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2007.06.04

運命と選択

将来の道を親などに決められてしまっている人もいるだろう。
完全にか、ある程度かの違いはあるかもしれないが、それは子供にとって不幸だろうか?
例えば、教育ママが幅を利かせている家庭で、とにかく東大入学を目指したという場合、母親にはそれ以上のビジョンが無い場合が多いが、父親も一緒になって官庁への入庁を目指させるということもあるだろう。
また、父親が社長の場合、長男であれば、会社を継ぐのが当たり前ということもよくあるが、息子が真面目にやる限り、一生裕福に暮らせる可能性は十分にある。

ただ、これらの表向きを見ただけでは、その者が幸福か不幸かは分からない。

昔、「巨人の星」という、良くも悪くも昭和を代表する漫画・アニメでは、飛雄馬という男の子は、元巨人軍サードであった父親の星一徹に、野球選手となるためだけに育てられ、幼い頃から英才教育を受ける。飛雄馬は時には反発したが、強力なライバルに出会う度、闘争心が出たのか、やがて迷うことなく野球道を進む。

ところで、好きな道を選択できるというのは、ごく近年の先進国に見られることであり、現在でも、そんなことが可能な人間は、地球レベルで考えるとさほど多くはないと思う。
アンデルセンは、10歳かそこらになったら、何かの職人の親方に弟子入りをし、修業をして一人前の職人になる以外の道はない状況であった。しかし、そのように生きたが、本当は文学好きな父親の悲観と失意の中での病死を見て、自分はそんな風にならないと誓い、14歳で単身コペンハーゲンに出た。そして、大変な苦難の末、大学を出、やがて詩人、作家としてブレイクする。しかし、アンデルセンの場合は時代を考えると、かなり無茶であったとは言える。

再度問うが、進む道を決められることは、必ずしも不幸だろうか?
最近感動したものに、高橋弥七郎氏の小説「灼眼のシャナ」がある。
ヴィルヘルミナが拾わなければ確実に死んでいた赤子は、フレイムヘイズとなるためだけに育てられる。フレイムヘイズとは、異世界の悪人と戦って討滅するだけの異能者、早い話が戦士だ。その戦いは、死ぬまで永遠に続く。その赤子(女の子)に、他に選択できる道はない。幼い頃から過酷に鍛えられ、傷に寝込むこともあった。
ヴィルヘルミナは言う。その女の子が捨てられるべくなったのは偶然。自分がたまたま通りかかったのも偶然。ここより他に生きる場所がなくなったのも偶然。しかし、この子がフレイムヘイズとしての才能を発揮したのは必然・・・と。
その女の子は、進む道は他に無かったが、自らフレイムヘイズになることを選ぶ。

アンデルセンもそうではなかったのか?
貧しい靴職人の家に生まれたのは偶然。父親が文学好きで、そのおかげで家にあった面白い本を母親に読んでもらったのも偶然。学校でいじめられて、家に引きこもったのも偶然。父親がラテン語学校の生徒を羨んでいたのを見たのも偶然。しかし、創造の道に憧れてコペンハーゲンに行き、ラテン語学校や大学に進み、文学の才能を発揮したのは必然だ。

では、たまたま決められた道への才能がない場合は不幸だろうか?
問題は、偶然に起こったことを自らの意思とするかどうかだ。ニーチェはこれを「運命愛」と呼んだと思う。
私の経験で言うなら、向いてなくてもいったんは熱心にやってみるのも手かもしれない。
全ては偶然である。だからこそ、その織り込みは緩い。運命は決まっていない。
信念を持っていれば、運命を変えることも可能だろう。

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