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2007.06.07

花のような美しさ

「花のように美しい」というのが、本当は一番言われたい美しさの称えられ方ではあるまいか?

ところで、この「花のような美しさ」の意味は大誤解されている。
「花のような美しさ」と、化粧、ダイエット、服装、アクセサリは何の関係もない。
花は美しくあろうと意図したりなどしない。
単に花の本質が美しいのである。
美を目的としたら花のような美しさを顕せない。
花は存在自体が美しいのである。
そして、人間は花と比べて行為するという特長が大きい。
だから、花のように美しい人とは、存在自体が美しく、行為そのものが美しいのである。
美しく存在しようとか、美しい行為をしようという意図などはない。また、意図すればするほど美から遠ざかる。

ではここで花の美しさをさらに深く探る。
心理状態によっては、咲き誇る花も美しく見えないことがある。
何かで読んだ詩だが、「新たな目で」みかんを見ると、実に美しいとあった。どこから見ても美しいと。私も早速、「新たな目」でそこらのものを見てみた。やはり美しいのに驚いた。まあ、その時は私も12歳くらいだったので、「新たな目」と言われてすぐに実践できたのだ。

花は、「新たな目」で見るよう、自然に誘うのだ。おそらくは、そのか弱さや命の短さの故に、また、色や形の微妙さ故に、見る者に集中を起こさせるのである。集中せずに見たものは美しくないのだ。
そして、幼さの残る少女、か弱い女、病弱な女、儚げな女に美のイメージが付き纏うのも同じ理由だ。

では、自然に集中して見ることに何の意味があるのか?
荘子は、「視線は自然に」と言ったし、宮本武蔵も「五輪書」で視線に関しては特に注意書きをしている。
それは、心の消失を意味する。誤解されているが、花のように美しいものを見て心が躍ったりなどしない。そんな時、心は静まっているのだ。
心のない状態、それが至福の状態である。美とは、至福の状態の知覚の別名である。
「心奪われる」の言葉は、その通りに受け取った方が良い。心を奪われる、即ち、心を持たない時、真に美しさを感じる。
結論を言うと、「花のように美しい女性」とは、見る者の心を消失させる特質を持つ女性である。その方法は・・・ナイショ!(嘘)ちょっと長くなったので、気が向けばまた書こう。

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