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2007.08.22

SとM

SM(サド・マゾ)という面白いものが、洋の東西を問わず、大昔から確実に存在する。
面白いことに、一般的に苦痛と認識されることが快楽として扱われるのである。
さらに、それが決して一部のマニアの間だけの趣味ではなく、実際には誰でも興味があったり、専門家によると(知り合いがいるわけではないが)、誰でもその道に引き込むことは確実に可能だそうである。
それならば、そこに人間を理解するための見落としがちな鍵があると考えてみるのも良いと思うが、実は実際にそうである。
もちろん。これまでも心理学者や精神分析学者が偏った分析を行った形跡もあるようだが、あまり役に立つものを見たことはない。

まずは、苦痛とは何か、快楽とは何かを考える。一般的な意味をわざわざ言うまでもないだろう。そして、突き詰めて考えると、両者に根本的な差がないことが分かる。
つまりはこういうことだ。受容が快楽であり、拒否が苦痛なのだ。
苦痛と思うことは受け入れ難いと言う者もいるだろう。しかし、実際に試してみたのだろうか?
例えばバンジージャンプを考える。これをやるのが嫌な者が、何らかの理由で無理やりやらされた場合は苦痛である。
しかし、極端な高所恐怖症の者が、なんらかの心境の変化で自発的にやってみると病みつき、即ち快楽になる。
そして、もともと苦痛としていたものほど、いったん受け入れると、普通の快楽よりはるかに深いのである。SMがカルト的になるのも、それが理由である。

苦痛を受け入れること。これは人間性を深めるのに非常に役に立つ。
しかし、何もSMに走ることはない(笑)。人生に苦痛はいくらでもある。
場合にもよるが、その苦痛を嫌がって逃げ回らず、堂々と受け入れると、あまりのエクスタシに呆然となる・・・というのは、名作と言われる小説や映画の中に探すのは難しくはない。
何も、ムチで中途半端にペチペチ叩かれたり、ローソクをたらされるようなケチなことをする必要はない。
誰にだって、嫌なことが現在、10や20はあるだろう。害がなければ、あるいは、少々害があっても受け入れてみると良い。「こんなに良かったのか」と驚くだろう。
言うまでもないが、万引きグループに入って万引きをするのは、苦痛の受け入れではなく、快楽の受け入れである。万引きそのものは嫌でも、グループの中にいる快楽、あるいは、いじめられずに済むという快楽を選んだ結果であるからだ。

「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツの謎の文書に、ある不思議なアラブ人の話がある。
そのアラブ人は、家を奪われた時、家族を殺された時、自分の死期が迫った時、それぞれ強烈な喜びを体験する。苦しみが大きいほど、受容した時の喜びは大きいのである。

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