微妙
「微妙」という言葉が長く人気を保っている。
しかし、非常にお気楽で都合の良い使い方が一般化してしまっている。つまり、「白」か「黒」かの判断を保留し、とりあえずグレイゾーンであるとする無責任な見解を抵抗なく受け入れさせるという用法である。とはいえ、そのような「微妙」は限りなく「黒」である。
しかし、本来、「微妙」とは「なんともいえない味わいや美しさがあって、おもむき深い」という意味であり、芸術的美を表現する言葉にもなるのだが、セザンヌを見て、本来の意味通りに「微妙」と言ったら、いまでは妙な意味に取られかねない(笑)。
「微妙」は、とらえがたい神秘である。
そして、これは人間にとって非常に大切なものだ。しかし、いまはこれが忘れられている。
そして、「微妙」と反対の粗大なものばかりに人々の関心が向かっている。
かずかな美しい調べではなく、ヒステリックで刺激的な巨大音の音楽。
優雅で精妙な雰囲気ではなく、単純明快な展開のストーリー。
エロスも奥ゆかしいものであれば叙情的であるが、現在は露骨なものがありふれている。
そして、当然ながら現代人には微妙な感覚が欠如してきた。
精妙な感覚はそれを発達させなければうまく使えない。
真理とは微妙なものである。微妙な感覚を持たなければそれを掴むことはできない。
強い感覚しか理解できないのであれば、宇宙の真理を捉えそこなう。そして、ペテン師の説く粗雑なものを真理と思い込む。
最も精妙な真理、それはただの存在である。単なる存在を微妙に感じる感覚を持てれば、精神は真理の中に溶け入り、あらゆることが理解できる。そうなれば、世界を手にしたに等しいのであるが、粗雑なものに注意が向く限りそれは不可能である。
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Comments
微妙な対象を単なる存在と感じているのは、こちらの結論とは反対ですが…ある種、これも真理なのでしょうか。
ただ一方で粗雑なものに目が行っているという事実があるので、私はまだまだなのかもしれません。
Posted by: MAMA | 2007.03.16 12:24 AM
「存在の感覚」というものが、微妙な感覚でしかとらえられないというつもりでした^^;
真の存在は、時間や空間を頼ることができず、あまりに微妙なものですので。
Posted by: Kay | 2007.03.18 04:52 PM