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2007.05.27

この世は全て偶然である

夢や目標が非常に大切だと言う者がいれば、そんなものは不要、あるいは、あるべきでないと言う者もいる。
前者の方が好意的に受け入れられ、後者が批判されるのは、やはり学校やテレビによる国家や大企業の洗脳と言って間違いない。
「唯脳論」の養老孟司氏や「唯幻論」の岸田秀氏は、「人生に目標なし」論の方で、知的には彼らの主張の方が自然と思う。最近は、彼らの真似か、人生無目標を説く者が増えたような気もするが、いかにも不自然なものが多い。

「荘子」に、ひどい病気になった男が、その運命を平然と受け入れ死ぬ話がある。彼は、「鉄が、自分は名刀になるんだと言ったところでどうにもならない」と言った。
エベレストにも登頂した登山家が、遭難して生死の境をさ迷っていた時、自分の人生は偶然に支配されていることを確信したという。
死のぎりぎり手前までいく経験を何度かすると、自分が生き残ったのは神様のおかげというよりは、やはり「たまたま」と思うものだ。でないと、自分よりはるかに立派な人間が死んで、自分が生き残ることが理不尽である。
だが、ニーチェはツァラトゥストラに、偶然を跪かせたと言わせる。

全ては偶然である。もし必然というなら、原因があるということになる。宇宙全体がものごとの原因というなら、それもまた正しいだろう。しかし、探って見つかるような原因といったものはない。殺されたのが恨みを買ったことがその原因としても、恨みを買ったことにも複雑な理由があり、殺す理由にも様々な知られぬ訳があろう。やはり「たまたま」殺されたのだ。
事件が起こると、テレビなどで「警察は動機の解明を急いでいる」とか言うが、本当の動機が表に出てくることなど、まずないものである。これはむしろ、現場で捜査をしている警官が一番良く知っていることと思う。

私はどうも自我が僅かに残っていたらしく、ただ1つおかしな夢があった。
民間の乗客を乗せた宇宙船。私もその乗客の1人だが、宇宙船が事故を起こし、致命的な状況になる。なんとか持ちこたえた中、ようやく救助艇が来る。だが、そこに移るためには、宇宙服を着て船外に出る必要がある。時間はギリギり。だが、宇宙服は1つ足りない。
私は美貌と透る声を生かし、指示役に回る。身障者、病人、60歳以上、および12歳以下の子供とその保護者に先に宇宙服を渡す。12歳が13歳でも別に構わない。そこらの子供を捕まえ、保護者に成り済ます者がいても、それも構わない。宇宙服は十分にあるのだ。
私は、最後の1人に宇宙服を着せて送り出すと役割を終える。
別に英雄的行為でも、犠牲的精神の表れでもなんでもない。私は既に死んでいるので、乗った宇宙船が爆発しようが、私には関係がない。
幻想とは、自分の身体とそれにくっついた自我、あるいは、他人の中の記憶としての自分を残すことを基本に人間にまとわりつく。しかし、それらを拒否した時、丁度、火かき棒自体が燃え尽きるように、自我は消滅する。
そこまでいかなくても、宇宙船でなくても、たとえば、電車に乗るとき、自分は後から乗って座席に執着しないようにすれば良い。テレビCMでも見るが、一般人の座席への執着は狂気である。彼らは、いつも不平不満が絶えず、惨めな人生を送らざるをえない。

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