出来事の本質
「会話をする」という。正しくは「会話がある」だ。
「私は怒った」という。正しくは「怒りがあった」である。
「経理業務をした」という。正しくは「経理業務の遂行があった」である。
画家は絵を描いていると思っている。しかし、画家は絵が完成するのを見ているだけだ。
そこここに、悲惨や理不尽が存在している。
だが、我々は、人々の状況を見て嘆いたり憤慨するが、悲惨や理不尽を見ないのだ。よって、悲惨や理不尽はなくならない。
怒りに身をまかせるだけで、怒りの本質をみない。それで、怒りは絶えることはない。
ものごとはただ起こるのである。だが、心は出来事と自分を同一化し、自分がものごとを起していると思い込む。
ものごとを、単に起こるものとして見た時、心のトリックに気付くだろう。そして、出来事にさしたる関心を持たなくなり、その影響を受けなくなる。あるいは、あらゆる出来事を予期せぬものとして歓迎するようになるだろう。
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