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2007.07.20

慣習とは狂気である

他の地域、あるいは時代の人々の慣習には奇妙に感じるものもあるだろう。
某国のレストランで食事中に、テーブルの上でコップを引っくり返してしまい、テーブルと床をびしょびしょにした。ボーイに始末を頼んだら、ボーイはテーブルを拭いただけで行こうとするので、床の始末も頼んだところ、彼は怒り、「私の身分階級はテーブルは拭くが床はもっと下の身分階級の者の仕事だ」と言う。

中島敦さんの名作短編小説に「名人伝」がある。このお話の舞台が大昔の中国であった。著者はある場面について、「自分の息子を塩焼きにして皇帝に献上することが美徳とされた時代のことであり、この時代の人の行為を今の常識で考えてはいけない」と注意していた。

さる芸術家のブログで読んだが、オランダでは、夫の靴を奥さんが揃えると、「召使いみたい」で抵抗を感じるようである。

岡本太郎さんが、「現在は情報通信が進歩したので、世界は狭くなった。世界中の多くの民族の慣習や美的感覚はかなり似てきており、非常に奇妙に思えるようなものは少なくなってきている」と、「今日の芸術」に書いたのは1950年代の話である。
確かに、もっと大昔では、現代の日本人から見れば驚愕の風習や慣習がいたるところであったに違いない。
それに比べれば、一夫多妻など、あまり大した問題ではないと思える(笑)。

だが言っておく。
いかなる風習・慣習も、全て狂気であると。
「これは良い慣習」、「これは悪い慣習」などというものはない。全て狂ったものである。
慣習とは狂気の1つと言って間違いはない。
我々は、祖先や未開民族の慣習に驚く。しかし、未来の人からみれば、我々の慣習も、それらと大差はないに違いない。
荘子は言っている。外的には、法や慣習に従えと。無用な争いを避けるためである。だが、内面は自由でいろと。
他人の慣習は放置するに限る。慣習はそれに従う者には抗うことのできない狂気であり、それを変えることは非常に難しい。いや、仮に変えることができたとしても、それは単にあなた好みの狂気に変わったというに過ぎないのである。

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