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2007.05.20

自己嫌悪は不要である

「自分が嫌いになる」という言葉を見たり聞いたりすることがあると思う。
少女漫画風に言えば、「私ってなんて醜い!」とかである。
いわゆる、自己嫌悪というものである。
ライバルの失敗、不幸、あるいは死に対して喜びの感情が起こったり、逆にライバルの成功を妬むと、自己嫌悪に苦しむわけである。

最近人気のフィギュアスケートを観戦していて、こんなことを考えた人は多いと思う。
自分より後に滑るライバルの演技は見ない方が良い。ライバルが転んだ時、思わずニヤリとしたら困るだろうと。選手にとって、これも自己嫌悪を呼び起こすかもしれない。そんな時は、悔しい顔や残念そうな顔をするのが立派なスポーツマンのイメージなのであろうし、その立派なイメージに合わない自分が嫌になるかもしれない。

これは難しい問題だと認識されていると思うが、私は解決した。
結論として、ライバルの失敗や、嫌な相手の不幸を喜んでも、自己嫌悪を感じる必要はない。

心理学者の岸田秀氏は、自己嫌悪というのは、自己の過大評価から来るとしている。即ち、自分が思っている自分のレベルより低い自分を認めることに葛藤があるというわけである。
だが、私のは全く違う。
私の知る真理は、心と自己とは別物なのであるから、悔やむことも恥じる必要もないというものだ。
人は誰でも、心や身体を自分と思っている。だから、このことはなかなか理解し難いし、一生理解しないのが普通だ。しかし、分かってしまえば、あまりに明白なことなのである。
そして、心が自分でないと理解すると、今度はライバルの失敗を喜んだり、ライバルの成功を妬まなくなる。好きな人を恋敵に取られても、恋敵の幸福を想像して一緒に嬉しくなることはあっても、妬みや嫉妬は起こらなくなる。

心(自我と言った方が良い場合もあるかもしれない)を自己から分離させることは価値がある。
心は知覚を自己に伝える道具である。催眠術で細工をし、目の前の他人に、自分を彼の父親や恋人と思い込ませることも可能だ。心とは、このように歪んだり曇ったりもする。
だが、お店で商品を購入する際には、商品を冷静に観察し、金額に注意するだろう。同じような冷静さや注意を持って、自己嫌悪のような感情を扱えば良い。商品の金額が自分ではないように、感情も自分でないことが分かるようになる。
心と自分が分離して、冷淡な人間にならないか心配する必要はない。美や幸福を心で感じるのとは全く別の次元で感じるようになる。それが一瞬でも起こった時が、ロマン・ロランの大洋感情や、エイブラハム・マスローの至高体験であり、夏目漱石の天賓である。

余談だが、こうやって心を克服すると、「恋してる自分が好き」なんて感情もなくなる。慈善活動に自己満足する自分もいなくなる。その代わり、はるかに優れたものを得るのである。

日曜日のラクガキです。絵をクリックすると、ポップアップで大きな絵が出ます。
20070520

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