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2007.07.23

「まちぶせ」と「待つわ」

最近、女性デュオ「あみん」が25年振りに復活し、かつてのヒット曲「待つわ」を歌うのをTVで見たが、これがまた、荒井由実(松任谷由実)作詞作曲の「まちぶせ」と共に、なんとも複雑な気分にさせられる歌だと思う。
「まちぶせ」はひらがな表記であるが、共に「待つ」という言葉が不気味な歌である。

「待つわ」といい「まちぶせ」といい、おそらくは男性側から見れば、本当はちょっとゾっとする歌詞ではないかと思う。
ただ、「まちぶせ」は、最初の1977年の三木聖子さんのイメージがないが、1981年にはアイドルの石川ひとみさんが歌い、1996年に「御大」荒井由実さん自らカバーしたし、「待つわ」は1982年の「あみん」の2人が芸能人らしさのない普通の女子大生振りが清楚だったこともあり、男性ファンも多いが、やはり女性に好まれたと思う。

「待つわ」と「まちぶせ」に共通するのは、共に、女の子の片思いの歌であるが、未練はいっぱいというところである。
「まちぶせ」の方では、「もうすぐあなたを振り向かせる」と前向きであるが、「待つわ」では「あなたが誰かに振られるまで待つ」と陰湿である。

しかし、なんとも寂しく、やりきれなさを感じる。
その、男性へのアプローチのあまりの下手さ、的外れさにである。
「まちぶせ」の女の子が、その男性と結ばれる可能性はまずない。「待つわ」の彼が誰かに振られる日が来ても、その女の子は相手にしてもらえまい。
石川ひとみさんや岡村孝子さんはきれいなので誤解するかもしれないが、これらの歌に出てくるような女の子は、おそらく外見は冴えないし、性格的にも自信のない、ちょっと歪んだタイプと思う。そのせいか、男に対するおよそ奇妙な思い込みを持っている。
ところで、いわゆるモテる女の子というのは1割くらいのものではなかろうか?
例えば、思い返してみれば分かると思うが、小学校で、スカートまくりのターゲットになる女の子は、せいぜいがクラスに2~3人である。小学校も高学年になると、スカートまくりは犯罪としての罰がそろそろ加えられるが、ここから中学高校に至っても、やれるものならスカートをまくりたい「憧れの対象」は、やはり、多くてもクラスに2~3人である。
大多数の女の子は、自らアプローチしなければならない必要性を感じてはいるのだが、その難しい方法を誰も教えてくれないので、おかしな方法に走る。
ペンテルの「スリッチ」というボールペンのCMを見ていると、ちょっと腹が立ってこないだろうか?あのCMはモテない女の子に買わせるという営業戦力のもとに作られたものである。あのCMに出てくる、およそ「これ以上モテたくない」と言ってもおかしくないような美少女に自分の姿を重ねて自己満足させるのである。

「まちぶせ」の女の子の恐るべき間違いを指摘しよう。
「偶然を装って帰り道で待つ」これ自体は悪くはないのだが、肝心なのは、待って逢った時に何をするかだ。特に何もしなければ、何度もやってるとうっとおしいと思われるし、狙いはすぐにバレる。そして、かえって嫌われるか敬遠されるのは間違いない。
逢ったなら、速攻デートに誘うしかない。そこで断られたら諦めるしかない。
デートに誘える自信が全く無ければ、飲みに誘えばいい。男は、好きでもない子とデートはしなくても、酒なら付き合う可能性がある。さらに、健康的なデートより、酒の席の方が有利なのである。酔わせて抱かせて脅し取る・・・は裏の世界の常套手段であるが、男はそれだけ馬鹿だということだ。これを利用しない手はない。もっとも、こういうことで状況をコントロールする手管は実は難しく、あくまで玉砕覚悟で挑むならである。

「他の人がくれたラブレター見せたり」ここまでくると、冗談でなく「いっぺん死んでこい」と言いたくなる(いや、もちろん冗談ですが)。
こんなことに意味があると思っている女の子は、言っては悪いが重症である。
こんなことで効果があるのは、最初から男の方に相当気がある時だけで、そもそもそれなら最初からアプローチの必要がない。
ラブレター(いまなら、告白メールというところか)を見せられた男が、本当に立派な男性ならこう思う。
「この子は、よほどラブレターをもらったことがないのだな」
これなら、まだ良い方である。
男が心を込めて書いたラブレターを他人に見せるなど、なんてひどい女だと思うはずだ。そして、仮に男性がその女の子に好意があった場合でも、それを壊す可能性の方がずっと高い。

「待つわ」に関してはこう言うしかない。「一生待ってろ」と。実際、そうなるであろう。
本来は、何もせずただ待つよりは、どんなことでもやってみる方が千倍もマシなのだ。
しかし、「まちぶせ」の女の子は、あまりに愚かだった。だが、愚かな行為でも、その苦しい失敗により成長することはできるはずだ(失敗と断定しているところにご注意願いたい)。
だが、「待つわ」の子は、失敗とそれに続く苦痛を恐れて何もせず、結果、一生そのままであるのだ。

思うに、両方の歌の女の子の大きな問題点は「自惚れ」であると思う。
それは「待つわ」の方が深刻だ。
魅力はあるが自信のない女の子が、好きな男の子に必死のアプローチを試みたり、シャイなために何もできずにただ待つという姿はいずれも可愛い。いや、より可愛さが炸裂すると言って良い。しかし、それはあくまでフィクションの世界である。
そんな映画やドラマに登場する、万人に1人の美しいアイドルに自分を重ねても何の意味もない。しかし、それをやってしまうのが人間だ。
心理学ではそれを「退行性(幼児性)全能感」と言い、幼児の頃、自分が世界で一番重要であるように扱われた時期を大半の人間が経験し、その影響は一生残る。しかし、それこそ、好きな異性に振られるといった体験により自己認識に修正を加えるのだが、何ごとにもチャレンジせず、失敗や挫折を経験しなければ、幼児性全能感は強いままだ。
全面的とは言わないが、「まちぶせ」や「待つわ」に共鳴する女の子は、甘やかされて育った上、失敗の可能性のあることにチャレンジした経験の少ない人であることは間違いないと思う。

先にも書いたが、男は単純で馬鹿である。だから、外見的魅力に弱い。男を落とすのは、基本的には見た目である。
可愛い子と張り合って勝つ可能性は無くはないが、ほぼ無い。
こう言うと、不条理なようだが、美しい女の子にだって、うるさいハエを追い払う煩わしさがあり、身の程知らずにもアプローチしてくる馬鹿を傷つけないよう諦めさせるテクニックも習得する必要がある(単なる優しさとは別に、恨みを買わないためにも)。そして、ある年齢になれば、美人もただのオバさんになる。元々が美人でない人でも、オバさんになったことを嘆くのに、美人であればその落差は普通の人よりはるかに大きいのだ。いくらエステで磨きをかけても若さという宝は決して戻らない(ここらは詐欺的なテレビCMで思い違いをさせられている女性も多いが)。
年を取った時の嘆きは元美人の方がずっと大きい。従って、あまり美人を羨む必要もないのである。
そして、恋愛は、ある程度は駆け引きと心得る必要がある。なぜなら、必ずしも最善の結果を得られるわけではなく、失敗も有りえるからで、出来るのはただ、成功の可能性を1パーセントでも押し上げることだけなのだ。
自分の切り札は所詮、なけなしの外見的魅力で、それを最大有効に活かすために、前段階として様々な努力をするのである。そして、その努力とは、正々堂々のものしかあり得ないのだ。きれいにまとめたノートを貸してあげたり、料理を勉強して美味しいお弁当を作ったり、スポーツで目立ったり、良いことで勇気を示したりである。

余談-「灼眼のシャナ」より。
自覚はないが、好きな悠二のためにお弁当を作ろうと(料理の名人、吉田一美に対抗してだ)、悠二の母、千草に料理を教わるシャナ。
しかし、千草が目を離した間に、シャナは玉子焼き(最も基本的な料理だ)を焦がしてしまう。
「ごめんなさい。シャナちゃん初めてなのに、私が目を離したから・・・」
「千草は悪くない(シャナは悠二の母親も呼び捨てである)。私の鍛錬が足りないせいだ。」
「そんな・・・鍛錬だなんて大げさなこと言うもんじゃないの。料理というのは、愛情がこもっていればいいのよ」
「愛情・・・」
小説では(この作品、小説、アニメ、漫画とあり、それぞれ微妙に違う)、シャナは確かに愛情はこもっていたがトンでもないお弁当を作り、悠二に決死の思いで渡す。
それでも良かったのは、あくまでシャナが驚くべき程の美少女であるからだ(高校1年生の悠二に対し、シャナの外見は11~12歳だが、それでも凛々しく美しい少女である)。
対抗の吉田一美もまた、かなり可愛い部類に入るほどであり、しかも最高レベルのお弁当を悠二のために作ったが、アプローチにはかなり苦労した。

男は「舌から」落とすというのは、決して間違いではない。
「大草原の小さな家」で、ローラが男の子へのアプローチを父のチャールズに尋ねた時、チャールズは言う。「美味いものを食べさせるんだ。すると男はしびれるのさ」
だが、料理に大切なのは、愛情ではなく、出来栄えであることはしっかり憶えておきたい。

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