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2007.08.23

「かもめのジョナサン」は社会不適合者の象徴

1970年代に世界的にヒットしたリチャード・バックの「かもめのジョナサン」という短編小説がある。
あれに陶酔する者はかなり危ないかもしれない。私がそうだったからだ(笑)。
この小説にのめり込む者は、間違いなく小市民を軽蔑しているだろう。しかし、立派に小市民をやれる者なら良いが、そうでない場合がかなり多い。
小市民を立派にやることは、かなり大変なことである。「かもめのジョナサン」は、そこからの逃避の理由にもってこいなのである。小市民とは、毎月、家族を養う収入を確実に持ち帰る者であり、少なくとも、自分が誰の世話にもならずに生きていける者である。

「荒野の7人」という映画で、農耕を営む貧しい村の用心棒に雇われた7人のガン・マンに、村の男の子が「パパたちは勇気がない。おじさん達(ガン・マン)は偉い」と言い、悪党達と戦おうとしない父親に軽蔑を示した。すると、ガン・マンは、その男の子を怒る。
「俺には作物を育て、家族を養う勇気なんかないんだ」。

かもめのジョナサン・リビングストンは、他のかもめのように、漁船の周りで餌を求めて飛び回ることをやめて曲芸飛行に専念したが、「食べずに生きられるはずが無い」という部分が省かれている。言ってみれば欠陥作品だ。それとも、親に食べさせてもらっていたのだろうか?だとすれば、ジョナサンのいかなる行為にも大した価値はない。

「かもめのジョナサン」が、まずヒッピーの間で人気が出たこともうなづける。なんだかんだ言っても、ヒッピーは社会からの逃避者でしかない。
おそらくは、「かもめのジョナサン」の熱心な読者は、社会的に不適合な者が多いと思う。
ジョナサンのように、他の平凡な人間の境地に甘んじず、人間を超え、やがて光り輝く存在となって別世界に旅立ち、やがて、愚かな民衆を救うために救世主として戻ってくることを夢見ているかもしれない。
しかし、せめて小市民として立派に生きた経験でもなければ何もできないものである。

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