« 運命と選択 | Main | 美の実体 »

2007.06.05

好みのタイプという幻想

私は、ひどくみすぼらしい老人に会った。
ボロを着て、髪はボサボサ、身体も汚れ、貧しい老人であることは一目で分かるのであるが、その目付きがただ者でないことを表していた。
私は老人に「あなたは誰か?」と訊ねた。
老人は「至高の実在である」と言う。
私は、「もしそうなら、それでも状況を改善できないのか?」と訊ねた。
すると老人は、「どの状況かね?」と聞き返してきた。
この光景は一瞬で消え失せた。
私の内部のグル(師)が、私の自我にアクセスしてきたのだろう。

これはかなり以前の話で、私がまだ自我を持っていた頃だ。

誰しも、異性の好みというものがあると思う。それは地域や時代が同じであれば、人々のそれが似る可能性が高い。逆に言えば、地域・時代が異なれば、場合によっては極端に違う場合もある。
これは単に記憶に操作されているだけだ。
まだ男性に特定の趣味を持っていなかった女の子が、ある男性が人々に賞賛されている光景を映画やテレビで見る。すると、その男性のイメージが上がる。また、別の男性が蔑まれるのを見て、その男性のイメージが下がる。このような数多くの記憶が積み重ねられる中で、自分にとって好ましい男性像が出来上がる。
映画やテレビの影響が大きい場合、人々の好みは特に似てくるに違いない。反対に、それぞれが、かなり個性的な経験をする場合には、様々な好みが生まれる。
私も記憶を持っている。
しかし、普通の人と違い、私は記憶を使うが、記憶に使われない。だから、本来は特定の美的嗜好はない。しかし、普通の人には信じられないだろうが、自発的に特定の嗜好を持つことはできるのだ。これも一種の遊びである。

|

« 運命と選択 | Main | 美の実体 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 好みのタイプという幻想:

« 運命と選択 | Main | 美の実体 »