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2007.09.12

段階的恐怖

マシンガンを構えたテロリストが目の前に出現すれば間違いなく怖いだろうが、「段階的恐怖」というものもある。
これは、「希望が徐々に消えていく」恐怖である。

スーパーマンの前シリーズで、クリプトン星の3悪人が登場するものがあったのをご存知の方も多いと思う。
3悪人は、月で、月面探査中の宇宙飛行士を襲う。
そして、宇宙飛行士が乗った月着陸船を破壊にかかる。
ここだ。
宇宙飛行士にとって、月着陸船は絶対の命綱だ。これが壊されたら最後である。
破壊は徐々に行われる。まずは、着陸船の脚が3悪人の1人が目から放った熱戦で熔けて、着陸船が傾く。大変なことだが、これだけならまだ対応ができるかもしれない。
宇宙飛行士は、ヒューストンに必死で呼びかける。
だが、3悪人の男は無造作に着陸船に追加の攻撃を加える。攻撃を受けた部分が破壊される。
「まだなんとかできるだろうか?もうだめだろうか?」
見ている者が緊迫する。架空の世界とはいえ、宇宙飛行士が誰よりもそうであろう。
そして、破壊が進んで行き、希望はどんどん無くなっていく。
このように、可能性を段階的に剥ぎ取られるというのは、なんとも残酷なことではあるまいか?

悪趣味な漫画であるが、こんなものがあった。もちろん(?)梶原一騎作品だ。
美少女が連れ去られ、脂ぎった中年男が、彼女に拒否しようのない条件を突きつけ、身を任せるように迫る。少女はいいなりになるしかなく、身を横たえる。
彼女を愛する少年が、彼女を救おうと必死に追うが、彼は大勢の男たちとの戦いになる。
そうする間にも、ドスケベな中年男は少女の服を脱がせていく。
彼女を助けたい少年も強いが、多勢に無勢。戦いは長引き、少年は焦るばかりか、攻撃を受けて傷付き、やがて押さえ込まれ袋叩き状態になる。少年は自分の痛みより、少女を案ずるが、一方のシーンで、少女は下着まで剥ぎ取られ、中年男のいやらしい手が思うが侭にそのほっそりとした身体を弄ぶ。
少年のところには、より強い少女の義兄が現れる。義兄は訳あって少年を助けるつもりはないが、少年は必死で窮状を告げ、「もうかなり時間が経っている。早く助けろ」となりふり構わず喚き、義兄も驚き、少年の敵を叩きのめして少年を救う。
ようやく、少年は少女のところへ疾走する。
これもまた、段階的惨劇であり、このような人間の神経への衝撃は様々な作品に利用される。
え?少女はどうなったかって?
何考えてんですか!?(人気ブログランキング投票アイコンをクリックしたら教えるとか・・・^^;)

では、我々は、このような恐怖をどう克服すべきか?
もちろん、このような悲惨を避ければ良いのであるが、世の中とは何が起こるか分からない。出来事とは勝手に起こるものなのだ。
もし、わが師に、「あなたの乗っている月着陸船が破壊されたらどうしますか?」と聞いたなら、彼は答えるであろう。「それが私に何の関係があるのか?」と。
では、「あなたの娘が好色な中年男に弄ばれたとしたら?」と尋ねられたら、おそらく、「私は嘆き喚くかもしれない。しかし、それが私に何の関係があるのか」と答えるかもしれない。
殺す者、レイプする者は、殺される者、レイプされる者より悲惨なのである・・・と言ったら非難されるかもしれないが、実際そうであると思う。
「悪人がのうのうと暮らしている」と言うことがよくある。しかし、あなたは実際にそれを見たであろうか?性善、性悪に関わらず、心にそそのかされるまま苦しみを与えた者は果てなく惨めである。
W.B.イェイツの謎の文章「アラブ人への手紙」に出てくるアラブ人は、家族を殺された時、死ぬほどの苦しみを味わうが、やがて歓喜の念に打たれ、喜びの歌を作った。
イェイツの詩に「それがどうした」という言葉がよく出てくるのも偶然ではない。
彼らは、神の世界を垣間見たのだ。

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Comments

 「許す」「許さない」という思想を超えるのだと思います。
 自分の生活(生命)を脅かすような仕打ちをする人々の思想に興味があります。果たしてその人たちも大洋感情や生命としての絶頂感は得られるものなのか?“いい人間”と“犯罪者”との間にはさして溝はないように感じられます。あって欲しくないというのが本心です。
 世間で言う犯罪(明らかに不当な暴力、強姦、詐欺…)を犯した人々が、それでも、あくまで“いい人間”になろうとするのなら、過去に危害を加えた人に対する記憶を排除するのではなく、高めなくてはいけない。そのとき被害者もおのずと高められる。
 汚いものは、汚いと思わされているだけだし、悲しいと思わなければいけないことなど何もありません。どんな悪逆非道を繰り返す人間も「自分は悪である。」という思いや「悪いことをするのはカッコいい」という考えを微塵も持つことがなかったら、そしてKayさんの言うように心まで死んでいたらどうなるのだろう。きっと最後はあくまで無に帰るのだと感じつつも、それでも問いたい。
 独善さを抑えられない人間は社会的に無力になりやすいし、その自己愛を利用されて騙されたりもし、力の方向を変えれば犯罪者になるのだけれど、独善を磨ききっても天啓を得られると思います。
 しかして、「達観」というものは時に他人を無意識に傷つけるものです。自分の心はあくまで静かでも、人の心に沿うことができればいいなと思っています。

Posted by: mikemike | 2007.09.13 at 12:13 AM

こんばんは・・
遅くにお邪魔します
先程帰ってき頭がボーッとしてます
今夜のセミナー理解するのに明日までかかりそうです
お互いスケベ星人に為りましょう
私がスカウトしますよ(^^)

今夜もポイッといっときます!

Posted by: ヒデピョ~ン。。 | 2007.09.13 at 03:53 AM

mikemikeさん

達観というものは錯覚であるのではないかなあと思います。
最も重要なのは、我と彼の区別を失くすことです。
極悪非道な人間と自分が違う人間に見えることが問題です。
私は、テレビのニュースで極悪非道と言われる人間が出ると、「あれは私だ」と確信を持って言えます。よって、非難しません。ただ、そんな人間を非難する人を非難したい気持ちはまだあるかもしれません。
沿うべき他人の心は存在しません。他人そのものが存在しないのです。
自分に完全に沿うとき、全てに沿うことになります。

Posted by: Kay | 2007.09.13 at 09:50 PM

ヒデビョ~ンさん

毎日遅くまでご苦労様です。
スケベ星ですか?
それもいいのですが、スケベ禁止の星でスケベを貫きたいものです。
千万人といえど我行かんです(笑)。

Posted by: Kay | 2007.09.13 at 09:51 PM

Kayさんこんにちは、お久しぶりです。
 達観というのは錯覚である、というのは感じていて、個は全体、全体は個という意味において、沿っていたいとおもっています。わたしはあくまで自分こそが無いような気がしていて、“他者”という自意識がワタクシを掻き消してくれる(あるいは別のものにしてくれる)瞬間を楽しみにしてしまうところがあり、そう言わざるを得ません。しかし一時期そういうアプローチで生活していたら大崩壊してしまったこともあり、多少軌道修正も必要かしらとおもいつつ…。
 関係ないですが、性的な意味において、女性より男性のほうが抑圧が強いという結論に達したのですがKayさんはどう思われますか?『言葉を使うものは言葉によって支配される』とおなじ原理で…。単にわたしのいた環境が肉欲の園だったからかも知れませんが。なぜ世に言う“オジさん”方はあんなにも必死なのでしょう…?

Posted by: mikemike | 2007.09.22 at 04:49 PM

★mikemikeさん

こんばんは。
女性は、歴史的に非常に長い間、性欲を持たないものとみなれていましたし、現代ですらその風潮はあります。その意味、抑圧は大きいとは思います。
男の抑圧ですか?倦怠期の夫婦のとか^^;
おじさんを熱心に観察したことがありません。見ても、私に影響は与えないとは思います。

他者という自意識は想像と思います。まあ、危ないですね^^;

Posted by: Kay | 2007.09.22 at 09:50 PM

抑圧とは、俗っぽく言えば、「女に悦びを与えるのが男の使命である。」という思い込みでしょうか…。棒を振り回すものは棒に振り回されている。『形而下における敗者は、その敗北を受容することによってのみ、勝者に対して形而上の勝利を手にすることが出来る』というのはAV女優の黒木香の文章の抜粋で、あくまで家父長制度を逆手に取った思想ではありますが、抑圧を与えるものこそ抑圧されているのだという実感があります。男らしさというものを強迫観念のように握り締めている方々に接してきました。
 しかし私が今まで敬愛の対象としてきた人物は美輪明宏、フレディ・マーキュリー、ジョジョ、渋沢龍彦、そしてなぜか最近はイエモン時代の吉井和哉と、思いっきり嗜好がムラサキ色なので多少偏屈なのかもしれません。そしてあくまで幻想や嘘っぱちをみる人間のまなざしに惹かれていて、自身はそのまなざしそのものにいつかなりたいという思いが強いので、Kayさんの思想に共感しつつも限りなく霧消していくのだとかんじています。でもKayさんのおっしゃること、かぎりなくスキです。

Posted by: mikemike | 2007.09.23 at 04:32 AM

日本はもともと、母権社会で、男は暇だったらしいですけどね。儒教の影響で、男が働き出したという説もあります。暇なままでいいのに・・・
美輪明宏、渋沢龍彦!
危険ですね。危な過ぎます(笑)。
もう突っ走って、突き破るしかないですね。渋沢龍彦はフロイトを真に受けてますから、まだ笑えますけど、それでも引き込まれたりします^^;

Posted by: Kay | 2007.09.23 at 09:19 PM

 澁澤さんは読むものの幻想を奮い立たせる点でスキですね。そしてこれらの人々のどこが好きなのかといわれてもはっきりと答えることが出来ません。“絶望”が共通していることは最近感じています。
私の友達の友達は、一度美輪明宏に陶酔しつつも、しだいに「危険思想だ」と嫌悪するようになってついに著書を焼き捨てたと聞きましたが、「あらまー」と思ったくらいでした。  Kayさんはどこまでも丸裸でいらっしゃいますね。対するひとは皆武装解除せざるを得ませんね。南無…。

Posted by: mikemike | 2007.09.25 at 03:25 PM

澁澤さんは、真面目にスケベだから好きです。だから、スケベも本気で哲学する。この真剣さが良いと思います。
美輪さんは、雰囲気でぐいぐい来ますね。今は、どうみても怪しい霊能力者と番組やってますが、おかげで品格落としているように思えてなりません。素晴らしい人なのに。大槻教授と仲良くできるようになったら、あの人も認めたいですね。

Posted by: Kay | 2007.09.25 at 09:40 PM

私も自己啓発書や“スピリチュアル”本や哲学書を読んだりしますが、世間の人々が常に信じてやまない“前向き”だとか“優しさ”とはかけ離れた人格になりつつあります。しかし友人は、そんな私をとても前向きな人間だといいます。
 占いも突き詰めれば本人はもうすでに道を知っているのだと思います。
 
 美輪さんはあくまで衆生を救おうとなさっているのでそれにふさわしい方とタッグを組まざるを得ないのだとも思います。衆生が本当の意味で救われるにはそれぞれが崇高にならなければならないと私は思うのですが、Kayさんのおっしゃる“洗脳”の賜物で本当によいものは悪しきもの、忌むべき狂気とされてしまうのでしょう。あくまでワンステップだとしても、せめて“清く、正しく、美しく”生き抜くべきと教え込むだけで大変な労力なのだと思います。そして真実を見るには孤独が伴います。さらに一足飛びでは教えることも実感することもできないのが救いというものです。
 なんていうか、とても大雑把に言って全てはモチベーションなのだと思います。真実を知ろうとするエネルギー。
 

Posted by: mikemike | 2007.09.26 at 04:49 PM

全てはモチベーションというのは正しいと思いますね。真剣さ、熱意と言っても良いと思います。
私は徹底して「後ろ向き」です。アメリカでは、知らない人の家では撃たれると確信していますので、うかつに進入せず、それでかえって撃たれないのですね。
三島由紀夫絶賛の澁澤龍彦の「快楽主義の哲学」を読み始めてしまいました^^;

Posted by: Kay | 2007.09.26 at 09:51 PM

 はわわ~。「快楽主義の哲学」は未読なのですが、ワタクシの友人が触発されてされて、されすぎていたのを思い出しました。受け売りですが『生殖と関係のない性的接触とは生命体に共通する“遊び”である』というくだりがあるそうです。別の著書だったかもしれません。札幌市郊外にある芸術の森では、今月末まで“澁澤龍彦展(美味しすぎる)”が催されていて、彼が生前関わったり、興味を持っていた作家の作品が一堂に会しているのですが、なかなか見ごたえがあり、手前共悦楽共犯者にはつかの間の法悦を与えてくれました。
 わたしは危険なところに無防備で突っ込むタイプでした。今思い返してもなぜ生きて帰ってこられたのか不思議なほどです。詰まるところアンポンタンなのでしょう。日本、しかも北海道だったから出来た荒業だったのかもしれません。
 アカン、話が進みます!このへんで退散、退散…。 

Posted by: mikemike | 2007.09.27 at 09:16 AM

危険なところに無防備で突っ込むところは私も同じです。
子供の頃、交通量の激しい道路に目をつぶって飛び込むのが遊びでしたから。死んでても全然おかしくないわけであります。いや、もう死んでるか(笑)。
澁澤氏の「少女コレクション叙説」の最初のところだけ面白かったのを覚えています。死んだ少女を愛するのと、少女の人形を愛するのは近いのだそうな。

Posted by: Kay | 2007.09.27 at 10:00 PM

渋沢さんは門構えがおもしろいのだと勝手に今考えました。サグラダ・ファミリアの地獄の門とシンクロしつつ…。まことかどうかは置いといて。

「少女コレクション序説」は読んだはずなのにぜんぜん覚えていない…。いま少し読み返しました。
前述の澁澤展にて、ハンス・ベルメールの写真作品が出展されていて、少女の下半身二対がXの文字をなすように融合している球体間接人形や、頭部の無い、やはり彼独特の球体と歪みをなした少女人形の胴体を枯木につるしてうららか(にみえた)な日の光にさらしたモノクロ写真でした。一部それらは着色されていて、血や臓物を連想させるような色でないのにもかかわらず(ほんのりしたマゼンタや黄色など)、わたしは強烈に死体や腐敗を喚起させられました。死と少女と人形の関係性に突き落とされたというべきかも知れませんが。
 といいつつ、経緯としてわたしは“少女”よりも“少年”との対峙が鮮烈だった人間です。
 少年に 恋せし乙女の 醜さよ 
 合掌。

Posted by: mikemike | 2007.09.27 at 11:49 PM

澁澤さんの「快楽主義の哲学」面白いですよ。ある意味、岡本太郎のような強烈な人間ですね、澁澤さんは。
ハンス・ベルメール、いいですね!こんないいもの、なんで学校で教えないのだろう(笑)。
人形など、立体作品も良いですが、絵も素晴らしい。せめて画集など揃えたいですね。
美少年・・・いいですね!私も大好きです。ソクラテスもかなり好きだったとか(笑)。およそ日本の文豪で好きでなかった人はおりますまいて。
新境地に進みたくなって参りました。

Posted by: Kay | 2007.09.28 at 09:36 PM

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