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2007.11.07

思いやりは集団への反逆から生まれる

アンケートによるベスト10なんてものが人気があるようだ。
最近では、「女が嫌いな女ベスト10」で沢尻エリカさんが1位に輝いたとか、恒例では「結婚したい男(女)」「抱きたい(抱かれたい)女(男)」「上司にしたい」などのベスト10である。
私には、こんなもの、何が面白いのか感情的には理解しかねるが、なぜこんなものが人気があるのかはよく分かる。これも学校教育の成果なのである。学校教育を受けると、権威者の意見、公式あるいは多数とされる考え、テレビアナウンサーの表明、感じのいい大企業の宣伝やCMを無分別に何でも受け入れるようになる。
自分の意見は無いが、自分にしか関心がない人間は、他人の意見を気にし、それと同調していることを確認して安心するのである。

アニメ好きの私は「アニメ名場面ベスト100」なんて番組があると興味が出て見てみるのだが、選ばれた場面は、私から見れば、なんとも下らない場面ばかりである。それを、ゲストの芸能人達が、「これが良い」と頷いたりするのである。
例えば、「めぞん一刻」というアニメで、五代君と響子さんという男女が結婚することになるのだが、名場面というのが、響子さんが五代君に真面目な顔で「私より先に死なないで下さいね」というものである。一見、思いやりの言葉だが、自分が死んで後に残される五代君のことを何にも考えていないだけの話である。これが、「私が死んだ後、思う存分悲しめ」という響子さんの隠れた願望を表したものであれば、なるほど、なかなかの名シーンと思うが、誰もそんなふうに理解はしていないようだ。

そもそも、先の「抱きたい(抱かれたい)」「上司にしたい」、そして「名場面」にしろ、それぞれの個人の持つバックグラウンドの問題であり、他人の意見や考えなどどうでも良いものばかりのはずである。
もちろん、古くは1つの村落の中で、情報の行き渡った現在では一国の中での共通した感覚や考え方というものは確かにある。しかし、それとは別に、自分の家や家族(あるいは恋人同士)の特別な事情や、自分個人として培ってきたものがあり、地域や国の中での共同思想に個人思想が同調するだけでは知性ある人間とは言えないのである。
世界平和を訴える理想主義者がうまくいかないのは、全ての個人思想を全体の共同思想と一致させようとするからだ。しかしそれは知性も活力もない状態である。知性や活力は個人的思想から生まれるものなのである。

ひきこもりというものは、国家や学校の持つ共同思想と個人の持つ思想とのギャップが大きいのだが、自分の思想をたやすく共同思想に同化させなかった者であろうと思う。なぜ同化させなかったかというと、やはり直感か洞察に優れているのだ。
W.B.イェイツは「集団の中に真理はない」と言ったが、確かに、人間は集団になると狂気に染まるのである。孤独の中で精神を鍛えるしか真理に近付く道は無いとも言った。
共同性というものも大事ではあるのである。しかし、それがために個人を全体に従わせるだけではいけない。そして、健全な個人主義を貫けば、おかしなことに個人は消えるのである。逆に、集団の中には異様に変質した個人的特性があり、そこには永遠に平和は訪れない。
戦争をなくす方法というのは、集団的狂気を個人的知性がどう指導するかの問題である。
昔、SF作家の平井和正氏は、原作を手がけた漫画「エイトマン」のアニメで、自ら脚本を書いた最終話で谷博士の口を借り、こう締めくくった。「他人に対し、暖かい思いやりの心を持つことだけが、人類が生き延びる唯一の道であると私は信じる」
ここには、国連もアメリカなどの超大国の指導もない。個人の考え方の問題である。思いやりの心は特に高度な個人的知性であり、集団に発生するものではない。むしろ、集団に反逆する個人に特有のものなのである。

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Comments

 「自分の意見は無いが、自分にしか関心がない人間は、他人の意見を気にし、それと同調していることを確認して安心するのである。」この言葉に衝撃を受けました。なぜなら、Kayさんとひきこもりの考え方が同調していることを確認して安心している私がそこにいるからです。
 自分の意見が乏しいのに気づき、自分の意見が言えるようになりたくてもがいている私。そんな私にとってkayさんのブログは麻薬の一種なのでは?とふと思ったのでした。

Posted by: Y | 2007.11.09 at 08:34 AM

★Yさん

是非、見極めていただきたく思います。
ただ、無であることに耐えられるようになれば、人間は無敵ですが、なかなかそうはなりません。
私も精神の麻薬は、できるだけ賢く使ってきました。
仕事を始めた当初は、オカルト的な信念にすがったようなこともあったような気が・・・(忘れたフリ^^;)
また、多くの考えに同調しました。そして、同調したらできるだけ試してみました。
最近の例で言えば、2年前に、心理学者の岸田秀先生の「唯幻論」に凝りましたが、半年前には捨てました。明らかにこれは超えたと思います。
現在は、無である勇気を持とうと思います。

Posted by: Kay | 2007.11.09 at 10:05 PM

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