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2007.10.12

心というものについて、長い間誤解され続けている。
美しい心など存在しない。清らかな心ならある。
強い心も存在しない。清らかで静かな心になれば強いのである。
不動心なんて本当は変な言葉だ。心とは動き回るものだからだ。
ただ、心が消滅した時、我々は心に引っ張られて動き回ることがないのだ。
つまり、無我、無心の時の我々が最上・・・というより、それが本来の姿なわけだ。
この世のあらゆる出来事は、心の消滅のために利用すべきと気付いた者が平和を得るのである。

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Comments

すごい…。
いつも思っていますが毎日ブログを更新なさるKayさんは凄いです。その全てが深遠、または崇高であるのでなおさら。
 この世の一切が修行の場と仏教では言いますが、なかなか無我、無心とつなげられずにいました。戦うことの意味を履き違えていたのです。
 一時期混乱した生活を送ってきて、中学のときからそうだったように、自分はもっとクール(世間ずれした、冷酷さのある)な人間になっていくだろうと思っていました。しかしあくまで真実にたどり着くことを目的としてきましたので、その思いが結局は私を救ってくれました。
 「祈り」と「心」とはとてもシンプルで好きな言葉です。

Posted by: mikemike | 2007.10.13 at 12:54 AM

今回も前回同様短文ですね
もしかして・・イラストに集中されてるのでは、・・・!?
最強のエロスを表現した奴に(笑

今夜のセミナーにポイッとな

Posted by: ヒデピョ~ン。。 | 2007.10.13 at 01:39 AM

★mikemikeさん

あ、木に登っておりました(ブタもおだてりゃ木に登るとか)。
私は、高校くらいの時はゲーテをはるかに超えるとか思ってましたが、無知とは恐ろしいものですね。
我々は、本当は無我無心なのですが、想像がそれを妨げてしまうのだと思います。想像しなければ純粋な魂が輝くのですが。

Posted by: Kay | 2007.10.13 at 09:39 PM

★ヒデビョ~ンさん
イラスト・・・ぜんぜん描けません。
仕事のソフト開発にあまり熱を入れると、論理的になり過ぎて絵が描けないようであります。
まあ、そんな時ほどエッチです(笑)。

Posted by: Kay | 2007.10.13 at 09:41 PM

想像しなければ純粋な魂が輝く、ですか…。
 Kayさんは、創作のときに発揮される妄想と、無我無心な状態とをどのように使い分けているのですか?使い分けるというのとは違う状態になっているのでしょうか?とても興味があります。ついこの間も、友達と妄想と無我について話し合ったばかりなのです。
 私は未だに自分はスーパースターだと思い込んでいる節があって、それがこの先どんな風に転ぶのか楽しみにしています。ええもう、その疑いの無さに戸惑うくらいに…。
 わたしは自分のやり方が最上として人に押し付けてしまうところがまだあって、いかに素晴らしいと思う考え方も他人に押し付けている限りはファシズムと変わりないなと反省します。そのうち変わっていくのだろうとは思います。

Posted by: mikemike | 2007.10.13 at 11:01 PM

心が驚くべき力を持っていることは疑いようがありません。しかし、心を自分だと思い込むと、ハートに使えるべき力であるはずの心に支配されます。

創作と妄想ですが、もし、優れた創作をしている時なら、自分が創作しているという感覚は無いでしょう。自己は心と離れ、心は自分の持ち場で本来の働きをしています。画家は、自分が描いているのではなく、絵が出来るのを見ているだけです。
自分のこと、自分の周りに起こることをただ見ること。これが一番と思います。

Posted by: Kay | 2007.10.13 at 11:32 PM

うおぅ。なんだか解ります。ある種「遊び」の感覚だともおもいます。

 以前なんとはないデザインの課題をしているときに自分が限りなくまなざしだけの存在になったような感覚に陥ったことがあるのですが、そんな感じなのですね。大いなるものである感覚でした。

Posted by: mikemike | 2007.10.14 at 10:13 PM

「私」は、単なる観照者に過ぎないことは、いまや科学(神経科学等)でも明らかになりつつあります。
そして、その観照者すら最後には消えると思います。それが真我の実現、いわゆる悟りというものでしょうね。

Posted by: Kay | 2007.10.15 at 09:54 PM

リンパマッサージを受けていると、自分の体が思いとは別に、外部からの刺激だけでよくなっていく事実に驚かされます。私は今まで、全てのものは繋がっているとして、あらゆるものと自分自身をがんじがらめに繋げすぎていました。
 そしてそれが今日、あまりにも簡単にほどけました。繋げすぎていたものを分離させてみようと思い至ったとき、実際に“私”と関係のあるものなど何もありはしないということに気がつきました。
 私が踊るとき、それはただの舞踏であり、私がうたた寝をするとき、それは“眠り”でしかないのであり、“私”とは何も関係ない。
 面倒くささや苛立ちや欲求とも“私”は無関係なのですね…。
 凄い。無敵ですね!!ユリイカー!!!
 一度パソコンを閉じていたのですがKayさんに報告したくて来てしまいました。
 以前Kayさんがおっしゃっていたことの焼き直しですがこれしかない。

Posted by: mikemike | 2007.10.16 at 12:21 AM

そうですね。
私が話すと言いますが、正しくは、「会話がある」ですね。
大きな事業を着々と成し遂げつつある実業家がいても、彼は何もしていません。
憶えたことをみんな忘れなければならない時が来るでしょう。

Posted by: Kay | 2007.10.16 at 09:54 PM

そうですね…。

Posted by: mikemike | 2007.10.16 at 10:14 PM

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