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2007.07.25

心は泥棒である

世界は、単に心が想像したものである。
心は脳から生まれるが、そのプロセスを心自体が知ることはできない。
世界は心が作った夢のようなものだ。
気にいらなければ、好きなように変えれば良い。
心が世界を作るのであるから、まずはその心に注意を払うしかない。ほとんどの人は心に注意を払わないので、いつまでも悲惨な世界に閉じ込められている。
だが、心に言うことを聞かせることはできない。
考えてもみたまえ。心に言うことをきかせようとするのもまた心なのだ。こんな矛盾した話はない。
心に、良い世界を作らせる必要はない。
悪い世界を作らせさえしなければ良い。
そのために、心を見張らなければならない。

なぜ心を見張るのか考えよう。
もしあなたが教師であれば、何を見張るだろうか?悪いことをしでかす不良に決まっている。優等生を見張っても仕方がない。
では、野球チームのコーチであれば?やはり、怠け者や、チームの和を乱す選手を見張るだろう。イチローを見張っても仕方がない。
つまり、見張らねばならないものとは、ダメなヤツなのだ。
つまり、心はダメなヤツなのである。泥棒だと思えば丁度良い。泥棒がうろついていたら、注意して見張るはずだ。泥棒に良いことは何も期待しない。ただ、盗まれないよう見張るだけだ。そして、見張っていれば、泥棒は泥棒しないのだ。
心も同じだ。見張っていれば悪いことはできない。だが、心は、イチローのフリをするチンピラ選手だ。つい騙されて、そいつのやる悪いことを、良いことと思い込まされてしまう。例えば、イデオロギーのための興奮を至高の正義と思うようにだ。
「心のやることは全部悪い」そのくらい、心を信頼しない態度が必要なのだ。
「あの人は理想の男性に違いない」なんて思うなら、その男は詐欺師と思って間違いない。
「彼女は理想の女性だ」・・・単にパンツを脱がせたいだけだろう?

そもそも心とは何だろう。それは、認識の道具なのだ。感覚器官があっても、心がなければ何も認識できない。心は脳が作る。しかし、心機能は余計なことをするので、ものごとがありのままに見えない。
心を見張っていれば、心が活動を止めるだろう。すると、この世の真の姿が見えてくる。
そして、ちょっと、いや、かなり驚くことが起こる。
心を見張っている者が立ち現れるのだ。それは、突然に起こる。
そうなれば、もう言葉はいらないだろう。

20070724_3


日曜日でもないのにラクガキをしたりします(毎週、日曜日のラクガキが私の習慣)。お風呂場でゴキブリを見つけた瞬間です(笑)。
絵をクリックすると、ポップアップで大きな絵が出ると思います(笑)。

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