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2007.07.05

沈魚落雁

「沈魚落雁(ちんぎょらくがん)」という言葉をご存知だろうか?
中国、日本の小説で同じ意味で使われているものであるらしいが、読んだままの「魚も恥らって水に潜り、雁も空から落とすほどの美人」という意味である。
この言葉は、「荘子」の「斉物論」編の中に現れるのであるが、実は、上にあげた現在の意味と正反対なのである。

本当はこの言葉は、人間から見た美人も、魚が見れば恐れて水に潜り、雁も驚いて落ちるという意味で、美人の美しさが通用するのは人間同士の間だけであり、絶対的な美ではないということを言っているのである。
この他にも、荘子は、住居に関していえば、ドジョウは沼地に住むが、人間が真似をすれば病気になる。人間は家畜を美食と心得るが、ムカデはヘビを好んで食べる。
このような例を出して、人間の定める価値が一面的であり、絶対的ではないということを分かりやすく説明しているのである。
荘子は、そこから更に論を進め、人間の行う価値判断がいかにあやふやでいい加減なものであるかを論じている。
一方から見れば是であっても、他方から見れば非となる。何ごとも、人の行う価値判断は相対的であり、絶対的なものではないことを教えている。

このように、「沈魚落雁」が、その出所である「荘子」での意味と全く違う意味で現在使われているのは、元々の意味が奥深く理解しにくいものであるからであろう。

「斉物論」の考え方は、「荘子」固有であるかといえば、そうではない。
古代インド哲学や、その流れを汲む近代インドの聖者によって語られる教えも、非常によく似ているというか、おそらくは同じである。
大きさ、重量、時間といった、従来は全宇宙で絶対的と考えられていたものはアインシュタインの相対性理論でその絶対性が否定された。相対性理論は巨大なスケールの世界でのことであったが、逆に極微な世界も量子力学により、我々の通常の常識が成り立たないことが分かった。
さらに、精神分析学や心理学、脳機能科学の成果により、人間の感覚、思考、感情に関することも、実際は我々が当然と考えていたことと事実はかなり異なることが分かってきている。
荘子や古代インド哲学は、さらに壮大で奥深いことを語るが、どこまでが真理であるかは証明されていないし、証明されるはずがない。荘子にしろ古代インド哲学にしろ、言葉での説明が不可能であるとされる以上、証明の前提である言葉での記述自体ができないからだ。
しかし、荘子にしろ、古代インド哲学にしろ、人間の根本的な幸福や、真に充実した人生の鍵はそこ(万物斉同や不二一元論)にあるとされる。
もしそうであるなら、人が日々行う、自己の幸福のために良かれと思って行うことは、その正反対の結果となるかもしれないのだ。

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