美術教育の破滅的効果
美術教育において、そもそも制作する目的が問題にされることがない。
絵で生活するプロは別だが、絵とは別に他人に見せるためのものでなくて良い。
私に関して言うなら、絵は心や感覚の歪みを見るのに実に都合が良いから描いている。
絵は、心や感覚の歪みをはっきり示す。絵はこの目的において簡単で便利だ。ただ、その絵の歪みに気付くのに数ヶ月かかる場合がある。しかし、慣れると、描いたその場で分かるようになる。
そもそもが、芸術なんて、ある種の心の歪みでしかないかもしれない。
だが、絵を描くテクニックを修得すると、心が歪んでいても絵が歪まなくなる。
商用イラストや、「きれいな絵」を描くにはテクニックや練習が必要だ。しかし、自分と対話するために絵を描くなら、テクニックは百害あって一利なしである。
イラストレーターや「きれいな絵」を描く画家になるのでもない限り、上手い絵を描く人に描き方なんて教わらない方が良い。いや、教わってはいけない。心を示すはずのものに他人の干渉を受ければ取り返しのつかないことになる。滅多なことでは取れない心の曇りになるのだ。それは、その者を一生不幸にするくらいの力はある。
毎週日曜に描いていたラクガキが、昨日できずに今日になりました。
一度「手抜きです」って、言ってみたいなあ。私はこれがせいぜい^^;
まあ、時間かけてない分は、やはり手抜きなのかなあ(笑)。
クリックすると、大きな絵がポップアップで出ます。
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