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2007.04.01

人を鼓舞するもの

岡本太郎もコリン・ウィルソンも、あるいは狂気や神性を感じさせる芸術家の目的も、生命エネルギーの増大に他ならないと思う。
「元気(あるいは勇気)をもらいました」なんて言うのが流行のようだが、それはおそらくちっぽけなエネルギーをもらった時の合言葉だ。どうせならでっかく得るべきだ。
生命力を得る最も簡単な方法はエネルギーと同一化することだ。例えば祭りに参加し、暴れまわると良い。これと似たものとしては、例えば昔のマイケル・ジャクソンのコンサートがある。ジュット機2台で搬送した機材を300名のクルーがセッティングしたマイケルのコンサートでは、ひっきりなしに失神者をスタッフが運ぶ光景が見られる。
祭りもマイケルのコンサートも、モラルをかなり引き下げる必要があり、ある程度下品さも現れる。マイケルが、あらぬところに手を当て、奇声を発するのは、祭りでは肌の露出が多いほど盛り上がるのと同じ原理だ。
実を言うと、宗教の目的すら、人間の生命力の増大であったが、それを精妙に行おうとしたものであった。宗教が力をなくすと、その役割は芸術が受け継いだ。
祭りやマイケルのコンサートはいつでも行えないし、実は弊害もある。
コリン・ウィルソンは、自分の目的はつまるところ、好みのタイプの美女が全裸で近付いてきた時の生命力を得ることと言ったが、あくまで洗練された方法が必要であると考えていたと思う。
池田満寿夫は、猥褻と芸術の違いはソフィスティケート(洗練)と言ったが、まさに的確な言葉と思う。尚、マイケルのパフォーマンスはその妥協点と思う。
芸術家でありながら、自己を鼓舞するのに「葉隠」を必要とした三島由紀夫にはやや疑問を感じるが、普通の者は、やはり自らを鼓舞するものを持てば良い。これを知るのとそうでないのとでは、人生に天地の差が生じるはずだ。
尚、ウィルソンは、「好みのタイプの美女が全裸」であれば生命力が沸きあがるとしたが、日本人の場合は「恥じらいながら」が付かないといけない。日本人とはエレガントなものである。

20070401

恒例となってきた、日曜日のラクガキです。
昔、女性の裸像に抵抗があった時代、画家は女性と一緒にキューピットをセットで描きました。すると、その女性はヴィーナスとなり、ヴィーナスが全裸であるのは自然であり、責めを免れました。
今の時代、誰が何を描こうが問題でないかもしれませんが、私が少女の裸像を描くときは全部、人間になった時の人魚姫を想うことで、私自身抵抗がないわけです(笑)。

絵をクリックすると、ポップアップで大きな絵が出ます。

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