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2007.04.25

自我

自我というものが自惚れが強いことはご存知と思う。
今の時期では、会社では新入社員の扱いに手を焼く。新入社員は、表面的には先輩達を立てているが、本当は自分の方が優秀で、すぐに先輩達と立場が変わると思っている。まして、ぱっとしない中間管理職のおじさんなどは、新入社員の女子社員でも心の中で、そしてやがては態度でも露骨に見下すようになる。しかし、実際はどんなダメ社員でも、新入社員とは比較にならないくらい有能なのだ。

自我というものは完全に屈服させられるまでは諦めない。逆に言うと、完全に落胆させれば素直に従う。昔は、新入社員が壁にぶち当たることを避けさせなかったように思われるが、その時に彼らは自分の力不足を嫌というほど見せ付けられ、やっと「大人になる」。しかし、現在では、新入社員が壁に当たるのを避けさせるようになってしまった。そして、ベテラン自体が、壁に当たった経験がないということも普通になってきた。
現在は、世間中に、年齢的には老年・中年の幼児が溢れかえっている。彼らはある意味恐ろしい。

古いアニメでこんなものがあった。中学校の柔道部に新任のコーチが来る。コーチはまず、部員全員と乱取りを行い、全員を余裕で完膚なきまでに打ちのめし、実力の差を示す。そして言う。「ここまで実力の差を見せ付けられては、俺の言うことを聞かざるをえまい」。
実際は、学校教師というのは、見せ付ける実力など全くない。よく鍛えられた大人の中に入れられれば、大半が完全にガキである。それは、彼らも本当は分かっている。だから、生徒に対しては立場で威嚇するのである。これは、教師、生徒両方にとって不幸である。
中には、美術や音楽で、自分は相当なものだと思っている教師もいた。しかし、それは、せいぜいがある狭い限定された中でのことである。
こんなことがあった。生徒の前では虚勢を張って大物ぶっていた音楽教師がいた。彼は音楽教師としては、ちょっと優秀なのだろうが、音楽家とは程遠い。ところがある日、本物の大物音楽家が訪問してきて、その音楽教師が指導している学内クラブを指導した。その時の写真を新聞で見たが、その教師の歪んだ表情が印象的であった。さぞや心中穏やかでなかったであろうと気の毒に思った。

いい年をした者が尊大に振舞うようになるのはよくあることだ。自分自身は何か立派なことを達成したわけではない。いや、だからこそ尊大になる。男性では電車で脚を広げて座り、狭い道で向こうから人が来ても、肩で風を切って歩く。わが国では、それなりの敬老精神があるので、あえて彼らをたしなめる者もない。ところが、そんな男が車を運転していて、四つ角に止まっている車がちょっと邪魔で、派手にクラクションを鳴らした。まあ、「どかんか、この野郎」といった感じである。ところが、その停車していた車には人は乗っていなかったが、すぐ前の建物から5人ばかり男が出てきて、老人を車から引きずり出し、老人は両脇を2人の男に両側からロックされて建物の中に連れていかれた。その時の老人の哀れな顔は忘れられない。これで、その老人は「大人」になれたであろうか?それなら、多少痛い目に遭わされても、金を脅し取られても安いものである。

神か天使かは分からないが、それら至高の存在は私には好意的であるようだ。そんな状況を私に鮮明に見せてくれたのであるから。

以前、ネット上で交流のあった若い女性がいた。派遣で時々働いていたが、すぐにクビになる。その都度、上司が無能、社長が馬鹿と罵りまくっていた。そして、明らかに馬鹿げた根拠で自分の優秀さを主張する。この女性も、上にあげた老人と同じである。誰か、一度恐い目に遭わせてやって欲しいものだ。彼女も、「とても若い」という時期は過ぎてしまったようだ。

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