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2007.03.31

最も恐ろしいこと

「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」という映画で好きなシーンがある。
美しい乙女だが幽霊であるスーシンと純朴な青年ツァイサンが、一緒に書を書くシーンだ。
幽霊であるスーシンはすぐに消えることになる。
スーシンは「これが私がこの世にいた証し」と言う。

死んでも、自分がこの世にいた証しを残すことはできる。それを望む者は多く、お金や権力のある者は、できるだけ長く人々の記憶に残ろうとする。
世界最高の富豪ビル・ゲイツが長くこの世に名を残すには、大学を作れば良いという意見もある。スタンフォードのようにだ。
新庄が「記録よりも記憶に残る選手になりたい」と言ったが、通常は驚異的な成績を残した選手が記憶に残る。
オリンピックで何度も銀メダルや銅メダルを取った選手が、なおさら金メダルに執着するのは、銀メダリストの印象は金メダリストの1/100でしかないからだ。
人は、かくも自分の存在証明を願うものである。

一方、自己の存在自体が消えるというテーマのお話も実に多い。
「バック・ツー・ザ・フューチャー」では、マーティー少年は過去の世界に来て自分の母親に逢うが、若き日の母親はマーティーに恋してしまい、マーティーの父親への愛情が芽生えず、あわやマーティーは消えるというものがあった。
アニメ「ぴたテン」では、悪魔の少女である紫亜は、天使のような心を持つがゆえに悪魔失格となり、定めに従って消滅しようとする。彼女を慕う人間の子供達は泣き叫んでそれを止めようとするが、紫亜が消えてしまうと、彼女のことをすっかり忘れてしまう。
アニメ「灼眼のシャナ」では、異界の化け物に食われた人間は存在を失い、存在を失った人間は、もともとこの世にいなかったことになり、どんなに親しい親や友人でも、その者のことを憶えていない(というか、「知った」事実がなくなる)。

存在を失うことは、死ぬことよりも恐ろしいような気がするかもしれない。
自分の親や妻や夫、子供、親友が自分のことを全く知らないのである。ありうるはずがないが、もしそうであれば、これほど悲しく絶望的なことはない。
(落ちぶれたスターが、この悲哀をいくらか味わうかもしれない)
だが、そうであろうか?
私なら、無であることに耐える勇気がある。
私はもともと何でもない。私はすでに死んでいるともいえるし、決して生まれてこなかったとも言える。その事実を見えなくするのが心である。心(自我)は幻想を作って、自分が「あれ」とか「これ」であると思い込む。
フロイトは、壊れている人間の本能を補完するために、自我は幻想を作ったとし、岸田秀氏の「唯幻論」もこれを基にしているのだろう。
しかし、すでに死んでいる私はフロイトも唯幻論も超えてしまったのである(笑)。

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