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2007.11.11

なぜ殺してはいけないか

「なぜ殺してはいけないか?」という命題が話題になったことがあった。
いろんな有名な人がいろんな答を示したが、ロクな答はない。別に答えた人が馬鹿だというのではなく、答そのものに意味がないのだ。そのことを誰も説明しなかったとすれば、やはりあまり賢い人はいなかったことになる。

答はどんなものでも構わないのだ。
答は全てロクでもないものである。
ただ、なぜそのような答が出たのかを真剣に考えることが必要なのである。本当にやるべきことはこれだけである。
間違ってはいけない。「なぜ殺してはいけないか?」という問題の答を真剣に考えることが大切なのではない。自分の正直な答を出すのは易しい。その自分の出した答がなぜ出てきたかを真剣に考えれば良いのである。
これは、学校教育で完全に抜けている点であるが、最も重要なことである。学校教育には最も重要な部分がないのである。そもそも、学校教育は知恵を育てるのではなく、それを破壊するために行うのであるから、その目的を達するという意味では正しく機能しているのである。私は、そんな目的を持つ学校教育は無くて良いと考えているだけである。

ところで、「なぜ殺してはいけないか?」に関するヒントだけは出しておく。
人の考えには、3つの大きな要因がある。1つは純粋な個人としての考えである。2つ目は、極めて密接な人たちとの関係の中での考えである。つまり、家族や恋人、親友といった関係の中での思考である。3つ目は、自分が所属する集団の思想である。昔であれば、ほぼ1つの村落であったが、現在ではやや複雑だ。学校や会社、宗教団体といったグループの影響もあれば、マスコミを介して押し付けられる思想もある。そして、我が国の場合でも、国家の思想統制の影響は実に大きい。
そして、この3つの思想が似ているか、大きく異なるか。また、異なっている場合、個人や家族の思想を優先させるか、会社や国家の思想を優先させるか。さらに、その優先させる度合いにより極めて多様な状況となることが分かるであろう。

すると、極めて若い人の場合は、その考えは主に家族から来ていることが分かる。いくら本好きでも、実体験が伴わないなら思想にまで発展しない。
しかし、実体験が伴わなくても、執拗な繰り返しや、罪の意識を利用した感情破壊、即ち、洗脳の手法を使えば、かなり考え方は固定できる。これは宗教の場合に多い。
大人になると、様々な経験を重ねて自分独自の信念を培うのであるが、それでも、幼い頃に染み付いた家族思考や、学校やマスコミに押し付けられた集団思想の影響は実に大きい。
そういった中で、自分の答は、家族思想が大きいのか、学校で教わったものか、あるいは、国家や大企業の洗脳、あるいは、カリスマ的人気者や名作映画や小説の借り物であるのかを、真剣に考えてみる必要がある。これを敢えてやることで、思いもしなかった凄いことが起こるのである。何が起こるかというと、あなたの背中に羽が生えて空を飛び回るくらいの凄いことである。

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