的なICが使われていたが、今から20年前のパソコンにも遠く及ばない性能だったのは間違いない。
人工知能という言葉は、1956年に数学者のジョン・マッカーシーにより提唱され、マッカシーは1959年に人工知能の記述に適していると言われるプログラミング言語Lispを開発したが、1980年代においてすら、Lispの性能を十分に発揮するには超高価な大型コンピュータが必要だった(Lisp言語は、現在、その素晴らしさが見直されつつある)。
1963年頃の8マンの電子頭脳は、このように、まだいくらかの具体的考察ができるだけに驚異であるが、また、同じ理由からロマンを感じるように思う。
そして、1963年に、8マンでは、電子頭脳の難しさが認識されていた点でも面白いのだ(原作者の平井和正氏の洞察力は大したものだと思う)。
アニメの8マンで、原作漫画にはないお話であるが、原作者の平井和正氏自身が脚本を書いた「決闘」という話がある。これは、8マンを作った谷博士の息子ケンが、谷博士の母国アメリカ(アニメではアマルコという架空の国名になっていたが)で、ゴール博士によりスーパーロボット化され、8マンと決闘するというものだ。8マンはケンを生かすため、自分が死ぬことを決意する。8マンとケンの性能は等しく、戦えば両方滅ぶと判断し、それならせめてケンを救おうと思ったのである(涙)。しかし、谷博士は、8マンにケンの弱点を教え、8マンは勝利し、ケンは死ぬ。ゴール博士は、8マンのような電子頭脳を作ることができず、ケンの脳をロボットに移植したのだった。
また、ソ連(アニメではソラリア連邦)の科学者デーモン博士は、自分こそ世界最高の科学者と自認し、谷博士にもライバル心を燃やしていたが、8マンの電子頭脳だけは「さすがのわしにも作れなかった」と言わせている。
谷博士は、いかなる技術を使って1960年頃に電子頭脳を開発したのか、実に興味深い(妄想だ)。尚、8マンは、超古代文明のテクノロジで作られているという話もあるようである。谷博士は、それを発見したというわけである。ならば、デーモン博士も引け目を感じる必要はなかったわけだ。
8マンの正当な続編である「8マンインフィニティ」(2002年~)では、新型8マンである8マン・ネオ(正式名称は8th)などのマシナリー(機械装置という意味だが、極めて高度なロボットのような意味で使われている)の頭脳は量子コンピュータとされている。量子コンピュータは現在はまだ存在しないが、従来のコンピュータとは比較にならない性能を持つとされている。谷博士は、超古代の地球に存在した人類が発明した量子コンピュータのテクノロジを発見したのかもしれない。

人工知能も、何らかの分野に特化したエキスパートシステムのようなものなら、かなり実用されている。しかし、これらエキスパートシステムにはない人間の勘や閃き、インスピレーションと呼ばれるものは偉大だ。そして、多くの発明、発見、そして芸術も、このインスピレーションに負っている。
勘、閃き、インスピレーションにもある程度は論理的な部分もあるが、神秘的としか思えない部分もまだまだ多いと思う。
まずは、人間が自分の脳をどれだけ使いこなせるかが問題ではないかと思う。現実には、いろいろつまらない理由で、そのパフォーマンスを殺してしまっていることも多い。
アーサー・ケストラーのように、人間の脳は魚類や爬虫類の部分を持ち、その影響を免れない出来損ないと言う者もいる。
しかし、NLP(神経言語プログラミング)の創始者リチャード・パンドラーは、人間の脳は正しく使えば素晴らしいものであり、脳は、私の一番のお気に入りの遊び相手と言っていた。
学校で教育されると、脳は悲劇的なまでに破壊されると思うが、その被害を免れ、正しく知性を育てることで、多くの問題は解決できるかもしれない。

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2007.12.03

富なんて必要か?

「富を得る秘法」なんて本がよくある。間違いなく全部デタラメな本だが、なぜ富なんて必要なのだろう?
年収百数十万なんて人間をワーキングプアとか言い、実際、厳しい生活らしい。しかし、年収百数十万ってことは、月に十万は稼いでいるのだ。まともに独力で月十万稼ぐなんて本当は大変なことだ。彼らはある意味、まともなのだ。
しかし、日本では、沢山税金を収め、無駄な消費をダラダラし、車も適当に新しいのに買い換える人間しか大事にされないのだ。それが経済大国である。
だけど、働くのに向いてない人間って、確かにいると思う。かといって、宗教者になるということは、自分の信念を捨てて権威にひれ伏すことである。それに今は宗教も営業の時代である。なら教祖にでもなるかな。経済主義に疲れると、時たまこんなことを考えたりする(笑)。

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2007.12.02

商品としての絵画

私は画廊にあまり足を運ぶことはないが、絵画の販売店が家や職場の近所の百貨店に出張営業の展示に来られている時はよく行く。
あまり強引に購入を勧められることはないが、他のお客さんに比べて熱心に話しかけられ、一度は何かの絵を薦められる。実際、時にはかなり熱心というか、強引に近いものもあった。まあ、とりあえずは、私は見かけは品良く、お金持ちに見えるらしい(笑)。
聞くところでは、画廊のお店で、極めて強引・悪質な販売が行われているということもあるらしいが、実をいうと、それは特別ではなく、商業的には普通のことである。
強引な絵画の販売とはいえ、ほとんどの場合、扱っている絵自体は立派なものであると思う(中には贋作や粗悪品などもあるかもしれないが)。
しかし、いかに素晴らしい絵でも、そうそう売れるものではない。年季の入ったやり手のセールスマンの力がなくては、画家は食べていけないはずだ。実際、一部の画家以外は、制作活動だけで生活するのは難しいはずだ。
つまり、もっともっと営業力のある絵画店がなくては本来はいけないのである。
中学生以下のお子様をお持ちなら、度々、教材の会社からセールスがあるはずだ。これらの教材は、通常数十万円で、百万円を超えるものもあると思う。強引で感じの悪い営業もあるはずだ。しかし、これらの教材自体は、立派な学歴の先生方(必ずしも有能とは言えないが)が作ったものであるが、強引にでも売らないと、これら先生方や、セールスマン自体が食べていけず、そして、販売会社はたちまち倒産である。正直言って、こんな教材が役に立つとは思わないが、あくまで個人的意見としておく(笑)。
民間はこうであり、公務員とは違うのだ。
絵の場合も全く同じと思う。

私は、いまよく見る、保険会社のテレビCMには詐欺的なものが多いと思う。
保険会社の外交員、早い話がセールスマンが、顧客の熱心なサポートをするために、お客さんを訪問したりしていることをアピールするが、おかしな話である。
セールスマンが、毎日多数の顧客訪問を熱心に続けて、実際お客さんに喜ばれているとしたら、そのセールスマンはすぐにクビか、そもそも収入がないであろう。会社に帰れば、上司に罵倒されることは間違いがない。別に私は保険会社の関係者ではないが、普通に考えれば分かることだ。保険会社の収益は、顧客獲得を中心とした契約のみであり、顧客獲得目的のサービス以外はあり得ないのである。大型保険への切り替えが見込めるお客様はそれなりにサポートする必要はあるかもしれないが、単なるサポートサービスは仕事と認められず、そんなことをしている暇があったら、新規顧客開拓を命じられるはずだ。テレビCMのような、まるでお友達のようにお客さんを訪ねて時間を潰すのは、会社にはサボリとしか見られないはずだ。
まともな感覚があれば、保険会社のCMは見ていて嫌悪感を感じると私は思う。

画家の話に戻るが、物凄い腕前の画家は沢山いると思うが、絵だけで食べている人はむしろ稀有と思う。私のような素人から見れば、美大を出たくらいの人であれば、全員が一流の画家に見え、大画家の絵と単なる美大生の絵でも区別が付かない。
かと思えば、いやでも絵の依頼が殺到する絵描きもいるが、そのような絵描きは、多くの場合は人気イラストレーターと思う。私自身は、画家とイラストレーターに区別があるとは思っていない。ノーマン・ロックウェルは、イラストレーターと見なされ、当時画壇から相手にされていなかったところもあったと聞くが、今では歴史的画家で、作品が高価格で取引される。
ところで私は、いまは、いとうのいぢさんが売れていると思う。美術学校を出てアダルトゲームの絵を描いていたのが大ブレイクして、いまや超売れっ子イラストレーターだ。やはり、絵描きも商業感覚があるということは良いことと思う。もっとも、本物の芸術家というのは、絵が売れる売れないはどうでも良く、自分のテーマを追求するものであると思う。あのゴッホが、なんと見事に在命中、絵は1枚も売れなかったということもある。
絵描きもいろいろである。

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2007.12.01

天使の証し

男は、その少女が天使であるとしか思えなかった。
「天使の証を見せていただけませんか?」
少女は笑っていた。男は数日後にまた頼んだ。
「天使の証を見たいのです」
少女は、
「私は天使ではありません」
と言った。
だが、再度男は願った。
それから少女は姿を消した。彼女は本当に天使だったのだ。そして、姿が見えないことが天使の証しだった。
天使は、天使として人と一緒にいることができないのだった。

久々にモデルを前に描いてみました。イニシャルA、13歳。魚座とか。本物はこの百倍は可愛い(笑)。
とりあえず、クリックすると大きな絵がポップアップで出ます。

20071201_7

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