健康な夏の過ごし方
私は、今年は自室ではクーラーを全く使っていない。
もっぱら、昨年購入した扇風機のみ使っている。
アイドルの中川翔子さんのブログに書いてあったが、彼女は家ではスッポンポン(全裸)状態で過ごしているらしい(挑発文章かな・・・)。
岡本太郎さんの名著「今日の芸術」にあったが、西洋画に女性の裸像が多い理由として、西洋の家では、部屋に鍵をかけてしまえば、外から人が入ってきたり、見られたりする恐れがないので、夏などは本当に素っ裸で過ごすので、家の中でヌードでいることに抵抗がないという下地があるかららしい。
よって、習慣の違う日本人が西洋画を真似してヌードを描く滑稽を「あんたん家のかーちゃんやねーちゃんが裸でコロコロしてんのかい」と書いておられた。
スッポンポンと扇風機の組み合わせは絶妙である。そして、多少、動いて汗をかいた方が良い。外気の温度が高い時は、当然ながら扇風機から送ってくる風もあたたかい。しかし、風は汗の蒸発を早める。そもそも、汗は蒸発する際、気化熱を奪うので肌の温度を下げるために出る。よって、かなり涼しくなる。クーラーがかかっていると汗をかかないので、こういった身体の機能を使わない分、その能力が衰えたり変質する恐れもある。
尚、実際は好きな異性を見たりすると、体温を下げる準備として発汗する(なぜだろう^^;)。
サッカーのキング・カズこと三浦知良選手は、真夏でも背広ネクタイを好むらしい。当然、汗をかくが、それにより服が馴染んでくるらしい。
汗は匂いに変わるというが、普段よく汗をかき、また食べ過ぎず、自然のものを多く食べていればそうでもないようだ。若いということもあるが、友人の十代前半の美少女は汗の香りも良い・・・いえ、決してフェチではないです(笑)。
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Comments
私も今年はまだ一回もエアコン付けてません。
Posted by: lemoco-layco | 2007.08.16 04:57 PM
をを!それは素晴らしい!
で、必然的に、私同様、スッポンポン(ばきっ)
水を入れたペットボトルを凍らせたものを愛用しております。
Posted by: Kay | 2007.08.16 05:47 PM
今年の夏はクーラーなしでは生きていけませぬ~
Posted by: ホーリー | 2007.08.17 08:17 AM
Kayさん初めまして。数ヶ月前から拝見させていただいていました。Kayさんの過去のブログも読破中です。わたしはデザインの専門学校に通っていましたので、絵を観るのも描くのもスキでKayさんのイラストをいつも楽しみにしています。不思議な絵ですし引き込まれます。わたしも“芸術をなんでもないものとして”接したくて、エロや狂気に対する考察や実験を深め、Kayさんのおっしゃる“至高体験”に触れたとこもあります。わたしは“表現”というものよりも“存在”もっと言えば“生活”というものに芸術の何たるかがあると思います。もっと上手に言いたいのですがどうしたらいいのかわかりません…。ちなみにわたしは蝦夷に住んでいますので、数日前の猛暑も扇風機なしで乗り切りました…!
Posted by: mikemike | 2007.08.17 05:06 PM
★ホーリーさん
気合いです。。。
明日あたりから、少し暑さもマシになるようです。
Posted by: Kay | 2007.08.17 09:36 PM
★mikemikeさん、はじめまして。
心のこもったレス、ありがとうございます。
私ごときのものを読んでいただき恐縮です。どうせなら、もっとマシなものを・・・いえ、なんでもありません^^;
絵を誉められたことはほとんどありません(泣)。プロの方から「下手~」と言われたことは何度かありますが^^;
「生活における芸術」・・・我が崇拝する池田満寿夫さんがそう言われておりました。絵とは、本質的に、家の壁にかけるべきものだそうです。
私は「存在」指向です。「存在する」以上の真理は、おそらく見つけられないと思います。
とりあえず、もっと狂おうかなと思っております。
Posted by: Kay | 2007.08.17 09:47 PM
Kayさんの絵は本当に素晴らしいです!
僕が数日前にこのブログに初めて来た時もこの絵に惹かれました。今もこうして引き寄せられている気がします~。何か魔力でもあるのかなw
Posted by: ホーリー | 2007.08.18 02:13 AM
わたしの身の回りには価値観や好きなものがいわゆる世間一般とは違う“個性的”な子達が多くいますが、「自己表現」というものに囚われすぎている傾向があります。わたしは諸々の理由からアイデンティティを求めることをやめました。不思議なことにそういうわたしに初対面の人が“留学してたことがあるのですか?”と唐突に尋ねてきたこともありました。もちろん、海外はおろか北海道もろくに出たことがありません。
“「存在する」以上の真理は、おそらく見つけられない”というのはまさに感じていたことです。凄い。演劇や音楽のLIVEにおいても同じことが言えると思います。それが真実だと思い込んでいる人たちほど恐ろしいものはないし、同時に魅力もそこから生まれると思います。池田満寿夫さん、読んでみます。
Kayさんの絵は描けそうで描けない絵ですよね。輪郭もあるようなないような……わたしは“ジョジョの奇妙な冒険”を読んで人生が狂った一人です。テヘッ
Posted by: mikemike | 2007.08.18 10:58 AM
★ホーリーさん
泣かせることを(うう・・・)。
エロの魔力を目指します(案外マジ)。
Posted by: Kay | 2007.08.18 11:50 AM
★mikemikeさん
「ジョジョの奇妙な冒険」これを読んだら、私は間違いなく廃人になりそうです。
コミックスのBOXセットがいまなら買える・・・とりあえず買っとこうかな^^;
これは「存在」の根源にたどり着く道を示すでしょうか?
いえ、私もmikemikeさんは外国在住の方ではと思っておりました。
「存在」の感覚にゆるぎなくしがみつけば、時も空間も超えると聞いたことがありますが、おそらく真実です。
Posted by: Kay | 2007.08.18 11:50 AM
“ジョジョ”を“異常なまでの健康さ”と例えた人がいました。一言では表しきれない事は百も承知ですが、ジョジョの魅力の根源の一つでしょう。“ジョジョ”の世界に浸ったら、たくさんの伝説や狂気に触れることができます。作者である荒木飛呂彦氏は、連載当初から外見がほとんど老いていないように見えますし、“ジョジョ立ち(ジョジョ作中のポーズを真似すること)”の集団狂気は祭です。
Kayさんだったらたくさんのものを得ることが(いや失うことが(ケケケ))できると思います。
Kayさんとお話できてとても嬉しいし楽しいです。
ブログの更新、これからも楽しみにしてます!!
Posted by: mikemike | 2007.08.18 01:11 PM
荒木飛呂彦氏は、なんとも興味深い人物と思えてきました。
おそらく間違いないでしょう。
“ジョジョ立ち”知ったら、絶対やりたがる人です、私^^;
ふ・・・全てを失うのも悪くない。。。
Posted by: Kay | 2007.08.19 12:00 AM
ジョジョ、読み始めは抵抗感を覚えることもあると思いますが、徐々に慣らしていけば臓器移植完了ですvv
通算100巻に届かんとする大長編ですが、わりとどこから読み始めても問題ないですよ。わたしは6部(64巻)がジャンプで始まった頃からよんで、連載中に他の巻も読みました。
Kayさんの文体(とくに語尾)が変化する日も遠くないと見ていいのでしょうか?
ところでわたしも「ポーの一族」は世界的文化遺産だと思います。民話のような無名性のある話ですよね。萩尾望都さんが考えたのですが…(笑)。誰が作ったのか忘れ去られたのに誰でも知っているようなお話って惹かれます。わたしにとってはジョジョはもう神話ですが。
Posted by: mikemike | 2007.08.19 11:00 AM
100巻!?現在、BOXは17巻までですが、今後、続きもBOXになるのかなあと思います。
私の文体ですか?かなり「偉そう」とも聞きますが、単に簡潔指向です。当面変わらないと思いますよ。
「ポーの一族」は昨年買いなおし、時に熟読、時にメリーベルに萌えています(笑)。萩尾さんも、若かったから描けたのかなあと思います。漫画家の代表作は、20代のものが多いですね。その点、“ジョジョ”は立派ですね。
Posted by: Kay | 2007.08.19 09:55 PM
コミックス、は百巻近くありますね…。荒木さんは独特の色使いでも定評があります。そしてセリフまわしも…。
「24時間テレビ」~のレスですが、信仰でもある一定の悟りにまで到達した人は、逆に謙虚になると聞きます。「至高体験」によっての絶頂感は、簡単に「愛している」とか「平和」だとかの言葉にできないものです。ワタシは感覚型の人間で語彙を使いまわせないのでもどかしいですが、どんな極端な思想も、それが自分から生まれたものや、含んでいるものであればあるほど、謙虚にならざるを得ない心情になります。それは「自分のことなど誰にも理解されない」って言うのとは違うんですよね。でも一種の哀しみです。
ジョジョにてラスボスとして登場するキャラクターたちも、そんじょそこらの大魔王さまとは一緒にしないでくれ!といいたいほど哀愁に満ちています。合掌。
Posted by: mikemike | 2007.08.20 09:35 AM
つけたしで。
思想の高まりは、一般には自己の内面にどんどん閉じていくと思われるかもしれない。それが日本では“新興宗教にハマる”と聞くと恐れられる所以だとも思います。たんに新興宗教が実際には悪徳業者だらけでその信者は自己中ということもありますが。でも自己の思想を高めるということは“開いて”いくことであると確信しています。でもその開くって言うことが、今のところわたしには至福であると同時にとっても哀しいことに感じています。
あと、徳という言い方が正しいのかどうかは解らないですが、祈りは溜めるものではなく流すものだと思います。
ついおしゃべりしすぎちゃいました。
Posted by: mikemike | 2007.08.20 09:47 AM
悟りを得るには、精神の円熟が必要と聞きます。これには、悟りと真逆の俗世間で鍛えるしかないようです。そこで強固な個性を培うと、いったん火が付けばたやすく自我の滅却にいたるようです。
もそっと鍛えようかな・・・と♪
Posted by: Kay | 2007.08.20 09:58 PM