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2007.08.19

「24時間テレビ」はなぜ醜いか?

昔から、私は「24時間テレビ」なるものを見ると、激しい嫌悪感を憶えた。
少し前になって不快感、そして今は危機感を感じる。
まともな神経の持ち主であれば「24時間テレビ」に抵抗があるだろう。だが、なぜ抵抗があるか知らないといけないのである。

「24時間テレビ」は、「価値の押し付け」をやっているに他ならない。
番組では、自分達のやっていること、また、それぞれのイベントを「いいことやってるでしょ」「素晴らしいでしょ」「これこそ愛でしょ」「感動でしょ」「真理でしょ」と、時に激しく、時にじんわり、24時間もあるのだから、あの手この手で押し付けまくりである。
しかし、こんなものを本当に良いと思う者も多い。どんな者か?「価値を他人に決めて欲しい者」「自分で何が価値あるか決められない者」である。
これは学校教育の完全な成果である。学校では、「何が価値あるか」は絶対に生徒に決定させない。全ての重要な価値観は学校側で用意し、それを価値あると思わない限り虐待し尽すのである。

タレントの中にも、実際には「24時間テレビ」に抵抗を感じていたり、純粋に「アホらし」と思っている人も多いはずだ。しかし、それを態度や言葉にすればタレントとしては終わりである。そういう仕組みになっている。

「24時間テレビ」と似た性質を持つものに、梶原一騎原作の漫画があった。「巨人の星」「あしたのジョー」「愛と誠」などで、「男とは」「愛とは」「人生とは」について、梶原の価値観を叩き込まれ、結果、それを自分で考えずとも手に入れたと思い、小さな部分で自我を満足させた人間ができてしまった。
梶原の価値観は、自分の弱さに怯え、劣等感から他を嫉妬する感情の反動に他ならない。彼に似た人間ほど共感する。

安易に価値観を持たぬ方が良い。思想的テロやあらゆる人道的混乱、短絡的暴力は、安易な価値観にしがみついた者の特徴である。自分の経験や思索で育てた価値観でないので脆く、それが崩れる恐怖から暴力的になるのだ。彼らは、自分に同調する者には、親切で優しく、献身的だが、自分の価値観を崩す恐れのある者は、躊躇無く消えれば(死ねば)良いと思う。
「モーセの十戒」などは、最低の戒めだけ与え、後の価値観は自分で決めよ。あるいは、自分で価値を決められないなら、せめてこれに従えという意味とすれば優れたものである。
我々も、最低の十戒だけを用意すれば良いかもしれない。

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