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2007.10.27

思う存分ボーっとせよ

ボーっとしていることの多い人がいると思う。
授業中、ボーっとしていると、教師が怒る。私に言わせれば、何が気に食わないのか分からない。ボーっとしててあんたの邪魔になるわけではない。
アインシュタインも授業中はボーっとしていた。彼は、もともと幼い頃からボーっとしていたのだ。授業中に教師に叱責されても黙り込んでいたらしい。
エジソンももちろんボーっとしていた。教師はエジソンを辱めるあだ名を付け、いじめを行った。それでエジソンは8歳で学校をやめ、元教師であった母親が教育したが、母親は思う存分彼をボーっとさせた。エジソンはいい年になってもひどい文章を書いており、母親も形式的教育には熱心でなかったかもしれない。
思う存分、ボーっとすれば良いのである。ボーっとすることほど大切なことはない。
ボーっとしているのは、何ら生産的ではないし、何かを学習しているわけでもない。また、何かを考えているわけでもないだろう。
睡眠には、実は記憶を定着させる意味もあるらしいのだが、ボーっとすることは知恵を育むのである。睡眠をたびたび邪魔されると、精神に悪い影響を与える場合もあるが、ボーっとすることを度々邪魔されると、やはり、人間性や知性に悪い影響を与えるかもしれない。
思う存分ボーっとせずに大成した者などいない。子供の頃や、青年の頃、いったい何を考えているか分からない者が後に大物になるのである。
それを瞑想と呼ぶか、ひきこもりと呼ぶかはどうでも良いことだ。
尚、せっかくボーっとできる時間があるのに、おかしな瞑想法を学んでマントラを唱えたり、無理してイメージ描いたりしてはならない。大金持ちになった自分をイメージすればそれが実現するとかおかしなことを言う者もいるが、それで金持ちになった者はいないから心配しなくて良い。マントラに関しては、それを唱えることに退屈して居眠り状態になった時に、ようやく意味が出る。だから、心が落ち着かないならマントラも良いが、最初から心地よくボーっとできるなら、最初からただボーっとすれば良い。
学校と違い、職場ではほどほどにボーっとしなくてはいけない。しかし、ボーっとする以上に意味のあることは学校にはほぼないと思う。
家での用事は、まとめて行い、まとまった時間ボーっとできるよう工夫すると良い。
日本には、「三年寝太郎」という素晴らしい昔話がある。本当に寝る必要はないが、たっぷりボーっとする時間を持つことで、知恵とエネルギーを得ることを知っていたのであろう。

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Comments

なんか凄いですよね…。kayさん…。(いまさらですか…!)
 わたしはKayさんをワッショイワッショイして、木どころか宇宙まで打ち上げたい気分ですよ。
 余談ですが、本当に質の良い睡眠は、夢を沢山見てなおかつぐっすり眠っている感覚があります。目覚めは「パチ!」と音がするくらいすっきり目覚めるんですよ。
 わたしは眠りと夢の世界に依存しやすいです。ストレスを抱えたときはとくに。
 近頃はぼ~~~っとする時間が多かったせいか、若い頃のこと(今に比べてという意味で)を思い出します。“子供は皆天才”という言葉があるそうですが、あの頃は日常だと思って、他の日常同様忘れ去られていた異常さをふとしたときに思い出します。性的倒錯も狂気も、一見自分に融和点を持たせづらいものですが、あの頃の感覚を刹那でも取り戻す今となっては、共鳴を感じずにはいられない。この体験は自分自身の沈黙あらずして成しえるのか?と疑問に思っていたのですが、今日Kayさんのブログを拝見して、この猫のような日常を納得しました。
 吉本ばななさん、ついつい読んでしまう作家の一人です。お父様のことはお恥ずかしながら存じていませんでした。

Posted by: mikemike | 2007.10.27 at 10:27 PM

はい、私、脱いでも凄いんです(古いなあ)。
我々は、世界という夢を見ているだけだと言ってた人が・・・いたというよりは、悟った人はみんな言うと思います。
「沈黙」良い言葉です。これが宝であり、親友であり恋人であり師だと思います。
昔、学生やインテリのバイブルだった吉本隆明さんの「共同幻想論」・・・さっぱり理解できませんでしたが、もう一度挑戦します。吉本さんの最近の本はとても易しいですが。

Posted by: Kay | 2007.10.28 at 05:44 PM

 (体力、精神ともに)ある最悪や絶望、どん底の時から自分が立ち上がるとき、しおれた花に再び生命がみなぎるとき、「自分が立ち直っていく」「立ち直った。」という実感は自分の沈黙の中で、自分だけの言語によってしか判断が出来ないと思いますし、するべきではないのでしょう。
 それがどんなに偉大といわれる人でも、他人が考えた癒しの方法や、他人からあなたは完治したと診断されても、それすらも型にはめ込む罠でしかないような気がします(医療行為とはまた別で)
 自分はどこへ向かっているのか?沈黙の中で問い続けるのは時間のかかる作業だと思われがちですが、実はそうではなくて、時間も空間も越えた何かとても基本的なものと一体になれる方法だと思います。
 諸々の要因をもってしても、私が救済を手に出来たのは結局「沈黙」によるところが大きかったからと思います。

Posted by: mikemike | 2007.10.29 at 02:12 AM

そしてわたしが充分に沈黙できるように陰ながら助けてくれた周りの人々は本当に凄い人たちだなと思います。

Posted by: mikemike | 2007.10.29 at 02:18 AM

私が沈黙できるように助けてくれたのは誰だろう?
ニサルダガッタ・マハラジという聖者は、時代や場所に関わらず、私はあなたと共に居ると言われていました。そういう存在の助けもあるかもしれませんね。

Posted by: Kay | 2007.10.29 at 09:43 PM

 中心的には家族でした。聖人とは縁のない性格、富豪とは縁のない財力、芸術家とは縁のない気質の彼らですが、その全部が絶妙にかけあわさってわたしは助けられました。
 Kayさんの過去の記事から引用させていただくと、「荒野の7人」の家族を持つ農夫ですね。結局のところわたしは慣習や社会体制に甘えざるを得なかったわけです。そのおかげで色々なことが解ったし、自分が無力と実感した今も基本理念は変わらなかったので本当に愚かだなぁ…と遠い目をしつつ…。
 さきほど今日の記事“儀式”を拝読させていただきました。その直前まで知人とメールで儀式について語らった後でしたので驚いたのと、最近祭について考えていたのでタイムリーでした。

Posted by: mikemike | 2007.10.29 at 11:00 PM

水入らずと言える家族は良いものでしょうね。
企業でも、強い企業とは案外ファミリーであったりすることもあります。
私にとっては、家族は最大の弱みです(^^;
家族と言う言葉自体があまり好きではありません。
おかげでごく近くに居る聖者を見出したりもしますけどね。

Posted by: Kay | 2007.10.30 at 10:08 PM

私も“家族”苦手ですよ。結果的に家族という性質、システムに甘えざる(利用せざる)を得なかったと言ったほうが良いでしょうか。思えば家族という宗教に気が付いたのが長い苦悩の幕開けでしたし、世話になっておいて失礼千万ですが、たぶんこの先もわたしは家族というものに縁が薄い気がします。

 わたしは、ある集団、組織を継続し続けるためには、「忘却(見ざる聞かざる言わざる)」が大事なのかな~。と思ってしまったりもします。会社とか社会に深く関わったことがないので、持論ですが…。
 神経症や精神的病識を持つ人は、周囲の人よりも状況認識が細分化されると聞きます。狂人には狂人なりの論理があるとも。普段私たちが一足飛びで考えている論理と論理の間にさらに細かく論理を組み立てるような感じだと思います。普段大雑把に感じているものをさらに細かく感じるという感覚は、ドラッグの快楽に通じるといいますし。
 ところで、女性らしさを強く持ち合わせた人は、忘却能力というか、「言っても聞かない聞いてない」能力が強いと思いました。思い込みが激しいのか…。

Posted by: mikemike | 2007.10.31 at 12:01 AM

狂人と正常人との差はかすかと言いますか、本当は違いはないように思います。単に「その社会」で正常と見なされるかどうかの違いですね。
これら一切合財を含め、心を静かにできれば、あらゆる問題を解決できると思っています。

Posted by: Kay | 2007.10.31 at 09:44 PM

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Tracked on 2007.10.30 at 11:09 AM

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