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2007.08.27

運動会のビデオ撮影など必要か?

家庭用デジタルビデオカメラが、年毎にますます高性能化してくる。
以前から、子供の運動会や各種発表会をこれで撮影するテレビCMがよくあり、もちろん、現在もある。

ところで、子供の運動会などをビデオ撮影する意味なんて本当にあるのだろうか?
よく考えたら、全く必要ないのではないだろうか?

私の場合は、子供時代、ビデオ撮影されたことは全くない。ただ、写真は沢山ある。しかし、この写真にしたって、面白がって見ていたのは、撮影後しばらくの間だけである。
また、父親や母親の学童・学生時代の写真にしても、一度見たら敢えて見ようとは思わないし、本人達もそうであったように思う。

思い出というが、それは記憶の中にあれば良く、わざわざ映像で確認する意味なんてあるのだろうか?
もし、そういった思い出の映像をしげしげ見ているとしたら、それは決して幸福な状況ではないはずだ。
私に関して言うなら、過去の映像など一切必要はない。ただ現在があるのみである。
電子機器メーカーに洗脳されてはいけない。

現在は、格差はあっても、日本には貧民というものはほとんど見なくなった。
昔の漫画に出てくるような、いかにもボロボロの服や破れた靴を履いた人を実際に見た記憶もない。
昔の人気アニメ「巨人の星」「あしたのジョー」「タイガーマスク」では、いずれも主人公達は非常に貧しい境遇からスタートしたが、現在は、特に子供達が極貧のイメージが分からないらしく、これらの作品を見せても面白さが分からないらしい。
アンデルセン童話の「マッチ売りの少女」では、大昔の他の国という前提があり、多少は推測も行われるようであるが、やはり今の子供達にはピンとこないものと思う。
とはいえ、現在の日本にだって貧しい家庭はある。数が少ないだけに、なおさら、これらの家庭の子供の苦痛は大きいかもしれない。
なるほど、靴を履かずに学校に行くと、今では援助がなされる可能性が高い。
しかし、家にビデオカメラはおろか、カメラや携帯電話がない家なら多少はある。
30年昔であれば、クラスの中で、運動会などの写真を撮ってもらえない子供が1人か2人はいたと思う。今は、学校で1人いるかどうかといったところだろうか?
いずれにせよ、その子供にとって楽しいはずがない。それでも、昔ならお仲間がいたが、現在では、それもなく、全く自分1人という状態であることが考えられる。
そんな、ロクなものでもないことのために、少数の圧倒的弱者が苦しむくらいなら、私はそんな撮影は頼まれたってやりたくはないものである。

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