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2007.10.29

儀式

大一番を前に儀式を行うことがよくある。
それが、形骸化されているものもあれば、欠くべからざるものであることもある。
聖杯という、酒を注ぐ道具が重要な儀式に使われることがあるが、日本でも杯にまつわる儀式は多い。
私は、これは本来、杯よりも、酒に意味があるが、聖杯の美しさ、荘厳さがそれをより効果的にするのだと思う。

「エル・カザド」というアニメで、賞金稼ぎ(早い話が殺し屋)のリカルドが、愛くるしい幼い娘のリリオ(自分の娘ではない)に、優しく「仕事だ。終わったらすぐ戻る」と言い残し去った後、酒場でおそらくは強い酒を一気に飲み干すと、目の色が変わるシーンがある。おそらく、類似のものはよく見ると思う。これが最もシンプルな儀式である。

ムエタイ(タイ式ボクシング)では、試合前、選手は一連の踊りを踊るようだが、あれも儀式である。酒は飲まないが、やはり踊りで論理思考を麻痺させる目的はあるのではないだろうか?
日本の、決戦前の水杯も、本来は本物の酒が良いのではと思うが、いろいろ不都合があるので水になったのだろう。しかし、酒を飲んだ時の感覚は思い出すと思う。また、酔うと本当に強くなる剣士はいると思う。
日本の結婚式の三々九度が本当に酒を飲むのは面白い。

儀式とは、心を抹殺するために行うのである。高貴な目的のために邪魔なのは心の外面的な働きである。心が静まり、不動となった時、人に不可能はなくなる。
あなたも心を打ち消すセレモニーを行うように。そうすれば、あなたは無敵である。

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