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2007.07.09

イブのいちじくの葉

「アダムとイブ」を描いた絵では、2人がある部分をいちじくの葉で隠している場合が多いのをご存知と思う。
聖書にも、彼らがいちじくの葉で身体を隠したことが記述されているらしい。

ところで、誰がそのようなことを書いたのかは知らないが、罪なことと思う。いや、意図的であったのではないかとも思う。もし意図的であったのなら、それはもしかしたら神のごとき賢者の仕業であるかもしれない。
アダムは特に隠す必要はなかったと思う。
問題はイブだ。イブがその部分を隠したことが、人類の運命を決めたのである。

実際、男の場合は、特に身体のどの部分かを隠す必要はない。公衆道徳の問題や、あるいは、映画「タイタニック」で、ローズ嬢が発言して、周りの貴婦人方を仰天させた「男性はサイズにこだわりますのね」という問題もあるのだろうが、根本的には無理して隠すものでもない。
しかし、女性は違う。ただ、違うとは言っても、「なぜか違う」ということなのだ。

つまり、男性のあの部分は秘密でも神秘でも何にもない。名画にだって時折描かれているから、子供のものと多少外観が異なるとはいえ、年若い乙女だって全く知らないわけではないだろう。
しかし、女性のあの部分は神秘であると同時に幻想であり嘘なのだ。
男の子の場合、女の子のあの部分に関しては、ごく小さい頃であれば見る機会もあるかもしれないが、さほどの印象もないものであると思う。つまり、単に「自分にあるものがない」というだけのことだ。
しかし、次第に、イブがそこをいちじくの葉で隠したように、女はそれを極めて強力に防御することに気付く。それにより、何かそれが、神秘的に美しいものであるという幻想を抱くようになるのである。
そして、女の方も、その幻想を利用するようになる。
男の子は、それが天国の花か世界の果てにある宝のように美しいものであるという幻想に囚われた結果、それを見たくて仕方がなくなる。そして、それは簡単に女の子に察知される。ここから、女の子の精神的優位が始まるのである。
かなり小さい頃なら、自分や(男の)友人の妹や、近所の顔馴染みの女の子とうまく交渉して、あるいは、お医者さんごっこのような形式で首尾よく鑑賞に成功する男の子もいるかもしれない。しかし、男の子のその程度の手管は、とっくに先読みされており、女の子は母親から、そこはとても大切なので、絶対に見せてはならないと教えられ(脅され)ている場合が多いので、成功率は低いはずだ。
何かの映画であったが、11か12歳位の2人の男の子が、隠れた場所で少し年下の可愛い女の子の服のすそをたくし上げ、下着の引き降ろしも終え、あまりの喜びに歓声を上げていたが、大人に見つかってしまう(女の子の母親だったかもしれない)。
男の子達は、公衆の面前で罰を受けることになる。だが、罰が実施されようとした時、男の子達の父親が、女の子の父親に言う。「なあ、ここまでしなくても。俺達にも分からないことでもないじゃないか」。女の子の父親は、すぐに納得する。だが、母親に問い詰められたその女の子は、自分は彼らに無理やりにあんなことをされたと言って泣き出す。本当は彼女も喜んでいたのであるが、男の子達は純情で、それに反論できない。
女の子が泣いては仕方がない。女の子の父親は、男の子のズボンをパンツごと引き降ろし、硬い革靴を振りかざす。男の子の悲鳴が上がると、女の子の顔が喜びに染まる。それはもちろん、復讐の喜びではない。女の武器を確認し、その威力を確信した喜びである。その女の子は美少女でもあったので、少し成長すると、学校教師を誘惑し振り回して楽しむようになる。

子供の頃、男の子は、女の子のあの部分が神秘的に美しいという幻想を植え付けられる。
すると、精神、あるいは脳の構造上、一生、その幻想を保持するのである。
しかし、これを言うことはほとんどタブーであるのだが、あんなものが美しいはずがないことは、当の女なら誰でも知っている。はっきり言ってグロテスクとも言える。位置的にも不潔である。しかし、それを美しいものであると男の子に信じさせる必要があるのである。
もはや詐欺と言えるようであるが、この巨大な詐欺により、人類はうまくいった部分もあるかもしれない。旧約聖書の著者の狙い通りであろうか?
だが、女の子の方も、あの部分を男に見られることには強い羞恥心があるはずだ。しかし、よく考えると、妙な羞恥心ではあるまいか?少なくとも男の子にとってはそうであるはずだ。神秘的に美しいものであるなら、見られて恥ずかしいというのはおかしい。つまり、醜い場合に見られるのが恥ずかしいと考えるのが自然である。そして、女の子にとっては、美しいと思われているものを、実際はそうでないということを知られるのは都合が悪いというのが、強い抵抗を示す理由であろう。
いずれにせよ、女の子のガードの理由は(なぜかは分からぬが)羞恥心であると男の子は思い込んでいるので、その羞恥心が大きければ大きいほど、それが美しいという幻想は強まるのである。
だが、このようなことを男の子に教えるのは、歴史的なタブーであるかもしれない。

ところで、昔から理性に乏しい馬鹿な男はいたもので、矢口高雄氏の漫画で紹介されていたが、日本でも戦前や戦後まもなくの頃、小学校や中学校で、男の子が大勢で女の子を押さえつけて下半身を裸にするという行為(露骨に犯罪であるが)が「解剖」と呼ばれ、かなり行われたらしい。本当かどうかは知らないが、あり得そうな話である。
別に現在でも同じであるが、程度の低い男というのは、性的興奮を得るのに、女の屈辱を必要とする。いや、程度が低くない男というのは存在しないので、程度の差はあるが、どんな男も同じである。だから、恥じらいのない女は魅力がないとされる。だが、極端に程度の低い男であれば、暴力に訴え、女性に巨大な屈辱を与えることで満足しようとするものである。粗暴な男でなくとも、ロリコンと呼ばれる男はそうであると思われる。彼らは、実際に女の子のあの部分を見たこともないので、それが美しいという幻想は宇宙のように大きいし、可憐な少女は、必ずや自分を満足させる恥じらいを見せると思い込んでいる。まあ、まかり間違って、そんなオタク男が、本当に可憐な少女と奇跡的にことに及ぶことになれば悲惨かもしれない。その理由はちょっと言えない(笑)。

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