« 成長すべきは大人だ | Main | 女子高生のイメージの嘘 »

2007.04.21

豊と貧

いかに豊かな国と時代であれ、惨めな思いをする者はいるだろう。
大林宣彦監督の「さびしんぼう」という映画がある。
主人公の高校生ひろきは、放課後になると音楽室に1人の美しい女生徒が現れ、ピアノを弾いていることに気付き、毎日、カメラの望遠レンズで覗いていた(ストーカーか?^^;)。
その美少女は百合子という名で、ピアニストを目指していたが、放課後1~2時間の練習ではとても無理だということを理解していた。家にピアノを買う余裕はなかった。
ひろきはなんとか百合子と親しくなるが、今はやりのツンデレではないが、百合子の態度が急に冷たくなる。ひろきが困惑する中、百合子は学校に来なくなる。
ひろきが思い切って百合子の家の近くを訪ねると(百合子はひろきに家を教えたがらなかった)、およそ不似合いな着物を着た百合子が、街頭の店で小さな魚を買っていた。百合子は最初2匹頼んだが、値段を聞いて1匹にしてもらう。なんとなく、父親が病気で、学校を辞めざるをえない状況らしい。今、何をしているのかは分からないが、百合子は吹っ切れていて、ひろきにも明るく対応した。百合子はひろきの好意を知っている(ひろきは既に告っている)。百合子は言う。「反対側の顔は見ないで下さい」
富田靖子という、当時の人気アイドルを起用した映画ではあったが、大人の共感を呼んだと思う。黒澤明も絶賛したのである。
この時代であれば、自らも惨めさというものを体験している者が多かった。そんな者はたやすく百合子に同調でき、涙なくして見れないという訳である(本当か?)。

「フラッシュダンス」という映画で、ダンサーのオーディションのシーンがあった。大勢の受験者が全員でステージで思い思いに踊る。そこに指示が出る。「クラシックバレエの経験のない者は出ろ」と。試験管は、踊り続ける1人の女性に尋ねる。「きみ、クラシックバレエの経験は?」いかにも、そんな経験のなさそうな踊りであった。しかし彼女は「ないわ」と明るく答えて踊り続ける。試験管が「出ろ」と指図してもひるまない。試験管が強く「さっさと出ろ!」と命ずると、彼女は泣き出す。このシーンも、見た者のバックグラウンドで反応は変わる。彼女は家が貧しくクラシックバレエのレッスンを受けることができなかったが、彼女なりに努力したのだろう。もしかしたら、子供の頃、バレエ教室に通う子供達をうらやんだかもしれないとまで考えるのは苦労人である。

特に芸術分野は金がかかる。絵に関しては、案外我流の画家が多いが、音楽やダンスで一流になるには、良い学校で指導を受けることが必要と思う。そして、その費用はかなり高い。

もっとありふれた例である。
ある優良企業の入社式を見た。新入社員は全員、有名大学・大学院の卒業生である。
しかし、彼らに能力・人間性共、決して劣らない者が、はるかに低く、そのままでは将来も知れたような場所にいる。
学業の成功は、本人の努力ももちろん大切であるが、家庭の裕福さのアドバンテージは高い。昔であれば、家に電燈がないので、街灯の下で勉強して優れた成績で卒業したという話もあるが、現在の良い学習塾は、お金もかかるが、指導力や受験対策などは公教育など話にならないくらい進歩している。能力・努力が同じなら、裕福な者とそうでない者とが勝負するのは、コンピュータ化された装甲車に竹やりで対抗するようなものだ。
だが、なんとか竹やりで勝って欲しいと願うのである。勝ち方にもいろいろあるのだから。

|

« 成長すべきは大人だ | Main | 女子高生のイメージの嘘 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 豊と貧:

« 成長すべきは大人だ | Main | 女子高生のイメージの嘘 »