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2007.09.13

絶対的美少女に確実になる方法

美少女の絶対的な条件、それは「軽い」ということだ。
「亜麻色の髪の乙女」でも、乙女は「羽のように」丘を下るのである。丘を下るだけなら、羽よりはパチンコ玉かドラム缶の方が都合が良いはずであり、そもそも羽はちゃんと丘を下るか怪しい。それでも、ドラム缶のように丘を下っては歌はヒットしないのである。
ところで、羽と丘と言えば、かつての人気アニメ「怪盗セイント・テール」のヒロインの名は羽丘芽美で、このネーミングセンスの素晴らしさには脱帽する。セイント・テールは当然身軽な美少女で、屋根から屋根を飛び移りながら、疾走する自動車すら追いかけ、風船で空を飛んでみせる。
また、美少女の代表的存在ともいえるのは「カードキャプターさくら」のさくらちゃんであるが、このアニメの最初期のオープニングのスタート場面は、正に美少女の真髄を見せていた。
さくらの花弁1つが水面に落ち、さくらちゃんは、その花弁の上につま先で降り、そればかりかその上を跳ねてみせる。
さくらちゃんに憧れる女の子は、保護者同伴で、さほど危なくない池かプールにさくらの花弁を浮かべ、その上に飛び乗って欲しい。いや、私は真面目だ。
女の子達は、悲惨な結果を嫌というほど味わって欲しい。
さくらちゃんの持っている杖のおもちゃを買ってもらい、コスチュームも作ってもらってその気になっても、自分はさくらちゃんになれない現実を思い知って欲しい。
そして、そうしてこそ、さくらちゃんへの道は開かれるのだ。

ちょっと冗談めかしてはいるが、人が「軽い」存在にいかに憧れるかはよく分かると思う。

身軽さの究極を表現した美少女の象徴といえば、当然天使である。
天使こそ美少女の真の姿である。
さて、さきほどの「カードキャプターさくら」の作者CLAMPのその前の作品は「魔法騎士レイアース」であるが、そのヒロインの1人、龍崎海のテーマ曲は、田村直美さんの手による「いつか天使になれる」である。この歌には、天使になる方法が本当に明かされている。ただ、「いつか」ではない。すでに天使であるのだ。だが、そう言われても分からないであろう。心とは馬鹿なものであるからだ。心を超えた時、実に簡単に分かる。
この歌で、「愛しさに傷ついて 天使に生まれ変わる。哀しみを追い越して 彼女は天使に変わり続ける」と繰り返される。さすが田村直美さんだ。実に簡単に天使になれる方法を教えてくれている。
ん?全然分からないって?
こんな美しい言葉に解説なんて付けたくはないが仕方がない。
「愛しさに傷ついた心を容赦なく見つめることで痛みの意味が知られる。すると、哀しみを作り出した心の彼方にまで行き、広大なるものに直面する」
その時に爆発が起こるのだ。すると、心という重石がなくなり飛翔する。
このあたりは、霊的アーティストがいろいろに表現している。
Let's fly high keep the pain you knew sppning below
「ガッチャマン'94」の主題歌の中の1文で、冬杜花代子さんは、「地上の大騒ぎ尻目に僕達は行くのさ」とか「飛ぼう、辛いことは地上で空回りさせておけばいい」といった感じで訳されていたと思う(手元に資料がないのだ)。
歴史的な名曲「Over the rainbow」なんて、まさにそのものを表現している。「虹の向こう」そこは誰にでもすぐにでも行ける処なのだ。あの歌は人類の財産であるはずだ。
だが、「虹の向こう」は良い場所であるのだが、本当に行かなければ何にもならない。行ってもいないのに、行ったつもりでいることが最も悲惨なのだ。

「天空の城ラピュタ」で、空から静かに降りてくるシータを見てパズーがドキドキしたのは当然なのだ。その時点では、パズーにはシータが美少女であることは見えていないはずである(スカートがひらひらしていたのは確かで、パズーも健康的男子であるからにはエッチであるとは思うが・・・)。
しかし、あれだけ軽やかに降りてくる少女が美少女でないはずがない。飛行石だって美少女でなければ地面に叩き落すはずなのだ・・・というのは冗談で、美少女が空中にふわりと浮くイメージがいかに自然であるかということである。
そして、私が上に述べたことを実行すれば、あなたもそのような存在になれるのである。比喩的に言えば「飛行石を手に入れることができる」のである。
ふて腐れたり、文句を言うのは、必要なことが実行できていない証拠だ。別に我慢しろと言っているのではない。怒り、嫉み、自尊心、傲慢さ、損失感情、そんなものをただ見ろと言っているだけである。それが文句など言葉や行動になるということは、それらと一体化したということなのだ。心は一体化するものである。それによって存続しているのだからだ。一体化をやめれば良い。心の動きを超然と見れば、心に取り込まれることはなくなる。
それを容易くする呪文を教えよう。「私は在る」だ。我思おうが思うまいが私は在る。生きていようが死んでいようが私は在る。呪文を思い出したなら、ただ在れば良い。あなたが、さくらちゃんやシータや、あるいは天使になることは確実である。

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Comments

kayさん美少女好きですねぇ~
確かに華麗で純粋自分好みに調教出来ますが・・(笑
私は、汚れた女性も好きですよ!
経験を積み重ねた女性の方が器が大きいですからね
身体の消耗は、仕方ない事ですが・・生き物ですから
人間は、弱いもの
寂しさという心の空間を補う為に求め合うのだと感じています
結局欲張的な生き物なんですよ
なんて・・(笑
普段使わない脳みそを使ってみました!

私は、貴方のスケッチに興味があります
絵は、その人の気持ち性格を表現しますからね
感性では、kayさんには、負けませんよ(^^)

今夜のセミナーにポイッといっときます


Posted by: ヒデピョ~ン。。 | 2007.09.14 at 03:23 AM

あ、いえいえ、少女に対して、その手の興味は全くありません。
はたから見て、「いいな~」と思っているうちが華です。
幻を愛しているわけですので(笑)。

どんなのが感性かよく分からないですね。
そういえば、衣食住それぞれ全く興味がないですね。

いつもクリックありがとうございます。
実は、そちらのもよくクリックして・・・たらそろそろ追い越されそうだ^^;

Posted by: Kay | 2007.09.14 at 09:56 PM

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